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虹のつづき3

「……でもさ」  もぐもぐと口を動かしながら、俺はふと思い直してつぶやいた。 「顔がそっくりってことは、関根柊平さんに会ったら、柊一さんと喋ってるみたいな気分になるのかな」 「さあな。見た目は似てても、中身は似ても似つかないと思うぞ。……少なくとも、俺よりずっと器用に生きられる奴だ」  どこか投げやりで、けれど少しだけ冷めた柊一さんの声。 (まただ……)  一瞬だけ落ちた影に胸がキュッと締めつけられる。やっぱり、お兄さんの話になると柊一さんは少しだけ遠くに行ってしまう。  でも、俺がまた暗い顔をしようとすると、柊一さんは俺のおでこをペチッと軽く小指で突っついてきた。 「痛っ」 「余計な深読みをしてる顔だな。ほら、箸止まってるぞ」 「……突っつかなくたっていいじゃん」  おでこを押さえながら睨むと、柊一さんは「早く食え」と満足そうに笑った。  結局、それ以上お兄さんの深い話を聞くことはできなかった。  けれど、食事を終えて二人で食器を洗っているときも、動画を観ながら並んでコーヒーを飲んでいるときも、いつもの穏やかで温かい時間が流れていた。  ただ、俺の胸の中には、ひとつ小さな芽が生まれていた。  見た目は柊一さんそっくりで、でも中身は全然違うというお兄さん——関根柊平。  近いうちに訪れる仕事での出会いが、柊一さんとの距離を少しでも縮めるきっかけになるのか、それとも波乱の幕開けになるのか。 (柊一さんのこと、もっと知りたいな……)  隣で静かにグラスを傾ける柊一さんの横顔を見つめながら、俺は密かにその日を待つことにした。 「柊一さん、今日は一緒に寝ないの?」 「悪いな、七瀬。今日はまだ仕事が残ってるんだ」 「じゃあ、柊一さんの部屋で寝る」  俺がそう言うと、柊一さんは愛おしそうに俺の髪を撫でた。 「そういえば昔、そんなこともあったな。俺の仕事部屋の壁に寄りかかって、ぐうぐう寝てただろ」  不意にあの日の光景が蘇る。柊一さんと過ごした、何も進展のなかった三年間の終わり。初めて手背にキスされた、あの日だ。  実を言えば、それほど昔のことでもない。なのに、遠い過去のように思えるのはなぜだろう。あの頃の俺は、まさか自分が柊一さんのベッドの常連になるなんて思いもしなかった。  あの頃と今とで決定的に違うのは、俺の恋心が完全な片想いではないと分かったことだ。恋人でも、単なるセフレでもない、まだ名前のない関係。けれど太一の事件を経て、二人を繋ぐ絆は確実に深く、強いものになった気がしている。 「あの時と同じだよ。隣で静かに寝てるから」 「……ダメだな。七瀬の顔を見てたら欲しくなる。仕事にならなくなるだろ」  耳元で落とされた低音に、頬を一気に熱が駆け上がる。 「そ、そんなこと……っ」  言葉に詰まった俺の反応が面白かったのか、柊一さんは低くくすくす笑った。そのまま大きな手がゆっくりと首筋を撫で、うなじのあたりを優しく優しく揉みほぐす。その触れ方に弱くて、俺は思わず肩を小さく跳ねさせた。 「……冗談じゃないぞ?お前がそこにいるだけで、集中力なんて簡単に途切れる」  吐息が耳をかすめて、体中の熱が一気に跳ね上がる。  「欲しくなる」なんてストレートな言葉、昔の柊一さんなら絶対に口にしなかった。名前のない曖昧な関係のままかもしれない。けれど、確実に俺たちは変わっていて、彼の中で俺の存在が大きくなっているのだと突きつけられる。 「じゃあ……明日の朝まで、がまんする……」  消え入るような声でそう呟くと、首筋を撫でていた手がぴたりと止まった。  柊一さんは少し意外そうに目を見開いたあと、どこか参ったなというように片手で額を押さえた。 「……七瀬、お前それ、煽ってる自覚あるか?」 「な、煽ってなんてないよ!俺はただ、一緒にいたいだけっ」  焦って弁明しようとした俺の唇に、ぽんと柊一さんの人差し指が置かれる。 「分かってる。……ありがとな」  指が離れると同時に、おでこに温かく柔らかい感触が落とされた。優しくて、少し切ないキス。 「今日は素直に寝室で寝ろ。お前の寝顔見たら、本当に手を出したくなるから」 「……うん。お仕事、がんばってね」  名残惜しさを隠しきれないまま立ち上がると、柊一さんは俺の頭をもう一度ぽんぽんと撫でてくれた。  寝室に入り、大きなキングサイズのベッドに潜り込む。柊一さんの匂いと、耳元で囁かれた言葉の余韻が残っていて、心臓がいつまでもトクトクと跳ねていた。  言葉にしてくれないことも、隠している過去もたくさんある。  でも、今夜の彼の温度だけは、間違いなく本物だった。 (早く明日にならないかな……)  柊一さんのお兄さん——関根柊平と会う日も近い。  不安はあるけれど、この温もりがあれば大丈夫な気がした。俺は柊一さんの顔を思い浮かべながら、ゆっくりと瞼を閉じた。  目覚まし代わりにセットしておいたスマホの電子音が鳴り響く。  重い瞼を開けると、視界に映ったのは見慣れた柊一さんの部屋の天井だった。隣へ視線を送るけれど、そこに彼の姿はない。ベッドの隣側はすっかり冷たくなっていた。 「柊一さん……完徹したのかな」  体を起こしてスマホを手に取り、そのまま隣にある仕事部屋へと向かう。  ドアを軽くだが何度もノックしてみたが、中からの返事はない。思い切ってドアノブを回して覗き込むと、部屋には誰もいなかった。 (柊一さん、どこ行ったんだろう……)  途端に胸がざわつき始める。急いで階段を下り、一階のリビングへ向かった。けれど、そこにも彼の姿はない。洗面所や浴室を確かめると、確かにシャワーを使った形跡はあるのに、肝心の本人が見当たらない。  どこに消えてしまったのかと不安が一気に押し寄せ、半ばパニックになりながらダイニングへと足を踏み入れた。  そして——ようやく見つけたその背中に、俺は心の底から胸を撫で下ろした。 「どうした、七瀬」 「柊一さん、驚かせないでよ……!どこに行ったのかと思って焦ったじゃん。隣にもいなかったし……」 「ああ、完徹したからな。まだ寝てないんだ。とりあえずシャワーだけ浴びてきた」  俺の焦りようとは対照的に、柊一さんはケロッとした顔でそう答えた。[ 「もう!朝から心配したんだからね!」 「そんなこと言われてもな……ここ、俺の家だし」 「それはわかってるけど……」  あからさまに不満そうな顔をする俺を見て、柊一さんはニコリと笑う。 「それより、メシが出来たぞ七瀬。昨日の美也子さんの夕食ほどじゃないが……」  目線を向けたテーブルの上には、焼き魚に納豆、卵焼き、白いご飯に味噌汁。日本の朝食の王道が品よく並んでいた。 「うまそー!これ柊一さんが作ったの?」 「まあな。さほど手は掛けてない。口に合うかどうかは分からないが」 「柊一さんが作ったやつで不味かったことなんて一回もないじゃん!いただきまーす!  俺は勢いよく手を合わせると、目の前の朝食にさっそくかぶりついた。

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