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第2話「紫水晶の目」
空いていると思いきや、バスはそこそこに混んでいた。
自分と一葉くらいしかいないだろうと思っていたが、同じくらいの年の子が数人と、老人が数人。歳が近そうな子は、みんな同じ学校の人だろうか。
存在感をなるべく消して、うつむきながらそそくさとバスに乗り込む。
「一葉、おはよう」
「おはよう」
「あ、一葉! おはよ!」
「おはよう」
「一葉先輩、お、おはようございます!」
「うん。おはよう」
一葉はほとんど全員に挨拶されていた。みんなが一葉を見る。まるで芸能人みたいなもてはやされ方だ。
そして意外なのが、杖をついた老人まで、一葉に静かに会釈をしたことだった。一葉に目を向けずに老人が挨拶をする様子は、なんだか不思議だった。
素早く座席チェックをして、一番隅の目立たなそうな二人がけの席に座る。なるべく人とは接触したくない。
人の視線をなるべく集めないように、空気と化すことに徹底する。もう慣れたものだ。
「隣、いい?」
イヤホンを耳につけ、スマホを取り出そうとしたその時だった。
唐突に話しかけられて、驚いて顔を上げると、すぐそばに一葉がいた。
「へっ? あ、お、俺?」
「うん。冬斗」
(え、ええぇ〜……!)
聞き間違いじゃなかった。
一葉は相変わらず微笑みながらこっちを見下ろしている。
「ど、ど、どうぞ」
本音を言えば断りたかった。でも、一葉の圧倒的なキラキラオーラに気圧されて、思わず頷いてしまった。
慌ててイヤホンを外して、白のリュックサックを膝の上に移動させると、嬉しそうに一葉が座ってきた。
一葉が座ると、身長が高くて足が長いせいか、座席が小さく見えた。それに、何か映画の撮影なのではないかと思うくらい様になる。
(ひぃ……イケメンが近い)
恐れ多いのと、存在が眩しいのとで顔をそっちに向けられない。
ふう、と息をつく。ふと気がついた。
なんだか寒さが和らいで、呼吸がしやすくなった気がする。気のせいだろうか。
(初対面と距離詰めるの早えよ……。え、しかもなんで俺の隣に座った?)
こっちを、というか一葉をさっきからじっと見つめている女子たちのところに行けば良いのに。
「ありがとう、冬斗」
一葉がにっこりと笑う。
自分から話しかけて、さらにバスでは隣に座ろうとするなど、到底自分には真似できない。
自分のような『陰キャ』は、電車はまだしも、バスで空いてる席があったとしても隣に人が座っていたら絶対に座れない。今も、普段なら苦痛なシチュエーションだ。
でも、一葉とはそんなに不快ではないのが不思議だった。
「手、どう? あったかくなった?」
「あ、う、うん。お、おかげさまで。だいぶ良くなった。ありがと」
バスに揺られながら、冬斗はめったに使わない表情筋がこの十数分で何度も動いていることに感動した。
「お、俺、寒いの苦手だから……。マジ、助かった。すぐ、熱とか出ちゃうから……」
(な、何か話さないと)
一葉は形良く整った眉を持ち上げた。なんでそんなに表情豊かにできるんだろう。俳優みたいだ。
「そうなんだ?」
「冬斗って、名前なのにな。名前負け、すごくね」
昔から、寒さだけはダメだった。
寒い状態で長い時間外にいると、必ず風邪を引いて高熱が出た。
小さい頃は外から聞こえてくる楽しそうな声が羨ましくて、アパートの家の窓からいつも外を見下ろしてた。
せっかく母親がつけてくれた名前なのに、冬斗はあまり自分の名前が好きじゃなかった。
「そんなことないよ。冬斗って、すごく綺麗な名前だし、すごく似合ってるよ」
「へっ?」
耳を疑った。一葉の言葉を理解した瞬間、耳が熱くなった。
「え……あ、あり、がと……」
とっさにそんな言葉しか出せない。
きょろきょろと視線を泳がせて俯いていると、不意にバスが大きく揺れた。
ガタン、と衝撃で眼鏡がずり落ちる。
一葉と目が合った。
(やばっ……!)
一葉が驚いた顔で目を丸くする。冬斗はとっさに顔を背けた。
「わあ……。ねえ、冬斗。目、見せてよ」
一葉がずいと顔を近づけてくる。
「や、あの、俺……」
どくどくと心臓が音を立てる。
脳裏に、いくつもの恐怖の表情がよぎった。
『遠月くんの目、こわい』
『変な色』
『気味悪い』
『こっち見ないで』
次第に伸びていった前髪。
他人からの視線を遮る、前髪という防波堤。
嫌われたくない。怖がられたくない。自分とは違ういきもの、と一線を引かれたくない。
目をぎゅっとつむる。続く言葉に身構えた。
「────すごく、綺麗だね」
耳に飛び込んできたのは、一葉の穏やかな声だった。
「え……?」
「カラコン? ……すごい。綺麗だ」
思わず目を開けた。途端に、こちらを覗き込む一葉の顔が眼鏡越しの視界に広がる。
(ち、ちかっ……!)
