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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く37
「七瀬、もうそろそろいい時間じゃないのか?」
「え?…あ!12時55分…柊一さん何か超能力とか持ってるんじゃないの?」
「バーカ。そんな能力 があったら、苦労しねえよ。信号待ちした時、腕時計を見ただけだ」
「また人の事をバカって言う!もう!」
俺はまた顔に不機嫌を描く。俺がそういう態度を取れば、取るほど柊一さんは笑っているんだけれどね…。
「可愛いヤツ。一人百面相してる、ホント、ガキみたいに」
俺は柊一さんを睨めつける。
「俺はもう25!その辺のガキと一緒にしないで!」
「25も十分若いだろ」
柊一さんはクスクスと笑いを残したまま、前方の道路に視線を戻した。車のエンジン音が静かに響くなか、彼の口元には相変わらず楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「ガキ扱いしないでって言ってるでしょ!柊一さんだって35でしょ?たった10歳しか違わないじゃん!」
「『たった』ね……。その十年の重みが、お前にはまだ分かってない」
「なにそれ、気取っちゃってさ!」
プイと横を向くと、窓ガラスに映る自分の顔が案の定、膨れっ面になっていた。柊一さんの言う通り、俺の感情はすぐ顔に出る。百面相なんて言われても言い返せないくらいに。
(……でも、そんな風にからかって笑ってくれるの、ちょっと嬉しいんだよな)
そんな自分の甘い考えに呆れつつ、俺はチラリと隣の柊一さんを伺った。洗練された横顔と、ハンドルを握るしなやかな手指。大人な余裕を醸し出す彼の隣にいると、25歳の自分なんて確かに子供っぽく見えてしまうのかもしれない。
「……で?怒ってないでナビを見ろ。スマホもな」
「わかってる!俺のスマホに全てはかかっている!」
俺はスマホに念を入れ、スマホの画面をタップする。
「いいか、七瀬、慌てずに言うんだぞ。三つの事だけでいいんだからな」
「『今から志賀高原を出発して、14時頃に到着予定』、『お蕎麦はまだありそうか』の確認、『柊一さんの名前を伝えて、名前を残せるか』を聞くこと」
「よく出来た。頼むぞ、七瀬」
スマホの画面で、デジタル時計の数字が淡々と進んでいく。俺は深く息を吐き出し、必死に自分を落ち着かせようとした。
13時ジャストになった。
俺はスマホをタップし、名店、うずら家に電話を掛ける。何コール目かに電話がつながった。
「はい、うずら家でございます」
電話口から聞こえてきた丁寧で温かみのある声に、背筋がピンと伸びる。
「あ、あの!お忙しいところすみません!今、志賀高原を出発するところなんですが、14時頃の到着になりそうで……お蕎麦ってまだ残っていますでしょうか?」
緊張のあまり一気に捲し立ててしまった俺の問いかけに、電話の向こうのスタッフさんは優しく微笑むような口調で答えてくれた。
「大丈夫ですよ、お蕎麦はまだ十分ございますので安心してお越しくださいね」
「ほんとですか!よかったぁ……!」
受話器越しにホッとした吐息が漏れてしまう。隣でハンドルを握る柊一さんが、チラリとこちらを見て「どうだ?」と視線で尋ねてきた。俺は小さく頷いて親指を立ててみせる。
「それと、お名前をお伺いしてもよろしいですか?席のご予約は承れないのですが、受付のお名前だけでも先にお控えしておきますね」
「あ、はい!柊一……あ、関根柊一です!」
「関根様ですね。承りました。道中、お気をつけてお越しくださいませ」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
電話を切った瞬間、俺はシートに深く沈み込むようにして「ふはぁ〜」と大きな息を吐き出した。緊張が一気に抜けて身体から力が抜けていく。
「お疲れ。よく言えたな」
「めちゃくちゃ緊張した……!でも、お蕎麦まだあるって!関根って名前も伝えたから、名前残してくれるってさ!」
「そうか。上出来だ」
柊一さんは満足そうに口元を緩めると、俺の頭をポンポンと優しく撫でてくれた。その手の温もりに、さっきまでの緊張が一瞬で吹き飛び、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「さ、目的地が決まったなら安全運転で急ぐか。美味しい戸隠蕎麦が待ってるぞ」
「うん!楽しみ!」
俺たちは車を走らせ、戸隠の美味しいお蕎麦を目指して志賀高原を後にした。
「七瀬、トイレに行かなくても平気か?行くんなら寄っていくぞ」
「……じゃ、お願い」
緑の中を車が通り抜けていく。
「あそこは長野市がしっかり管理しているから、きれいなんだ。公衆トイレだけじゃなくて、ダムの展望広場っていう見どころもあるぞ」
「へー!公衆トイレっていうと、あんまりきれいなイメージがないから意外。ダムの展望広場かぁ、楽しみ!」
緑豊かな山道を車が滑るように進んでいくと、やがて開けた場所へと出た。目の前には整然と整備された駐車場と、木目調の清潔感あふれる建物が見えてくる。
「本当にきれい……! 公衆トイレとは思えないね」
「だろ?ここの管理は行き届いてるからな。ほら、先に行っておけ」
「うん!」
車を降りて用を済ませて戻ってくると、柊一さんは車に寄りかかりながら、気持ちよさそうに空を見上げていた。その佇まいがまた一枚の絵のように様になっていて、俺は少しドキッとしながら歩み寄る。
「柊一さん、お待たせ!次はダムの展望広場だよね?」
「ああ。ここから目と鼻の先だ。少し歩くぞ」
「うん!」
二人で並んで遊歩道を進むと、一気に視界がひらけた。巨大な建造物であるダムの全貌と、その眼下に広がる広大な人造湖、そして周囲を彩る豊かな緑。ダイナミックなロケーションに、俺は思わず声を上げた。
「うわぁぁ……!すごい迫力!高いけど、ぜんぜん怖くないし、むしろ解放感がヤバめ!」
欄干に身を乗り出すようにして景色を満喫する俺の隣で、柊一さんも穏やかな目を向ける。
「絶景だな。風も心地いい」
「うん!トイレ休憩のつもりだったのに、こんないいとこに来られるなんて得しちゃったあ」
俺が満面の笑みで振り向くと、柊一さんは少し眩しそうに目を細め、優しく俺の頭を撫でた。
「そう思ってもらえたなら寄った甲斐があった。……さ、リフレッシュできたところで、そろそろ本番の戸隠蕎麦を目指して出発するか」
「あ、そうだ!美味しいお蕎麦が待ってるんだった!お腹もいい感じに減ってきた〜!」
俺たちは名残惜しくも展望広場を後にし、再び車へと乗り込んだ。美味しいお蕎麦への期待を膨らませながら、車は戸隠へと向かって軽やかに走り出した。
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