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【番外編】静寂の宿で、君という傑作を読み解く57(最終話)
終業のベルが鳴る。俺は帰れない。まだ山となった請求書が終わらないせいだ。せめて今日終わらなきゃいけない分だけ終わらそう。
俺は請求書のデータを見ながら、ポチポチとパソコン入力する。
ブブブ…。スマホが何かの着信を伝えてくる。俺はスマホを取り出す。柊一さんからのラインだった。
『七瀬、今日こっちこれるか』
え?!俺は嬉しくなって、「遅くなるけど行く」と、返信する。
やだな、柊一さん。そんなに俺に会いたいの~?俺はにやけ顔を張り付けたまま、パソコン入力する。早く終わらせて彼の所に行かなきゃ!
俺は必死になって、仕事を残業1時間で終わらせ、俺のアパートへと向かう。
長野から四日間もあいてしまった。
「とりあえず、明日の分のスーツ一式持って行って……」
クローゼットを開け、ハンガーから丁寧にスーツを下ろす。……これからのことを考えたら、いっそ柊一さんの部屋に予備のスーツを何着か置かせてもらってもいいかもしれない。そんな未来の妄想にまた胸が甘く疼く。
下着は、この間の長野旅行の前に彼が買ってくれたものが彼の部屋にあるから大丈夫だ。あとはパジャマ代わりのTシャツと着替えを何枚か……。
たった一泊の予定だというのに、あれこれと思いを巡らせているうちに、気づけば荷物は結構なボリュームになっていた。俺は今回の旅行で使うはずだったボストンバッグを引き出し、それらをぎゅうぎゅうに詰め込んでいく。
バッグのジッパーを閉めると、居ても立ってもいられなくなり、俺はカバンを肩に担ぎ直して急ぎ足で部屋を後にした。
彼が待つ、あの家へ――。
「こんばんはー!柊一さんっ遅くなったから、お詫びにプリン買ってきたーコンビニのヤツでごめんね」
俺は玄関で待っていた、柊一さんにプリンを渡す。
「七瀬、遅かったな。仕事残業だったのか…って、なんだその大荷物は」
俺はニコニコしながら、説明する。
「いつでも柊一さんの家から会社行けるようにって、持ってきたんだ。旅行カバン用意してたのに今回使わなかったし」
「押しかけ女房か、お前は」
「えへへ」
俺が照れながら笑うと、彼もクスリと笑う。
「まあいい。スーツはしわにならないよう掛けとくからな」
「柊一さん」
彼が振り向く。
「俺に会いたくて会いたくて柊一さん、震えてるのかなーって思っちゃって」
俺は額をデコピンされる。
「西野カナか。そういう風に俺が見えるのか」
「…見えない」
「それがすべてだな」
「たまには震えてよーっ!」
「バーカ。メシ食うんだろ、出来てるから早く来い」
彼の塩対応に、少し淋しかったが、もしかしたら照れてるのかも…と、思い、にやけ顔で俺は彼の後をついていくのだった。
結局、柊一さんはどこまでも過保護で優しいのだ。
「うわ、美味しそう!いただきまーす!」
用意されていた料理に舌鼓を打ち、二人並んで食卓を囲む。旅先での思い出や、今日職場であったくだらない出来事を話すと、柊一さんは静かに頷きながら耳を傾けてくれた。
食事を終え、買ってきたプリンを二人で分け合って食べたあと。
リビングのソファで寛いでいると、柊一さんが横からすっと腕を伸ばし、俺の体を包み込むように引き寄せた。
「……っ、柊一さん?」
「……うるさい」
背後から腕を回し、俺の首元に深く顔をうずめる彼。耳元に触れる吐息が少しだけ荒くて、抱きしめる腕の力が力任せなほど強い。
「……遅いんだよ、七瀬」
「え……?」
「待ってる間、思った以上に長く感じた。……お前のせいだからな」
低く掠れた声で落とされたつぶやき。
いつも余裕たっぷりで、意地悪で、塩対応な彼が見せた、ほんの少しの弱音と独占欲。
(……なんだ、やっぱり会いたくてたまらなかったんじゃん)
「震えてる」とまではいかなくても、彼なりに俺を欲してくれていたのだと知って、胸の奥が熱い愛しさでいっぱいになる。俺は彼の腕の中で向き直ると、その首元にぎゅっと抱きつき返した。
「ごめんね、柊一さん。……もうどこにも行かない」
見上げる俺の唇に、彼からの深く熱いキスが降ってくる。
昨夜の余韻が残る身体が、彼の体温に触れられて再び甘く疼き始めた。
(明日も仕事だけど……まあ、いっか)
彼の部屋に置いたスーツと、大きめのボストンバッグ。
これから少しずつ増えていくであろう二人分の生活の欠片を思い浮かべながら、俺は彼の甘い愛撫の中に喜んで身を投じていった。
――俺たちの特別な日常は、まだ始まったばかりだ。
***Fin.
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