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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く25
「そういえば、今日のお風呂は?」
「また貸切露天風呂だ」
「え~贅沢ぅ~~!」
「ここの宿は三つ露天風呂があって、昨日とは違う露天風呂に行くぞ」
俺はテンションが上がる。昨日の満天の星空をまた拝めるのかと思うと嬉しくなった。
「でも部屋にも露天風呂あるよ、入らないと勿体なくない?」
「それは明日の朝に入ればいいだろう」
「朝湯か!いいねそれ!!
俺が一人で盛り上がっていると、コンコンという音の後、部屋の障子が叩かれた。
「失礼いたします。お夕食のお時間です」
「おっと、風呂の前にまずは腹ごしらえだな」
「そうだね。今日の食事も楽しみ!」
俺たちはまた廊下を通って、個室の食事処へ向かう。
「お腹ペコペコ~」
「レアチーズケーキだけじゃ足りなかったか、七瀬」
「あれぐらいすぐ消化しちゃうよ、新陳代謝のオバケだから俺」
柊一さんはクスクス笑っていた。
「うわー今日もすげー!!」
夕食は、昨日と同じく気品漂う豪華な和懐石。信州の旬の食材が美しく彩られた器に盛られ、目でも楽しめるものばかりだ。
「昨日のAランクの肉もヤバかったけど、今日の前菜も盛り付けがキレイすぎる……!」
色鮮やかな季節の小鉢が並ぶお盆を見つめ、俺は目を輝かせた。信州の山菜やキノコを使った小鉢、彩りの良いお刺身、そしてじっくり煮込まれた信州牛の角煮が湯気を立てている。
「どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください」
仲居さんが丁寧に料理の説明をして下がると、俺は早速角煮に箸を伸ばした。口に入れた瞬間、ホロリと解ける肉の柔らかさと、甘辛い脂の旨味が広がる。
「うわ……なにこれ、柔らかっ!柊一さん、この角煮ヤバいよ!」
「どれ……、確かによく味が染み込んでいるな」
柊一さんも一口食べ、満足そうに頷く。彼は上品に日本酒のグラスを傾けながら、俺の食べっぷりにどこか目を細めて眺めていた。
「七瀬は本当に美味しそうに食べるな。見ているこちらまで腹が空いてくる」
「だって本当に美味しいもん!会社の定食じゃ味わえない贅沢だよ。毎日こんなご飯食べられたら最高なのになぁ」
「毎日だとありがたみが薄れるぞ。たまのご褒美だからいいんじゃないか」
「まあ、それもだけど!」
締めのご飯ものまでしっかり平らげ、お腹はパンパン。大満足で温かいお茶をすすりながら、俺は幸せな溜息をついた。
「ふぅー、食べた食べた!胃袋がフル充電完了~!」
「よし。じゃあ、腹も膨らんだところで……次は本命のお風呂だな」
食後のお茶を飲み干し、俺たちは個室を後にして一度部屋へと戻った。
「今日は『檜風呂』の方だ。昨日の岩風呂とはまた違った趣があるぞ」
「うわぁ、楽しみ~!着替え持ってすぐ行こう!」
「急かすな、今日の七瀬の着替えの下着とタオル。それと宿の浴衣だな」
柊一さんはトランクケースを開けて、俺用の下着を出す。タオルと浴衣は宿の物を使うらしい。
今回の旅行で俺が用意したのって、特別ない。精々、銀行から貯金を大目に下しただけ。あとは全部柊一さんが用意してくれた。下着まで用意してくれたのが俺としてはどうも恥ずかしい。
柊一さんは何でもない事のようにいうけど、これって凄い事だ。全部着る服用意するとか、 それにリュックやクマ避けスプレーとかまで。財力云々の問題じゃない気がする。
「ね、柊一さんが俺の服とかリュックとか用意してくれたのって独占欲からなの?」
柊一さんは笑んで、
「そんなところだな」
と、答える。
トランクケースの蓋を閉じる柊一さんの手元をじっと見つめていると、彼は立ち上がり、抱えた着替えの束を俺の胸元にそっと押し当ててきた。
「……否定しないんだ」
思わず口を突いて出た言葉に、柊一さんは悪戯っぽく眉を上げる。
「隠す必要もないだろう。お前に身につけさせるものくらい、俺の選んだもので固めたい。お前が他人の視線や余計な気遣いに気を取られず、俺の用意した領域の中で笑っていればそれでいいんだからな」
