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第7話「気のせいじゃない」
「あ、そうだ、冬斗も来る?」
放課後。いつも通り帰ろうとして教室のドアをくぐろうとした時、茜に呼び止められた。
「え、あ、な、何が?」
思わず動揺すると、茜の後ろから机に座った伊織が顔を出した。
「いや、お前が誘うんかい。いや、誘おうと思ってたけどさ」
茜にツッコミを入れる伊織。何の話かわからず首を傾げる。
「あのさ、冬斗。この後、俺んちで集まろうってなってんだけど、冬斗も来る?」
「えっ」
目を丸くした。伊織と茜を交互に見る。二人はいたって普通に、「じゃあ、鈴音も誘おうかな」「いやだからお前が誘うんかい」と会話を続けている。特別なことでもなんでもないように。
喉から変な音が出た。
「い、いいの……?」
おそるおそる伊織をうかがうと、伊織が首を傾げた。
「何遠慮してんだよ。てか、来いよ」
「あ、う、うん……!」
小さく何度も頷いた。そわそわして、何度も髪の毛を触る。
「あ、じゃあ俺もお邪魔しようかな」
隣から一葉の声が降ってきた。一葉を見上げると、伊織の驚いた声がした。
「え!? か、一葉、来んの!?」
「えっ」
伊織と一緒に、茜も驚いている。なんでそんなに驚いているのかと不思議に思って首を傾げる。
一葉がきょとんとした。
「え、ダメ?」
「いやいやいや。ダメじゃねえけどよ。初めてだったからさ。一葉が誘いに乗るの」
「て、てか誘う前だったね……」
伊織が驚愕の顔で一葉を見つめて、茜が目をぱちくりさせる。
どうやら一葉が伊織の家に行くのは初めてらしい。一葉は少し考えるように首を傾げる。
「そうだったっけ?」
「そうだよ! ……一葉、冬斗来てから変わったよなぁ」
「本当に。なんか、一葉って誰にでも優しいけど、誰とも一緒にいない感じだったのに」
「そうかなぁ」
一葉はぴんときていないような顔をしている。
「人って、変わるもんなんだなぁ。……あ、じゃあ、メンツこれで決まったか?」
「うん。そうね。鈴音ー、こっちおいで」
茜が鈴音を呼び、小走りで鈴音がやってくる。
(え、マジ?)
美男美女の集団に、一気に冷や汗をかきそうになる。自分だけ明らかに浮いていて、本当に良いのかと不安になった。
みんなが話しながら教室を出ていく。
「じゃ、行こうか、冬斗」
一葉にうながされて、冬斗は勇気を出して一歩踏み出した。
◆
(き、来てしまった……)
靴がたくさん並んでいる広い玄関を見て、冬斗はごくりと唾を飲んだ。
目の前で鈴音がマフラーを外し、コートと一緒にハンガーに掛けている。ブーツをもたつきながら脱ぐが、少しよろけて冬斗に肩が当たった。
「あ、ごめんなさい」
「あ、いや、……」
潰れたカエルのような声が出る。鈴音は「やだもー」と言いながら恥ずかしそうにして、玄関へ上がっていった。
玄関の向こうはすでににぎやかな気配がしている。伊織と茜はもう先に入っていて、あとは冬斗と一葉だけだ。
「おう、あがれあがれー」
襖から顔を出した伊織の声に、ぎこちなく頷いてマフラーを外して、コートを脱ぐ。とりあえず、ここにかければ良いのだろうかと、雪を払っておずおずとコートハンガーに掛けた。
靴を脱ごうとするが、なかなかうまくいかない。苦戦していると、白い指が冬斗の手元に掛けられた。
「手伝うよ」
どきりとする。一葉が長い指で器用に靴紐を解いていくのを、息を止めて見つめた。そばに感じる体温に顔が熱くなる。
「はい」
「あ、ありがと……」
あっという間に解けた靴紐に小さくお礼を言うと、一葉は冬斗を見下ろして優しい顔で笑った。
心が落ち着かないまま、一葉のおかげで脱ぎやすくなった靴を脱ぐ。
脱いだ靴をどこに置いたら良いのかわからない。とりあえず隅の方に揃えて置いて、そろりと玄関の床板につま先を乗せた。
ギシ、と床板がきしむ。冬斗はおずおずと廊下を進んだ。
「みつちゃん、ジュースとって良い?」
「あ、その手前のオレンジからね」
「はあい」
「美津子 さん、お邪魔します」
「はいはいどうぞ」
居間に入ると、茜がキッチンで冷蔵庫を開けて、鈴音がコートを脱いでいた。
美津子さん、と鈴音に呼ばれていたキッチンのカウンターに立つ女性と目が合う。
