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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く36

 空の青と白い雲が晴れ渡った空に美しく映え、思わず深く息を吸い込んだ。 「どうだ、来てよかっただろ」  隣に並んだ柊一さんが、眩しそうに目を細めながら言った。 「うん、凄い。やっぱいいね志賀高原!見どころ満載で楽しい~!」  俺が目を輝かせると、柊一さんはフッと優しく目を細めた。その横顔があまりにも景色に馴染んでいて美しく、俺は思わず見とれてしまう。 「……何だ?」 「え?景色も柊一さんも、すごく綺麗だなと思って」 「……お前は本当に、恥ずかしげもなくそういうことを言うな」  柊一さんは少し呆れたように息をついたが、照れくさそうに明後日の方向へ視線を逸らした。その耳先がほんのり赤くなっているのを見つけて、俺の口元も自然と緩んでしまう。  年の差や出身の違いなんて関係なく、同じ景色を見て、こうして笑い合えている。それだけで胸の奥が温かい幸せでいっぱいになっていた。 「そろそろ志賀高原を出るぞ、車に乗れ、七瀬。次の目的地に向かう」  柊一さんが愛車のステーションワゴンに乗りこんだ。俺も助手席のドアを開け、乗り込む。 「次はどこに行くの?」 「次はランチの蕎麦屋だ。長野にある名店なんだが、七瀬に頼みがある」 「え?俺に?何、頼みって…」 「長野市の戸隠(とがくし)にある「うずら家」っていう蕎麦屋なんだが、「そばが無くなり次第終了」って店だから、昼1時を過ぎたあたりで一度店に電話を一本入れてほしい。  「今から志賀高原を出発して14時頃に到着予定なのですが、お蕎麦はまだありそうでしょうか?」と確認してほしいんだ。その時、俺の名前を伝えてくれ。名前を残せるかどうかで変わる」 「ええと…長野の「うずら家」?そこのお店に柊一さんの名前を伝えればいいの?」  柊一さんの頼みごとが長くて、俺のシンプル過ぎる頭では憶えきれない。俺は何度も柊一さんに確認する。 「そうだ。要点をまとめると、電話で伝えるのは3つだけだ」  柊一さんはエンジンをかけ、ハンドルを軽く叩きながら指を三本立てた。 「1つ目、『今から志賀高原を出発して、14時頃に到着予定』だということ。 2つ目、『お蕎麦はまだありそうか』という確認。 3つ目、『俺(関根柊一)の名前を伝えて、名前を残せるか』を聞くこと。この3つだ」 「14時頃到着、蕎麦があるか、柊一さんの名前を残せるか……よし、覚えた!でも、なんで電話は13時を過ぎてからなの?」  俺が尋ねると、柊一さんはバックミラーを調整しながらニヤリと笑った。 「うずら家は超人気店だからな。お昼のピーク時は電話にも出られないほど忙しいんだよ。13時を過ぎれば少し落ち着いて、残りの蕎麦の仕込み量や売り切れのタイミングが見えてくる。それに、もし蕎麦が残り少なくても、事前に名前を伝えておけば人数分を取り置きしてくれることがあるんだ」 「へぇ~!名前の取り置きなんて対応までしてくれるんだ。すっごく親切なお店なんだね」 「ああ、味はもちろん接客も日本一って言われるくらい最高なんだ。だからこそ、絶対に食べたい」  そう言って柊一さんはアクセルを踏み込み、ステーションワゴンは志賀高原の綺麗な山並みを背にして走り出した。 「スマホの番号はメモしたか?時計を見て、13時になったらよろしく頼むぞ、七瀬」 「任せて!13時ぴったりに電話して、絶対にお蕎麦をキープしてみせるね!」  俺はスマホに番号を打ち込み、気合を入れて画面を抱きしめた。目的地は戸隠神社中社のすぐそば、名店「うずら家」。美味しいお蕎麦を賭けた俺の大事なミッションが始まった。 「何かワクワクする~。緊張もするけど。俺、責任重大だね」 「俺達には山の神様がついてるからな。七瀬がバカなことしでかさなきゃ大丈夫だろ」 「またそういう事言う~!」  膨れっ面で柊一さんを見つめると、彼は実におかしそうに笑っていた。人をからかってそんなに楽しいのだろうか。元々意地悪な人だし、これが「素」ってことか。優しい時もあるのにな、何なんだ、その差は!どちらが彼の本来の姿なのかわからなくなる。ベッドの時は基本優しいのにな…。俺は夕べの情事を思い出し、一人赤面する。 「どうした、七瀬?」 「な、何でもない。そう言えばさっきからジャズばっかりかけてるね。やっぱりジャズが音楽の中で一番好き?」 「昔から聴いてたからな。元々は親父の影響だけど」 「英才教育じゃん!すげー、お父さんの影響で聴いてて、ジャズピアニストになっちゃうなんて」  流石というか、育ちが違うというか。 「格好いいよなぁ、昔からずっと自分のスタイルがあって」  俺がしみじみと言うと、柊一さんはハンドルを握る手に少しだけ力を込め、小さく吐息を漏らした。 「別に格好いいもんじゃないさ。物心がつく前から家の中に当たり前に流れていたから、好き嫌いを考える前に染みついていただけだ」 「それでも、それを自分の職にしちゃうんだからすごいよ。俺なんて、小さい頃になりたかったものなんてコロコロ変わってたし」 「そうか?お前はまっすぐで分かりやすい。それはそれでいい才能だと思うがな」 「……それ、また馬鹿にしてる?」 「褒めてるんだ」  柊一さんは横顔のまま、どこか愛おしそうな目を向けてくる。さっきまでからかわれてむくれていたはずなのに、そういう不意打ちの優しさに触れると、胸の奥がキュンと甘く痺れてしまう。 (ずるいなぁ、本当に……)  車内に流れる心地よいジャズの旋律と、柊一さんから漂ういつものオリエンタルな香水の匂い。夕べの熱い肌の重なりや耳元で囁かれた甘い声を思い出して、俺の顔はまたじわじわと熱を帯びていく。 「……やっぱり顔が赤いぞ、七瀬。本当にどこか体調でも悪いんじゃないだろうな?」  前の車が止まった車内、柊一さんが心配そうに顔を覗き込んできた。大きな手が伸びてきて、俺のおでこにそっと触れる。 「ひ、冷たい……手、気持ちいい……」 「熱はないな。……だが、そんな目で見られると、目的地に着く前に車を止めなきゃならなくなる」  低く囁くような声と、いたずらっぽく細められた瞳。その一瞬見せた妖艶な表情に、俺は心臓が口から飛び出そうになるくらいドキッとさせられたのだった。

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