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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く40
「横川の釜めしだっけ?買っていくの?どこかのサービスエリア?」
「ああ。上信越、関越、どっちの高速のサービスエリアでも買える。場所は限定されてるが」
「有名だもんね、俺でも知ってる。一度食べてみたかった~!デパ地下とか全国駅弁大会みたいなのでも買えるけど、薄給の俺じゃ無理で…」
「…安心しろ。買ってやる。七瀬の分と俺の分で二つ、な」
柊一さんのこの取材旅行は結局、俺の甘やかし旅行のような気がしてくるんだけど、気のせいかな?お土産以外全部柊一さんのポケットマネーだし。服も、トレッキングシューズや熊避けスプレーまで。至れり尽くせりの旅行だ。
「……ねえ、柊一さん。本当にいいの?いくらなんでも至れり尽くせりすぎるというか……俺、なんか申し訳なくなってきたんだけど」
膝の上に置いたバッグの紐をぎゅっと握りしめながら尋ねると、柊一さんは前を見つめたまま、鼻でふっと笑った。
「いまさら何を言ってる。お前を連れ出したのは俺だ。取材の足としても助かったし、何より——」
言葉を一度区切ると、柊一さんはチラリとこちらに視線を向け、どこか意地悪く口元を緩めた。
「一人で回るより、お前が美味そうに飯を食う姿を見てる方が退屈しなかった。そのくらいのガイド料だと思えば安いもんだ」
「うぐっ……それ、褒めてるの?」
「褒めてるんだよ」
悪びれもせずにサラッと言い放つ柊一さんに、胸の奥がくすぐったくなる。結局いつも、この人には上手くあしらわれてしまうのだ。
「……じゃあ、お言葉に甘えてご馳走になるね。その代わり、帰りの車内では全力で柊一さんの話し相手になるからね!」
「眠くなったら無理せず寝ていいぞ」
「寝ないよ!絶対起きてる!」
宣言する俺に、柊一さんは「はいはい」と優しく笑う。
パーキングエリアの看板が見えてきて、車はゆっくりとウインカーを点滅させながら減速していった。
「会社で話しするのに、お土産話たくさんありすぎてどれから話していいのかわかんないや」
「仕事での付き合いか…大変だな、会社員は」
「うーん、そうなのかな。ずっと5年もやってるからそういうの麻痺してきちゃった。柊一さんは作家だから、そういうのないもんね」
「あったら、ネタとして作品にするだけだしな」
会社員の俺と、有名作家の柊一さん。年の差も年収の差も、立場の差もある。その中でよくうまくいってるな、と自分ながらに思う。勝手に自分で思ってるだけなのかもだけど。
「マネージャーの…そう、美也子さんとはなんか話したりしないの?」
「美也子さんには話すさ。今後の俺の仕事にもかかわる問題だからな」
柊一さんと美也子さん。つきあいは相当長いみたいだけど、柊一さんと美也子さんもやや年の差あるんだよね。俺と柊一さんほどは離れていないけど。
「へえ……、そっか」
できるだけ平然を装って返したつもりだったけれど、口の端が少し引きつったかもしれない。
美也子さんは仕事のできる綺麗で落ち着いた大人の女性だ。作家としての柊一さんの一番近くにいて、彼の才能や仕事を誰よりも理解している。
会社の同期や上司相手なら軽口も叩けるのに、彼女の名前が出ると急に胸の奥がチクッと疼く。自分には立ち入れない『大人の世界』で結ばれた二人の絆のようなものを感じてしまうからだ。
「なんだ、その顔は」
助手席で小さくなっていた俺の視線に気づいたのか、柊一さんが可笑しそうにふいに俺の方を見る。
「……別に。美也子さんとは長く一緒に仕事してるから、気心も知れててやりやすいんだろうなって思って」
「そりゃ仕事だからな。ビジネス上の付き合いだよ」
柊一さんはサラリと言って、ふっと表情を柔らかくした。
「それに……お前と話す内容と、美也子さんと話す内容が同じわけないだろ」
「え?」
「美也子さんとは仕事の話しかしない。……だが、くだらないことで笑ったり、どうでもいい土産話を楽しそうに話せる相手は、お前しかいない」
前を向いたまま、ぽつりと落とされた言葉。
ハンドルを握る彼の指先が、夕暮れの光に照らされて綺麗に浮かび上がっている。
「……っ、何それ。ずるい言い方」
心臓が一気に跳ね上がり、俺は顔が熱くなるのを隠すように慌てて窓の外へ視線を逸らした。
やっぱりこの人には、どうやっても敵わないみたいだ。
「その割には仲いいよね、美也子さんと。美也子さんしょっちゅう柊一さんの部屋に来てるじゃん」
「美也子さんに嫉妬するな。七瀬はわかりやすいな」
「べ、べっ別にっ…美也子さんには俺も世話になってるし…」
「なら言うな、七瀬。美也子さんとはビジネス上の付き合い。それ以上のそれ以下でもない」
高速道路の単調な道をステーションワゴンは走り抜けていく。
「高速は信号待ちがないから快適だよね。今のところ渋滞にも捕まってないし」
「その分、事故には気をつけないとな。高速は一度トラブルが起きると、それこそ逃げ場がないから」
静まり返った車内に、エンジンの低い駆動音とタイヤがアスファルトを噛む音だけが規則正しく響く。
「……逃げ場、ね」
ぽつりと漏らした言葉は、自分でも思っていた以上に小さく吐き出された。
“逃げ場がない”のは、この高速道路だけじゃない。
狭い車内という密室、隣でハンドルを握る柊一さんの横顔、そして彼の言葉ひとつで簡単に揺さぶられてしまう自分自身の感情。どこを見渡しても、逃げ場なんて最初からどこにもなかった。
「どうかしたか?」
視線は前方に向けたまま、柊一さんが低く問いかけてくる。その声にはどこか、俺の動揺を見透かしているような余裕が滲んでいた。
「……なんでもない」
そう答えて、俺は逃げるように座席の背もたれに深く体を預けた。
「ビジネス上の付き合い」と切って捨てたくせに、「嫉妬するな」なんて軽々しく言ってみせる。いつもそうだ。この人はズルい。自分の言葉がどれだけ俺の心を乱しているのか、知っていて楽しんでいるんじゃないかとさえ思えてくる。
流れていく夕暮れの景色は、刻一刻と濃い群青色へと溶けていく。
サイドミラーに映るオレンジ色の残光が、少しずつ小さくなって消えていくのを、俺はただじっと見つめていた。
「七瀬」
不意に名前を呼ばれ、跳ね起きそうになる胸を必死で抑えながら彼の方を向く。
「次のサービスエリア、寄るぞ」
「え……あ、うん。休憩?」
「お前が静かになると、ろくなことを考えていない証拠だからな。甘いものでも食わせて黙らせる」
「ガキ扱いしないでよ!」
思わず口を尖らせると、柊一さんは満足そうに小さく目を細め、口元に微かな笑みを浮かべた。
その横顔があまりにも優しくて、やっぱり敵わないのだと痛感する。
「……ケーキ食べたい」
「わかった」
ウインカーの点滅音が、静かな車内にチッカ、チッカと規則正しく刻まれ始める。ステーションワゴンはゆっくりと減速しながら、サービスエリアへと続く誘導路へと滑り込んでいった。
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