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虹のつづき12
「……そろそろ離れろ。いつまでくっついてるつもりだ」
「え~、あとちょっとだけ」
「ダメだ」
そう言いつつも、柊一さんが俺を引き剥がす動きは、思ったよりずっと優しかった。俺は名残惜しく身体を離すと、改めて柊一さんの顔を見る。呆れた表情の奥に、ちゃんと優しさがあるのを、俺はもう知っている。
「柊一さん、本当にありがとう。無理させちゃってごめんね」
「無理はしてない。一回だけって言っただろ」
柊一さんはそう言って、テーブルの上にあったノートを引き寄せ、ペンを取った。
「テーマと締切と文字数、忘れるなよ。お前がちゃんとメモを取ってこなかったら、俺は書かないからな」
「うっ……わかった、今度こそちゃんと聞いてくる」
俺は自分のスマホを取り出して、メモアプリを開いた。空白のメモ画面に、それらしく「柊一さんへの確認事項」と打ち込む。
「あと、写真とかはダメだからな。一切そういうのは無しだ。そういうのは伝えておけよ」
「あ、そうだね。それも聞いてみる」
「……本当に大丈夫か、お前」
柊一さんが少し心配そうに俺を見る。
「大丈夫だよ。今度はちゃんと、ぬかりなく聞いてくるから」
俺がそう言うと、柊一さんは小さく頷いて、それ以上は何も言わなかった。ただ、俺の頭にもう一度そっと手を乗せて、少しだけ乱暴に撫でた。
「……ちゃんと帰ってこいよ」
その一言に、俺の胸がじんわりと熱くなる。
……でも、このまましんみりするのは、なんだか俺らしくない気がした。
「じゃ、抱きついたりしないから…チューして、チュー!」
俺は唇を突き出し、柊一さんの反応を待った。すると、柊一さんは、口にではなく、俺の額にキスを落とした。
「バカだろ、お前…」
柊一さんは笑う。俺は無視されずにキスされたことに驚き、勝手に頬を赤く染める。
「…だって本当にしてくれるって思わなかったもん…」
柊一さんは、したり顔で俺を見る。
「なんなら、キス以上のことだって、お前が望むならしてやってもいいんだぞ」
俺はさらに顔を真っ赤にして、手を何度も振る。
「…そ、それは…あとで考える…」
「即答できないところがお前らしいけどな」
柊一さんはそう言って、呆れたように笑いながら俺の頭をくしゃっと撫でた。その手つきは、さっきよりずっと乱暴で、でもどこか楽しそうだった。
「あー、もう、髪型崩れるからやめてよ」
「知るか。お前が変なこと言うのが悪い」
「変なことって、柊一さんが先に言い出したんじゃん!」
「揚げ足取るな」
俺は口を尖らせながらも、こういうやり取りが結構好きなんだよな、と思う。柊一さんは呆れながらも、ちゃんと付き合ってくれる。それがなんだかんだ嬉しい。
「明日、明日…ね、俺頑張るから!」
「…無理はするなよ」
「……わかってる」
柊一さんは短いため息をついた。
「…お前一人で抱え込むなよ。お前の傷は俺が傷つけたようなものだから…――」
柊一さんはまだ自分を責めている。
「柊一さんは何にも悪くない。俺がバカだった、それだけだよ…ね、やめよう、この話は。…俺もう大丈夫だから。……俺、お腹減っちゃった。なんか軽く食べるものある?」
俺は無理やり話を変えた。
これ以上、柊一さんが自分を責める話なんて聞きたくない。俺の傷は、そう簡単に治るものじゃないかもしれない。
だけど、俺のことで柊一さんが苦しむのは嫌だった。
だから、もうこの話は終わりにしたい。
「待ってろ、軽く食べるならアイスクリームがあったな。腹の足しにはならないが」
「いいね、アイス。たまに食べたくなるし!ね、ね、持ってきて。柊一さんも食べようよ」
俺の顔を見て、柊一さんはふっと笑った。
「そうだな、アイスもたまにいいな。持ってくるから待ってろ」
そう言って、柊一さんは立ち上がり、キッチンへ向かった。
柊一さんといえば、プリンだけど、アイスクリームもあるんだな。…女性からの差し入れとかじゃないことを祈りたい。
「ほら、持ってきたぞ。アイス。バニラとクッキー&クリーム、七瀬はどうする?」
「わ!これハーゲンダッツじゃん!さすが柊一さんだね~。なかなか高くて買えないもん」
「…ま、貰いものだけどな」
……出た。いつものやつだ。アイスにまで女の影がちらつく。
「また女からの差し入れ~?本当にモテるよね、柊一さんは…」
「くれるんだから、貰うだろう、普通は。七瀬が俺の立場だったらどうするんだ?」
…俺、昔彼女からバレンタインにチョコもらったっきりなんだけど。
「…俺、そういう経験ないからわかんない」
素直にそう言うと、柊一さんは笑った。
「……七瀬だもんな」
柊一さんはそれを見てまた笑った。
「なんだよ、その笑い方。バカにしてるでしょ!」
俺がむくれてみせると、柊一さんは肩をすくめた。
「バカになんてしてない。七瀬らしいなって思っただけだ。ほら、アイス溶けるぞ」
そう言われて、俺はスプーンを受け取り、クッキー&クリームの蓋を開けた。ひとくちすくって口に入れると、冷たさと甘さが口いっぱいに広がった。
「んー、美味しい!やっぱりハーゲンダッツは違うね」
「良かったな。……で、七瀬はどっちが好きなんだ、バニラとクッキー&クリーム」
「クッキー&クリーム一択だよ。バニラはちょっと物足りない」
「俺はバニラ派だけどな。シンプルなのが一番だ」
「えー、渋いね。柊一さんらしいけど」
俺たちはしばらく黙って、それぞれのアイスを食べ進めた。静かな時間だったけど、気まずさはなくて、むしろ心地よかった。
ふと、柊一さんのスプーンが止まっているのに気づく。
「……柊一さん?」
「……ん、なんでもない。ほら、七瀬も早く食べないと溶けるぞ」
そう言われて誤魔化された気がしたけど、俺はそれ以上追及しなかった。今はこの穏やかな時間を、壊したくなかったから。
「ね、柊一さん」
「なんだ」
「ありがとう。……いろいろ、全部」
柊一さんは少しの間黙って、それからぶっきらぼうに答えた。
「……いちいち言うことじゃないだろ、それは」
「言いたいの。俺が」
俺がそう言うと、柊一さんはふいと視線を逸らした。その耳の先が、少し赤くなっている。
「……勝手にしろ」
その反応が可笑しくて、俺は思わず笑ってしまった。柊一さんは「なんだよ」と言いながらも、怒っている様子はなくて、結局二人でアイスを完食するまで、たわいもない話を続けた。
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