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第8話「息をして」

 翌日。冬斗が帰り支度をしていると、一葉が声をかけてきた。 「冬斗、良かったら今日この後うち来ない?」 「え?」  一葉とはこの村に来てから、途中まで毎日一緒に登下校をしている。今日も一緒に帰ろうと、カバンに教材を詰め込んでいた時だった。 「う、うち?」  声が裏返った。昨日は、伊織の家。そして、今日は一葉に誘われている。  こんな奇跡みたいなことが連続であって良いのか。 「い、いいの?」 「もちろん。冬斗さえ良ければ」 「う、嬉しい……」  呟いて、眼鏡の奥で何度もまばたきをする。マフラーを口元まで引き上げて、冬斗は口元を緩ませた。 「え、じゃあ俺も行こうかな〜」  会話を聞いていた伊織がはいはい、と手を挙げる。 「ちょっと、あんたは今日みつちゃんの手伝いでしょ」 「え? うわ、そうだった。一葉の家なんて、超レアイベなのに」 「みつちゃん待ってるんだから、早く帰るよ」  茜に引きずられるようにして、伊織は教室を出ていく。その後ろを、「あ、茜ちゃん、待って」と鈴音が小走りでついていく。ちらっとこっちを名残惜しそうに見た鈴音は、「良いなぁ、一葉先輩の家」と思っているのが顔に書いてあった。 (残念だったな)  そう思って、ふと、「ん?」と首を傾げる。なんで自分は鈴音に優越感を覚えているんだろう。  冬斗が口に手を当てて考えていると、「冬斗」と後ろから肩を叩かれた。 「うお」 「いこっか」 「お、おう」  やわらかく微笑む一葉に、頷く。コートを着て、冬斗は少し緊張しながら一葉の後を追った。  ◆  バスから降りて、雪道を一葉と二人で歩く。ザク、ザク、と雪に靴が沈む音がする。 「今、家の人いんの?」 「うん、いるよ」  ふと気になって聞けば、一葉は静かに頷いた。 「お母さん?」 「そんな感じの人」 「そんな感じの人……?」  言い方に疑問を抱くと、一葉がさらりと言った。 「叔母さんと一緒に住んでるんだ」 「……あ、そう、なんだ」  なんて言ったら良いかわからず、視線をうろつかせる。 「母さん、俺を産んだ時に亡くなったから」 「え……」  突然の告白だったが、一葉に悲壮感はなく、まるで天気の話でもしているようだった。  冬斗の方がなんだかいたたまれなくなり、ぎゅっとリュックサックを握りしめる。 「あ、あの……ごめん」 「え? なんで冬斗が謝るの?」  ぽつりと謝ると、一葉が目を丸くしてこっちを見た。  うつむいたまま、なんて言ったら良いか悩むが、結局言葉が見つからない。 「や……。うーん。いや……。ごめん……」 「謝るなよ。俺のほうこそ、ごめん。いきなり重かったかな。でも、本当に気にしてないんだ。産まれた時からいないから、特に思い出とかもないし」  そういう一葉は、心の底からそう思っているようだった。だからこそ、冬斗は一葉をまっすぐに見れなかった。 「……あのさ。冬斗の家族は、どんな感じなの?」  静かに一葉が聞いてくる。落ち込んでしまった冬斗を見て、さりげなく話題を変えてくれたことに気がついた。 「俺の家族は……、母さんがいる。でも、親父は知らない。俺が小さい頃に離婚したって。あ、あと、ばあちゃんがいる。ばあちゃんは、この村出身」 「おばあさん、恵子(けいこ)さんだよね」 「え、知ってんの?」 「うん。……ほら、ここはみんな顔見知りだから」 「……ああ」    納得して頷いた。  白泰村は驚くほど人が少ないのに、驚くほど人との距離が近い。  でも、最近はその狭さが、あったかさなんだと思い始めている自分がいた。 「少しは、ここの暮らしになれてきた?」 「う、うん。おかげさまで。一葉のおかげ」 「俺?」  冬斗は一葉を見上げた。 「一葉が、いろいろ取り持ってくれたろ」 「そうだっけ」 「うん。