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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く11

 朝の光がカーテンの隙間から細く差し込み、シーツの上に転がった。  ゆっくりと意識が浮上する。それと同時に、全身をきしむような鈍い痛みが襲った。特に腰から下は自分の身体ではないように重く、昨夜、彼に何度も何度も限界まで貪られた事実を嫌というほど突きつけてくる。 「……っ」  かすれた声を漏らしながら身じろぎする。  恐る恐る寝返りを打つと、そこにはまだ静かに眠る彼の横顔がある。普段の、どこか他人行儀で冷徹な彼からは想像もつかないほど、無防備で、穏やかな顔。  彼にとって昨夜のことは、ただの気まぐれか、あるいはやり場のない欲の処理に過ぎなかったのかもしれない。俺を狂わせるほど甘くて凄絶だった時間の終わりと、片想いという残酷な現実が、冷ややかな朝の空気とともにじわじわと戻ってくる。 「おはよう…」  誰も声を返してくれない。まだ彼は夢の中のようだ。俺は重い腰を上げ、宿の浴衣を着る。 「取材旅行、だったな……」  椅子に深く腰掛けたまま、俺は心の中でその言葉をなぞる。  仕事、あるいは何かの創作のための取材。建前はあくまで「仕事の一環」であり、この旅行を企画した柊一さんも、そういう名目で俺を誘い出したはずだった。それなのに、昨夜の俺たちはその境界線をあまりにも容易く踏み越えて、貪り合ってしまった。 「…おはよう、七瀬。起きたのか」  いつの間にか柊一さんが起きていた。ベッドからこちらを見つめる柊一さんの瞳には、昨夜の熱を帯びた狂気はもう微塵も残っていないように見える。 「……体、痛むか」  少しの間を置いて、低く落ち着いた声が部屋に響いた。彼にしては珍しく、どこか気まずさを孕んだ、けれど気遣うような響き。 「ううん、大丈夫」  俺は笑ってみせた。  柊一さんは、その笑顔の裏にある強がりをすべて見透かしているような目で、じっと俺を見つめている。だが、それ以上追及するような真似はせず、小さく息を吐き出すと、乱れたシーツを払ってゆっくりとベッドから立ち上がった。  すらりとした長身に、はだけた浴衣を無造作に羽織り、帯を無造作に結び直す。その一連の動作すら絵になる。 (柊一さんカッコいいなあ――) 「無理はするな。……昨夜は、その、少し度を越してやりすぎた」  部屋の隅に置かれた電気ケトルに手を伸ばしながら、柊一さんが背中越しに言った。その声はいつもの冷静さを取り戻しているように聞こえたが、わずかに耳の後ろが赤い。仕事の時の完璧な彼からは決して見られない、どこか居心地の悪そうなその態度に、胸の奥がちくりと疼く。 (度を越してやりすぎたかあ……)  彼にとっては、夕べは一時的な気の迷いだったのだろうか。胸を締め付ける片想いの痛みを誤魔化すように、俺はわざと明るいトーンで声をかけた。 「本当に大丈夫。それより、今日の取材のスケジュールはどうするの?」    柊一さんの事だから、俺とは違って場当たり的に決めてるわけじゃないだろう。  問いかけた俺に、柊一さんはケトルを置くと、ゆっくりとこちらを振り返った。 「志賀高原に行く。サマーリフトに乗って山頂にあるレストランでランチだ」  柊一さんはそう言うと、いつもの完璧に仕事をこなす「プロフェッショナル」の顔に戻って、手元にあったスマホに視線を落とした。 「トレッキングの取材も兼ねている。志賀高原はユネスコエコパークにも選ばれている原生林や湖沼の宝庫だ。今日のルートは、リフトを乗り継いで東館山の山頂を目指す。標高2000メートルの展望テラスにあるレストランでランチと、パノラマビューの撮影だ」  すらすらと淀みなく流れるその言葉に、俺は小さく息を呑む。スマホ一台見るだけで、そこまでいえるなんて流石としか言えない。  昨夜、俺の身体をめちゃくちゃに暴き、何度も限界までイカせた男と同一人物だとは、到底思えない。彼の声にも、眼差しにも、もうあの淫らな熱は一切残っていない。こうも柊一さんは変われるんだ。  本当に、あれはただの旅の解放感がもたらした、一瞬の過ちだったのか? 「朝一番の空気が澄んでいるうちに山頂へ上がりたい。身支度ができたらすぐに出発するぞ、七瀬」 「うん、わかった」    そう答えて立ち上がろうとした瞬間、下腹部の奥からずしりと響くような鈍い痛みが走り、思わず「くっ……」と短く息を詰まらせてその場で固まった。  浴衣の裾から覗く太ももが、かすかに震えている。  その様子に気づいたのか、柊一さんがピタリと止まった。彼はスマホからゆっくりと視線を上げ、俺の強張った身体を、射抜くような強い瞳で見つめてくる。 「七瀬」  低く落とされた声が、静まり返った部屋にやけに響いた。 「やはり、無理しているんじゃないか。昨夜の…その……歩くのも厳しいなら、無理にトレッキングに付き合う必要はない。お前は宿で休んでいろ」  気まずさと、隠しきれない独占欲のような熱が、その声の奥にわずかに混ざり込んでいる気がして、俺の心臓が跳ね上がった。 「それじゃ、柊一さんの為に俺何にもできないじゃん…」 「無理するな、一人で取材できる。七瀬は宿でゆっくりしてればいい」  柊一さん優しい言葉に対し、俺は、 「やだ!一緒に行く!」 と、わがままを言った。俺が子供のように声を張って食い下がると、柊一さんは一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くした。 「七瀬……」

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