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心拍数13 セフレじゃない

「あいつの動向を見張って」  美也子さんにそう言われて、俺は意気揚々と夜の街へ飛び出した。  太一がどこにいるかなんて、俺の足りない頭じゃ見当もつかない。とりあえず、この辺の賑わっている場所をうろついてみよう。そう思っていた。  ――だが、バカな俺は気づいていなかった。見張るべき獲物の檻に、自分から進んで近づく必要なんて、最初からなかったのだ。  美也子さんの車を降りて、人通りの少ない路地裏を歩いていた時のことだ。すぐ後ろで、コツ、コツ、と静かな靴音が響いた。  俺は後ろを向く。 「―――!!」 「あれ、さっきぶり。こんなところで何してるわけ?」  心臓が跳ね上がった。振り返ると、街灯の薄暗い光の中に、太一が立っていた。その顔には、カフェの時とまったく変わらない、平然とした薄笑いが浮かんでいた。 「……!なんでここに……っ!」  俺は身構え、ポケットの中でスマホを握りしめた。美也子さんに連絡しなきゃいけないのに、太一の目が怖くて指が動かない。太一は怯える俺を見て、嬉しそうに目を細めながら、ゆっくりと一歩、距離を詰めてきた。 「俺は君と仲良くなりたいって、さっきも言ったじゃないか。本のプロモーションなんて、本当はどうでもいいんだ」 「君たちの安っぽい関係をさ……俺が跡形もなく、めちゃくちゃに壊してあげたいんだ」  太一は顔を近づけ、俺の耳元で楽しそうに笑った。 「一途な恋のつもり?付き合ってもいない、ただのセフレの関係のくせに。……お互いに都合よく身体を貪り合ってるだけのくせに、よくそんな純愛ぶった顔ができるね」 「――っ!」  頭の芯が、カーッと熱くなった。付き合っていないのは事実だ。俺が一方的気に気持ちを寄せて居るだけで柊一さんからの気持ちはない。だけど、柊一さんが俺を求めている以上俺はそれに応える。好きな人から求められたら彼が望むようにするのが俺の信念。  そんな俺たちの関係は、世間から見ればそういう風に映るのかもしれない。だが、バカな俺なりに柊一さんのことを大切に思ってきた気持ちを、こいつに生ゴミみたいに扱われる筋合いはなんかない。 「君が俺に縛られて、柊一を裏切る。そうして君たちのその薄汚いおままごとが、お互いの猜疑心でドロドロに崩れていくプロセスが見たいんだよ。……ねえ、最高にそそると思わない?」  太一は、胸元で固まっている俺の手を優しく包み込むように握ってきた。男の力なんて、鍛えている俺なら一瞬で振り払える。なのに、こいつの言葉の鋭さと、平然と笑う目の不気味さに、身体がすくんで動かない。 「ライン交換しよう。俺の言う通りにするって、ここで約束して。もし拒否したら、柊一に『洋平の死を利用して本を売る男の片棒を、このバカが担いでいた』って、証拠付きでバラしちゃうから。そうなったら、君たちのその浅い関係、一瞬で破綻だよね?」  俺をただのバカだと見下し、俺と柊一さんの関係を「セフレ」と嘲笑うあいつの瞳の奥に、底知れない暗闇が見えた。  ――どうすればいい……?俺がバカだから、こんなにナメられてんのか……!  ポケットの中で、まだマネージャーの美也子さんと繋がったままのスマホが、俺の悔しさと怒りに満ちた呼吸を静かに拾っていた。 「付き合ってもいない、ただのセフレの関係のくせに」  あいつの嘲笑うような言葉が、俺の頭の中で何度もリフレインした。まだ恋人として付き合っていないのは事実だ。俺の肩思いが続いているままだ。  でも、俺の不器用な気持ちまで「セフレ」の一言でゴミみたいに扱われたことが、何より悔しくて、涙が出そうになる。今ここで俺が暴れて、柊一さんにあの嘘の証拠を送りつけられたら、俺たちのこの危うい関係は一瞬で粉々に壊れてしまう。バカな俺でも、それだけは絶対に嫌だ。 「……わかったよ」  俺は震える手で、ポケットからスマホを取り出した。画面の向こうでは、まだ美也子さんとの通話が繋がったままだ。太一に気づかれないよう、素早く通話を切って、ラインの画面を開く。 「わかってるじゃないか。君とはやっぱり、仲良くなれると思ってたよ」  太一は満足そうに目を細め、自分のスマホを差し出してきた。カシャリ、とQRコードを読み取る小さな音が、路地裏に響く。画面に表示された太一のアイコンをタップし、「追加」のボタンを押す。