俺、多分一葉がいなかったら、今でもすごい浮いてたと思う。一葉のおかげだよ」  精一杯、口端を持ち上げる。 「ありがとう」  そっと足元に視線を落とした。雪を踏む靴は雪で汚れている。視線を移すと、雪道でも綺麗なままの編み上げブーツが見えた。  無言でその靴を見る。 「……なぁ、一葉。なんで、こんなに俺に良くしてくれんの」  声が少し震えた気がした。ずっと訊きたくて、訊けなかったこと。  最初は、ただの親切心だと思っていた。でも、今はもうそれだけじゃない気がしてきた。  一葉はしばらく黙って考えていた。  やがて、少し困ったように微笑んだ。   「なんでだろうね。俺もよくわかんないや」  その言葉に、冬斗は目を瞬かせた。 「な、なにそれ」 「うーん。あ、でも」  一葉が思いついたように言う。 「冬斗が初めてだよ」 「え?」 「誰かのために、何かしたいとか思ったの」  その笑顔があまりにも無邪気に見えて、冬斗は一瞬目を見張った。  じわじわと寒さが消えていくのを感じる。  手袋をつけた指先がじんじんとした。 「……ねえ、冬斗は何が好き? 例えば、食べ物とか」  そう言って優しい顔で見てくる一葉に、冬斗はぎこちなく口を開いた。 「……チ、チョコレート」 ◆  バス停からしばらく歩くと、古い木造りの古民家が見えてきた。 「おお……」    思わず声を漏らす。冬斗の祖母の家は「昭和のおばあちゃんち」という言葉がよく似合うが、一葉の家はどこか風情がある佇まいだった。  黒っぽい木の外壁に、雪の積もった瓦屋根。深い軒の下には、雪かきスコップと薪が積まれている。 「ただいま」  一葉が玄関の引き戸を開ける。三和土(たたき)が広く、開放感がある。築年数は経ってそうだが、床板や壁に汚れや傷んだ様子はなく、丁寧に手入れされているのがわかった。  一葉がコートを脱いでいると、奥から厚手のカーディガンを着た女性が出てきた。 「おかえり。……あら」  どこか品を感じさせる女性は、冬斗を見て、目を丸くした。 「一葉の……お友達?」 「は、初めまして。遠月冬斗です。お邪魔します」  女性はしばらくぱちぱちと瞬きをして、じっとこっちを見つめる。  何か変だっただろうか。もしかしたらコートを脱がずに挨拶をしてしまったからかもしれない。いや、そもそも不審者みたいに前髪が長いせいかもしれない。  一瞬であれこれと考えを巡らせる。 「冬斗、寒いからあがって」 「あ、そ、そうね。遠いところ、わざわざありがとうね」  一葉の声に我に帰ったような顔をした女性が、スリッパを出してくる。 「あ、ありがとうございます」  慌てて防寒具を外して、靴を脱ごうとする。けれど、やっぱりもたついてしまう。  もたもたしていると、すっと、一葉の指が靴紐を解いてくれる。  かあ、と顔が熱くなる。 「寒いから、多分かじかんじゃったんだね」  そう言って笑う一葉の顔が、すぐ横にある。  冬斗は指先が痺れるような感覚がした。 「あ、あら……。居間で少しあたたまっていって」 「あ、菊乃(きくの)さん。タオル、取ってきてくれない? すぐあっためてあげたいんだ」  一葉の言葉で、菊乃さんはまたわずかに目を見開いたが、すぐに「そうね」と小走りで奥へ引っ込んでいった。 「ストーブの前であったまろう」  一葉に手を取られる。  ぎょっとするが、あまりにも自然な態度に何も言えなくなる。大きな手から、温かな温もりが伝わってくる。冬斗は繋いだ手と一葉の後ろ姿を何度も交互に見て、唇をぎゅっと噛んだ。  障子を抜けて居間に入る。低いテーブルに、木の柱。黒い薄型テレビがある。  部屋の壁際に黒い薪ストーブが置いてあった。  薪ストーブが目に入る。その瞬間、足が畳に縫い止められたように動かなくなる。  ────薪ストーブの中で、火が揺らめいている。  ぱち、ぱき、と音がしている。    生き物のようにうねるその炎に、目が釘付けになった。  