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第5話「名前、呼べよ」

 その夜。冬斗はまた夢を見ていた。  雪に濡れた夜の石畳を走る。  吐く息が白い。寒さで鼻先や耳が赤く染まっている。  濡れた藁沓(わらぐつ)が重い。  (────もう、着いてるだろうか)  愛しい男の姿を思い浮かべ、はやる気持ちで足を動かす。  石灯籠(いしどうろう)の明かりを頼りに走る。  雪深い城下町の夜は身を切るように冷える。  やがて、目当ての建物にたどり着いた。  普段は祭事でしか使われない芝居小屋は、静まり返った夜に見ると、少し近寄りがたさがある。    正面入り口ではなく、山側の裏口に回る。小さな木戸は既に開いていて、そっと押すだけで軋んだ音を立てて開く。  細く暗い廊下を、目を凝らしながら手探りで歩く。雪を含んで濡れた藁沓の、重い足音だけが響く。    やがて、木戸に突き当たった。トン、トン、と二回戸を叩く。 「誰だ?」  向こう側から返事があった。 「探し物をお届けに参りました」  そう告げると、静かに戸が開いた。  戸の向こうから、ぼんやりと明かりが見える。  すると、すぐに何者かに体を抱きしめられた。 「遅いぞ」 「ごめんな」  拗ねたような声に少し笑い、恋しい男を見上げた。    ────ぱちっと、火鉢が()ぜる音がする。  薄暗闇の中、ぼんやりと赤く光る木炭を見つめる。  寄せ合った肩から、互いの温もりが伝わってくる。  少し気恥ずかしくて、でも胸があたたかくて、くすぐったい気持ちのまま、そっと隣を見た。  目が合って、床に置いていた手に男の手が重なる。   「今日はどんなことがあった? 教えてくれ」  優しげに細められる目に、自然と笑顔になる。 「雪丸がまた子犬を拾ってきたんだ。それで、父上に見つかって叱られていた。でも、こっそり厩舎(きゅうしゃ)のすみで飼うらしい。はりきって干し魚を台所からくすねていた」  男は面白そうに笑う。   「……それで? どうせ、お前も子犬を触ったんだろ?」  男の指摘に、顔がじわりと赤くなる。 「……少しだけだ」 「やっぱりな」  そう言って低くくつくつと笑う男を見上げる。 「でも、依峰(よりみね)だって、実際に目の前にしたら触るだろう」 「そうかもな」 「ほら」  肩で軽く小突くと、依峰がこっちをじっと見つめてきた。改めて見つめられると気恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまう。 「……正一(しょういち)」  名前を呼ばれて、目を戻す。  依峰の顔が近づいてくる。目を伏せた。    唇が重なる。  柔らかくて、温かい。  やがて依峰の舌先が触れ、正一はおずおずと口を開いた。    依峰の舌が潜り込んできて、途端に口付けが深くなる。握り合った手が、少しだけ熱で湿る気配がした。 「……名前、呼べよ」  口付けの中、ひっそりと囁かれる。正一は熱に浮かされたように、恋人の名前を呼ぶ。 「依峰……、依峰……」  名前を呼ぶと、満足そうに依峰が笑う気配がした。  衣擦れの音。お互いの息と、水音が小さく響く。  どれほどそうしていただろうか。何度も角度を変えて口付けを交わした後、ようやく離れる。  ぼうっとしたまま、依峰の肩にもたれかかって、火鉢を眺める。  火鉢の火は、もう消えそうに弱くなっている。 「……そろそろ、帰らないといけないな」  依峰が呟く。  弱くなった火鉢の灯りにぼんやりと照らされる依峰の横顔は、影に溶けるように暗くなっている。  正一は、静かに目を伏せた。  火鉢の木炭が、サラ、と音を立てて崩れる。  芝居小屋の外では、雪が降り始めた気配がした。     ◆    冬斗は静かに目を覚ました。  暗闇の中、一瞬、火鉢を探す。  無意識に胸を掴むと、(はかま)の硬い布地の感触ではなく、スウェットの柔らかな感触がした。  徐々に、意識がはっきりしてくる。  (夢……)  今度は薄暗い芝居小屋の中にいた。    ────しかも。  (男とチューしてた……)  じわじわと、夢を思い出して恥ずかしくなってくる。  (けっこう、ちゃんとしたやつ)  生々しかった。  夢なのに、唇の感触も、息の熱さも、まだ残っている気がした。    (俺、もしかして男が好きなのか……?)  この間の一葉に似た男といい、今回といい。  十七年生きてきて初めて、自分のことがわからなくなってきた。  (いや、それよりももっと問題なのは……)  『遅いぞ』。  『名前、呼べよ』。  こちらを見つめてくる顔は。 (伊織じゃん……)  よりにもよって。    冬斗は頭をぐしゃぐしゃとかきむしって、勢い良く毛布を頭まで被った。   ◆  その日の朝。  今日も一葉と共に登校して教室に入ると、すぐに肩に腕を回された。 「よう! おはよ、冬斗!」  予想通り、伊織だった。    思わず肩が跳ねる。    伊織は冬斗の肩に腕を置きながら、「なあなあ、昨日のイベントクリアできた?」とゲームの話をふってくる。 「ク、クリアした」 「え!? ガチ? 天才じゃん!」  夢のことを思い出してしまい、うまく伊織の顔が見られない。 「おはよ、伊織」 「お、おはよー。一葉」  にっこりと挨拶をする一葉は、なんとなくだが、少し目が笑っていない気がした。  伊織は冬斗に肩を回したまま、太陽のように明るい笑顔を返す。 「冬斗、苦しそうだから、離してあげなよ」 「え? あ、わり」  一葉に言われ、伊織は素直に腕を外した。  一葉がにっこりと笑って、冬斗に話しかける。 「冬斗、数学の課題、やってきた?」 「やったけど、あんまりわかんなくて……」 「それなら、一限に数学あるし、今教えてあげるよ」 「え? あ、ありがと」  一葉に促され、自席に着く。  隣に座った一葉は、冬斗の机へ自分の机を寄せ、ノートを開いた。美しい筆致で整然とまとめられていて、とても見やすい。 「あっ、ずりい! 一葉、俺も!」 「自分でやった方が覚えるよ、伊織」 「え、冬斗と対応違くね?」 「同じなわけないだろ?」 「なんでだよ!」  一葉と伊織のやりとりは軽快で、まるでコントのようだ。  だけど、冬斗はまだ動揺が抜けきれず、うまく笑えなかった。 「一葉は冬斗にだけ甘いよなぁ」  むくれる伊織は、夢で見た陰のある『依峰』とは違って明るい。  それでも、伊織の唇をいつのまにか見てしまって、そのたびに冬斗は何度も視線をそこから剥がす。 「……ん? 俺、なんか口についてる?」 「い、いや! なんも」  伊織はきょとんとして、「朝食った海苔かな」と唇をごしごしと擦る。  そわそわと落ち着かない冬斗は、じっと夜の瞳に見つめられているのに、気が付かなかった。  

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