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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く19

 柊一さんの独連欲と執着を見せつけられ、俺は戸惑っていた。ずっと俺は都合のいい身体だけの繋がりだと思っていた。実際、そういう繋がりの女性たちを多く囲んでいる生活を柊一さんはしているわけだし、俺のその中の一人だと感じていた。  それが違うのなら、俺と柊一さんの関係が説明できない。ただの友達では片づけられないそれ以上の繋がり…これを何というのだろうか。 「七瀬、ついたぞ。遊歩道を歩けば琵琶池だ」 「ねえ、柊一さん、俺との関係セフレじゃなかったら、何なの?だって柊一さん女性もいっぱい囲ってるし…」  俺は一番疑問だったことを直球で彼に尋ねる。柊一さんは視線を俺から反らし、こそっとつぶやく。 「……嫉妬か」  柊一さんはそう低く呟くと、ステアリングを握る手にぐっと力を込めた。視線をフロントガラスの向こう、木々の間にきらめく琵琶池の水面へと向けたまま、その横顔はどこか苦々しい。 「囲ってるって……お前、俺をなんだと思ってるんだ。あれはビジネス上の付き合いや、向こうが勝手に寄ってきているだけだ。俺から誰かを繋ぎ止めようとしたことなんて、ただの一度もない」  そう言って、柊一さんはようやく視線を俺に戻した。その瞳には、先ほど車内で見せた激しい情動の残火がまだくすぶっている。 「友達、なんて生ぬるい言葉で片付けるつもりもない。ただの友人にあんな執着の仕方はしないし、他の誰かに触れられる想像をしただけで虫唾が走るなんてこともない」  彼は深く息を吐き出し、エンジンを切った。静寂が訪れた車内で、柊一さんはシートベルトを外すと、俺のほうへわずかに身体を傾ける。 「……何の関係かと訊かれれば、まだ名前はないのかもしれないな。お前が納得するような、世間一般の綺麗なラベルは貼れない」  柊一さんの大きな手が、俺の髪をそっとすくい上げる。その手つきは驚くほど繊細で、だけど逃がさないという強い意思がこもっていた。 「だが、これだけは覚えておけ。俺にとってお前は、替えの利くその他大勢のうちの一人じゃない。お前以外の誰かを、こうしてわざわざ連れ回して、自分の感情を振り回されることなんてないんだからな」  その言葉は、彼なりの不器用で、だけど傲慢なほどの独占欲の証明だった。  柊一さんは俺の額に軽く自分の額を小突くように合わせると、「行くぞ」と短く言って運転席のドアを開けた。  外から流れ込んでくる高原の涼しい風が、火照った俺の頬を冷ましていく。  セフレでもない、友達でもない。名前のない関係のまま、俺は車を降りて、先に歩き出した彼の背中を追いかけた。  彼から言われたラベルのない関係。単純おバカな俺の頭では処理しきれない。彼のような複雑な思考回路しているのならともかく、俺のシンプルな思考回路ではショートしそうだ。もう既に何本かネジが吹き飛んでるような気もする。だいたい柊一さんの言ってることは難しすぎるんだよ、俺みたいなバカに理解しようっていうのが無理って話。 「柊一さんだって俺の事わかってない。俺はバカなんだからそんな難しいこと言われたってわかんない」 「七瀬がバカだってことは良く知ってる。だから、お前は難しい事考えずに、俺についてくればいいって事」 「何それ」 「言葉通りの意味だ。余計なことを考えて勝手に落ち込むくらいなら、お前はただ俺の隣にいればいい」  振り返った柊一さんは、いつもの涼しげな、だけど少しだけ意地の悪い笑みを浮かべていた。  まるで「お前にはそれくらいが丁度いい」とでも言うような態度に、さっきまでの切なさや深刻な葛藤が一気にどこかへ吹き飛んでいく。 「それって、思考停止しろってこと?ずるいよ、柊一さんは頭がいいからって……」 「ずるくて結構。バカにはバカなりの扱い方がある」 「もう、すぐそうやってバカって言う!」  