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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く18

 リフトを降りる。柊一さんは、俺の事を思ってか、手を差し伸べてくれる。 「大丈夫だよ、運動神経だけは悪くないから」 「でも、七瀬…お前具合完璧じゃないだろう?…夕べの…そのアレがたったって…――」  俺は顔を赤く染める。夕べのアレ…柊一さんと俺の関係性を示す「セフレ」の象徴でもある行為。俺は首を左右に振る。 「今は何とか大丈夫だよ。そんなにきつくないし」 「そうか。悪かったな、昨晩はやりすぎた――」  彼は申し訳なさそうな顔を作る。俺はまた首を振る。 「柊一さんがそれだけ俺の事見てるってこと、嬉しいから別にいいよ。旅の開放感もあっただろうしね」 「旅の解放感か。今はそういう事にしておく――」  俺と柊一さんはリフト乗り場から車をとめた駐車場へ向かう。 「ここから琵琶池の近くまで車で行く。10分から15分程度だ。ゆっくり乗れ、七瀬」  俺は柊一さんの愛車ステーションワゴンに乗りこむ。 「昨日はやりすぎたが、あれはお前が「セフレ」とか言い出したからだからな。少し反省しろよ」 「反省って何を?」 「お前はセフレじゃないって事。それ位わかれよ」 「…わかんない」 「七瀬、お前――!!夕べの事があってもそういうのか」  柊一さんは珍しく怒っている。いつも冷静沈着な彼が、だ。 「夕べはただ旅の解放感があっただけじゃん。やってることはいつもとかわんない」 「ふざけんな!七瀬、お前…その口塞ぐぞ」 「……っ」  柊一さんの低く凄むような声に、俺は思わず助手席のシートに深く身を沈めた。  怒気を含んだ彼の瞳が、すぐ間近で俺を真っ直ぐに射抜いている。いつもなら、向けられるだけで足がすくむような、冷徹で容赦のない彼の「本気」の視線。だけど今は、その奥にどうしようもない焦燥と、むき出しの感情が渦巻いているのが分かった。 「……塞げばいいじゃん」  どうしてこんな可愛げのない言葉が口を突いて出たのか、自分でも分からない。  胸の奥の痛みが、ひねくれた弾みをつけて俺の舌を動かしていた。 「そうやっていつも、都合が悪くなったら身体で黙らせる。だから、セフレだって言ってるんだよ。身体の関係しかないから、言葉の代わりにそういうことして、それで終わりにするんでしょ」 「七瀬……!」  ステアリングを握る柊一さんの指が、白くなるほど強くきしんだ。  車内の空気が一瞬で凍りつく。怒らせたらどうなるか分かっているはずなのに、一度溢れ出した感情はもう止められなかった。 「夕べだってそうだよ。激しかったのは、俺が余計なことを言ったから……罰のつもりだったんでしょ?柊一さんが俺をどう扱おうが自由だけど、それを『セフレじゃない』なんて言わないでよ。期待、しちゃうから……っ」  最後の言葉は、ほとんど悲鳴のような掠れた声になって消えた。  視界が急に熱くなって、俺は慌てて顔を背け、助手席の窓の外に目を向けた。流れていく志賀高原の深い緑が、涙でぐにゃりと歪んでいく。  沈黙が、重く、痛く、二人の間にのしかかる。  聞こえるのは、アイドリングを続けるエンジンの低い音と、俺の震える呼吸の音だけ。 「……はあ」  やがて、頭上から大きな、地を這うようなため息が聞こえた。  怒りが引いたわけじゃない。むしろ、手がつけられないほど呆れ果てたような、そんな深い諦めを含んだため息。 「お前は、本当に……」  カチャリ、とシートベルトを外す音が響く。  驚いて振り向く間もなく、強い力で肩を掴まれ、俺の身体は強引に助手席の背もたれへと押しつけられた。  視界いっぱいに、柊一さんの整った顔が迫る。 「旅の開放感じゃない。……これでもまだ、身体だけの都合のいい関係だって言い張るつもりか?」  至近距離で見つめてくる彼の瞳は、怒りを通り越して、どこか酷く傷ついたように揺れていた。俺には何故柊一さんがそういう顔を浮かべているのか理解できなかった。俺は柊一さんとの関係をただ口にしただけ。それだけで彼がこんな顔を作るなんて考えてもみなかった。 「なんで、そんな顔するの……」  掠れた声が、自分でも驚くほど小さく漏れた。  怒られるならまだ分かる。からかわれたり、いつもみたいに冷たくあしらわれたりするなら、傷つきながらも納得できたはずだった。だけど、見下ろしてくる柊一さんの瞳にあるのは、明らかな拒絶でも憤りでもない。まるで、一番信じていたものに裏切られたかのような、深い痛みの色だった。 「わからないか、七瀬」  柊一さんの低く張り詰めた声が、狭い車内に鼓膜を通じて直接響く。  肩を掴む彼の指先が、微かに震えているのが伝わってきて、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。 「お前はただのセフレに、わざわざこんな時間取ってまで遠出の旅行に連れて行くか?大体、その服や靴は誰が用意した?歩き慣れないお前の足元を気にして、具合を心配して、自分でも引くくらい過保護に扱うと思うか」 「それは……柊一さんが優しいから…」 「優しさでこんなことしてたまるか」  遮るように放たれた言葉は、低く、重かった。 「旅の開放感なんかじゃない。……お前が自分から『セフレ』なんて安い関係に逃げ込もうとするから、これ以上他の男に目を向けないように、俺のことだけを考えるように、余裕をなくして引きずり回したんだよ。昨晩のことも、今朝のことも……全部そうだ」  柊一さんの端正な顔が、さらに至近距離まで近づく。彼の熱い呼吸が、俺の火照った頬に直接かかった。 「言葉で言わなきゃ伝わらないなら、何度でも言ってやる。俺はお前を都合のいい道具だと思ったことは一度もない。綺麗事で飾ってるんじゃない。本当に綺麗事で済ませられるなら、とっくにお前を突き放して、こんなところで理性を失いかけてる自分に苛立ったりしてない」 「柊一、さん……」 「七瀬。もう二度と、俺たちのことをその言葉で片付けるな」  視線が絡み合い、逃げることも逸らすことも許されない。  柊一さんの大きな手が、俺の頬に添えられ、親指が涙の跡を優しく、だけど強引に拭った。 その手のひらから伝わってくるのは、間違いなく俺一人に向けられた、独占欲と執着に満ちた熱だった。 (じゃ、俺たちの関係は何なの…?)

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