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虹のつづき7
俺は自室に帰った。郵便物をチェックし、何もないことを確かめる。柊一さんの言う「今夜」って、何時くらいのことなんだろう。時計を見ながら考える。そろそろ夜の七時。夕飯の支度をそろそろ始めてもいい頃だ。
夕飯の支度と言っても、今日は家にある冷凍食品を電子レンジでチンするだけの簡単料理。柊一さんと違って、俺は未だに夕飯を自炊していない。レンジでチンか、カップラーメンか、それともスーパーの少し安くなった弁当か。
今は男でも料理を作るのが当たり前となる中、俺はそこだけ未だに昭和な感じだ。男子厨房に入らずの教えを頑なに守っている。……というかただ単に作るのが面倒で、作り方もわからないから台所に立たないだけだが。
「さぁーて、今日はたらこパスタにしよう~」
レンジで7分で出来上がり。この楽々な食生活は変えられない。
だけど、柊一さんに自分の料理を食べさせてみたいという気持ちもなくはない。けれど、俺の不器用さと地頭の悪さで、彼を満足させる料理なんて覚えられるのだろうか。
彼の好きなものはプリン。プリンだけでも作れるようになりたい。
柊平さんの奥さんの思い出を聞いて、彼がプリン好きになった理由がなんとなくわかった気がした。柊一さんが昔、彼女の作ったプリンを「美味しくない」と言ったのは、多分、照れ隠しだったんだろう。
彼女のことを、柊一さんは好きだったんじゃないかと思う。三年もつきあっていればわかる、彼は天邪鬼だ。好きな人の作ったものを美味しいと思っているのに、素直に美味しいと言えない。
もしかして、柊一さんにとって彼女は初恋の人だったのかもしれない。初恋の味のプリン。だから、未だにプリンに執着しているんじゃないだろうか。
「……そうすると、双子のお兄さんの柊平さんに、柊一さんは初恋の人を取られちゃったんだな……」
彼が会いたくない気持ちもわからなくもない。俺だって、仮に兄がいて、自分の好きだった人を取られたら、きっと会いたくなくなる。
(意地なのかな?)
俺はそんなことを考えながら、たらこパスタを皿に盛り付ける。
「いただきまーす!」
そう言って、一人たらこパスタを食べる。味はまあ、普通に美味しい。250円くらいで食べられるのだから、男の一人メシにはありがたい。パスタだけだと足りないので、食パンと組み合わせて食べる。これで300円行くか行かないかくらい。安上がりな食卓だ。
プルルル…。
スマホが鳴っている。俺は誰からの着信かスマホの表示を見る。柊一さんからだった。
「こんばんは、柊一さん。今夜電話くれるって言うから待ってたよ」
俺は彼が話す前に言うと、
「ああ、七瀬か。来週の末、土曜の夜空いてるか?」
柊一さんの声がする。俺は、
「うん、空いてるけど、何?」
と、探りを入れる。
「美也子さんのライブ、また新宿であるから一緒にいかないか?」
美也子さんのライブか、久しぶりだ。
「うん、行く。お店は前回行ったところ?」
俺の言葉に、柊一さんは、
「そうだ。新宿三丁目の『クレセント』。どうやら美也子さん、そこで定期的にやるようになったらしい」
と、言ってきた。定期的にやるんだ、ライブ。美也子さん、ジャズシンガーとしても実力あるからな。
「チケットを美也子さんから貰った。二人で来てって…美也子さんが」
美也子さんに俺も会いたかったし、丁度いい。美也子さん太一のことまだ気にしているみたいだから。
「うん、で、柊一さん明日柊一さんとこ行っていい?」
どさくさに紛れて俺から願い出てみた。
「当分ダメだ。お前が来ると仕事が捗らない」
「えー!何でだよう!俺、何もしないのに!」
俺は口を尖らせて、文句を言う。
「…その無防備さだ、バカ。お前が来たら触れたくなるだろ」
彼に言われて、俺は顔を赤くする。
「締め切りも近いから、当分こっちに来るなよ」
「えー…淋しい…」
「それまで電話だけはしてやるから」
彼の言葉に、俺は拗ねる。
「電話だけじゃ淋しい…」
「わがまま言うな。仕方ないだろう、仕事だ」
(それを言われると、社会人としては突っ込めないんだよね…)
「わかった…早く仕事終わらせてね…」
「…善処する」
そこで電話が切れた。美也子さんのライブにまた二人で行けるのはいいけれど、当分柊一さんに会えないのはつらい。
今までの当然が当然じゃなくなる。あれ、俺今までどうやって一人の時間過ごしていただろう?ほんの数か月前のことなのに、感覚がわからなくなる。
電話が切れた後のスマホの画面をしばらく見つめる。真っ暗になった液晶に、ちょっとだけ情けない自分の顔が映って見える気がした。
「…はあ」
ため息をついて、俺はベッドに寝転がる。天井を見上げながら、柊一さんと出会う前の自分を思い出そうとする。
仕事終わりに一人で飯を食って、適当にテレビや動画を見て、風呂に入って寝る。そういう生活だったはずだ。別に寂しいなんて思ったことなかった。一人で完結してた。なのに今は、柊一さんの声を聞いた直後から、もう次に会える日を指折り数え始めている自分がいる。
——単純すぎるだろ、俺。
苦笑いが漏れる。でも仕方ない。「お前が来たら触れたくなる」なんて言われたら、思い出すだけで顔が熱くなるんだから。柊一さんはいつも素っ気ない言い方をするくせに、たまにこういう不意打ちをしてくる。ずるい人だ。
スマホを胸の上に置いたまま、来週の土曜日のことを考える。美也子さんのライブ、『クレセント』。前回行った時のことを思い出す。柊一さんが隣で静かにグラスを傾けながら、美也子さんの歌に耳を澄ませていた横顔。あの空間の空気が好きだった。
それにしても、と俺はスマホを操作してカレンダーを開く。今日から土曜日までの日数を数えて、思わず声が出た。
「……長っ」
たった数日のことなのに、とてつもなく長く感じる。仕事の締め切りに追われている柊一さんの邪魔をするわけにはいかないと分かってはいるけれど、分かっているのと寂しくないのとは別問題だ。
「電話だけはしてやる」——その言葉を頼りに、俺は自分を納得させることにした。せめて明日も、いつもの時間に電話が鳴るといいな、と思いながら。
スマホのメモアプリを開いて、思いつくままに打ち込む。
『土曜日、クレセント。美也子さんに会う』
打ち終えて、もう一度天井を見上げる。柊一さんに早く会いたい。ただそれだけを思いながら、俺は目を閉じた。
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