6 / 61
第5話「名前、呼べよ」
その夜。冬斗はまた夢を見ていた。
雪に濡れた夜の石畳を走る。
吐く息が白い。寒さで鼻先や耳が赤く染まっている。
濡れた藁沓 が重い。
(────もう、着いてるだろうか)
愛しい男の姿を思い浮かべ、はやる気持ちで足を動かす。
石灯籠 の明かりを頼りに走る。
雪深い城下町の夜は身を切るように冷える。
やがて、目当ての建物にたどり着いた。
普段は祭事でしか使われない芝居小屋は、静まり返った夜に見ると、少し近寄りがたさがある。
正面入り口ではなく、山側の裏口に回る。小さな木戸は既に開いていて、そっと押すだけで軋んだ音を立てて開く。
細く暗い廊下を、目を凝らしながら手探りで歩く。雪を含んで濡れた藁沓の、重い足音だけが響く。
やがて、木戸に突き当たった。トン、トン、と二回戸を叩く。
「誰だ?」
向こう側から返事があった。
「探し物をお届けに参りました」
そう告げると、静かに戸が開いた。
戸の向こうから、ぼんやりと明かりが見える。
すると、すぐに何者かに体を抱きしめられた。
「遅いぞ」
「ごめんな」
拗ねたような声に少し笑い、恋しい男を見上げた。
────ぱちっと、火鉢が爆 ぜる音がする。
薄暗闇の中、ぼんやりと赤く光る木炭を見つめる。
寄せ合った肩から、互いの温もりが伝わってくる。
少し気恥ずかしくて、でも胸があたたかくて、くすぐったい気持ちのまま、そっと隣を見た。
目が合って、床に置いていた手に男の手が重なる。
「今日はどんなことがあった? 教えてくれ」
優しげに細められる目に、自然と笑顔になる。
「雪丸がまた子犬を拾ってきたんだ。それで、父上に見つかって叱られていた。でも、こっそり厩舎 のすみで飼うらしい。はりきって干し魚を台所からくすねていた」
男は面白そうに笑う。
「……それで? どうせ、お前も子犬を触ったんだろ?」
男の指摘に、顔がじわりと赤くなる。
「……少しだけだ」
「やっぱりな」
そう言って低くくつくつと笑う男を見上げる。
「でも、依峰 だって、実際に目の前にしたら触るだろう」
「そうかもな」
「ほら」
肩で軽く小突くと、依峰がこっちをじっと見つめてきた。改めて見つめられると気恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまう。
「……正一 」
名前を呼ばれて、目を戻す。
依峰の顔が近づいてくる。目を伏せた。
唇が重なる。
柔らかくて、温かい。
やがて依峰の舌先が触れ、正一はおずおずと口を開いた。
依峰の舌が潜り込んできて、途端に口付けが深くなる。握り合った手が、少しだけ熱で湿る気配がした。
「……名前、呼べよ」
口付けの中、ひっそりと囁かれる。正一は熱に浮かされたように、恋人の名前を呼ぶ。
「依峰……、依峰……」
名前を呼ぶと、満足そうに依峰が笑う気配がした。
衣擦れの音。お互いの息と、水音が小さく響く。
どれほどそうしていただろうか。何度も角度を変えて口付けを交わした後、ようやく離れる。
ぼうっとしたまま、依峰の肩にもたれかかって、火鉢を眺める。
火鉢の火は、もう消えそうに弱くなっている。
「……そろそろ、帰らないといけないな」
依峰が呟く。
弱くなった火鉢の灯りにぼんやりと照らされる依峰の横顔は、影に溶けるように暗くなっている。
正一は、静かに目を伏せた。
火鉢の木炭が、サラ、と音を立てて崩れる。
芝居小屋の外では、雪が降り始めた気配がした。
◆
冬斗は静かに目を覚ました。
暗闇の中、一瞬、火鉢を探す。
無意識に胸を掴むと、袴 の硬い布地の感触ではなく、スウェットの柔らかな感触がした。
徐々に、意識がはっきりしてくる。
(夢……)
今度は薄暗い芝居小屋の中にいた。
────しかも。
(男とチューしてた……)
じわじわと、夢を思い出して恥ずかしくなってくる。
(けっこう、ちゃんとしたやつ)
生々しかった。
夢なのに、唇の感触も、息の熱さも、まだ残っている気がした。
(俺、もしかして男が好きなのか……?)
この間の一葉に似た男といい、今回といい。
十七年生きてきて初めて、自分のことがわからなくなってきた。
(いや、それよりももっと問題なのは……)
『遅いぞ』。
『名前、呼べよ』。
こちらを見つめてくる顔は。
(伊織じゃん……)
よりにもよって。
冬斗は頭をぐしゃぐしゃとかきむしって、勢い良く毛布を頭まで被った。
◆
その日の朝。
今日も一葉と共に登校して教室に入ると、すぐに肩に腕を回された。
「よう! おはよ、冬斗!」
予想通り、伊織だった。
思わず肩が跳ねる。
伊織は冬斗の肩に腕を置きながら、「なあなあ、昨日のイベントクリアできた?」とゲームの話をふってくる。
「ク、クリアした」
「え!? ガチ? 天才じゃん!」
夢のことを思い出してしまい、うまく伊織の顔が見られない。
「おはよ、伊織」
「お、おはよー。一葉」
にっこりと挨拶をする一葉は、なんとなくだが、少し目が笑っていない気がした。
伊織は冬斗に肩を回したまま、太陽のように明るい笑顔を返す。
「冬斗、苦しそうだから、離してあげなよ」
「え? あ、わり」
一葉に言われ、伊織は素直に腕を外した。
一葉がにっこりと笑って、冬斗に話しかける。
「冬斗、数学の課題、やってきた?」
「やったけど、あんまりわかんなくて……」
「それなら、一限に数学あるし、今教えてあげるよ」
「え? あ、ありがと」
一葉に促され、自席に着く。
隣に座った一葉は、冬斗の机へ自分の机を寄せ、ノートを開いた。美しい筆致で整然とまとめられていて、とても見やすい。
「あっ、ずりい! 一葉、俺も!」
「自分でやった方が覚えるよ、伊織」
「え、冬斗と対応違くね?」
「同じなわけないだろ?」
「なんでだよ!」
一葉と伊織のやりとりは軽快で、まるでコントのようだ。
だけど、冬斗はまだ動揺が抜けきれず、うまく笑えなかった。
「一葉は冬斗にだけ甘いよなぁ」
むくれる伊織は、夢で見た陰のある『依峰』とは違って明るい。
それでも、伊織の唇をいつのまにか見てしまって、そのたびに冬斗は何度も視線をそこから剥がす。
「……ん? 俺、なんか口についてる?」
「い、いや! なんも」
伊織はきょとんとして、「朝食った海苔かな」と唇をごしごしと擦る。
そわそわと落ち着かない冬斗は、じっと夜の瞳に見つめられているのに、気が付かなかった。
ともだちにシェアしよう!

