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虹のつづき16
「風呂はどうする?一緒に入るか、七瀬」
急に言われて、俺は目を丸くする。
「……うん。出来れば一緒に入ってくれると嬉しい」
「じゃ、メシ終わったら、風呂だな」
「うん。ありがとう、柊一さん」
俺はお茶碗に残っていたご飯をかきこむ。
「……ゆっくり食えよ、七瀬」
「……だって、早く風呂入りたいんだもん」
「ガキか。お前は」
そう言って、柊一さんは笑う。その目が優しくて。
……ああ、この優しい目に俺は惚れたんだなと思った。
「どうした?七瀬、箸が止まってる」
「……な、なんでもない」
柊一さんは立ち上がり、自分が食べた食器をまとめている。
「柊一さん……」
「なんだ?」
「色々ごめんね、今日は……」
「謝ることじゃねえだろ。お前は何もしてないんだから」
「……うん……でも、ありがとう……」
柊一さんは俺の頭を撫でて、まとめた食器をキッチンに運ぶ。
「七瀬も終わったら、持って来いよ。一緒に洗うから」
「うん……わかった」
俺は、ご飯を食べ終え、自分の使った食器をまとめてキッチンに運ぶ。
「柊一さん、持ってきたよー。洗って~」
「洗ってない食器のとこに重ねとけ。俺が洗うから」
「……俺何かすることない?」
「じゃ、洗い終わった食器を食器乾燥機に並べろ。それくらいはできるだろ」
「うん……こっちの機械に並べるんだね。わかった」
柊一さんが洗い、俺が乾燥機に食器を並べる。
それだけで、ここにいてもいい気がした。
「よし、終わったな。風呂の準備してくるから、七瀬はリビングに戻っていろ」
「……早く戻ってきてね」
「たいして時間はかからないから、待てるだろ」
「……うん」
俺は柊一さんと分かれて、リビングへ行く。
暗くなったリビング。俺はライトをつける。
広すぎるリビングに一人、ソファーに腰を下ろす。
大きなテレビモニター。淋しさのあまり、見たいものもないのにテレビをつける。
テレビには、どうでもいいバラエティーが映っていた。
昔はこういの嫌いじゃなかったはずなのに、今の俺には無味乾燥に映る。
……柊一さんと出逢って、恋に落ちてしまったから。
彼はこういう類の物があまり好きじゃない。よく彼の書くコラムに皮肉めいて書かれることの多い、地上波バラエティ番組。
俺は影響を受けやすいから、そういうもんなんだと思ってしまった。
「なんだ、テレビなんかつけて」
「柊一さん……」
柊一さんが戻ってきている。俺はテレビを消す。
「別につけていてもいいんだぞ、七瀬」
「柊一さんあまり好きじゃないでしょ……俺もそうだもん」
「七瀬は好きなのかと思ってた」
「……昔はね。今は違う。柊一さんと会ったから……」
「なんだよ、俺の所為か?」
「そうだね、柊一さんの所為だね」
俺は笑う。柊一さんは黙って俺を見ている。
「……俺、柊一さんに会って、色々変わったんだから~。音楽だってジャズ全く聞かなかったのに、今は一番聞いてるジャンルだし」
「……俺は別に薦めてないないぞ」
「俺は影響受けたの!柊一さんの家、ジャズが良くかかってるし、柊一さんジャズピアノ弾く人だし……」
柊一さんは俺の頭を撫でる。
「七瀬が俺の色に染まっていくのは、見ていて気持ちいいもんだけどな」
「……そういうこと、さらっと言わないでよ」
俺は顔を背ける。耳まで熱くなっているのが自分でもわかった。柊一さんはそんな俺の反応を、楽しむように見下ろしている。
「事実だろ。最初に会ったときは、ジャズのジャの字も知らなかったくせに」
「だって、柊一さんが弾いてるの聴いたら、ジャズの魅力に全部持っていかれちゃったんだもん」
「……そうか」
柊一さんは短くそう言って、俺の隣に腰を下ろした。ソファーが小さく沈む。広すぎるリビングが、ほんの少しだけ狭くなった気がした。
「さっき、一人でここに来たのは、淋しかったからか」
「……なんでわかるの」
「見たいものもないのに、テレビをつけるやつの顔をしてた」
図星だった。俺は膝を抱えて、そこに顎をのせる。
「柊一さんのこと、邪魔しちゃ悪いなって思うんだけど、そうすると、この家、広いなあって」
「邪魔だなんて、一度でも言ったか」
「言ってないけど……」
「なら、来ればいい。どうせ風呂の水を張るだけだし」
ぶっきらぼうな言い方なのに、その奥にある優しさが、じんわりと胸に染みた。
「……じゃあ、今度からそうする。ピアノの音、聴いてていい?」
「好きにしろ。ただし、うるさくするなよ」
「しないよ。静かに聴くから」
柊一さんの指が、俺の髪をゆっくりと梳く。しばらく、二人とも何も言わなかった。テレビを消した部屋は静かで、遠くで冷蔵庫の低い唸りだけが聞こえている。
「……なあ、七瀬」
「ん?」
「染まるのはいいが、全部が全部、俺に合わせなくてもいい。バラエティだって、好きなら見ればいい」
「いいの?」
「七瀬が七瀬のままで笑ってるのが、一番いいんだよ」
不意打ちだった。さっきよりずっと、胸の奥が熱くなる。
「……そういうこと言うから、余計に好きになっちゃうんだよ」
「勝手に好きになってろ」
そう言いながら、柊一さんは俺の肩を引き寄せた。額が彼の胸に触れる。心臓の音が、思っていたより少し速い。
ああ、この人も、ちゃんとどきどきしてくれてるんだ。
そう思ったら、さっきまでの淋しさが、嘘みたいにほどけていった。
「柊一さん」
「なんだ」
「今夜、小さな電子ピアノあったよね?ここで聴いてるから」
柊一さんは少しだけ黙って、それから小さく息を吐いた。
「……リクエストは受け付けないぞ」
「いいよ。柊一さんが弾きたいのでいい」
「なら、とっておきを弾いてやる」
彼は立ち上がると、コンパクトな電子ピアノを持ってきた。その背中を見送りながら、俺はソファーに深く身を預けた。
やがて、静かな夜に、最初の和音が柔らかく落ちてきた。
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