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第8話「気のせいじゃない」
冬斗は静かに目を覚ました。
暗闇の中、一瞬、火鉢を探す。
無意識に胸を掴むと、袴の織の感触ではなく、スウェットの柔らかな感触がした。
徐々に、意識がはっきりしてくる。
(また、夢か……)
また、あの芝居小屋にいる夢だった。今度は戸を開けるまでじゃなくて、小屋の中にいた。
――しかも。
(男とチューしてた……)
じわじわと、夢を思い出して恥ずかしくなってくる。
(しかもけっこうちゃんとしたやつ)
生々しかった。童貞だというのに、めちゃくちゃ生々しくリアルなキスシーンの夢を見た。しかも、キスしてるところを見てるとかじゃない。自分の視点で、キスをしていた。それも夢中になって。
(あれ? 俺、マジでゲイ……?)
十七年生きてきて初めて自分のことがわからなくなってきた。
(いや、それよりももっと問題なのは……)
『遅いぞ』
『名前、呼べよ』
そして、こっちを見つめてくる顔。
(やっぱ、伊織じゃん)
冬斗は大きくため息をついて、毛布を頭まで被った。
カーテンの隙間から、少しずつ朝日が差し込んでくる気配がする。
ちらっと窓の外を見ると、やっぱり雪が降り始めていた。
◆
「あ、そうだ、冬斗も来る?」
放課後。いつも通り帰ろうとして教室のドアをくぐろうとした時、茜に呼び止められた。
「え、あ、な、何が?」
思わず動揺すると、茜の後ろから机に座った伊織が顔を出した。
「いや、お前が誘うんかい。いや、誘おうと思ってたけどさ」
茜にツッコミを入れる伊織。何の話かわからず首を傾げる。
「あのさ、冬斗。この後、俺んちで集まろうってなってんだけど、冬斗も来る?」
「えっ」
目を丸くした。伊織と茜を交互に見る。二人はいたって普通に、「じゃあ、鈴音も誘おうかな」「いやだからお前が誘うんかい」と会話を続けている。特別なことでもなんでもないように。
喉から変な音が出た。
「い、いいの……?」
おそるおそる伊織をうかがうと、伊織が首を傾げた。
「何遠慮してんだよ。てか、来いよ」
「あ、う、うん……!」
小さく何度も頷いた。そわそわして、何度も髪の毛を触る。
「あ、じゃあ俺もお邪魔しようかな」
隣から一葉の声が降ってきた。一葉を見上げると、伊織の驚いた声がした。
「え!? か、一葉、来んの!?」
「えっ」
伊織と一緒に、茜も驚いている。なんでそんなに驚いているのかと不思議に思って首を傾げる。
「え、ダメ?」
「いやいやいや。ダメじゃねえけどよ。初めてだったからさ。一葉が誘いに乗るの」
「て、てか誘う前だったね……」
伊織が驚愕の顔で一葉を見つめて、茜が目をぱちくりさせる。
どうやら一葉が伊織の家に行くのは初めてらしい。
「そうだったっけ?」
「そうだよ! ……一葉、やっぱ冬斗来てからだいぶ変わったよなぁ」
「本当に。なんか、一葉って誰にでも優しいけど、誰とも一緒にいない感じだったのに」
「そうかなぁ」
一葉はぴんときていないような顔をしている。
「人って、変わるもんなんだなぁ。……あ、じゃあ、メンツこれで決まったか?」
「うん。そうね。鈴音ー、こっちおいで」
茜が鈴音を呼び、小走りで鈴音がやってくる。
(え、マジ?)
美男美女の集団に、一気に冷や汗をかきそうになる。自分だけ明らかに浮いていて、本当に良いのかと不安になった。
みんなが話しながら教室を出ていく。
「じゃ、行こうか、冬斗」
一葉にうながされて、冬斗は勇気を出して一歩踏み出した。
◆
(き、来てしまった……)
靴がたくさん並んでいる広い玄関を見て、冬斗はごくりと唾を飲んだ。
目の前で鈴音がマフラーを外し、コートと一緒にハンガーに掛けている。ブーツをもたつきながら脱ぐが、少しよろけて冬斗に肩が当たった。
「あ、ごめんなさい」
「あ、いや、……」
潰れたカエルのような声が出る。鈴音は「やだもー」と言いながら恥ずかしそうにして、玄関へ上がっていった。
玄関の向こうはすでににぎやかな気配がしている。伊織と茜はもう先に入っていて、あとは冬斗と一葉だけだ。
「おう、あがれあがれー」
襖から顔を出した伊織の声に、ぎこちなく頷いてマフラーを外して、コートを脱ぐ。とりあえず、ここにかければ良いのだろうかと、雪を払っておずおずとコートハンガーに掛けた。
靴を脱ごうとするが、なかなかうまくいかない。苦戦していると、白い指が冬斗の手元に掛けられた。
「手伝うよ」
どきりとする。一葉が長い指で器用に靴紐を解いていくのを、息を止めて見つめた。そばに感じる体温に顔が熱くなる。
「はい」
「あ、ありがと……」
あっという間に解けた靴紐に小さくお礼を言うと、一葉は冬斗を見下ろして優しい顔で笑った。
心が落ち着かないまま、一葉のおかげで脱ぎやすくなった靴を脱ぐ。