ひゅ、と喉から音が鳴る。  指先が小さく震える。  ぱち、ぱき────。  ストーブの音以外が消える。  炎がどんどん大きくなって、迫ってくる。  目を閉じたいのに、閉じられない。  肌が焦げる感覚がした。    息が、うまく吸えない。 「……冬斗、冬斗っ」  気がついたら、視界いっぱいに一葉の顔があった。必死な顔をしている。  いつも余裕そうな一葉のこんな顔、初めて見た。  ────本当に?  脳裏で誰かの声がした気がする。 「冬斗、大丈夫。ゆっくり息を吐いて」 「あっ……、うっ……」  一葉の声に、なんとか呼吸を整えようとするが、うまくできない。横隔膜のあたりが不自然に痙攣して、自分の意思で息ができない。  視界が涙でにじんでくる。 (一葉……!)  気がついたら一葉の手を取っていた。ぎゅっと握りしめる。  すると、体が何かに包まれた。  ぼんやりとした視界で必死に目を凝らす。    一葉に、抱きしめられている。  冷えた体に、一葉の体温が伝わってくる。  耳元で、一葉の囁き声が聞こえる。 「大丈夫。俺と一緒に、息をして」  一葉に抱きしめられて、声を聞いた瞬間、不思議と息がしやすくなった気がした。  ふー、ふー、と落ち着いた呼吸が耳元で繰り返される。背中をゆっくりとんとんと優しく叩かれる。  さっきまで胸を塞いでいたものが、少しずつほどけていく。  体から力が抜けて、自分で息が吸えるようになる。 「あら……!? どうしたの、冬斗くん!」  目を閉じて、息を整えていると、バタバタと足音が聞こえてきた。 「菊乃さん、冬斗、過呼吸起こしたみたい」 「え!?」  慌てたような菊乃さんに、「も、もう大丈夫です……」とうめく。 「え……でも……」 「菊乃さん、冬斗のお母さんに連絡できる? 恵子さんの家」 「え、ええ。恵子さんの家ね。わかったわ」 「あ……いえ……あの……」  「大丈夫です」と言おうと思ったが、なかなか声が出ない。菊乃さんは顔を厳しくした。 「顔が真っ青じゃない」 「たまに……ある、ん……です……」 「冬斗、無理にしゃべらなくて良いよ」  一葉に優しく背中を撫でられる。もうあまり苦しくないはずなのに、安堵からか涙がこぼれた。 「……菊乃さん。今日は心配だし、冬斗うちに泊めちゃだめかな」  一葉が言った言葉に、体がびくりと動いた。  (と、泊まり……?)  頭がぼんやりとする中、その言葉の意味だけははっきりと分かった。 「……そうね。雪も降ってきたみたいだし。冬斗くん、よかったら今日はもう、うちに泊まって行って。恵子さんと美里(みさと)さんにも伝えておくから」  祖母と母親の名前を告げられて、冬斗は細く息を吐いた。 「あ……すみ、ません……」 「とりあえず、体をあっためておこう」  電話をかけに行った菊乃さんの背中を見ていると、一葉にそう言われて、冬斗は肩を震わせた。 「ごめん……。ここじゃない方が、いいかも……」  一葉が一瞬息を飲んだ気配がした。 「……そうだね。俺の部屋に行こう」  頷くと、次の瞬間、ふわ、と体が浮いた感覚がした。 「わっ……」  見ると、一葉の顔が近くにあった。天井がやけに近い。 「お、おい……っ」  一葉に横抱きに持ち上げられていた。いわゆるお姫様抱っこの体勢に、激しくつっこみを入れたくなったが、今はそんな元気もない。ぐったりとしたまま、されるがままになる。 「お、おもいぞ……」  それだけなんとか伝えると、一葉が小さく笑った。 「そこ気にするんだ。大丈夫。軽いから」  確かに、そう言う一葉は軽々と冬斗を抱き上げたまま歩いている。  一葉の首につかまりながら、そっとその胸にもたれかかった。  力強い鼓動が伝わってきて、冬斗はなんだか泣きたい気持ちになった。  

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