7 / 41

第6話「名前、呼べよ」

 その夜。冬斗はまた夢を見ていた。  雪に濡れた夜の石畳を走る。雪を含んだ藁靴が重い。着物が重く、吐く息が白い。  (────もう、着いてるだろうか)  愛しい男の姿を思い浮かべ、はやる気持ちで足を動かす。  急いで走るが、いかんせん普段から鍛えていないためか、体力がない。ぜぇぜぇと喘ぎながら、石灯籠(いしどうろう)と行燈の明かりを頼りに、石畳の上を走る。  木廊下の屋根で舞い降りてくる雪は防げるとはいえ、やっぱり雪深いこの城下町は、夜はかなり冷え込む。    夜道を歩いている町民の姿はまばらで、時折酔っ払いの声が夜風に紛れて聞こえてくる。  普段ならもう寝ている時間だが、眠気はなく、むしろ気持ちは高揚していた。  やがて、目当ての建物にたどり着く。普段は祭事でしか使われない芝居小屋は、静まり返った夜に見ると、少し近寄りがたさがあった。    正面入り口ではなく、山側の裏口に回る。小さな木戸は既に開いていて、そっと押すだけで軋んだ音を立てて開く。  細く暗い廊下を、目を凝らしながら手探りで歩く。雪を含んで濡れた藁履の、重い足音だけが響く。  やがて、木戸に突き当たった。トン、トン、と二回戸を叩く。 「誰だ?」  向こう側から返事があった。 「探し物をお届けに参りました」  そう告げると、静かに戸が開いた。  戸の向こうから、ぼんやりと明かりが見える。  すると、すぐに何者かに体を抱きしめられた。 「遅いぞ」 「ごめんな」  拗ねたような声に少し笑い、恋しい男を見上げた。 「会いたかった」  そう言って笑う。男の口元も弧を描いた。    ────ぱちっと、火鉢が()ぜる音がする。  薄暗闇の中、ぼんやりと赤く光る木炭を見つめる。  寄せ合った肩から、互いの温もりが伝わってくる。  少し気恥ずかしくて、でも胸があたたかくて、そっと隣を見た。目が合って、床に置いていた手に男の手が重なった。   「今日はどんなことがあった? 教えてくれ」  優しげに細められる目に、自然とこっちも笑顔になる。 「雪丸が、また子犬を拾ってきたんだ。それで、父上に見つかって叱られていた。でも、こっそり厩舎(きゅうしゃ)のすみで飼うらしい。はりきって干し魚を台所からくすねていた」  男は面白そうに笑う。   「雪丸は本当に話題に事欠かないな……。それで? どうせ、お前も子犬を触ったんだろ?」  男の指摘に、顔がじわりと赤くなる。 「……少しだけだ」 「やっぱりな」  そう言って低くくつくつと笑う男を見上げる。 「でも、依峰(よりみね)だって、実際に目の前にしたら触るだろう」 「そうかもな」 「ほら」  肩で軽く小突くと、依峰がこっちをじっと見つめてきた。改めて見つめられると気恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまう。 「……正一(しょういち)」  名前を呼ばれて、目を戻す。依峰の意志の強い目に見つめられて、心臓が跳ねた。  依峰の顔が近づいてくる。目を伏せた。  柔らかくて、温かい。  依峰の舌が潜り込んできて、正一はおずおずと口を開けた。  途端に、口付けが深くなる。握り合った手が、少しだけ熱で湿る気配がした。 「……名前、呼べよ」  口付けの中、ひっそりと囁かれる。正一はうっとりと、恋人の名前を呼ぶ。 「依峰……、依峰……」  名前を呼ぶと、満足そうに依峰が笑う気配がした。衣擦れの音。お互いの息と、水音が小さく響く。  どれほどそうしていただろうか。何度も角度を変えて口付けを交わした後、ようやく離れる。  ぼうっとしたまま、依峰の肩にもたれかかって、火鉢を眺める。  