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心拍数19 写真
夕べは朝まで起きていた。それに今日はいきなりの会議出席だ。俺は欠伸を何度もしていたが、会社の帰り間際に来た一個のラインで目が覚める。
『今日は来れるか?無理ならいい』…柊一さんのラインだ。俺は即座に「いく!」返信した。俺は会社を出ると、一度自分の家に帰ると泊まる支度をして、それからプリンを買って柊一さんの部屋に行く為、西新宿に行く。
泊まり支度するとき、否応なしにワンルームの大部分を占めているベッドを見ることになる。夕べの事を思い出し、俺は彼に愛されていることを少しだけ自覚する。まだ照れはあるけれど、身体に刻み込まれた痕はすべて俺が彼のモノになったということを証明している。首筋あたりを摩って、俺は西新宿へ向かった。
西新宿に向かう電車の中で、ラインが来た。柊一さんからかなと思って通知画面を見たら、太一からだった。今更なんだよ…と、トーク画面を開くと、太一の部屋で撮った俺の乱れた写真が送られてきた。俺は頭が真っ白になる。
『職場や柊一にバラされたくなければ、今すぐ柊一と別れろ』その文言と共に送られてきた。
柊一さんはもうすでに知っている。この写真を見ても太一に対し復讐心を燃やすだけだと思う。問題は職場だ。
専門学校卒業の俺を五年間面倒見てくれた大手の印刷会社だ。その人たちの目にこの写真が触れると思うとそれはただの拷問でしかない。
だが、待てよ。俺がそこを辞めてしまえばいいのか。辞めてしまえば、もう繋がりもなくなる。お世話になった同僚や上司には悪いけど、さっさと辞表を書けばいいのか。そうだ、そうした方が後腐れなくていい。
俺はプリンを片手に持ちながら、柊一さんにもそう言おうと心に決める。
西新宿に降り、マンションに向かい歩く。
「今、西新宿駅。今から行くね」と、ラインで柊一さんに送る。ここからすぐに彼のマンションはある。三年も通っている道、バカな俺でもすっかり憶えてしまった。
会社への辞表ってどう書くんだろう。それにいきなり辞表持って行って受理されるものなのか?たくさんの疑問が俺の中に湧き上がる。
「着いちゃった――」
俺がアレコレと思考にふけっているうちに彼のマンションについてしまった。俺はエントランスで彼の部屋の番号を押し、来たことを告げる。俺は彼の居る八階へエレベーターで向かう。
「こんばんは~柊一さーん来たよー!」
「よく来たな、七瀬」
彼は玄関先で待っててくれたようだった。俺はすぐ中に通される。彼の家の廊下を歩きながら、太一から写真が送られてきたこと、別れないと柊一さんと職場にバラすと言ってきたことを伝えた。
「写真?」
「…柊一さんには見せたくない」
俺は立ち止まって俯く。
「大体は想像がつく。太一のヤツふざけやがって!」
冷静な柊一さんが憤慨している。太一が関わってくると表情豊かになるんだなと他人事のように思う。――怒っているのは俺の所為だよね?
「それでね、俺、会社辞めることにしたんだ。太一は『会社にバラす』って言ってるわけでしょ?じゃあ、俺が先に会社を辞めちゃえば、バラす場所がなくなって、あいつの作戦はパァになるじゃん。俺、明日退職届出すよ。そしたらあいつも、写真バラせなくて悔しがると思う」
俺が楽しそうに言うと、柊一さんは短いため息をついて、
「……。お前が会社を辞めたら、これからの生活や、今までのお前のキャリアはどうする?」
と、心配そうに言う。俺は意気揚々と、
「えっ?……ええと、ほら、俺おバカだから、次の仕事は……アルバイトとか、何でもいいし!柊一さんに迷惑がかかるより、全然マシだし……」
最後の方は聞こえなくなるような声になった。
「……だって、せっかく柊一さんが『大丈夫』って言ってくれたのに、俺のせいで柊一さんの仕事までめちゃくちゃになったら嫌なんだ。俺、変な写真撮られて、汚れちゃったから……もうこれ以上、迷惑かけたくないし」
本当は悔しい。悔しくて仕方がない。けれど、柊一さんに迷惑はかけたくない。柊一さんは、俺を強く抱きしめてくれた。
「……バカだな、本当に。大バカだ。昨日言ったろ、七瀬は何も汚れていない。迷惑でもない。そんなふうに、七瀬が自分の居場所を捨てる必要なんて、どこにもない」
柊一さんはリビングに行き、名刺入れを見つけると、スマホを持って忙しそうに電話をかけ始めた。
「え…どうしたの…」
必死に柊一さんはあちこちに電話している。
