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虹のつづき20
「柊一さんも俺のこと愛してくれてるの?」
「……バカか。早く支度しろ」
柊一さんは笑っていた。
俺はその答えが聞きたいのに!
「いつまで短パンなんだよ。スラックスはかないと時間ヤバいんじゃないか」
柊一さんに急かされ、俺はスマホをソファーに置き、スラックスをはき、セットのジャケットを羽織る。
「ネクタイ貸せ。結んでやるから」
俺は柊一さんにネクタイを渡し、結んでもらった。
「これで出来上がりだな、新生日本印刷会社の営業部、七瀬晃司君」
「……なにそれ、今言うのそれ」
「いいだろ、本当のことだし」
「……そうだけどさ。
ね、ね、柊一さん俺のこと下の名前で呼んでよ」
「七瀬で十分だろ」
「それ苗字だもん、名前で呼んでよ~。俺いつも柊一さんって、名前で呼んでるじゃん!」
「お前の名前、ありふれてるからな。七瀬の方が呼びやすい」
「そんなこと言わないで、一回だけでもいいから」
「……晃司」
自分の名前なのに、柊一さんの声で呼ばれると、なんだか新鮮だ。
新鮮な響きに、俺のテンションが上がる。
「やっぱり、つまらないな。七瀬でいいだろ」
「俺には大事なことなの!」
「……晃司。お前の名前普通すぎて、今一つしっくりこないな」
ありふれた名前だけど、俺にとっては特別な名前だ。
柊一さんに、もっとその名前を呼んでほしい。
「じゃ、じゃ、柊平さんのイベントきちんと成功させたら、たまに名前で呼んでくれるっていうのは?」
「……なんで、あいつのイベントが絡んでくるんだ」
一気に柊一さんの機嫌を損ねてしまった。
そんなに兄の柊平さんのこと好きじゃないのかな。
「七瀬はあいつのことが気になるのか?」
「そりゃ気になるよ。今回のイベントの主催者みたいな人だし、ましてや柊一さんのお兄さんだし……」
「……俺の兄貴じゃなかったら良かったのか」
「そ、そういうわけじゃないけど。柊一さんそんなに柊平さんのこと好きじゃないの?」
「好きじゃないとは言ってない。関係ないと言っている」
(物は言いようだよね……)
「関係ないって言うわりには、さっきから思いっきり絡んでるよね……」
思わず心の中でつぶやいたところで、柊一さんがふいっと視線をそらした。耳の先がほんの少しだけ赤い気がする。
「とにかく、あいつのイベントを成功させたら、っていう条件が気に入らないだけだ」
「え、どうして?頑張る理由になるし、ご褒美があったらやる気も出るし、いい案だと思ったんだけど」
「……ご褒美、ね」
柊一さんは小さくため息をついた。それから、少しだけ間を置いてこちらを見た。
「七瀬は、兄貴のイベントのために頑張るのか」
「え? ううん、違うよ。柊一さんの家族の大事なイベントだから、ちゃんと成功させたいだけ。……それに」
「それに?」
「成功したら、柊一さんが喜んでくれるかなって、思ったから」
言ってしまってから、急に恥ずかしくなって慌てて続ける。
「あ、あの、ご褒美の話は冗談っていうか、半分くらいは冗談で……!」
沈黙が落ちた。
おそるおそる顔を上げると、柊一さんは口元を手で覆って、ほんのわずかに肩を揺らしていた。笑っている。たぶん。
「……半分は本気なのか」
「そ、そこは見逃してほしかったな!」
「聞き逃せるわけがないだろう」
柊一さんはくつくつと喉の奥で笑い、やがて観念したように息をついた。
「わかった。イベントがきちんと成功したら、考えてやる」
「ほんと?」
「『考える』だけだ。約束はしていない」
「それでも十分うれしい!」
思わず声が弾んでしまった私を見て、柊一さんは呆れたように、でもどこか柔らかい目をして言った。
「……単純だな、お前は」
「だって、柊一さんが前向きに考えてくれるなんて、すごいことだもん」
「勝手に盛り上がるな」
そう言いながらも、否定はしない。
(もしかして、今のって結構いい感じだったのでは……?)
胸のあたりがじんわり温かくなる。イベントまで、あと少し。絶対に成功させよう。ご褒美のためだけじゃなくて、この人の隣で、胸を張っていられるように。
「柊一さん」
「なんだ」
「見ててね。ちゃんとやり遂げるから」
柊一さんは一瞬だけ目を見開いて、それからふっと視線を逸らした。
「……言われなくても、見ている。どうせ七瀬のことだから、家に仕事持ってくるだろう?」
「……う……それはそうかも」
「出来ないところは手伝ってやる、初めてのイベントなんだろう、七瀬は」
思いがけない言葉に、俺は目を見開いた。
「……あいつのイベントっていうのが気に入らないが」
そこは変わらないんだな。柊平さん、あんなに紳士な人なのに。
(……柊平さんの奥さんって、柊一さんが好きだった人なんだよな……
「柊一さんに手伝ってもらったら、百人力だよ!俺どこまでも頑張れちゃう!」
柊一さんは笑っていた。
初めて俺がメインで担当するイベント、絶対に成功させる!
「……七瀬」
「なあに?」
「忘れものだ」
「え……?忘れ――」
口をふさがれた。
柊一さんの匂いに包まれ、胸がくすぐったくなる。
「……行ってきます」
俺は不意打ちのキスに頬を赤らめながら、柊一さんの家を出た。
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