火鉢の火は、もう消えそうに弱くなっている。 「……そろそろ、帰らないといけないな」  依峰が呟く。正一は、静かに目を伏せた。  火鉢の木炭が、サラ、と音を立てて崩れる。  芝居小屋の外では、雪が降り始めた気配がした。   ◆  冬斗は静かに目を覚ました。  暗闇の中、一瞬、火鉢を探す。  無意識に胸を掴むと、(はかま)(おり)の感触ではなく、スウェットの柔らかな感触がした。  徐々に、意識がはっきりしてくる。  (また、夢……)  今度は広い和室ではなくて、薄暗い芝居小屋の中にいた。  ────しかも。  (男とチューしてた……)  じわじわと、夢を思い出して恥ずかしくなってくる。  (しかもけっこうちゃんとしたやつ)  生々しかった。童貞だというのに、めちゃくちゃ生々しくリアルなキスシーンの夢を見た。しかも、キスしてるところを見てるとかじゃない。自分の視点で、キスをしていた。それも夢中になって。  (あれ? 俺、マジでゲイ……?)  この間の一葉に似た男といい、今回といい。  十七年生きてきて初めて自分のことがわからなくなってきた。  (いや、それよりももっと問題なのは……)  『遅いぞ』。  『名前、呼べよ』。  そして、こっちを見つめてくる顔。 (────あれ、伊織じゃん……)  冬斗は頭をぐしゃぐしゃとかきむしって、勢い良く毛布を頭まで被った。  カーテンの隙間から、少しずつ朝日が差し込んでくる気配がする。  ちらっと窓の外を見ると、やっぱり雪が降り始めていた。     ◆  その日の朝。今日も一葉と共に登校して教室に入ると、すぐに肩に腕を回された。 「よう! おはよ、冬斗!」  予想通り、伊織だった。  大きく肩が跳ねる。  伊織は冬斗の肩に腕を置きながら、「なあなあ、昨日のイベントクリアできたー?」とゲームの話をふってくる。 「ク、クリアした」 「え!? ガチ? 天才じゃん!」  夢のことを思い出してしまい、うまく伊織の顔が見られない。無意識に唇を意識してしまっている自分がいて、冬斗はそんな自分に焦った。 「おはよ、伊織」 「お、おはよー。一葉」  にっこりと挨拶をする一葉は、なんとなくだが、少し目が笑っていない気がした。冬斗に肩を回したまま、伊織は太陽のように明るい笑顔を返す。 「冬斗、苦しそうだから、離してあげなよ」 「え? あ、わり」  別にそんなことはなかったのだが、一葉に言われて伊織は肩から腕を外す。 「冬斗、数学の課題、やってきた?」 「やったけど、あんまりわかんなくて……」 「それなら、数学一限にあるし、今教えてあげるよ」 「え? あ、ありがと」  一葉に促され、自席に着く。隣の席に座った一葉は、冬斗の机に自分の机を合わせて、自分のノートを取り出した。美しい筆跡で綺麗にまとめられているノートはとても見やすい。 「あっ、ずりい! 一葉、俺にも見して」 「自分でやった方が覚えるよ、伊織」 「え、冬斗と対応違くね?」 「同じなわけないだろ?」 「なんでだよ!」  コントのような一葉と伊織のやりとりがおかしい。ただ、冬斗はまだ動揺が抜けきれず、うまく笑えなかった。 「一葉は冬斗にだけ甘いよなぁ」  むくれる伊織は、夢で見た陰のある『依峰』とは違って明るい。  それでも、そんな伊織の唇をいつのまにか見てしまって、そのたびに冬斗は何度も視線をそこから剥がす。 「……ん? 俺、なんか口についてる?」 「い、いや! なんもついてねえよ」  伊織はきょとんとして、「朝食った海苔かな」と唇をごしごしと擦る。  そわそわと落ち着かない冬斗は、じっと夜の瞳に見つめられているのに、気が付かなかった。  

ともだちにシェアしよう!