9 / 23

第8話「気のせいじゃない」

 冬斗は静かに目を覚ました。  暗闇の中、一瞬、火鉢を探す。  無意識に胸を掴むと、袴の織の感触ではなく、スウェットの柔らかな感触がした。  徐々に、意識がはっきりしてくる。  (また、夢か……)  また、あの芝居小屋にいる夢だった。今度は戸を開けるまでじゃなくて、小屋の中にいた。  ――しかも。  (男とチューしてた……)  じわじわと、夢を思い出して恥ずかしくなってくる。  (しかもけっこうちゃんとしたやつ)  生々しかった。童貞だというのに、めちゃくちゃ生々しくリアルなキスシーンの夢を見た。しかも、キスしてるところを見てるとかじゃない。自分の視点で、キスをしていた。それも夢中になって。  (あれ? 俺、マジでゲイ……?)  十七年生きてきて初めて自分のことがわからなくなってきた。  (いや、それよりももっと問題なのは……)  『遅いぞ』  『名前、呼べよ』  そして、こっちを見つめてくる顔。 (やっぱ、伊織じゃん)  冬斗は大きくため息をついて、毛布を頭まで被った。  カーテンの隙間から、少しずつ朝日が差し込んでくる気配がする。  ちらっと窓の外を見ると、やっぱり雪が降り始めていた。 ◆  「あ、そうだ、冬斗も来る?」  放課後。いつも通り帰ろうとして教室のドアをくぐろうとした時、茜に呼び止められた。 「え、あ、な、何が?」  思わず動揺すると、茜の後ろから机に座った伊織が顔を出した。 「いや、お前が誘うんかい。いや、誘おうと思ってたけどさ」  茜にツッコミを入れる伊織。何の話かわからず首を傾げる。 「あのさ、冬斗。この後、俺んちで集まろうってなってんだけど、冬斗も来る?」 「えっ」  目を丸くした。伊織と茜を交互に見る。二人はいたって普通に、「じゃあ、鈴音も誘おうかな」「いやだからお前が誘うんかい」と会話を続けている。特別なことでもなんでもないように。  喉から変な音が出た。 「い、いいの……?」  おそるおそる伊織をうかがうと、伊織が首を傾げた。 「何遠慮してんだよ。てか、来いよ」 「あ、う、うん……!」  小さく何度も頷いた。そわそわして、何度も髪の毛を触る。 「あ、じゃあ俺もお邪魔しようかな」  隣から一葉の声が降ってきた。一葉を見上げると、伊織の驚いた声がした。 「え!? か、一葉、来んの!?」 「えっ」  伊織と一緒に、茜も驚いている。なんでそんなに驚いているのかと不思議に思って首を傾げる。 「え、ダメ?」 「いやいやいや。ダメじゃねえけどよ。初めてだったからさ。一葉が誘いに乗るの」 「て、てか誘う前だったね……」  伊織が驚愕の顔で一葉を見つめて、茜が目をぱちくりさせる。  どうやら一葉が伊織の家に行くのは初めてらしい。 「そうだったっけ?」 「そうだよ! ……一葉、やっぱ冬斗来てからだいぶ変わったよなぁ」 「本当に。なんか、一葉って誰にでも優しいけど、誰とも一緒にいない感じだったのに」 「そうかなぁ」  一葉はぴんときていないような顔をしている。   「人って、変わるもんなんだなぁ。……あ、じゃあ、メンツこれで決まったか?」 「うん。そうね。鈴音ー、こっちおいで」  茜が鈴音を呼び、小走りで鈴音がやってくる。  (え、マジ?)  美男美女の集団に、一気に冷や汗をかきそうになる。自分だけ明らかに浮いていて、本当に良いのかと不安になった。  みんなが話しながら教室を出ていく。   「じゃ、行こうか、冬斗」  一葉にうながされて、冬斗は勇気を出して一歩踏み出した。  ◆    (き、来てしまった……)  靴がたくさん並んでいる広い玄関を見て、冬斗はごくりと唾を飲んだ。  目の前で鈴音がマフラーを外し、コートと一緒にハンガーに掛けている。ブーツをもたつきながら脱ぐが、少しよろけて冬斗に肩が当たった。   「あ、ごめんなさい」 「あ、いや、……」  潰れたカエルのような声が出る。鈴音は「やだもー」と言いながら恥ずかしそうにして、玄関へ上がっていった。  玄関の向こうはすでににぎやかな気配がしている。伊織と茜はもう先に入っていて、あとは冬斗と一葉だけだ。 「おう、あがれあがれー」  襖から顔を出した伊織の声に、ぎこちなく頷いてマフラーを外して、コートを脱ぐ。とりあえず、ここにかければ良いのだろうかと、雪を払っておずおずとコートハンガーに掛けた。  靴を脱ごうとするが、なかなかうまくいかない。苦戦していると、白い指が冬斗の手元に掛けられた。   「手伝うよ」  どきりとする。一葉が長い指で器用に靴紐を解いていくのを、息を止めて見つめた。そばに感じる体温に顔が熱くなる。   「はい」 「あ、ありがと……」  あっという間に解けた靴紐に小さくお礼を言うと、一葉は冬斗を見下ろして優しい顔で笑った。  心が落ち着かないまま、一葉のおかげで脱ぎやすくなった靴を脱ぐ。  