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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く38
「わ!柊一さん、14時まわっちゃったよ!まだお蕎麦屋さん見えないね」
「もうそろそろ見えてくると思うぞ。ナビちゃんと見とけよ、七瀬」
「…あ、ホントだ。ルート間違ってないし」
「そりゃそうだろ。ちゃんと須坂長野東ICから降りて浅川ループラインに入るルートでセットしてあるからな」
柊一さんはそう言いながら、手際よくステアリングを切って緩やかなカーブを曲がった。
「あ、ほんとだ……『国道506号線』って見えたから一瞬焦っちゃった。浅川ループラインって走りやすくて助かるね。山道なのに道幅が広くて綺麗だし」
「だろ?ナビに任せきりにすると、時々『七曲り』っていう急カーブだらけのバードラインに案内されそうになるんだよ。あっちは道が狭くて大変だからな。だからこの浅川ループラインを通るルートにして正解なんだ」
「さすが柊一さん!運転もスムーズだし頼りになるなぁ。あ、でも……電話したの13時ちょっと過ぎだったけど、お蕎麦ホントに残ってるかなぁ?14時過ぎちゃったし……」
「大丈夫だ。13時に七瀬が電話してくれたおかげで、ちゃんと『関根柊一』の名前で蕎麦をキープしてもらえたんだからな。うずら家さんは本当に親切な名店なんだよ」
「えへへ、お役に立ててよかった!電話口の店員さんもすごく優しかったもんね」
俺が胸を張ると、前方の視界が急にひらけ、大きな杉の木々に囲まれた風情ある街並みが現れた。
「ほら、見えてきたぞ。正面に見えるのが『戸隠神社中社』の大きな鳥居だ。うずら家さんはそのすぐ斜め向かいにある」
「あ!あった!『蕎麦処うずら家』だ!」
「よし、到着だ!車を駐車場に止めたら、念願の戸隠そばを食べに行くぞ、七瀬!」
「いらっしゃいませ。二人様ですか?」
店内に入ると、店員さんが温かく迎えてくれた。
「13時に電話した関根柊一です。14時到着とお知らせしましたが、少々遅れてすみません。お蕎麦お願いしてるんですが…」
「ああ、電話の…ようこそ。遠いところよくお越しくださいました」
店員さんはそう言うと、ふっと目元を緩めて手元の台帳に目を落とした。
「関根様ですね。お電話でお聞きしておりましたので、お蕎麦の準備はしっかり進めてございますよ。お時間も気になさらないでくださいね、無事にご到着されて何よりです」
「ありがとうございます。渋滞にはまってしまって……申し訳ないです」
「戸隠の道のりは遠かったでしょう。さあさあ、お暑い中お疲れ様でした。どうぞこちらへ」
案内されたのは、使い込まれた木の温もりを感じる奥のテーブル席。腰を下ろすと、香ばしいお茶と一緒に、小鉢に盛られたお漬物が運ばれてきた。
「まずはこちらのお茶で一息ついてくださいね。お打ちしておいたお蕎麦、ただいま一番美味しい揚げたての天ぷらと一緒に準備しておりますから、少々お待ちください」
店員さんが奥へ戻っていくと、店内には出汁の豊かな香りと、天ぷらを揚げる心地よい音が響いている。長旅の疲れがすーっと吹き飛んでいくような温かいもてなしに、俺は柊一さんと顔を見合わせ、自然と笑みをこぼした。
「七瀬、メニュー見てみろ、そばがきがあるぞ。追加注文しとくか?」
「そばがき?」
「そばがきは蕎麦粉を熱湯でこねて餅状にした食べ物で、酒のつまみにいい料理だ」
「俺は飲めても柊一さん飲めないじゃん、いいの?頼んじゃって」
「こういう名店だからこそ美味い蕎麦粉を使ってるからな。食べておかないと損だ」
…グルメな柊一さんが太鼓判を押すんだから、美味しいんだろう。
柊一さんは、近くに居た店員さんに声を掛け、追加注文ができるか聞いていた。
