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第6話「名前、呼べよ」
その夜。冬斗はまた夢を見ていた。
雪に濡れた夜の石畳を走る。雪を含んだ藁靴が重い。着物が重く、吐く息が白い。
(────もう、着いてるだろうか)
愛しい男の姿を思い浮かべ、はやる気持ちで足を動かす。
急いで走るが、いかんせん普段から鍛えていないためか、体力がない。ぜぇぜぇと喘ぎながら、石灯籠 と行燈の明かりを頼りに、石畳の上を走る。
木廊下の屋根で舞い降りてくる雪は防げるとはいえ、やっぱり雪深いこの城下町は、夜はかなり冷え込む。
夜道を歩いている町民の姿はまばらで、時折酔っ払いの声が夜風に紛れて聞こえてくる。
普段ならもう寝ている時間だが、眠気はなく、むしろ気持ちは高揚していた。
やがて、目当ての建物にたどり着く。普段は祭事でしか使われない芝居小屋は、静まり返った夜に見ると、少し近寄りがたさがあった。
正面入り口ではなく、山側の裏口に回る。小さな木戸は既に開いていて、そっと押すだけで軋んだ音を立てて開く。
細く暗い廊下を、目を凝らしながら手探りで歩く。雪を含んで濡れた藁履の、重い足音だけが響く。
やがて、木戸に突き当たった。トン、トン、と二回戸を叩く。
「誰だ?」
向こう側から返事があった。
「探し物をお届けに参りました」
そう告げると、静かに戸が開いた。
戸の向こうから、ぼんやりと明かりが見える。
すると、すぐに何者かに体を抱きしめられた。
「遅いぞ」
「ごめんな」
拗ねたような声に少し笑い、恋しい男を見上げた。
「会いたかった」
そう言って笑う。男の口元も弧を描いた。
────ぱちっと、火鉢が爆 ぜる音がする。
薄暗闇の中、ぼんやりと赤く光る木炭を見つめる。
寄せ合った肩から、互いの温もりが伝わってくる。
少し気恥ずかしくて、でも胸があたたかくて、そっと隣を見た。目が合って、床に置いていた手に男の手が重なった。
「今日はどんなことがあった? 教えてくれ」
優しげに細められる目に、自然とこっちも笑顔になる。
「雪丸が、また子犬を拾ってきたんだ。それで、父上に見つかって叱られていた。でも、こっそり厩舎 のすみで飼うらしい。はりきって干し魚を台所からくすねていた」
男は面白そうに笑う。
「雪丸は本当に話題に事欠かないな……。それで? どうせ、お前も子犬を触ったんだろ?」
男の指摘に、顔がじわりと赤くなる。
「……少しだけだ」
「やっぱりな」
そう言って低くくつくつと笑う男を見上げる。
「でも、依峰 だって、実際に目の前にしたら触るだろう」
「そうかもな」
「ほら」
肩で軽く小突くと、依峰がこっちをじっと見つめてきた。改めて見つめられると気恥ずかしくて、つい目を逸らしてしまう。
「……正一 」
名前を呼ばれて、目を戻す。依峰の意志の強い目に見つめられて、心臓が跳ねた。
依峰の顔が近づいてくる。目を伏せた。
柔らかくて、温かい。
依峰の舌が潜り込んできて、正一はおずおずと口を開けた。
途端に、口付けが深くなる。握り合った手が、少しだけ熱で湿る気配がした。
「……名前、呼べよ」
口付けの中、ひっそりと囁かれる。正一はうっとりと、恋人の名前を呼ぶ。
「依峰……、依峰……」
名前を呼ぶと、満足そうに依峰が笑う気配がした。衣擦れの音。お互いの息と、水音が小さく響く。
どれほどそうしていただろうか。何度も角度を変えて口付けを交わした後、ようやく離れる。
ぼうっとしたまま、依峰の肩にもたれかかって、火鉢を眺める。
火鉢の火は、もう消えそうに弱くなっている。
「……そろそろ、帰らないといけないな」
依峰が呟く。正一は、静かに目を伏せた。
火鉢の木炭が、サラ、と音を立てて崩れる。
芝居小屋の外では、雪が降り始めた気配がした。
◆
冬斗は静かに目を覚ました。
暗闇の中、一瞬、火鉢を探す。
無意識に胸を掴むと、袴 の織 の感触ではなく、スウェットの柔らかな感触がした。
徐々に、意識がはっきりしてくる。
(また、夢……)
今度は広い和室ではなくて、薄暗い芝居小屋の中にいた。
────しかも。
(男とチューしてた……)
じわじわと、夢を思い出して恥ずかしくなってくる。
(しかもけっこうちゃんとしたやつ)
生々しかった。童貞だというのに、めちゃくちゃ生々しくリアルなキスシーンの夢を見た。しかも、キスしてるところを見てるとかじゃない。自分の視点で、キスをしていた。それも夢中になって。
(あれ? 俺、マジでゲイ……?)