脱いだ靴をどこに置いたら良いのかわからない。とりあえず隅の方に揃えて置いて、そろりと玄関の床板につま先を乗せた。  ギシ、と床板がきしむ。冬斗はおずおずと廊下を進んだ。 「みつちゃん、ジュースとって良い?」 「あ、その手前のオレンジからね」 「はあい」 「美津子さん、お邪魔します」 「はいはいどうぞ」  居間に入ると、茜がキッチンで冷蔵庫を開けて、鈴音がコートを脱いでいた。  美津子さん、と鈴音に呼ばれていたキッチンのカウンターに立つ女性と目が合う。 「あら! いらっしゃい。冬斗くんね? 寒いところ来てくれてありがとうねぇ。早くこたつ入ってあったまりな」  朗らかに笑う顔は、どことなく伊織に目元が似ている。今でも十分綺麗だが、若い頃は美人だったのが雰囲気でわかった。 「お、お邪魔します……」  小さくお辞儀をして、とりあえずこたつの近くにいく。 「お邪魔します」  冬斗の後ろから、一葉が居間に入ってきた。 「はいはい。……あら!」  一葉を見た美津子が、目を丸くして手を止めた。 「一葉くん」  驚いた顔をする美津子に一葉が会釈をする。美津子はしばらく固まっていたが、やがて慌てたように伊織を呼んだ。 「ちょっと、伊織。一葉くんがくるなら早く言いなさいよ。何にもお出しできないじゃない」 「えー? 別に良いじゃん」 「もう。……ごめんなさいね。何にもできないけど、ゆっくりしていって」 「ええ。ありがとうございます」  微笑む一葉に、美津子はほっとしたように肩の力を抜く。  (……なんか、俺の時と扱い違くね?)  嫌な気はしない。ただ、不思議に思った。 「腹減ったー」 「伊織! あんた自分のことばっかりで……。茜を見習いなさい」  冷蔵庫を開けて物色し始める伊織を、美津子がたしなめる。茜は木目の食器棚からコップを出していた。 「みつちゃん、こいつに言っても無駄よ」 「はあ……。本当、茜の爪の垢を飲ませてやりたいくらいだわ」 「茜の爪の垢なんて飲んだら口うるさくなるだろ」 「はあ?」  茜と伊織たちのやりとりを聞きながら、どうしたら良いかわからず所在なげにそわそわとする。 「あ、こっち、座ってください」  こたつに入った鈴音が、ぽんぽんと座布団を叩く。その目は一葉しか見えていないようだったが、一葉に「座ろうか」とうながされて、冬斗もいそいそとこたつに足を入れる。  (あったかい……)  テレビの音。食器棚をかちゃかちゃと触る音。まな板をトントンと包丁が叩く音。にぎやかな話し声。  つんと、鼻の奥が痛くなって、冬斗は口を引き結んだ。  ここはあったかい。  泣きそうな、なんともいえない気持ちになっていると、茜がトレイを持ってきた。   「はい」 「あ、ありがと」  コップに入ったオレンジジュースが目の前に置かれる。 「あと、これ、よかったら食べて」  美津子が皿に盛られた剝きりんごをテーブルに置く。 「わ、ありがとうございます」  鈴音が嬉しそうにお礼を言って、人数分ささっている爪楊枝に手を伸ばす。 「いただきます」  一葉もそう言って、りんごを口に運ぶ。ただ食べているだけなのに、その姿はやけに様になっている。  その姿をぼーっと鈴音が見つめているのに気がついて、なんだか胸がざわざわした。 「もっと詰めろよー」  隣に伊織が座ってくる。肩が触れて、びくりと体が震えた。  『……正一』  脳裏に、赤い木炭と低い声がちらついた。  かっと熱くなる。 「ち、ちけえよ」  思わずぐい、と伊織の体を押し返すと、伊織が口を尖らせた。 「しょうがないだろ。人数多いんだから。あ、てかさ、新しいガチャ回した? 俺、今から回すんだけど、一緒にやんね?」  肩に腕を置かれて、ぎょっとして伊織を見る。至近距離で見るその横顔に、もう一つの輪郭が重なる。  『名前、呼べよ』    薄暗い芝居小屋。  肩のぬくもり。  漏れた吐息の熱さ。  引っ張られそうになって、冬斗は大きな声を出した。 「や、やっぱ近い! 暑苦しい! 俺、あっち座る」  たまらずこたつから抜け出すと、伊織がむくれたように不満げな声を上げた。 「えー? なんだよ、別に良いじゃん〜」 「よくねえ!」    一生懸命気持ちを整える。ふと、視線を感じた。 「……っ」  一葉がこっちを見ていた。いつもの優しい顔じゃない。氷みたいな冷たい目で、顔は能面のように無表情だった。  呼吸が止まった。 「じゃあ、冬斗、こっち座る? こっちの方が広いし」  ぱっと表情が変わって、やわらかく一葉が笑う。冬斗は一瞬、返事ができなかった。 「あ、う、うん……」  ようやく小さく返事をして、ふらふらと一葉の方へ行く。  断りたいのに、なぜか断れなかった。  頭痛がする。  脳裏に紫の瞳が浮かぶ。  (気のせいじゃ、ない)  ────あの男は、一葉だ。

ともだちにシェアしよう!