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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く49

 俺は柊一さんが揃えてくれていた服から、未着だったTシャツと短パンを出す。 「もうこれで柊一さんが買ってくれた服全部着ちゃったよ。ありがとう柊一さん」 「服は俺の部屋に置いておくからな。いつでもお前が泊まりにきてもいいように」 「うん。ありがとう。いつでも押しかけられるね、俺」 「締め切り前はダメだけどな」 「知ってるよ。それぐらいは弁える」  俺たちはお互いの顔を見て笑う。 「『弁える』ねぇ……。さっきまであんなに俺に縋りついておいて、よく言えるよ」 「っ……!それは、それ!今は服の話でしょ!」  からかうような低い声に、せっかく引きかけていた肌の熱が一気に逆流する。  Tシャツの裾をぎゅっと握りしめて抗議する俺に、柊一さんはすかさず手を伸ばし、まだ微かに湿り気を帯びた俺の腰を引き寄せた。 「うわっ……ちょっと、柊一さん」 「……着替えたばかりだけど、やっぱりもう一回したくなくなった」  耳元で低く囁かれ、首筋に柔らかな唇が落とされる。  さっき着たばかりの新品のTシャツ越しに、彼の体温がダイレクトに伝わってきて、俺の膝は容易く力を失いそうになった。 「……んっ、ダメだよ……お腹減っちゃったもん……」 「…あんだけ食っといて腹減ったのか」 「あんだけって言うけど!さっきの柊一さんのせいで、絶対消費カロリーの方が上回ってるもん」  ぐう、とタイミングよく腹の虫が鳴いてしまい、俺は真っ赤になって柊一さんの胸に顔をうずめた。  頭上でふっと低い笑い声が聞こえる。腰を抱きしめる手に込められていた強引な力が、ゆっくりと緩んでいくのが分かった。 「……ほんと、お前は勝てないな」  降参といった風に溜息をつきながら、柊一さんは俺の頭をポンポンと優しく叩いた。 「じゃ、峠の釜めし温めるな。ダイニングにこいよ」 「うん、うん。峠の釜めし楽しみ~!」  俺は柊一さんのあとに続いて、彼の家のダイニングルームへ向かう。 「うわー、なんだか久しぶりな感じ。柊一さんの家のダイニング!」 「たった三日ぶりだろ。ずっと旅館だったから感覚がバグってるんじゃないか?」  柊一さんは横川サービスエリアで買った釜めしを電子レンジにセットし、スイッチを押した。 「だって贅沢だったじゃん。俺、この数日いいものしか食べてないから明日からの食事が怖いよ」 「たまには自分で作れ」 「作れたら苦労しないって〜。またスーパーの半額弁当に逆戻りだなあ」  柊一さんは「はぁ」と大げさにため息をつく。 「少しは料理を覚えろ。自炊すれば生活費だって抑えられるだろ」 「だって面倒だし、俺不器用だし。……まあ、いずれ結婚したら嫁に作ってもらうからいいの」 「嫁?お前、結婚するつもりあるのか」 「……わかんないけど」 「なんだよ、それ」  呆れたように笑う柊一さんを見て、俺はいつか来るかもしれない未来に思いを馳せながら、ふと首を傾げた。 「もし行き遅れたら、柊一さんが面倒見てよ」 「どうしようかな」 「ええーっ!面倒見てよお〜」 「気が早すぎるだろ。まだ先の話だ」 「そうだけどさ……」  温まり終えた電子レンジから、ピッ、ピッと電子音が鳴り響く。 「……ほら、温まったぞ」  柊一さんは会話を区切るように言って、電子レンジから熱々の釜めしを取り出した。香ばしい醤油と出汁の香りがふわりと立ち上り、ダイニングいっぱいに広がる。 「わ、いい匂い!すごくお腹すいてたんだよね」 「さっき盛大に鳴ってたから知ってる」 「うっ、それは言わないで……!」  