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第1話「雪」
1「雪」
神楽 歌が止んだ。
雪に染まった境内が、しんと静まり返る。
神楽殿の舞台の中央で、一葉 がこっちを見ていた。
白銀の長い髪。夜のような黒い瞳。
次の瞬間、ごうっと突風が吹いた。
「っ……」
前髪がさらわれ、視界が大きく開く。
(しまった)
そう思った時には、もう遅かった。
誰かが震える声で呟いた。
「紫の目……」
空気が凍りつく。
視界の端で、老人が震えながら膝をつくのがわかった。
拝む声。怯えたような声。
ざわざわとした音たちが雪に落ちていく。
恐怖や好奇の目が突き刺さる。
一葉だけが、静かに笑っていた。
足が震え始める。
────終わった。
そう思った瞬間、冬斗 は雪を蹴って駆け出していた。
夢中で鳥居をくぐる。
おそろしい蛇の石像と目が合った気がした。
吹雪が、世界を白く塗り潰していく。
紫の目からこぼれた涙が、雪に点々と染みを作った。
◆
一ヶ月前────。
「さむ……」
冬斗は両手に息を吹きかけた。
手がすっかりかじかんで痛い。手袋を忘れたことを恨んだ。
見渡す限り、雪が降る銀世界。
白泰 村は、どこを切り取っても雪だった。
しんしんと降る大粒の雪と、白く埋もれた木々。
それ以外、何もない。
ここまで歩いてきた自分の足跡が一人分、さみしく雪の中に残っている。だけどそれももう薄れてきている。
鼻をすすり、スマートフォンで時刻を確認して、思わずため息を漏らした。
バスの予定時刻はもうとっくに過ぎている。なのに、バスが来る気配はいっこうにない。
ここは人の気配がない。
沈黙が痛い。
凍てついた銀世界。
こんな場所は初めてなのに、なんだか懐かしいような、不思議な感覚になった。
ふと、気配を感じた。
────ザク、ザク、ザク。
足音だ。
急激に世界から音が戻る。
傘の下、真っ白な視界に、黒い編み上げのスノーブーツがのぞく。
「――おはよう」
雪の中に響く、低くよく通る男の声。
心臓がどくりと跳ねた。
「……え?」
傘を上げた。
瞬間、時が止まった気がした。
目の前には、冬斗と同い年くらいの男が立っていた。
切れ長の目には、夜闇を切り取ったような黒い瞳。
艶のある黒髪は、特にセットをしていなくてもかっこよく決まっている。肌は雪のように白かった。
美しさが完成されすぎていて、かえって現実味がない。
男は、穏やかに微笑んでいる。
気のせいだろうか。
その目は、少しだけ潤んでいるようにも見えた。
白と灰色だけだった視界が、急に色づく。
ふと、なぜか涙がこぼれた。
「えっ……」
ぎょっとして、慌ててうつむく。
寒さのあまり、涙腺が緩んでしまったのかもしれない。
眼鏡の下から目を拭うと、もう涙は出なかった。
「……君、もしかして転校生の子?」
話しかけられて、男を見上げる。
(に、二次元……?)
まじまじと見ると、男はやっぱり怖いくらい美形で、息を飲む。
安心感を与えるような笑顔。
だけど、なぜだろう。
ひどく胸がざわざわとした。
「……あ、えと、先週からこの村に来ました。遠月 冬斗です」
男が返事を待っているのに気がついて、慌てて自己紹介をする。
「冬斗くんね。オレは椿 一葉。苗字被ること多いから、よかったら一葉って呼んで」
やわらかく笑う一葉に、ほっと肩の力が抜けた。体から力が抜けて初めて、少し緊張していたことに気がつく。
「それで、冬斗くんはなんでまた、こんなとこに?」
「……ばあちゃんがこの村にいて、足腰やっちゃったから母さんとこっちにきたんだ」
初対面だというのに、不思議と話しやすい。
ふと一葉は冬斗の傘を持つ手を見た。
「手、赤くなっちゃってるね。……はい、これ。使って」
一葉はズボンのポケットから何かを取り出した。
使い捨てカイロだった。貼らないタイプのもので、すでにじんわりと温かい。
「え、いいの?」
思わず声がうわずった。一葉は人好きのする笑顔で「もちろん」と頷く。
ありがとう、と小さく呟いて、もらったカイロを握りしめる。
やわらかな熱を感じて、ほっと一息ついた。
「これで全校生徒二一人目だな」
「へぇ……って、全校生徒!?」
「うん。高校、村に一つしかないから全学年で授業受けるよ」
「わ、わぁ……」
改めてど田舎さを突きつけられて慄いていると、遠くの方からエンジン音が聞こえてきた。
「お、きたね。今日は早い」
一葉が嬉しそうな声をあげる。ようやくバスが来たようだ。
ほっと息をついて、スマホを見る。
(十五分遅れ……)
これが、早い、のうちに入るのか。
バスに乗ろうとして、靴のつまさきを地面に叩き、雪を落とした時だった。
ふと、一葉の靴先が目に入った。
(あ……)
顔をあげて、眼鏡を押し上げる。目が合って、一葉が口角を上げた。
一葉を一目見た時に感じた、胸がざわざわとした理由。
それが、わかった。
(────雪で、汚れてないんだ)
雪の結晶はまるで一葉を避けていくようにひらひらと落ちていく。その様子はまるで雪が意思を持って一葉に従っているようだった。
「乗ろうか」
一葉が嬉しそうに笑う。
細められた目の奥が、一瞬だけ妖しく光った気がしたのは、気のせいだろうか。
「う、うん……」
気づけば冬斗は、ぼうっと一葉のあとを追うように、バスへ足を踏み出していた。
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