指先が、怒りと悔しさで酷く冷たくなっていた。 「これで満足だろ」 「うん、今日はこれでいいよ。またすぐ連絡するから、楽しみにしててほしいな」  太一は俺の肩を優しくポンと叩くと、まるで恋人に別れを告げるような足取りで、暗い路地裏の向こうへと去っていった。平然とした、あの薄気味悪い笑みを浮かべたまま。  一人残された俺は、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えた。壁に強く拳を叩きつける。 「クソが……っ!」  スマホの画面には、新しく友達追加された太一のアカウント。そして、その直後に、美也子さんから短いメッセージが届いた。 『柊一とそういう関係なのは、とっくに知ってたわ。……よく我慢したわね。今すぐ車に戻ってきなさい。反撃の作戦を立てるわよ』  美也子さんは全部知っていた。その上で、俺がプライドを捨てて耐えたことを褒めてくれている。俺は涙を袖でゴシゴシと拭うと、太一への激しい憎しみを胸に抱いたまま、美也子さんの待つコインパーキングへと全速力で走り出す。  ハァ、ハァ、と荒い息を吐きながら、俺はさっきのコインパーキングへ滑り込んだ。ワンボックスカーのスライドドアを開けて、助手席になだれ込む。 「おかえり。……災難だったわね」  運転席の美也子さんは、いつものサバサバした声で俺を迎えてくれた。この人はとっくに気づいていた。バカな俺のプライドを傷つけないように、今まで泳がせてくれていただけだ。 「でも、七瀬君。柊一はあなたの事を大事に思っているわ。だからセフレだなんて思わないで」 「…そ、そうなの?」  俺は目を丸くし、彼女の言葉を待つ。 「そうよ。柊一ひねくれてるから七瀬君に言わないけど、長年柊一と付き合ってる私が言うんだから、間違いないわ」 「そ、そうなのかな…」  俺は顔を赤く染める。  本当にそうだといいな。両想いだなんていわれたら、天にも昇れそう。…だが今は。 「美也子さん……俺、太一にライン教えちゃった……。柊一さんに変な証拠送るって脅されて、俺たちの関係をセフレってバカにされて…」 「いいのよ、それで」  美也子さんは俺の言葉を遮り、優しく俺の肩をポンと叩いた。 「七瀬君がそこでキレてあいつを殴ってたら、あいつの思うツボだった。よく我慢したわ。偉かったわよ」  その大人の優しさに、また涙が零れそうになった、その時だった。  ブブッ。  ポケットの中で、スマホが重苦しく震えた。ビクッとして取り出す。  画面に表示されたのは、さっき追加したばかりの太一のアカウント名。そして、そこに並んだ最悪の文字列。 『明日、俺の部屋に来てよ』 「ひっ……!」  思わずスマホを取り落としそうになった。本当に、秒単位で俺を支配しにかかってきている。気持ち悪い。背筋がゾワゾワと泡立つような恐怖が襲ってきた。 「ちょっと、見せなさい」  美也子さんが助手席に身を乗り出し、俺のスマホの画面を覗き込んだ。その目が、一瞬でプロのハンターのように鋭く細められる。 「……『明日、俺の部屋に来てよ』、ね。なるほど、展開が早くて助かるわ」 「み、美也子さん!?これ、どうすればいいんだよ……!!俺、太一の部屋なんか行ったら、何されるか……っ」  おびえる俺を見て、美也子さんは不敵な笑みを浮かべた。 「行きなさいよ。あいつの部屋」 「え!?」 「いい?向こうは七瀬君を完全にナメきってる。自分の脅しに怯えて、尻尾を巻いて部屋にやってくる、哀れなバカ犬だとしか思ってないわ。……だったら、その油断を突いてやるのよ」  美也子さんは自分のスマホを取り出すと、画面を叩きながら、声を落として言った。 「あいつの部屋に、七瀬君を泳がせる。その代わり、私の仕込む『おもちゃ』をいくつか持っていってもらうわ。あいつが調子に乗って、自分の悪事をベラベラ喋る決定的な証拠を、明日の密室で全部吐き出させるの」  美也子さんの目が、暗い車内でギラリと光った。 「七瀬君、明日あいつの部屋で、人生最高の『怯えるバカのフリ』をしてきなさい。できるわね?」 「……うん、わかった!」  恐怖が消えたわけじゃない。でも、美也子さんの作戦があるなら、俺は太一の部屋にだって喜んで飛び込んでやる。太一のあの平然とした笑い面が、明日どんな風に崩れるか、今から楽しみで仕方がなかった。

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