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第4話「笑ってる方がいい」

「……っ!」  はっと目が覚めた。  はぁはぁと激しく胸が上下する。  ここはどこだ。  まだあのおぞましい場所なのか。 「はーっ……はーっ……」  なんとか呼吸を整えようと深く息を吸う。  ぬくもりのある木の天井を見つめるうち、じわじわと現実感が戻ってくる。  ……そうだ。ここは、白泰村の祖母の家だ。  自分は一週間前、体を壊した祖母のために母と共に東京からこの村へやってきた。  令和の日本に生きる、高校二年生、遠月冬斗だ。  大きく息を吐く。こわばっていた体から力が抜けて、だんだんと呼吸が整ってくる。  冷や汗で、スウェットがびっしょりと濡れていた。    どうやら悪夢を見ていたらしい。時計を見ると、まだ朝の六時前だった。    窓の方を見ると雪は止んでいたが、そこはやっぱり銀世界で、ここは東京とは違うのだと思い知らされる。  冬斗は窓の雪景色を見つめながら、はぁ、と細く小さな息を吐いた。 ◆  バス停に行くと、先に一葉がいた。  一瞬、どきりとする。 「おはよう、冬斗」  一葉が微笑んで手を上げた。  柔らかな笑顔と、黒い目。  無意識に、そっと胸を撫で下ろす。  一葉の隣に行きながら、悶々と考え込んだ。 (変な夢だったな……。……もしかして俺、欲求不満…? ……いやいやいやいや。なんで一葉?) 「────そもそも男同士だし……」 「……冬斗? おーい、聞こえてる?」 「いや確かにイケメンだけど。……でもさすがにそれはまずいでしょ……」 「……。ふーゆーと」 「……っわぁ!?」  気がついたら、一葉の顔が間近にあった。  思わず大声を出して飛び退くと、一葉が驚いて目を丸くする。 「どうしたの? すごい難しい顔しながらぶつぶつ唱えてたけど」 「え? あ、ああ、いや、なんでもない!」 (い、言えるわけない)    一葉そっくりの男に迫られる夢なんて。    顔の前でぶんぶんと手を振る。  慌てていると、タイミング良く遠くの方からバスのエンジン音が聞こえてきた。  冬斗はほっと息をついて、マフラーを引き上げた。 ◆ 「なあなあ、冬斗ってさ、なんかゲームやってる?」  午後の体育で、伊織とペアを組んでストレッチをしていた。  伊織は一葉とはタイプが違う、親しみやすいイケメンだ。  この村は人口五百人しかいないくせに、なぜか顔面偏差値だけは異様に高い。  冬斗は伊織と話しながら、自然と友達と話せていることが信じられない気持ちになっていた。    伊織とは話していて楽しい。  前髪が長くてほとんど目が見えていないような、もっさりした隠キャである自分にも、普通に接してくれる。 「あ、てかさ。むごんちゃんのインスタライブ、見た? ガチ可愛くね? なんとかして繋がれねえかなあ」  伊織は唸って腕を組む。  その時、呆れたような声が聞こえた。   「はあ……ほんとあんたってそういうことしか考えてないわけ?」  咎めてきたのは(あかね)だ。茜は黒髪ロングの美人で、冬斗にとってはとてもじゃないが高嶺の花過ぎて絡むことなどできやしない。   「あいつ、気ぃ強いから気をつけろよ〜」  こそっと伊織に耳打ちされて、ちらりと茜を見る。茜は伊織の方を何とも言えない顔で見ていて、どきりとした。  (もしかして……)  なんとなく察して伊織を見るが、当の本人である伊織はまったく気が付いていないようだ。 「やっぱむごんちゃんみたいに、にこにこしてる子が良いよな。あ、そうだ、今度一緒にインスタライブ見ようぜ」 「お、おう」  やがて、バスケのゲームが始まった。  自分の出番が来るまで伊織と待機して談笑していると、ふと視線を感じた。    見てみると、一葉だった。  ゲームを終えた一葉が、タオルで汗を拭きながらこっちを見ていた。    その表情に、一瞬、夢の男が重なる。 「……っ」    だけど瞬きをした瞬間、一葉はいつもの柔和な表情に戻っていた。  周囲と談笑をしている一葉を見て、目をしばたたかせる。 (……気のせいかな)  あんな夢を見たせいで、疲れているのかもしれない。  眼鏡を外し、目をごしごしと擦る。 「か、一葉先輩、お疲れ様です。あ、あの、これ……」  一葉のもとへ、小柄な女子がおずおずと声をかけた。可愛らしい栗毛の女の子だ。    茜は気の強い美人という感じだが、鈴音は守ってあげたくなるような美少女の雰囲気がある。    その手の中にあるスポーツドリンクを見て、冬斗は思わず目を丸くした。  これは、あれだ。  気になる男子に差し入れをするやつだ。  現実にあるなんて思わなかった。  