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虹のつづき2

 エントランスを抜け、部屋の前に立つ。息を整えてインターホンを押した。 「こんばんはー、柊一さん!」  少しの静寂の後、カチャリとドアが開く。  そこに立っていたのは、ゆるやかにウェーブした茶髪に、浅黒い肌、そして琥珀色の瞳を持つ美麗な男――柊一さんだった。 「遅かったな、七瀬」 「これでも急いだんだよ!ほら、これプリン」  俺はコンビニの袋をそのまま彼に手渡した。 「毎回買ってこなくてもいいのに。七瀬の給料、プリン代で消えていってないか?」  少し呆れたような声に、俺はにっこりと微笑み返す。 「いいの。俺こそ、いつも夕食や朝食でごちそうになってるんだから。それのほんのお返し」  柊一さんは呆れつつも愛おしそうにプリンを受け取り、ふっと口元を緩めた。  柊一さんは短い廊下を歩いていく。俺もその背中を追いかけた。 「柊一さんのお兄さん……関根柊平さんのイベント会議、俺も出ることになったよ」 「ふうん……七瀬、お前の会社も大変だな。あいつのイベントなんかに付き合わされて」  ここ最近、兄の名前が出るたびに柊一さんは毒を吐く。妹や父親の話は普通にするのに、二人の関係は冷え切っているのだろうか。 「柊一さん、お兄さんとは仲良くないの?」  柊一さんはこちらを振り返り、ボソリと呟いた。 「別に。関わりたくないだけだ」 「妹さんの話は普通にしてくれたのに……?」 「……今は家族の誰もと会ってない」 「え、なんで?」 「色々とあるんだよ、色々とな」  そう言って、彼は言葉を濁した。またひとつ、彼に関する謎が増えていく。もどかしさに耐えかねて、俺はほんの少しだけ踏み込んでみた。 「色々とって何?俺には言えないこと?」 「七瀬に言っても分からない」 「言ってみなきゃ分からないじゃん!」  柊一さんはふっと鼻で笑うと、それ以上は何も言わなかった。  絶妙なタイミングでかわされ、すっと距離を置かれる。この縮まらない距離感が、どうしようもなく嫌だった。別に全部を知りたいわけじゃない。でも、彼はいつもこうして上手に逃げてしまう。 「七瀬は気にしなくていい。どうでもいい話だ」 「どうでもいい話なら、話してくれたっていいじゃん!」  また笑っている。そうやって、いつも笑って誤魔化すんだ。 「夕飯、食べていくだろ? 今日は美也子さんが作っていってくれたからな」 「……今はそういう話じゃなくて!」 「美也子さんの手料理、食わない気か?」 「……食う」  柊一さんは俺の頭をポンポンと優しく撫でると、そのままダイニングへと歩き出した。 「美也子さんが『七瀬くんによろしく』って言ってたぞ。今日もライブの話で話があるって言って帰っていった」 「……そうなんだ。美也子さん、忙しいね」  美也子さんには、余計な心配をかけてしまっていた。太一の件があったからだ。  元はと言えば美也子さんの計画のせいで太一と鉢合わせてしまったわけだが、それももう一ヶ月以上前のこと。それに、柊一さんが全部解決してくれたから、もう何も怖いものはない。それでも美也子さんは、まだどこか責任を感じているようだった。もう気にすることないのにな。  ダイニングテーブルに向かう背中を追いかけながら、俺はまだ少しだけ口を尖らせていた。 頭に残る手のひらのぬくもりが温かくて心地いいぶん、誤魔化された悔しさが余計に際立つ。  食卓の上には、美也子さんが準備してくれた料理が几帳面に並べられていた。どれもお店のメニューに出てきそうな、上品で美味しそうな料理ばかりだ。 「……気にしなくていいって言われても、気になるものは気になるよ」  イスを引きながら、諦めきれずにボソッと呟く。