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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く22

 木漏れ日がきらめく琵琶池の散策路を、涼しい風に吹かれながらゆっくりと歩く。相変わらず下半身は少し重くて気怠いけれど、繋がれた手の温もりと、これから待っているお洒落なカフェへの期待感で、足取りは不思議と軽かった。  池をぐるりと回り終え、車を停めたサンバレー駐車場の近くまで戻ってくると、木立の向こうに『志賀高原の家 グリーン』という落ち着いた佇まいの建物が見えてきた。 「あそこ?」 「ああ。国道に面してるから分かりやすいだろ。あそこのウッドデッキだ」  柊一さんが指さした先には、豊かな緑に囲まれた開放的なウッドデッキテラスがあった。山の澄んだ空気の中で、数組の先客が気持ち良さそうにテラス席で寛いでいる。 「うわぁ……マジでいい感じじゃん!柊一さん、あそこのテラス席にしよう!」 「まずは席が空いているか確認だな。ほら、行くぞ」  俺たちは期待に胸を膨らませながら、そのお洒落なレストランカフェへと足を向けた。 「いらっしゃいませ。お客様は二名様ですか?」 「はい。二名です。…で、すみません、ウッドデッキの席にしたいんですが」 「申し訳ございません。今日は満席で…」  柊一さんは「どうする?」と、俺に聞いてきた。俺は仕方ないので、「屋内でいい」と伝える。 「分かりました。では、屋内の席へ案内いたしますね」  店員さんにそう促され、俺たちはウッドデッキからガラス扉を抜けて、落ち着いた雰囲気の店内へと足を踏み入れた。  外のテラス席が満席なのは残念だったけれど、一歩中に入ると、大きな窓から志賀高原の豊かな緑が綺麗に見渡せる。高原のひんやりとした風の代わりに、心地よく冷えた空気が、琵琶池を歩いて少し火てっていた身体に優しかった。 「……まあ、これだけ涼しければ屋内でも十分だな」  柊一さんは案内された窓際のテーブル席に腰を下ろすと、リュックから外した一眼レフを丁寧に傍らに置いた。 「うん!窓が大きいから、中にいても外にいるみたい。……あ、柊一さん、メニュー見ていい?」 「ああ。好きに選べ。お腹が空いたんだろう?」  手渡されたメニューを開くと、美味しそうな洋食の文字が並んでいる。定食ものから、ルーから仕込んだこだわりのカレーまであって、どれもすごく食欲をそそる。 「うわぁ、どれも美味しそう……。だけどさっきテラスレストランで食っちゃったからなー。あ!デザート美味しそう~!レアチーズケーキとマンゴージュースにする!」 「ああ、レアチーズケーキ美味そうだな。俺はアフォガードとアイスコーヒーにするか」 「柊一さんコーヒーばっかだね、飽きないの?」 「ん?俺は一日、4、5杯飲んでるからな」  柊一さんはそう言ってメニューを閉じると、ふっと視線を窓の外へと向けた。木々の隙間から時折きらりと覗く琵琶池の水面を眺める彼の横顔は、普段家にいる時よりもずっと柔らかい。 「……何見てるの?」 「いや。お前がさっき、俺だけの特等席なんて言うからな」  不意に振り返った柊一さんが、意地悪そうに、だけど酷く熱を帯びた瞳で俺を見つめてくる。 「写真のことだけじゃなく、すべてにおいてそのつもりでいろよ、七瀬。……お前の席は、俺の隣以外にないんだからな」  テーブルの下で、そっと俺の靴先に彼の足が触れる。  名前のない関係。だけど、屋内の静かな空間に響く柊一さんの声は、どんな綺麗な恋人のラベルよりも重く、俺の胸の奥深くに突き刺さっていた。 「うわ…あのカップルこんな人のいるところで手なんか繋いでる」 「開放感あるところでテンション上がったんだろうな、七瀬羨ましいのか?」 「え?!ぜ、全然っっ!!」  俺は慌てて両手で手を振り、否定した。 「嘘をつけ。顔が思いきり羨ましいと書いてあるぞ」  柊一さんはそう言って、意地悪く口元を緩めた。周りの目を気にして慌てて手をブンブンと振る俺の様子が、彼にとっては格好のからかいの対象らしい。 「本当に違うってば!ただ、あんな風に堂々とできるのが、その……すごいなって思っただけで」  声がだんだん小さくなっていく。  都会でも、そしてこの高原のレストランでも、柊一さんと俺は「男同士」だ。付き合っているわけでもないし、名前のない関係のままで、周りから見ればただの友人か、あるいは旅行中の知人にしか見えないだろう。さっきのカップルみたいに、誰の目も気にせずに手を繋いでいられる関係が、ほんの少しだけ眩しく見えてしまったのは事実だった。 「ふん……」  柊一さんは小さく鼻で笑うと、テーブルの上に置いていた自分の手を、すっと俺の目の前へと差し出してきた。  大きくて、指が長くて、綺麗な彼の、見慣れた手のひら。 「な、何……?」 「繋ぎたいなら、ここで繋いでやると言っているんだ。ほら、手を出せ」 「ば、バカじゃないの!?ここお店の中だよ!?店員さんも他のお客さんもいるのに、そんなことできるわけないじゃん!」  俺が顔を真っ赤にして周囲を気にしながら小声で叫ぶと、柊一さんは差し出した手を引っ込めるどころか、そのままテーブルを滑らせて、俺が身守るように握りしめていた両手を上からすっぽりと包み込んだ。 「し、柊一さん……っ!」 「お前がそうやって過剰に反応するから、余計に目立つんだ。静かにしろ」  彼は平然とした顔で、捕まえた俺の手の甲を親指で優しく撫でる。  テーブルの上という、誰から見てもおかしくない場所。だけど、もし誰かがじっと見つめれば、男同士が手を重ね合わせているという歪な光景がそこにはあった。 「……外で堂々と繋ぐのは、お前の世間体もあるから控えてやっているだけだ。だが、俺たちの関係にそんな外野の視線は関係ない。それくらい、その足りない頭で理解しろ」  柊一さんの低い声が、店内に流れる静かなBGMに混ざって、俺の鼓膜を甘く痺れさせる。  どこまでも傲慢で、だけど、俺の心の中の小さな寂しさを一瞬で見抜いて強引に埋めてしまう。 「ほら、ケーキが来るぞ。手を離してほしければ、早くその真っ赤な顔をどうにかしろ」  そう言って、柊一さんは意地悪く笑いながら、繋いだ手に少しだけきゅっと力を込めた。  …全く、柊一さんにはかなわない。頭脳明晰でいて、意地悪で、独占欲が強い…。だけど、憎めない。憎むどころか愛おしくなる。この俺の想いだけは本物だから。

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