謎の感動を覚えていると、一葉が眉を下げた。 「ありがとう、鈴音(すずね)。でも、俺さっき自分の分買ってきちゃったんだ」  やんわりと断られて、鈴音はしゅんと残念そうに表情を曇らせた。 (え、断っちゃうの?)  もし自分なら今の差し入れだけで好きになってしまうだろう。……まあ、そんなことは永遠にないけど。  心の中で「イケメンうらやま」を連呼する。 「でも気持ちは嬉しいよ。ありがとう」  鈴音ににこりと笑った一葉が、不意に冬斗の腕を掴んだ。 「え?」  思わず腕を見る。次に見上げると、一葉と目が合った。 「ほら、次はチーム替えだって。男子、集まってるから行こ」  促され、そっちに目を向けると確かに男子たちが集まっていた。 「お、おう」  鈴音の方を振り返ると、茜に励まされるように背中をぽんぽん叩かれていた。     ◆   「……あれ、一葉。買うの?」  体育の授業終わり。  教室に戻る途中にあった自販機の前で、一葉に「ちょっと待ってて」と言われてぼんやり待っていた冬斗は、一葉が自販機に小銭を入れるのを見て思わず声を上げた。 「うん。あ、冬斗もいる?」 「い、いや、俺はいいよ。じゃなくて。自分のあるんじゃなかったの?」  さっきの鈴音とのやりとりを思い出して言うと、一葉はさらりと言った。 「ああ、あれね。嘘だよ」 「えっ」  なんで、という疑問を冬斗から感じ取ったのか、一葉は自販機のボタンを押しながら、なんてことないように言った。 「めんどうだろ。ああいうの」 「めんどう……」  一葉から「めんどう」なんてネガティブな言葉が出てきたので驚いた。今まで、なんというか人間離れしたような存在として見ていたので、ふと人間ぽさを感じる。  (まあ、そうだよな。一葉だって俺と同い年だもんな) 「……俺、人を好きになったことないんだ」 「え……?」  一葉の突然の告白に、冬斗は目を丸くした。 「好きになってくれるのは嬉しいけど、応えられないから。期待させるのも可哀想だろう?」  そう言って、自販機からペットボトルを取り出し、キャップを開けてごくごくと飲む。男らしい喉仏が上下するのを、冬斗はぼんやりと見つめた。 「それに」  ペットボトルから口を離した一葉が、目を伏せた。 「……大事にしたいと思うほど、うまく触れられなくなる気がする」  夜の瞳に寂しさが差し込んだ気がした。  次の瞬間、一葉は切り替えるように苦笑する。 「だから、初恋とかもないんだよね」 「え、そうなの」  一葉はペットボトルに視線を落とした。  少しの沈黙。  一葉がちらりと冬斗に目をやった。 「冬斗は初恋あった?」 「え? う、うん、そりゃね」 「いつ?」  じっと見つめられる。 「い、いつだろう。うーん……小学校三年生くらいの時? 学年で一番可愛かった子が挨拶してくれて」 「……へぇ」  ふと、一葉の声が低くなった気がした。  だけど、その顔はやっぱりやわらかい笑みを浮かべていたから、気のせいかもしれない。  その後、一葉と並んで教室へ戻っていると、不意に一葉がぽつりとつぶやいた。 「恋って、良いものなのかな」  独り言のようにも聞こえたが、冬斗はしばらく考えて、返事をした。 「うーん……お互い、心が通じてれば良いもんなんじゃないかな」  (……やば。ちょっとくさかったかも)  まともな人間関係なんて築けなかった自分が何を言ってるんだろう、と一瞬で恥ずかしさが込み上げてきた。  だけど、一葉の真剣な横顔を見ると、自分もふざけた返事はできない気がした。  冬斗はあの子可愛い、とかは思っても、執着したり、嫉妬に駆られたり、そういう感情とは無縁だった。  だから、そういうのはよくわからない。 「心が通じてれば、か」  一葉が目を伏せる。   「まあ……多分。俺も、ちゃんとした恋愛ってしたことないから、知らないけど」  人を好きになったことがない。そんな心の弱い一部を見せてくれた一葉には、誠意として自分も本音で返すべきだと思った。 「そっか。じゃあ、俺たち、似てるね」 「似てる……のかな? 恐れ多すぎる」 「なんだよ、それ」  そう言って無邪気に笑う一葉は年相応の少年に見えた。  くすぐったさを覚えて、思わず頬が緩む。    ふと、一葉に見下ろされていることに気がついた。  一瞬。  黒い瞳が紫に見えた気がした。 「……っ」  紫の目をした、銀髪の美しい男。    ひやりと背筋が震える。 「――冬斗は、笑ってる方がいいよ」  そう言って笑う一葉。  ハッと我に帰った冬斗は、静かに瞬きをした。  優しい顔。  なのに、なぜか冬斗は返事ができなかった。  

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