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虹のつづき6

「七瀬くん、さっきのイケメンと何話してたの?」  出たー!THEお局な営業部の古株、ベテラン女性社員小池さん。彼女…小池さんは俺に何を求めているのだろう。 「あのイケメン、ちょっと薄幸な感じでたまらないんだけど!」  何を言い出すかと思えば…。俺は素直に仕事の後にコーヒーを飲む約束をしたと言った。 「薄幸イケメンと七瀬くんね!それはそれで萌えるわ!」  何を言い出すこの人…。明後日の方向の事を言っているようで、俺は苦笑いを浮かべた。  小池さんの追及をなんとかかわし、俺はデスクに戻った。パソコンの画面を見つめながらも、頭の中は柊平さんとの約束のことでいっぱいだった。 (残業……何かでっち上げないと)  幸い、明日の会議資料の確認という名目の仕事は残っている。それを片付けているふりをすれば、自然な形で時間を潰せるだろう。  キーボードを叩きながらも、ふと今朝のことを思い出す。柊一さんからの素っ気ないメッセージ。「今夜、連絡する」とだけ書かれたそれに、俺は朝からずっと気を取られていた。 (柊一さんは、今夜どんな話をするつもりなんだろう)  双子の兄弟だというのに、まるで正反対の二人。柊一さんは無愛想で、意地悪で、時々ひやりとするほど鋭い目でこちらを見てくる。かと思えば、柊平さんはこの通り、絵に描いたような紳士だ。  同じ顔なのに、話していると別人だと分かる。声のトーンも、笑い方も、纏う空気も何もかも違う。 (――でも、たまに柊一さんも、ああいう顔をすることがあったな)  ふと、あの人が見せた不器用な優しさを思い出しかけて、俺は慌てて首を振った。今は仕事中だ。余計なことを考えている場合じゃない。  そうこうしているうちに、時計の針は定時を回り、オフィスにはぽつぽつと人が減っていく。小一時間ほど資料と睨めっこしていると、スマホが控えめに震えた。 『七瀬さん、画廊の用事が終わりました。今どちらにいらっしゃいますか?』  柊平さんからのメッセージだった。丁寧な文面に、思わず頬が緩む。 『まだ会社にいます。もう少しで終わりそうです』  そう返信すると、すぐに既読がつき、返事が来た。 『では、近くのカフェで待っていますね。ゆっくりで大丈夫です』  急かすことも、無理に催促することもない。その気遣いに、俺はなんだかくすぐったい気持ちになりながら席を立ち、荷物をまとめ始めた。  エレベーターに向かう途中、また小池さんに捕まりかけたが、「お先に失礼します」と早口で言って逃げ切る。  ビルを出ると、夏特有の生ぬるい風が頬を撫でた。少し歩いた先のカフェの窓越しに、柊平さんの姿が見える。彼は文庫本を片手に、静かに俺を待っていた。  その横顔は、どこか物憂げで――小池さんの言う「薄幸イケメン」という表現も、あながち間違っていないのかもしれない、と俺はガラス越しに思った。  店に入ると、彼はすぐに顔を上げてこちらに気づき、ふわりと表情を緩める。 「お疲れ様です、七瀬さん」 「お待たせしてすみません」 「いえ、本を読んでいたのであっという間でした」  向かいの席に座ると、彼は静かに、 「今日のコーヒーはグアテマラみたいですよ」 と、教えてくれた。 「じゃ、ちょっとカウンターに行ってきますね」  俺が言うと、彼はにこやかに笑って見送ってくれた。その仕草ひとつひとつが、やっぱり柊一さんとは違う。  ――今夜、柊一さんから連絡が来る。  そのことを頭の片隅に置きながら、俺は柊平さんの穏やかな笑顔を見つめ返した。  カウンターに行き、好きなコーヒーメニューを頼む。俺は暑いので、アイスコーヒーを頼んだ。 (アイスコーヒー、よく柊一さんが飲んでたな)  カウンターでアイスコーヒーをもらって、柊平さんのところに行く。 「何を読まれてたんですか?」  俺は柊平さんに尋ねる。 「芥川龍之介の『羅生門』です。最近、芥川龍之介にハマってまして」  知的だ。文豪と呼ばれる人の本をさり気なく読んでいる。  