俺が膨れて見せると、柊一さんは小さく吹き出し、待つように歩調を緩めてくれた。  駐車場を出て遊歩道へと入ると、舗装された道から一転して、木漏れ日の差し込む土の感触が足の裏に伝わってくる。周囲を囲む白樺やダケカンバの林から、サラサラと葉の擦れ合う心地いい音が響いていた。  少し前を歩く彼の背中を見つめながら、俺は小さくため息をつく。  結局、関係性の答えは出ないままだ。だけど、「その他大勢のうちの一人じゃない」と言いきった彼の声が、耳の奥で何度もリフレインしていた。 (本当に……難しいこと言われてもわかんないよ)  でも、それでいいのかもしれない。  柊一さんが言うように、俺のシンプルな頭であれこれ勘繰るだけ無駄なのだ。彼が俺を離す気がないのなら、俺だってこの手を離すつもりはない。 「ほら、七瀬。またぼんやりしてると足元をすくわれるぞ」 「あ、待って!今度はちゃんと前見てるから!」  木々の隙間から、太陽の光を浴びてキラキラと輝く琵琶池の水面が見えてきた。  俺は駆け足でその背中に追いつき、今度は自分から、彼の大きな手のひらにそっと指を滑り込ませた。 「あれ?さっきの植物園で見た花とか咲いてないの?」 「さっきのは標高が2000メートルだろ?こことは全然違う。高山植物は自生してない」 「そうなの?せっかく見たのにぃ」 「しょうがないだろ、花に文句言うな」  柊一さんはそう言ってクスっと笑う。俺は遊歩道沿いに咲くオレンジの花を見ながら、ぶつぶつ文句を言っていた。 「バカだなー七瀬~」  柊一さんは柔らかく笑っている。 「あ、またバカって言った!」  俺がむっとしながらオレンジの花――たしかレンゲツツジってやつだっけ――を指さすと、柊一さんは繋いだ手に軽く力込めて俺を自分の方へと引き寄せた。 「バカと言われたくなければ、少しは学習しろ。ここは標高約1500メートルだ。あっちの山頂とは環境が違う。だが、ここにはここの良さがあるだろ」  そう言って柊一さんが見上げた先には、白樺の白い幹と、夏の太陽に透ける鮮やかな緑の葉が広がっていた。木漏れ日がサラサラと揺れて、俺たちの足元に複雑な斑模様を作っている。すぐ近くからは、さっきまで車の中にいたのが嘘みたいに静かな、琵琶池のさざ波の音が聞こえてきた。 「……うん。静かで、綺麗だね」 「だろ。花の種類が違ったって、お前がこうして喜ぶ景色ならどこだって連れてきてやる」  さらりとそう言われて、また胸の奥がぎゅっと甘く疼く。  本当に、この人はずるい。難しい理屈で俺を煙に巻いたかと思えば、こういうストレートな言葉を平然と投げつけてくる。 「……やっぱり、柊一さんはずるいよ。そんなこと言われたら、俺、本当に勘違いしちゃうから」  俺がうつむきながら小さく呟くと、柊一さんは歩みを止め、俺の正面に回り込んだ。  繋いだままの手を自分の胸のあたりまで持ち上げられ、彼は少しだけ呆れたように、だけどひどく愛おしそうな目で俺を見つめる。 「まだ勘違いだなんて言ってるのか。お前のその頭に叩き込むには、言葉だけじゃ足りないらしいな」 「え……?」 「今夜も、たっぷり時間をかけて教えてやる。お前がその『セフレ』なんて言葉を完全に忘れるまでな」  低く耳元で囁かれた不穏で熱い言葉に、俺の顔が一気に沸騰する。  夕べの激しい記憶がフラッシュバックして、慌てて周りを見回したけれど、遊歩道には俺たち以外に誰もいない。 「な、何言ってるの……っ!ここ外だよ!?」 「静かにしろ。誰も見ていないだろ」  柊一さんは楽しそうに口元を歪めると、赤くなっているであろう俺の耳たぶを、いたずらっぽく指先で軽く弾いた。  難しくて名前のない関係。だけど、この人が俺に向ける視線も、触れる手の熱さも、何ひとつとして嘘じゃないことだけは、バカな俺の頭でもちゃんとしみ込むように理解でき始めていた。

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