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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く20
「緑がいっぱいでマイナスイオン…だっけ?なんかそういうのでいっぱい」
「ここも山の一部だからな。木々も嫌でもあるな。森林浴にもなる。「信州の森林セラピー基地」に認定されてるからな、ここ」
「柊一さん何でも知ってるね。ドラえもんより凄い」
「――それ褒めてるのか?」
「最大級の誉め言葉だよ!なんでもポケットから出す代わりに、なんでも頭から出てくるでしょ?」
俺が胸を張って言い張ると、柊一さんは呆れたように短く息を吐き出し、繋いだままの俺の手を少しだけ強く引いた。
「お前の例え話は本当に極端だな。……まあいい、行くぞ」
木漏れ日がきらきらと揺れる遊歩道を進むと、視界が一気に開けた。
目の前に広がったのは、山の深い緑を鏡のように映し出した、静かで大きな琵琶池の水面。遮るもののない青空と、周囲を囲む白樺の白い幹が、水辺の涼しい風と一緒に俺たちを迎えてくれる。
「わあ……すごい、綺麗……!」
思わず足を止めて声を上げると、柊一さんも隣で足を止め、静かに池を見つめた。
「そうだな。都会の喧騒とは無縁だ」
「ねえ、あっちの奥の方まで歩けるの?」
「ああ。池の周りが一周できる散策路になっている。45分か1時間もあれば回れるはずだ。……だが、無理はするなよ。足元も土だし、夕べの今日なんだからな」
「わかってるよお。無理はしないよ」
「無理だったら言えよ。朝相当きつそうだったからな」
柊一さんは今朝の事を気にしているようだ。俺は確かに今朝は歩けるかどうか不安だった。 下半身全体が痛くて重くてつらかった。昨晩の柊一さんは激しすぎた。セフレという言葉に怒ったんだろう。…だからとはいえ、やりすぎだ。俺の無駄に鍛えてる身体だから持ったのかもしれない。
「本当に……ちょっとは加減してくれてもよかったのに」
俺は繋いだ手を軽く引っ張るようにして、ぶつぶつと抗議の声を上げた。
いくら俺が趣味のジム通いで無駄に体力をつけているからって、限度というものがある。今朝ベッドから起き上がろうとした瞬間の、腰から太ももにかけて走ったあのズシリとした重みと鈍痛は、今思い出しても顔が熱くなる。
「加減?あれでも抑えた方だが」
柊一さんは平然とした顔で、事も無げにのたまう。
「嘘ばっかり!絶対怒りに任せてやってたじゃん。俺が壊れるって何度もいったんだからね!」
「お前が頑丈なのは知っている。……だが、そうだな」
柊一さんは少しだけ歩調を緩めると、俺の様子を窺うように視線を落とした。その瞳には、からかうような色はなく、本気で俺の体調を気遣うような、少しだけバツの悪そうな光が混ざっている。
「悪かったと思っている。……お前にそんな顔をさせるつもりはなかった」
「え……?」
まさかあの柊一さんが、こんなに素直に非を認めるとは思わなくて、俺は目を丸くした。いつもなら「先に挑発したのはお前だろ」と冷たくあしらわれて終わるはずなのに。
「だから、本当にきつくなったら隠さず言え。お前は昔から無理をしすぎる」
「……うん」
ぶっきらぼうだけど、そこには確かに俺を労わる熱が籠もっていた。
やっぱり、この人の考えていることはよく分からない。激しく抱いて俺を支配しようとしたかと思えば、こうして子供みたいに過保護に扱ってくる。
(でも……嫌じゃないんだから、俺も大概バカだな)
ジワジワと胸の奥に広がっていく甘い痛みに降参しながら、俺は土の感触を確かめるように、一歩一歩ゆっくりと踏み出した。周囲の白樺の葉が、さらさらと涼しげな音を立てて俺たちの会話を包み込んでいく。
「ほら、言ってる傍から七瀬は足元ふらふらさせてる。本当に大丈夫か?」
「大丈夫だよ。こ、これは柊一さんがあまりにも優しいからびっくりして…」
「俺はいつだって優しいだろ」
柊一さんは堂々とそんな嘘を言ってのける。どの口がと言ってやりたい。
「いつも意地悪のまちがいじゃないの?俺に悪態ばかりついてるくせに」
「それはお前が可愛すぎるのが悪い。可愛いといじめたくなるのが男性心理だろう?」
「か、可愛……っ!?」
あまりにも破壊力のある言葉が平然と降ってきて、俺の心臓はドクンと大きく跳ね上がった。顔がカッと熱くなり、耳の先まで一気に血が上るのが自分でもよく分かる。
「な、何言ってるの……!男に向かって可愛いとか、そういうの、からかうのやめてよ!」
俺は繋いでいる手を振り払おうとしたけれど、柊一さんはそれを許さないと言わんばかりに、指の隙間にさらに深く自分の指を滑り込ませてギュッと握り直した。
「からかってなどいない。本気で言っている」
横を歩く柊一さんを見上げると、その横顔は驚くほど真剣だった。いつもの意地悪そうな笑みは消えていて、ただ真っ直ぐに前を見つめながら、少しだけ照れくさそうに口元を引き締めている。
「お前がそうやってすぐに赤くなって狼狽えるのも、必死に強がろうとするのも、全部俺の理性を狂わせるには十分だ。自覚がないなら今すぐ持て」
「……う、」
反論しようとした言葉が、喉の奥に引っかかって出てこない。
可愛いといじめたくなる。昨晩のあの容赦のない激しさは、俺が「セフレ」なんて言葉で彼を突き放そうとしたことへの怒りだけじゃなく、そんな歪んだ独占欲の裏返しでもあったのだろうか。
「だから……昨晩のことは、半分は俺の八つ当たりだが、もう半分はお前のせいだ」
「理不尽すぎるよ……」
俺は小さく口を尖らせながらも、繋がれた手のひらから伝わってくる彼の体温に、どうしても抗えなかった。
遊歩道を進むにつれて、木々の隙間から見える琵琶池の水面がだんだんと近づいてくる。太陽の光を反射してキラキラと輝く水面は眩しくて、俺の胸の中のモヤモヤを少しずつ溶かしていくようだった。
「ほら、着いたぞ。ここが琵琶池だ」
柊一さんが足を止めた。目の前に広がったのは、山の静寂をそのまま映し出したような、深く澄んだ青い池。周囲を囲む白樺の白い幹が、夏の緑に映えて息をのむほど綺麗だった。
「わあ……」
圧倒されて声を漏らす俺の肩に、柊一さんがそっと腕を回す。引き寄せられた身体の距離は、もう「名前のない関係」なんていう境界線すらどうでもよくなるほど、優しくて近かった。
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