「七瀬、お前の分もそばがき追加しといたからな」
柊一さんは嬉しそうだ。柊一さんの嬉しそうな顔を見て、俺も嬉しくなってくる。
「俺の分まで!?柊一さん、ありがとう!」
「せっかくここまで来たんだ、うずら家の味を心ゆくまで堪能していけ。それにしても……ここの接客は相変わらず素晴らしいな。追加注文もすごく気持ちよく受けてくれただろ?」
「うん!13時に電話した時もそうだったけど、店員さんみんな笑顔で親切だよね。お店の中にいるだけでなんだかほっとするよ」
「だろ?味はもちろん、この居心地の良さも全国から客が絶えない理由なんだよ」
柊一さんが嬉しそうに頷いていると、香ばしい湯気とともに、大きなお盆が運ばれてきた。
「お待たせいたしました。まずは、温かい『そばがき』でございます。お熱いうちにどうぞ」
目の前に置かれた漆器の鉢には、ふっくらと丸められたツヤツヤのそばがきが鎮座していた。立ち上る湯気から、濃厚で香ばしい蕎麦の香りが一気に鼻腔をくすぐる。
「うわぁ……!すごくいい香り!柊一さん、これ、見た目もお餅みたいで美味しそう!」
「熱いうちにひと口食べてみろ。蕎麦の甘みがガツンと来るぞ」
俺は箸でひとくち分を切り分け、フーフーと息を吹きかけてから口に運んだ。
「……んんっ!?なにこれ、すごくもっちもちで柔らかい!うめーー!!」
「だろ?余計なものを一切使わず、本当に美味い蕎麦粉と水だけで作ってるからこそのシンプルで贅沢な味だ。酒がなくてもこれだけで大満足だろ?」
「うん!こんなに美味しい蕎麦料理、初めて食った!」
俺が目をきらきらと輝かせて味わっていると、店員さんが静かに次の料理を運んできてくれた。
「お待たせいたしました。戸隠名物、ざるそばでございます」
竹ザルの上に、綺麗な束になって美しく盛られたお蕎麦。いよいよ、本命の登場だ。
「こちらは野菜の天ぷら盛り合わせと、車エビになります」
見た目にも美味しそうな二組の天ぷら。それに不思議な盛り付け方をした蕎麦がやってきた。
「ね、ね、柊一さん。なんで蕎麦がこんな不思議なことになってるの?」
「これはぼっち盛りと言って、戸隠そば特有の伝統的な盛り付け方だ。美味いから食ってみろ」
「ぼっち盛り……?面白い名前!」
俺はざるの上に綺麗に分けられた、ひと口大の蕎麦の束を見つめた。瑞々しくつややかに光っていて、見るからに美味しそうだ。
「そうだな。『一口ぶんずつ束にして盛る』からぼっち盛りと言うんだが、水切りをあえて完全には切らず、蕎麦の風味やのど越しを極限まで引き立てる技法でもあるんだよ。さあ、つゆをちょこっとつけて、ずずずっと行ってみろ」
「うん!いただきます!」
俺は言われた通り、ひと束を箸でそっと持ち上げ、つゆに少しだけ浸して一気に啜った。
「……っ!!んん~っ!!」
口に入れた瞬間、豊かな蕎麦の香りが鼻から抜けて、冷たく締められた麺が心地いい弾力で喉を滑り落ちていく。
「すげっ……!喉ごしが全然違う!めちゃくちゃヤバい、柊一さん!」
「だろ?戸隠の恵まれた水と職人技があるからこその味だ。……よし、次は天ぷらもいってみろ。冷めないうちにな」
「うんっ!じゃあまずは……このサクサクそうな野菜から!」
サクッ、と軽い音を立てて揚げたての野菜天を頬張ると、衣の香ばしさと野菜本来の強い甘みが口いっぱいに弾けた。
「うわぁ、衣がカリッカリ!野菜うめーー!!ヤバいっ!!」
「うずら家は天ぷらの揚げ加減も絶品だからな。塩で食うとさらに甘みが引き立つぞ」
柊一さんも満足そうに目を細め、身の引き締まった立派な車エビの天ぷらに箸を伸ばした。窓の外からは戸隠の清々しい風が吹き込み、最高のロケーションで味わう極上の信州そば。志賀高原からのドライブの疲れなんて、一気に吹き飛んでしまった。
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