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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く32
「わーすげー美味そう!ホント、見た目パンケーキだねっ!」
「見た目だけな。食ってみれば全然違うのが分かる」
柊一さんはそう言って苦笑しながら、トレイをソファー席のテーブルへと下ろした。
トレイの上には、香ばしい焼き色のついた熱々のクランペット。俺のダブルクランペットには、カリッと焼かれた大きなベーコンが添えられている。香ばしい匂いと見た目で、食欲をそそる。
「じゃあ、いただきます!」
手を合わせてから、さっそくフォークとナイフを入れる。ナイフを通した瞬間の、外側のサクッとした手応えと、内部の驚くほどもっちりとした弾力。一口頬張ると、表面の香ばしさと共にジュワッと広がるバターのコク、そしてベーコンの塩気がマッチしていて美味い。
「んんっ……! なにこれ、めちゃくちゃ美味しい!!外はカリカリなのに、中はすっごいモチモチしてる!」
「だろ。普通のパンケーキともイングリッシュマフィンとも違う食感なんだよ」
柊一さんも自分の卵・ハム・クリームチーズのクランペットを一口サイズに切り分け、口に運んでいる。満足そうに目を細めるその横顔を見て、俺は思わずふふっと笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ」
「ううん、柊一さんって本当に美味しいお店よく知ってるなぁと思って。すっごく最高の朝ご飯だなって」
「……お前が食いしん坊だからリサーチしといただけだ」
そう言って柊一さんはふいっと顔を背け、アイスコーヒーを一口飲んだ。耳の先端が少しだけ赤くなっているのを俺は見逃さない。素直じゃないけれど、いつだって俺のことを一番に考えてくれているのだ。
窓の外に目を向ければ、標高2000メートルを超える横手山山頂からの壮大なパノラマが広がっている。流れる白雲と、どこまでも続く青空、そして雄大な山々。最高の景色と美味しい料理、そして大好きな人。
「ねえ、柊一さん」
「ん?」
「冬になったら、またここに連れてきてよ。俺、スキーやったことないから教えてほしいな」
「……転んでも知らんぞ。スパルタで教えるから覚悟しとけ」
口では厳しいことを言いながらも、柊一さんの目元はやさしく緩んでいた。
「うん!柊一となら、どこへ行っても楽しいからいいよ」
「……七瀬」
呆れたように溜め息をつきつつも、どこか嬉しそうな柊一さん。
お腹を満たした後は、約束のパン屋さんへの寄り道だ。旅の終わりが少しずつ近づいている寂しさはあるけれど、この温かい時間と約束がある限り、俺たちの思い出はこれからもずっと増えていくのだと確信していた。
「横手山頂ヒュッテ…ここなの?見る感じ大きな山小屋みたいだけど」
「ああ、ここで間違いない。もう10時だ、オープンしてるな。早く行かないと売り切れるパンもあるらしいぞ」
「早く行かなきゃ、柊一さんっ!」
目の前に広がる大きな山小屋風の建物それが目指す「雲の上のパン屋」。俺は心なしか早足になる。
店内に入ると、パンのいい匂いが優しく鼻を掠めていく。
「わー!なんか食事取ってって感じでテーブルがいっぱい並んでるね」
「宿でもあり、カフェでもあるからな。もう客が入って朝食を注文してるぞ」
「あっ、食券販売機がある!へー、ボルシチとかもある!」
「…食ったばかりだろ、七瀬。底なし沼か、お前の腹は」
柊一さんに頭を小突かれる。俺は笑いながら彼のからかいに応じる。
「さ、好きなパンを選べ。俺が全部買ってやるから」
柊一さんは一切お金を俺から出させない。俺が出したのは土産物だけだ。何から何まで尽くしてくれる。
「どうしようかな…」
「決まったら言えよ。感染予防もあって、店のスタッフに言わないと買えないから」
俺はパンのショーケースの前に来て悩む。並んでいる15種類位のパンが俺の食欲をそそる。
「えーと、アップルパンと…カレーパンは外せないでしょ、それとクリームチーズパン!」
柊一さんは俺のオーダーをスタッフに伝えている。柊一さんの分はいいのかな…?