俺は芥川龍之介なんて、名前しか知らない。  こんな俺が、よく作家の柊一さんと付き合っているよな……。 「ぶ、文豪ですよね、芥川龍之介。凄いですね」 「いえ、ただの趣味ですよ」  柊平さんは笑っている。俺は本と言えば柊一さんの本しか読んでいないな、ずっと…。 「柊一さんの本は読まないんですか?」  柊平さんは目を見張る。 「…打合せの時から気になってましたが、七瀬さんは柊一のお知り合いでしょうか?」  あ、しまった。自分で墓穴掘ってた。あんなに柊一さんに「余計な事言うな」と言われていたのに。 「…あ、まあ、そんなところですね」  …真実はとても言えない。 「柊一と僕はもう十年以上音信不通です。お互い何をしているのか、誰と付き合いがあるのか、どこに住んでいるのかさえわかりません。七瀬さんが羨ましいです…」  意外な反応に俺が今度は目を丸くする。 「俺が、羨ましい…ですか?」 「ええ。きっと、柊一は僕のことを嫌っていると思うので」  柊平さんは遠い目をした。柊一さんは関わりたくないと言ってはいたけれど。 「何故そう思うんですか?」  つい興味本位で聞いてしまった。 「小さい頃は仲が良かったんですが、学校に行くようになると、柊一は僕に対し、見えない壁を作ってくるんです。年を追うごとにそれは強固な壁になり、僕が結婚してすぐに家を飛び出してしまった…。その前から家に居つかない生活は続いていましたが…。あ、すみません…どうでもいい話ですね」  柊平さんは、コーヒーカップを口元へ運んだ。 「どうでもいい話じゃないですよ!柊平さんは…、その淋しかったんですか?柊一さんが壁を作ってくることに対して」  切れ込んでいいのかわからないが、どうしても気になった。柊平さんと柊一さんの関係が。 「そうですね。淋しくなかったと言えば嘘になります。僕のたった一人の弟ですから」  柊平さんは俯いて、コーヒーカップを傾けた。  柊平さんは、家族として、柊一さんを愛しているんだ。なのに、柊一さんは…。どうしてこんないい人の手を払いのけてしまうんだ。俺には皆目見当がつかなかった。 「す、すみません、他人の家の話にずけずけと…」  俺は非礼を詫びる。柊平さんは顔を上げ、笑っていた。 「いいんですよ。これも何かのご縁でしょうから。あ、お時間あったら今銀座でやってる、僕の個展…ギャラリーにも来てください」  彼は、一枚の絵葉書をくれた。風景画がプリントされていて、『関根柊平 ―風の記憶―』と書いてあった。 「たまに僕や妻の美江も来ます。美江が居たら、プリンを七瀬さんに御馳走すると思いますよ。お土産に持って帰ってください」 「プリンですか?」 (プリンと言えば柊一の好物!) 「ええ、妻の得意料理の一つなんです。昔、柊一に食べさせて『美味しくない』と言われて、凄く研究したみたいなんですよ」 (もしかして、柊一さんがプリンを好きな理由って…) 「ではそろそろ帰りましょうか」  柊平さんが立ち上がる。 「そうですね。もういい時間ですね」  俺も立ち上がり、バッグを肩にかける。 「今日はありがとうございました。また会社に伺いますね」  柊平さんは穏やかに笑っていた。好青年を絵にかいたような紳士的な人だった。  俺は彼を見送り、駅へと向かう。柊一さんからは今夜電話が来る、ということは今日は家に帰ってもいいのだろう。  最近は、夕方の五時頃にラインが送られてきて、そのまま柊一さんの家に行くというのが習慣になりつつあった。今週もほとんど柊一さんの家で過ごしていたから、自分の部屋に帰るのはむしろ珍しいくらいだ。一応、届いている郵便物はチェックしているから、緊急の知らせでもない限り大丈夫だろう。  それにしても、今日の柊一さんの連絡はなんだろう。朝一で連絡が来るなんて、これもまた珍しい。今朝会ったばかりなのに。何か言い忘れたことでもあったのだろうか。俺のことを完全にバカ扱いしている柊一さんだし。

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