この間の一葉に似た男といい、今回といい。
十七年生きてきて初めて自分のことがわからなくなってきた。
(いや、それよりももっと問題なのは……)
『遅いぞ』。
『名前、呼べよ』。
そして、こっちを見つめてくる顔。
(────あれ、伊織じゃん……)
冬斗は頭をぐしゃぐしゃとかきむしって、勢い良く毛布を頭まで被った。
カーテンの隙間から、少しずつ朝日が差し込んでくる気配がする。
ちらっと窓の外を見ると、やっぱり雪が降り始めていた。
◆
その日の朝。今日も一葉と共に登校して教室に入ると、すぐに肩に腕を回された。
「よう! おはよ、冬斗!」
予想通り、伊織だった。
大きく肩が跳ねる。
伊織は冬斗の肩に腕を置きながら、「なあなあ、昨日のイベントクリアできたー?」とゲームの話をふってくる。
「ク、クリアした」
「え!? ガチ? 天才じゃん!」
夢のことを思い出してしまい、うまく伊織の顔が見られない。無意識に唇を意識してしまっている自分がいて、冬斗はそんな自分に焦った。
「おはよ、伊織」
「お、おはよー。一葉」
にっこりと挨拶をする一葉は、なんとなくだが、少し目が笑っていない気がした。冬斗に肩を回したまま、伊織は太陽のように明るい笑顔を返す。
「冬斗、苦しそうだから、離してあげなよ」
「え? あ、わり」
別にそんなことはなかったのだが、一葉に言われて伊織は肩から腕を外す。
「冬斗、数学の課題、やってきた?」
「やったけど、あんまりわかんなくて……」
「それなら、数学一限にあるし、今教えてあげるよ」
「え? あ、ありがと」
一葉に促され、自席に着く。隣の席に座った一葉は、冬斗の机に自分の机を合わせて、自分のノートを取り出した。美しい筆跡で綺麗にまとめられているノートはとても見やすい。
「あっ、ずりい! 一葉、俺にも見して」
「自分でやった方が覚えるよ、伊織」
「え、冬斗と対応違くね?」
「同じなわけないだろ?」
「なんでだよ!」
コントのような一葉と伊織のやりとりがおかしい。ただ、冬斗はまだ動揺が抜けきれず、うまく笑えなかった。
「一葉は冬斗にだけ甘いよなぁ」
むくれる伊織は、夢で見た陰のある『依峰』とは違って明るい。
それでも、そんな伊織の唇をいつのまにか見てしまって、そのたびに冬斗は何度も視線をそこから剥がす。
「……ん? 俺、なんか口についてる?」
「い、いや! なんもついてねえよ」
伊織はきょとんとして、「朝食った海苔かな」と唇をごしごしと擦る。
そわそわと落ち着かない冬斗は、じっと夜の瞳に見つめられているのに、気が付かなかった。
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