「あら! いらっしゃい。冬斗くんね? 寒いところ来てくれてありがとうねぇ。早くこたつ入ってあったまりな」
朗らかに笑う顔は、どことなく伊織に目元が似ている。今でも十分綺麗だが、若い頃は美人だったのが雰囲気でわかった。
「お、お邪魔します……」
小さくお辞儀をして、とりあえずこたつの近くにいく。
「お邪魔します」
冬斗の後ろから、一葉が居間に入ってきた。
「はいはい。……あら!」
一葉を見た美津子さんが、目を丸くして手を止めた。
「一葉くん」
驚いた顔をする美津子さんに一葉が会釈をする。美津子さんはしばらく固まっていたが、やがて慌てたように伊織を呼んだ。
「ちょっと、伊織。一葉くんがくるなら早く言いなさいよ。何にもお出しできないじゃない」
「えー? 別に良いじゃん」
「もう。……ごめんなさいね。何にもできないけど、ゆっくりしていって」
「ええ。ありがとうございます」
微笑む一葉に、美津子さんはほっとしたように肩の力を抜く。
(やっぱ、一葉は特別扱いされてんだなあ)
不思議に思いながらそのようすを見ていると、伊織が前を横切っていった。
「腹減ったー」
「伊織! あんた自分のことばっかりで……。茜を見習いなさい」
冷蔵庫を開けて物色し始める伊織を、美津子さんがたしなめる。茜は木目の食器棚からコップを出していた。
冬斗はどうしたら良いかわからず、所在なげにそわそわとした。
「あ、こっち、座ってください」
こたつに入った鈴音が、ぽんぽんと座布団を叩く。その目は一葉しか見えていないようだったが、一葉に「座ろうか」とうながされて、冬斗もいそいそとこたつに足を入れる。
(あったかい……)
テレビの音。食器棚をかちゃかちゃと触る音。まな板をトントンと包丁が叩く音。にぎやかな話し声。
不意につんと、鼻の奥が痛くなって、冬斗は口を引き結んだ。
なんともいえない気持ちになっていると、茜がトレイを持ってきた。
「はい」
「あ、ありがと」
コップに入ったオレンジジュースが目の前に置かれる。
「あと、これ、よかったら食べて」
美津子さんが皿に盛られた剝きりんごをテーブルに置く。
「わ、ありがとうございます」
鈴音が嬉しそうにお礼を言って、人数分刺さっている爪楊枝に手を伸ばす。
「いただきます」
一葉もそう言って、りんごを口に運ぶ。ただ食べているだけなのに、その姿はやけに様になっている。
その姿をぼーっと鈴音が見つめているのに気がついて、なぜか胸がざわついた。
「もっと詰めろよー」
隣に伊織が座ってくる。肩が触れて、びくりと体が震えた。
『……正一』
脳裏に、赤い木炭と低い声がちらついた。
途端に体温が上がる。
「ち、ちけえよ」
思わずぐい、と伊織の体を押し返すと、伊織が口を尖らせた。
「しょうがないだろ。人数多いんだから。あ、てかさ、新しいガチャ回した? 俺、今から回すんだけど、一緒にやんね?」
肩に腕を置かれて、ぎょっとして伊織を見る。
至近距離で見るその横顔に、もう一つの輪郭が重なる。
『名前、呼べよ』
薄暗い芝居小屋。
漏れた吐息の熱さ。
肩越しに感じる体温が、夢の中のぬくもりと重なる。
夢に引っ張られそうになって、冬斗は大きな声を出した。
「や、やっぱ近い! 暑苦しい! 俺、あっち座る」
たまらずこたつから抜け出すと、伊織がむくれたように不満げな声を上げた。
「えー? なんだよ、別に良いじゃん〜」
「よくねえ!」
一生懸命気持ちを整える。ふと、視線を感じた。
「……っ」
一葉がこっちを見ていた。
いつもの優しい顔じゃない。
氷みたいな冷たい目で、顔は能面のように無表情だった。
呼吸が止まった。
「じゃあ、冬斗、こっち座る? こっちの方が広いし」
ぱっと表情が変わって、やわらかく一葉が笑う。
一瞬、返事ができなかった。
「あ、う、うん……」
ようやく小さく返事をして、ふらふらと一葉の方へ行く。まるで、意思とは関係なく足が動いているような、不思議な感覚だった。
『お前は……温かいな』
脳裏に銀の髪と、紫の瞳が浮かぶ。
冷たい体と、冷たい表情。
(気のせいじゃ、ない)
────あの男は、一葉だ。
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