脱いだ靴をどこに置いたら良いのかわからない。とりあえず隅の方に揃えて置いて、そろりと玄関の床板につま先を乗せた。
ギシ、と床板がきしむ。冬斗はおずおずと廊下を進んだ。
「みつちゃん、ジュースとって良い?」
「あ、その手前のオレンジからね」
「はあい」
「美津子さん、お邪魔します」
「はいはいどうぞ」
居間に入ると、茜がキッチンで冷蔵庫を開けて、鈴音がコートを脱いでいた。
美津子さん、と鈴音に呼ばれていたキッチンのカウンターに立つ女性と目が合う。
「あら! いらっしゃい。冬斗くんね? 寒いところ来てくれてありがとうねぇ。早くこたつ入ってあったまりな」
朗らかに笑う顔は、どことなく伊織に目元が似ている。今でも十分綺麗だが、若い頃は美人だったのが雰囲気でわかった。
「お、お邪魔します……」
小さくお辞儀をして、とりあえずこたつの近くにいく。
「お邪魔します」
冬斗の後ろから、一葉が居間に入ってきた。
「はいはい。……あら!」
一葉を見た美津子が、目を丸くして手を止めた。
「一葉くん」
驚いた顔をする美津子に一葉が会釈をする。美津子はしばらく固まっていたが、やがて慌てたように伊織を呼んだ。
「ちょっと、伊織。一葉くんがくるなら早く言いなさいよ。何にもお出しできないじゃない」
「えー? 別に良いじゃん」
「もう。……ごめんなさいね。何にもできないけど、ゆっくりしていって」
「ええ。ありがとうございます」
微笑む一葉に、美津子はほっとしたように肩の力を抜く。
(……なんか、俺の時と扱い違くね?)
嫌な気はしない。ただ、不思議に思った。
「腹減ったー」
「伊織! あんた自分のことばっかりで……。茜を見習いなさい」
冷蔵庫を開けて物色し始める伊織を、美津子がたしなめる。茜は木目の食器棚からコップを出していた。
「みつちゃん、こいつに言っても無駄よ」
「はあ……。本当、茜の爪の垢を飲ませてやりたいくらいだわ」
「茜の爪の垢なんて飲んだら口うるさくなるだろ」
「はあ?」
茜と伊織たちのやりとりを聞きながら、どうしたら良いかわからず所在なげにそわそわとする。
「あ、こっち、座ってください」
こたつに入った鈴音が、ぽんぽんと座布団を叩く。その目は一葉しか見えていないようだったが、一葉に「座ろうか」とうながされて、冬斗もいそいそとこたつに足を入れる。
(あったかい……)
テレビの音。食器棚をかちゃかちゃと触る音。まな板をトントンと包丁が叩く音。にぎやかな話し声。
つんと、鼻の奥が痛くなって、冬斗は口を引き結んだ。
ここはあったかい。
泣きそうな、なんともいえない気持ちになっていると、茜がトレイを持ってきた。
「はい」
「あ、ありがと」
コップに入ったオレンジジュースが目の前に置かれる。
「あと、これ、よかったら食べて」
美津子が皿に盛られた剝きりんごをテーブルに置く。
「わ、ありがとうございます」
鈴音が嬉しそうにお礼を言って、人数分ささっている爪楊枝に手を伸ばす。
「いただきます」
一葉もそう言って、りんごを口に運ぶ。ただ食べているだけなのに、その姿はやけに様になっている。
その姿をぼーっと鈴音が見つめているのに気がついて、なんだか胸がざわざわした。
「もっと詰めろよー」
隣に伊織が座ってくる。肩が触れて、びくりと体が震えた。
『……正一』
脳裏に、赤い木炭と低い声がちらついた。
かっと熱くなる。
「ち、ちけえよ」
思わずぐい、と伊織の体を押し返すと、伊織が口を尖らせた。
「しょうがないだろ。人数多いんだから。あ、てかさ、新しいガチャ回した? 俺、今から回すんだけど、一緒にやんね?」
肩に腕を置かれて、ぎょっとして伊織を見る。至近距離で見るその横顔に、もう一つの輪郭が重なる。
『名前、呼べよ』
薄暗い芝居小屋。
肩のぬくもり。
漏れた吐息の熱さ。
引っ張られそうになって、冬斗は大きな声を出した。
「や、やっぱ近い! 暑苦しい! 俺、あっち座る」
たまらずこたつから抜け出すと、伊織がむくれたように不満げな声を上げた。
「えー? なんだよ、別に良いじゃん〜」
「よくねえ!」
一生懸命気持ちを整える。ふと、視線を感じた。
「……っ」
一葉がこっちを見ていた。いつもの優しい顔じゃない。氷みたいな冷たい目で、顔は能面のように無表情だった。
呼吸が止まった。
「じゃあ、冬斗、こっち座る? こっちの方が広いし」
ぱっと表情が変わって、やわらかく一葉が笑う。冬斗は一瞬、返事ができなかった。
「あ、う、うん……」
ようやく小さく返事をして、ふらふらと一葉の方へ行く。
断りたいのに、なぜか断れなかった。
頭痛がする。
脳裏に紫の瞳が浮かぶ。
(気のせいじゃ、ない)
────あの男は、一葉だ。
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