挙動不審に体を縮こませると、ますます一葉が覗き込んでくる。
体がじわじわと熱くなって、心臓がせわしく動き始める。
真っ黒に見えた一葉の瞳は、よく見てみると縁が青みがかっていた。夜明けの空みたいで、思わず見とれる。
「花が咲いてるみたいだ」
もっと見せて、とこちらを覗き込んでくる一葉の瞳に、自分の瞳が映っている。
冬斗の瞳は、生まれた時から薄紫色をしていた。虹彩の部分が薄紫で、瞳孔を中心に色味が増して、花びらが広がっているような模様をしている。
生粋の日本人だが、隔世遺伝でも発現したのか、家族の中で冬斗だけがこんな異様な瞳に生まれた。
「こんなに綺麗なカラコンってあるんだ」
一葉が感心したような声を出す。冬斗は俯いた。
「いや……こ、これ、カ、カラコン、じゃないし」
顔を背けてぼそりと言うと、一葉が息を止めた気配がした。
(あ……)
これが生来の目だと明かすと、みんなこうだ。
『気味悪い』
『ばけもの』
『怖い』
同級生たちの鋭い声が束になって脳裏に響く。
慣れたとはいえ、やっぱり心にくるものがある。
(……なんで言っちゃったんだろ)
言わなきゃよかった。
でも、一葉に尋ねられると、理由はわからないが、素直にすべて答えてしまう。
「すごい。神秘的だね。良いな」
「え……?」
想像した反応と、一葉の反応はまるで違った。
一葉は綺麗な石を見つけた子どもみたいな無邪気さで目を輝かせる。まるで夜空に星がまたたいてるみたいだ。
まったく予想していなかったことに、うまく言葉が出てこない。
(……初めてだ)
初めて、この目を褒めてもらった。
ぶわりと胸が熱くなって、冬斗はとっさにマフラーに顔を埋めた。
一葉がじっとこっちを見ている。視線が、熱い。
「……食べたら、美味しそう」
「えっ!? た、食べ……!?」
物騒な言葉にギョッとして一葉の方を向く。
「どっ、え……? 食べ……?」
どういうことだろう。
思わず身を引くと、一葉が笑った。
「あ、ごめん。宝石みたいだからさ。ほら、琥珀糖ってあるだろ? あれ思い出して」
「あ、ああ……」
「ていうか、よく見たら……これはみんなほっとかないね」
一葉がじっと冬斗の顔を見つめて、感心したような声を出した。
みんなほっとかない。とは。
「ど、どういうこと?」
「いや、かっこいいって言われない?」
今まで言われたこともない言葉が次々と一葉の口から飛び出してくる。情報処理が追いつかない。あわあわと挙動不審に手が動く。
「い、いや、な、何言ってんの?! い、言われる訳ねーじゃん!」
小さい頃は不気味なバケモノ扱いされた。子どもたちは大人よりも正直で、残酷な団結力がある。
自尊心なんてものはぐしゃぐしゃに踏み潰されて、どんどん背筋が丸まって、前髪も伸びていった。
思春期を迎える頃には、立派な『陰キャ』『根暗』『キモオタ』の称号を得た。日陰でじめじめ生きることになったけど、そっちの方がまだマシだった。
彼女はおろか女友達もできたことがない。いや、その前に男友達もろくにいない。
「えー? みんな気づいてないだけじゃない?」
「いや、ほ、ほんと、そんなことなくて……。俺、自分のこの目とか、き、気持ち悪くて……き、嫌いだし」
眼鏡を意味もなく押し上げて、目を逸らす。一葉が眉を顰めた。
「え? うーん、その感性はちょっとわからないな」
(それはこっちのセリフだ!)
心でツッコミつつ、初めて湧き上がるなんとも言えない感情を持て余す。
ソーダ水みたいにぷつぷつと湧き上がってはのぼっていく。ぱちぱちとはじけて、くすぐったい。
この目は不気味なだけだ。
黒のコンタクトレンズで隠そうかと試したこともある。でも、どんなソフトタイプでも痛くなってしまい、つけられなかった。
生まれつき色素が極端に薄いのだと医者には言われたが、大学病院をいくつも回っても、原因は分からないままだった。
「ずっと見てられそうだ」
まっすぐに見つめられる。黒い夜の瞳に、冬斗が映る。
「……特別って感じがする」
一葉の言葉に、胸がざわざわした。
「……そ、そんなこと、初めて言われた。一葉って、変だな」
胸がくすぐったい。そわそわするけど、嫌な感じじゃない。
「え、オレ、変?」
一葉が首をかしげた。何か誤解している一葉に、冬斗はブンブンと首がちぎれそうになるくらい首を横に振って全否定した。
「いやいやいや! そ、そういう意味じゃなくて! その、この目、そんな風に言ってくれたの初めてだったから……。あの、ほんと、言い方があれだったけど、別に悪口とかじゃない。てか一葉は俺が知ってる中でぶっちぎりで優しいし、イケメンだしで、もうなんか喋れるだけで嬉しいし……」
必死に弁明してると、一葉が目を丸くした。ふっと、堪えきれなくなったみたいに笑う。
「すごい褒めてくれるね。ありがとう」
「あ……あ……」
喋りすぎた気がする。
頭のてっぺんから湯気が出るような気分になりながら、膝上に抱えたリュックに顔を埋める。
ちらりと窓に目をやると、銀色の雪景色に反射して、一葉の顔が見えた。
その顔は、まるで心の底から嬉しそうに見える。
────いっそ不自然なくらいだった。
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