柊一さんは向かいの席に腰を下ろすと、まるで駄々をこねる子供を見るような、少し呆れたような目線を向けてきた。 「七瀬、お前は本当に諦めが悪いな」 「柊一さんが話を逸らすのが上手すぎるから」 「大人っていうんだ、それを」  「ズルイだけだ」と小さく吐き捨てて、美也子さんの作った料理に箸を伸ばす。一口食べると、出汁の効いた優しい味が口いっぱいに広がった。……悔しいけれど、めちゃくちゃ美味い。  黙々と箸を進める俺を、柊一さんはどこか楽しそうに眺めている。 「……美也子さん、本当に気にしすぎなんだよな。太一のことも、もう終わったことなのに」  料理の美味さに少し機嫌を持ち直した俺は、箸を動かしながら話題を変えた。美也子さんに対する本心だった。柊一さんが守ってくれて、あの忌々しい事件は完全に終わったのだ。これ以上、美也子さんに申し訳なさそうな顔をしてほしくはない。 「美也子さんは責任感が強いからな。……それに」  柊一さんは自分のグラスに手を伸ばし、一口口をつけると、静かな声で言った。 「誰かを危険に晒したかもしれないって罪悪感は、そう簡単に消えるもんじゃない」  その言葉には、美也子さんに向けている以上の、どこか重い響きが含まれているように思えた。まるで自分自身に言い聞かせているかのような、あるいは——過去の誰かを重ねているかのような。 「柊一さん……?」  顔を上げると、柊一さんはいつもの飄々とした笑みに戻っていた。 「冷めないうちに食え。残したら美也子さんに怒られるぞ」  まただ。こうやって一瞬だけ見せる深淵のような表情に、俺はいつも惹きつけられ、そして振り払われてしまう。  関根柊平という兄のこと。家族と会っていない理由。そして、時折見せるこの切ない顔。  彼の周りに渦巻く謎の糸口を、俺はまだひとつも掴めずにいた。  兄である関根柊平とは、近いうちに仕事で顔を合わせることになりそうだった。それがどんな展開を迎えるのかは分からない。けれど、彼を通して少しでも柊一さんの知らない一面が見えたらいい——そんな密かな期待を胸に、俺は口を開いた。 「柊一さんと似てるといいな、お兄さん」 「一卵性双生児だからな。似てるところはあるだろ」 「いちらんせい、そうせいじ?何それ。ソーセージがどうしたの?」  俺の頭の上には、大きな疑問符が浮かんでいた。 「……相変わらず残念な脳みそしてるな。双子には『一卵性』と『二卵性』があるんだ。七瀬にも分かるように言えば、そっくりな方が一卵性で、あんまり似てないのが二卵性だ」 「へえ、そうなんだ!じゃあ柊一さんたちは似てる方なんだね」 「そういうことだ」  俺は「へえ〜」と深く頷いた。 「早く会ってみたいな、関根柊平さん。俺、自分のことなんて名乗ろうかな」 「七瀬、余計なことは言うなよ」 「言うわけないじゃん!会社でもちゃんと黙ってるんだから!」 「ならいい。お前のことだから『身内だし言ってもいいか』なんてうっかり口を滑らせそうだからな」  信用されていないのが不満で、俺は口を尖らせた。 「そこまでおバカなことしないよ!」 「お前はバカだからな、やりそうなんだよ」 「ひど!俺そこまでバカじゃないもん!」 「はいはい。自覚がないのが一番タチ悪いんだよ」  柊一さんはそう軽口を叩きながら、お椀の味噌汁に口をつけた。呆れたような仕草のくせに、その目元は優しく和らいでいる。俺は「もう……」と不満げに鼻を鳴らしつつ、自分も箸を動かした。  美也子さんの作ってくれた煮物は、味がしっかり染みていて驚くほど美味かった。悔しいけれど、食べているうちにどんどん機嫌が直っていくのが自分でも分かる。

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