名刺を追っていくと、弁護士事務所、それに出版社、俺の上司の名刺まである。普段はきっと美也子さんが管理しているのだろうと思われるものだ。美也子さんは元気かな…。自分を責めてないかな。
「実はリベンジポルノの脅迫を受けている。警察と動いているが、もし会社に連絡があっても被害者として守ってほしい」
リベンジポルノ?聞き覚えのないカタカナ言葉。俺は黙って柊一さんの横で聞いていた。
ひとしきり電話を終えると、柊一さんは俺に向かって、
「もう会社は辞めなくていい」
と、伝えてきた。
「俺が七瀬を守るから、もう大丈夫だ、安心しろ」
俺はたまらず、涙を零す。その涙を柊一さんが中性的ながらも大きな手で優しく拭う。
「言ったろ、お前を泣かせるものは、俺がこの世から全部消してやるから…、て」
俺はたまらずに柊一さんに抱きつく。
「怖かった――怖かった――怖かったよ―――っ!」
俺は柊一さんの胸の中、泣きじゃくる。柊一さんは俺の身体に手を回す。
「七瀬はそのままでいい、いつも通りにしてればいい」
「……う…ん……」
広いリビングで俺と柊一さんの声だけがこだまする。
三年前、出逢った時と同じリビングで。
「七瀬、風呂行ってこい。俺は早めに入ったからな」
「わかった、行ってくる」
俺は家から持ってきたTシャツと短パンを持って脱衣所に行き、服を脱いで、適当なタオルを手に取る。
「なんか久しぶりに柊一さんの家の風呂入るな」
いつもはシャワーで簡単に済ませていた。それに一人で入るのも久々だ。最近は二人で入るのが常だった。たまには大きな風呂を一人味わうのもいい。俺は鼻歌交じりに浴槽に浸かった。
「お風呂あがったよー」
俺はとりあえずリビングに向かった。
電灯はついているものの、そこに彼の姿はなかった。もう寝室に行ったのかな…?俺はバッグに突っ込んであったスマホを見て、新しい通知がないのを確認して、またバッグの中に突っ込む。あれだけ怯えていた写真も柊一さんのおかげで、怖くなくなった。
アレクサに電灯を消すことを命令し、俺はタオルだけを持って二階にある寝室に行く。
パタン。
寝室のドアを開けると、既に柊一さんがベッドに横になっていた。
昨日は、あんなことがあった恐怖をすべて上書きするみたいに、激しく、何度も貪るように抱かれた。
あんなにドロドロに愛し合って、泣いて、全部を受け止めてもらったのに、まだどこか不安だった俺の心を、彼は見抜いていたのだろう。
「七瀬、おいで」
布団の中で差し出された腕の中に、俺は素直に潜り込む。中性的で美しい手が私の腰を抱き寄せ、もう片方の手がゆっくりと俺の髪を梳いた。
今夜の彼は、昨日とは違って、まるで幼い子供をあやすようにひたすら優しい。いつもみたいに意地悪な顔も見せない。
「まだ、怖いか?」
「ううん。柊一さんが『大丈夫』って言ってくれたから、怖くないよ、もう平気」
彼の胸に額を押し当てながら、俺は小さく呟いた。本当は、明日会社に行けば何か起きるかもしれないという不安が、ほんの少しだけ胸の奥に残っている。だけど、それを口にして彼を心配させたくなかった。
「嘘つくな」
彼はクスッと短く笑うと、俺の鼻先を自分の指先でツンと突ついた。
「お前は本当にバカで、嘘が下手だな。目が泳いでる」
「う……。だってバカなんだもん、しょうがないじゃん」
拗ねたように唇をへの字に尖らせると、そこに柔らかいものが触れた。ちゅ、と、小鳥がつつくような、短くて優しいキス。
「ん……っ」
もっと欲しくなって彼を見上げると、彼は悪戯っぽく微笑んで、俺の目元や、頬、おでこに、今度は何度も、ぽつぽつと雨を降らせるように優しいキスを落としていく。くすぐったくて、愛おしくて、胸の奥がキュンと切なくなる。
「今夜はこれだけ。明日に備えて、早く寝ろよ。お前あんまり寝てないだろ?」
「ええー……」
不満を漏らす俺を、彼はさらに強く抱きしめて、自分の胸の中にすっぽりと閉じ込めた。彼の身体に包まれていると、太一に襲われた時の冷たい恐怖も、職場の現実的なピンチも、すべて遠い世界の出来事のように思えてくるから不思議だ。
トクトク、と、彼の規則正しい心臓の音が耳の奥に響く。世界で一番安心できる、大好きな音。
「おやすみ。明日起きたら、全部綺麗に片付いているからな」
彼の長い指が、俺の背中を優しくトントンと叩く。その心地いいリズムに誘われるように、俺の意識はゆっくりと、だけど深い毛布の底へと沈んでいった。彼にこの身を委ねて、ただ守られていることの心地よさに、とろけそうになりながら。
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