俺が恥ずかしそうに頬を膨らませると、柊一さんはくすりと笑って、器を手際よくテーブルに並べてくれた。向かい合わせに席につき、「いただきます」と手を合わせる。  一口食べると、甘辛く煮込まれた具材の旨味が口いっぱいに広がった。 「やっぱり美味しい〜!サービスエリアで買えてよかったね」 「ああ。旅の締めにちょうどいいな」  美味しそうに釜めしを頬張る柊一さんを眺めながら、俺はさっきの会話を頭の中で反芻していた。  結婚、か。  本当は、誰かと結婚する自分の姿なんて、まるで想像がつかない。  俺の頭の中に浮かぶ「未来」には、いつも当たり前のように柊一さんがいる。でも、それをストレートに言う勇気は、今の俺にはまだないのだ。 「……ねえ、柊一さん」 「ん?」 「もし俺が本当にずっと一人だったら、たまにこうやってご飯作ってくれる?」 「……お前な」  柊一さんは呆れたように箸を止め、俺をまっすぐに見つめた。 「俺を家政夫か何かだと思ってないか?」 「違うよ!一緒に食べたら美味しいなって思って」  俺がちょっと本気で返すと、柊一さんは一瞬だけ意外そうに目を見張り、それから少しだけ表情を和らげた。 「……まあ、気が向いたらな」 「ほんと!?やったー!」 「ただし、お前も少しは手伝え。野菜の皮むきくらいは覚えろよ」 「努力する……」  つれない態度を取りつつも、絶対に突き放しはしない柊一さんの優しさに、胸の奥がじんわりと温かくなる。  いつか来る未来のことは、まだ分からない。  だけど、湯気立つ釜めしを挟んで笑い合っているこの穏やかな時間が、どうかずっと続いてほしいと、俺は密かに願っていた。 「釜めしも食べたし、明日の朝のパンもある!あとはもう寝るだけだねっ」  俺が満足感いっぱいに言うと、柊一さんは呆れたようにため息をついた。 「……明日の七瀬のシャツ、洗っとかないとな。今から洗濯して乾燥機にかけておけば、朝には間に合うだろ」 「あ、そっか。明日俺会社だった!洗わないと着ていく服ないんだっけ」  自分の家に寄らずそのまま柊一さんの家から旅行に出かけてしまったため、俺には替えの服がないのだ。 「旅行用に買った服を着て行ってもいいが」 「あ、それでいいよ!ネクタイさえ締めればなんとかなるっしょ」 「……そのネクタイも洗濯しないとだろ。まあ、洗濯機に放り込んでおけばいいか」 「うん!じゃあ、それが終わったらあとは寝るだけだね!」  そう言って笑顔を向けると、柊一さんはフッと目を細め、少し低くなった声で呟いた。 「……寝るってことは、ベッドに行くってことだぞ。分かってて言ってるのか?」  その言葉の意味に気づいて、一気に顔が熱くなる。 「またそんな顔する……ベッドまで待てなくなるだろ」 「ちょ、ちょっと柊一さんっ、まだ早すぎるって!」 「七瀬が可愛すぎるのが悪い」 「もう、またすぐそういうこと言うんだから!」  いたたまれなくなった俺は、逃げるようにダイニングからリビングへ移動した。しかし、柊一さんは悪びれもせず、そのあとをすぐ追ってくる。 「別に逃げなくてもいいだろ、七瀬」 「だって柊一さん、やらしいんだもん!スケベ!」 「なんとでも言え。俺は狙った獲物は逃がさないタチだからな」  後ろに回り込まれたかと思うと、逃げる隙もなく背後からすっぽりと抱きすくめられた。 「だ、ダメ!まず服を洗って!そういうのは……そ、それからにしてっ!」  必死な俺の声に、柊一さんは「はいはい」と可笑しそうに笑いながら手を離してくれた。  ああ、やっぱり俺はこの人の手のひらの上で転がされているんだな……と、軽く脱力してしまうのだった。

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