「…と、ハイジのパンと野沢菜パンを」
良かった。柊一さんは自分の分もちゃんとオーダーしていた。って、ハイジのパン?野沢菜パンとかもあったのか!俺は大きな目でぐるりとショーケースを見た。あった、あった。確かにハイジのパン、野沢菜パンが並んでいた。俺と柊一さん、見てるとこ違うんだなーと、漠然と思った。
会計を済ませて商品を受け取ると、店内には焼き立てのパンと香ばしい小麦の香りがさらに一杯に広がっていた。
「ね、ね、ちょっとだけ食べてもいい?どうせいっぱいテーブルと椅子が並んでるんだし!」
「食ったばかりなのに、まだ食うか?…まぁ、いい。焼き立てパンは美味いからな」
俺と柊一さんは空いている席に座って、袋に入った買ったばかりの五つのパンから、カレーパンをチョイスする。
「いただきまーす!」
俺は楽しみにしていたカレーパンにかぶりついた。サクッとした生地の中から、旨味がぎゅっと詰まったスパイシーなルーがあふれ出す。
「うわ、美味しい…!外はカリッとしてるのに、中の生地がもちもち!」
「ここでパンを食うなら、何か飲んだ方がいいな。何かリクエストはないか?」
「柊一さんが愛飲してるコーヒーがいい。出来ればアイスにして」
「…わかった」
柊一さんは席を立って、食券販売機の方に行く。俺はその後ろ姿を眺めながら、カレーパンにかじりつく。店内を見渡すと、有名人のサインや写真が飾られている。
「有名なとこなんだな…」
俺はパンを食べながら、柊一さんの姿を目で追った。お客が数人いたが、その中で後ろ姿もビシッと決まっていたのは柊一さんだった。
(柊一さん、華やかでモデルみたいだもんな…)
「…ほら、アイスコーヒーだ」
少しして戻ってきた柊一さんが、氷の浮かんだアイスコーヒーをテーブルに置いてくれた。グラスからは冷たい水滴が滴っている。
「ありがとう!いただきまーす!」
さっそく一口飲むと、深みのある香りと心地よい苦みが口いっぱいに広がった。揚げたてのカレーパンのコクとスパイシーさを、すっきりと洗い流してくれるような絶妙な組み合わせだ。
「んっ……美味しい!カレーパンとすごく合う~!」
「だろ。コクがあって美味いだろ?油気のあるパンや濃い味のパンによく合うんだ」
柊一さんはそう言うと、自分も小さく息をつきながらハイジのパンを手にとった。真っ白でふわふわとした可愛らしい見た目のパンだ。彼がそれを一口かじる動作すら、どこか絵になっている。
(……ほんと、何してても様になるなぁ)
自分とは打って変わって洗練されたその仕草に見とれていると、柊一さんがふと目を細めてこちらを見た。
「……何だ、人の顔をじっと見て」
「あ、いや!柊一さんって本当にスタイルいいなと思って。さっきも背筋がピンと伸びてて、モデルさんみたいだったあ」
「バカ言え。ただ立ってただけだろ」
柊一さんは呆れたように肩をすくめたが、その口元がほんの少しだけ緩んだのを俺は見逃さなかった。照れ隠しなのか、彼はアイスコーヒーにストローを伸ばして一口飲む。
「それより、冷めないうちに他のも食うんじゃないのか?アップルパンとクリームチーズパンも買ったんだろ」
「あ、そうだった!どっち食べようかな……」
目の前に並ぶ魅力的なパンたちを前に、俺は一気にテンションが上がった。
さっきまで「食ったばかりなのに」と呆れていた柊一さんも、楽しそうにパンを選ぶ俺の様子を、どこか優しげな眼差しで見守ってくれていた。
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