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虹のつづき10

 車はどんどん西新宿…柊一さんの家に近づいて行く。  車が地下駐車場に滑り込み、エンジンが止まる。静寂の中、柊一さんはしばらく前を向いたままだった。 「……着いたぞ」  ようやくそう言うと、シートベルトを外しながらこちらを見た。俺はまだ、さっきの衝動を持て余していて、うまく言葉が出てこない。 「柊一さん」 「なんだ」 「……ありがとう」  それだけ言うのが精一杯だった。柊一さんは一瞬驚いたような顔をして、それから少し困ったように笑った。 「礼を言うようなことじゃない」  車を降りると、エレベーターに向かって歩き出す。何も言わずに、けれど自然に、俺の荷物を持ってくれる。昔からそうだった。この人は、口では素っ気ないことを言うくせに、行動では過保護なくらい優しい。  部屋に着くと、柊一さんはリビングの電気をつけながら言った。 「適当にくつろいでろ。着替えとかは、いくらかはあるだろ。旅行の後にお前が持ってきたからな。必要なものは明日買いに行けばいい」 「……甘えすぎじゃない?これ」 「甘えろって言ってるんだ、七瀬」  強い口調ではなかったけれど、有無を言わせない響きがあった。俺はソファに座り込み、ようやく肩の力が抜けていくのを感じる。太一のことを思い出したときのあの息苦しさが、少しずつ遠のいていく。  柊一さんはキッチンへ行き、グラスに水を注いでリビングへ戻ってきた。 「……倒れたときのこと、他に何か覚えてるか」 「ううん。目が覚めたら会社の医務室だった。…心配かけてごめん」 「謝るな。お前が謝ることは何もない」  水の入ったグラスを渡されて、指先が触れる。ほんの一瞬のことなのに、やけに意識してしまって、俺は目を逸らした。柊一さんは何も言わず、ただ隣に座る。 「今日はもう休め。話は明日でいい」  そう言われて、俺は素直に頷いた。この人の傍にいると、どうしてこんなに安心してしまうんだろう。太一の記憶も、自分の不甲斐なさも、全部溶けてなくなってしまいそうな気がする。 「柊一さん」 「どうした?」  俺はグラスをテーブルに置き、彼に抱きつく。 「…水、飲まないのか?」 「今は、こうしてて…」 「…わかった…」  柊一さんは、俺の髪をゆっくりと撫でた。 「七瀬、全部抱え込むな。辛かったら俺に言えよ」  彼の言葉を聞き、 「俺さ…、柊一さんが全部片づけてくれたから、太一のこと、もう大丈夫だと思ってた。…けど、まだ心のどこかに、太一によって刻み込まれた恐怖がトラウマとなって残ってるみたいなんだ…情けないよね、俺…」  俺の中にあった気持ちが言葉になって、口から零れ落ちた。 「…七瀬、お前に痛みを植え付けたのは俺自身の不甲斐なさだ。お前に何もしてやれなくて…、守れなくて…、最低のヤツなんだ、俺は」  彼の言葉を聞き、驚いて俺は身体を離す。  ―俺の為に自分を責めてる……。  いつも俺を上から見てバカにして笑ったり、意地悪を言う彼らしくない。  …柊一さん、震えてるの?  俺は首を横に振った。 「柊一さん、それは違う!」  思わず、声が大きくなる。 「……柊一さんが自分を責める理由なんか、どこにもない!」  そして、震える彼を見つめる。 「……だから、俺のためにそんな顔しないで……」  そう言って、俺は柊一さんに言葉を投げかけた。  柊一さんは何も言わずに、俺を抱きしめた。 「…俺、しばらく傍にいるね。…柊一さんのそんな顔、見たくないもん…」 「…バカ七瀬…」 「…バカでもいいよ。柊一さんが元気になってくれるなら」  柊一さんの腕の中で、しばらく時間が止まったようだった。彼の心臓の音が、思ったよりも速く打っているのがわかる。 「……七瀬」  低い声で名前を呼ばれる。 「なに?」 「……お前は、俺が思ってるより、ずっと強い」 「そんなこと」 「いや。今日だって、あんなことがあったのに、ちゃんと立って、ちゃんと歩いて、俺の隣にいる。それがどれだけのことか、お前は分かってない」  柊一さんの手が、俺の背中をゆっくりと撫でる。その手つきは、いつもの意地悪な柊一さんとはまるで別人みたいに優しくて、俺はまた泣きそうになるのを堪えた。 「柊一さんが、いつも俺のこと守ろうとしてくれてるの、ちゃんと分かってるよ」 「……分かってるなら、少しは頼れ。一人で抱え込むな、ってさっきも言った」 「……うん」  俺は小さく頷いて、もう一度彼の胸に顔を埋める。柊一さんの匂いがして、それだけで安心する自分がいる。ずるいな、と思う。この人には敵わない。 「……なぁ、七瀬」 「なに?」 「今夜だけでいい。……俺の傍で寝ろ」  その言葉に、心臓が跳ねる。 「……それは、その、意味的にどういう」 「変な意味じゃない。ただ、一人にしたくないだけだ」  柊一さんは少し早口でそう言うと、耳が赤くなっているのが見えた。ああ、この人も、こういう顔をするんだ。 「……うん。そうする」  俺がそう答えると、柊一さんはようやくほっとしたように、少しだけ笑った。 「…柊一さんがが笑うと、俺も安心する」 「勝手なやつ」 「柊一さんに似たのかな」 「否定はしない」  そんな軽口を交わしながら、俺と柊一さんは静かすぎるリビングにいる。

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