そう言って、彼は俺の頭にぽんと手を置くと、髪を優しく撫でつけた。その手に込められた圧倒的な甘さと、どこか逃れられないような重みに、心臓が跳ねる。
「……それ、かなり重症な独占欲だよ」
照れくささを隠すように呟くと、柊一さんは「知っている」とだけ短く返し、俺の背中をポンと叩いた。
「さあ、無駄口を叩いていないで着替えを持っていくぞ。湯が冷めてしまっては興醒めだ」
「あ、待って!置いていかないで!」
俺は慌てて下着と浴衣を抱え直し、廊下へと向かう大きな背中を追いかけた。ほのかに漂う檜の香りと、すぐ前を歩く頼もしい背中。満腹の腹と温かい期待感を胸に、俺たちは大浴場へと続く廊下を歩き出した。
「総檜造りの風呂!これも贅沢だね~」
俺は湯にドボンと浸かり、昨日と同じ満天の星空の大パノラマを仰ぎながら、大きな浴槽の中を移動する。
「ひゃー!こんなデカい風呂に二人っきりって凄く贅沢~!」
俺は静かに佇む柊一さんを尻目に泳ぎ回っていた。
「七瀬、ガキじゃないんだから、そんなにはしゃぐな」
「だってさ、貸切でこんなに広いんだよ、泳ぎたくもなるって!」
バシャバシャと湯を叩いて柊一さんの近くまで寄っていくと、檜の清々しい香りと温かい湯気が身体をすっぽりと包み込む。湯面越しに見上げる柊一さんの顔は、呆れたような、けれどどこか愛おしそうに目を細めていた。
「ハメを外すのは構わないが、あまり暴れて湯から出ていると冷えるぞ。……ほら、こっちに来い」
柊一さんはそう言うと、浴槽の縁に腰かけ、自分の隣のスペースをトントンと叩いた。俺は「はーい」と素直に従い、水しぶきを立てないように静かに彼の隣へ移動する。
肩までしっかり湯に浸かると、ふうっと心地よい吐息が漏れた。見上げた夜空には、昨日に負けないくらいの満天の星が広がっている。
「……ねえ、柊一さん」
「ん?」
「服も、リュックも、この旅行も……全部用意してもらったけどさ。やっぱり俺、すごく幸せだよ」
湯気の向こうで、柊一さんの手がそっと俺の肩に触れた。大きな掌の温もりと檜風呂の温もりが混ざり合って、さっきまでの浮かれた気分がじんわりと甘い心地よさに変わっていく。
「幸せならそれでいい。……だが、そうやって素直に言われると、もう少し意地悪をしたくなるな」
耳元で低く囁かれた声に、ドキリとして振り返ると、柊一さんは悪戯っぽく口角上げて俺を見つめていた。
「意地悪ってどんな?」
柊一さんが俺に近づく。俺の顎を軽くクイっと掴むと、そのまま自分の顔を近づけてくる。俺は目を瞑って、彼の唇が降りてくるのを待った。
重なる息遣いとともに、柔らかい唇がそっと重なった。
最初は触れるだけの優しいキス。だが、俺が素直に唇を受け入れると、柊一さんの手が顎から首筋、そして髪へとゆっくり滑り込み、逃げられないようにそっと固定される。湯気の熱さとは違う、体の奥からじわじわと込み上げてくる熱に、頭がぼんやりと痺れていく。
「……ん……っ」
深く重なる角度を変えながら何度も与えられるキスに、思わず吐息が漏れた。しがみつくように柊一さんの腕に手を伸ばすと、彼は満足そうに喉を鳴らし、名残惜しそうにゆっくりと唇を離した。
瞳を開けると、至近距離で柊一さんの温度のある瞳が俺を捉えている。濡れた黒髪から雫が落ち、湯面に小さな波紋を作った。
「……目をつむって待つなんて、可愛い真似をするからだ」
「な……っ!意地悪って言うから身構えたのに、結局キスだけじゃんか……!」
赤くなった顔を誤魔化すように湯をパシャリと柊一さんに飛ばすと、彼は低く楽しそうに笑った。
「なんだ、物足りなかったのか? 本格的な意地悪は、部屋に戻ってからのお楽しみだと思っておけ」
そう言って柊一さんは、俺の頭を今度は優しく濡れた手で撫で下ろした。その言葉の意味に思い至って心臓が激しく跳ねる俺を置いて、彼はどこか誇らしげに満天の星空を見上げている。
温かい湯の中で重なる体温と、これからの夜への甘い予感に、俺は湯の中に口元まで沈んで照れを隠すのが精一杯だった。
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