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第9話「息をして」
翌日。冬斗が帰り支度をしていると、一葉が声をかけてきた。
「冬斗、良かったら今日この後うち来ない?」
「え?」
一葉とはこの村に来てから、途中まで毎日一緒に登下校をしている。今日も一緒に帰ろうと、カバンに教材を詰め込んでいた時だった。
「う、うち?」
声が裏返った。昨日は、伊織の家。そして、今日は一葉に誘われている。
こんな奇跡みたいなことが連続であって良いのか。誰かと登下校したり、お昼を共にしたり、喋ったりしてるだけですでにたくさんの奇跡が訪れているのだが。
「い、いいの?」
「もちろん。冬斗さえ良ければ」
「う、嬉しい……」
呟いて、眼鏡の奥で何度もまばたきをする。マフラーを口元まで引き上げて、冬斗は口元を緩ませた。
「え、じゃあ俺も行こうかな〜」
会話を聞いていた伊織がはいはい、と手を挙げる。
「ちょっと、あんたは今日みつちゃんの手伝いでしょ」
「え? うわ、そうだった。一葉の家なんて、レアイベなのに」
「みつちゃん待ってるんだから、早く帰るよ」
茜に引きずられるようにして、伊織は教室を出ていく。その後ろを、「あ、茜ちゃん、待って」と鈴音が小走りでついていく。ちらっとこっちを名残惜しそうに見た鈴音は、「良いなぁ、一葉先輩の家」と思っているのが顔に書いてあった。
(残念だったな)
そう思って、ふと、「ん?」と首を傾げる。なんで自分は鈴音に優越感を覚えているんだろう。
冬斗が口に手を当てて考えていると、「冬斗」と後ろから肩を叩かれた。
「うお」
「いこっか」
「お、おう」
やわらかく微笑む一葉に、頷く。コートを着て、冬斗は少し緊張しながら一葉の後を追った。
◆
バスから降りて、雪道を一葉と二人で歩く。ザク、ザク、と雪に靴が沈む音がする。
「今、家の人いんの?」
「うん、いるよ」
ふと気になって聞けば、一葉は静かに頷いた。
「お母さん?」
「そんな感じの人」
「そんな感じの人……?」
一葉の言い方に疑問を抱いた首を傾げると、一葉がさらりと言った。
「叔母さんと一緒に住んでるんだ」
「……あ、そう、なんだ」
次になんて言ったら良いかわからず、視線をうろつかせる。
「母さん、俺を産んだ時に亡くなったから」
「え……」
突然の告白だったが、一葉に悲壮感はなく、まるで天気の話でもしているようだった。
冬斗の方がなんだかいたたまれなくなり、ぎゅっとリュックサックを握りしめる。
「あ、あの……ごめん」
「え? なんで冬斗が謝るの?」
ぽつりと謝ると、一葉が目を丸くしてこっちを見た。
「や……。うーん。いや……。ごめん……」
「謝るなよ。俺のほうこそ、ごめん。いきなり重かったかな。でも、本当に気にしてないんだ。産まれた時からいないから、特に思い出とかもないし」
そういう一葉は、心の底からそう思っているようだった。だからこそ、冬斗は一葉をまっすぐに見れなかった。
「……あのさ。冬斗の家族は、どんな感じなの?」
静かに一葉が聞いてくる。落ち込んでしまった冬斗を見て、さりげなく話題を変えてくれたことに気がついた。
「俺の家族は……、母さんがいる。でも、親父は知らない。俺が小さい頃に離婚したって。あ、あと、ばあちゃんがいる。ばあちゃんは、この村出身」
「おばあさん、恵子 さんだよね」
「え、知ってんの?」
「うん。……ほら、ここはみんな顔見知りだから」
「……ああ」
納得して頷いた。バスに乗れば全員が挨拶をするし、高校では全校生徒が同じ教室で授業を受けるし、放課後はすることもないから、誰かの家に集まったり、数少ないコンビニで語り合ったりする。
全部、東京で暮らしていた頃には想像もできなかったことで、最初はその距離感に慣れなかった。
でも、最近はその狭さが、あったかさなんだと思い始めている。
「少しは、ここの暮らしになれてきた?」
「う、うん。おかげさまで。一葉のおかげ」
「俺?」
冬斗は一葉を見上げた。
「一葉が、いろいろ取り持ってくれたろ」
「そうだっけ」
「うん。俺、多分一葉がいなかったら、今でもすごい浮いてたと思う。一葉のおかげだよ」
「ありがとう」と言って、足元を見る。雪を踏む靴は雪で汚れている。視線を移すと、雪道でも綺麗なままの編み上げブーツが見えた。
無言でその靴を見る。
「……なぁ、一葉。なんで、こんなに俺に良くしてくれんの」
声が少し震えた気がした。ずっと訊きたくて、訊けなかったこと。
最初は、ただの親切心だと思っていた。でも、今はもうそれだけじゃない気がしてきた。
「……なんでだろうね。初めてなんだ、こんな気持ち」
一葉の言葉に、顔をあげる。目が合った。その目は優しくて、雪夜のように静かだった。
◆
バス停からしばらく歩くと、古い木造りの古民家が見えてきた。
「おお……」
思わず声を漏らす。冬斗の祖母の家は「昭和のおばあちゃんち」という言葉がよく似合うが、一葉の家はどこか風情がある佇まいだった。
黒っぽい木の外壁に、雪の積もった瓦屋根。深い軒の下には、雪かきスコップと薪が積まれている。
「ただいま」
一葉が玄関の引き戸を開ける。三和土 が広く、開放感がある。築年数は経ってそうだが、床板や壁に汚れや痛んだ様子はなく、丁寧に手入れされているのがわかった。
一葉がコートを脱いでいると、奥から厚手のカーディガンを着た女性が出てきた。
「おかえり。……あら」
どこか品を感じさせる女性は、冬斗を見て、目を丸くした。
「一葉の……お友達?」
「は、初めまして。遠月冬斗です。お邪魔します」
女性はしばらくぱちぱちと瞬きをして、じっとこっちを見つめる。
何か変だっただろうか。もしかしたらコートを脱がずに挨拶をしてしまったからかもしれない。いや、そもそも不審者みたいに前髪が長いせいかもしれない。
一瞬であれこれと考えを巡らせる。
「冬斗、寒いからあがって」
「あ、そ、そうね。遠いところ、わざわざありがとうね」
一葉の声に我に帰ったような顔をした女性が、スリッパを出してくる。
「あ、ありがとうございます」
慌てて防寒具を外して、靴を脱ごうとする。けれど、やっぱりもたついてしまう。
もたもたしていると、すっと、一葉の指が靴紐を解いてくれる。
かあ、と顔が熱くなる。
「寒いから、多分かじかんじゃったんだね」
そう言って笑う一葉の顔が、すぐ横にある。
冬斗は指先が痺れるような感覚がした。
「あ、あら……。居間で少しあたたまっていって」
「あ、菊乃 さん。タオル、取ってきてくれない? 冬斗、寒さに弱いから、すぐにあっためてあげたいんだ」
一葉の言葉で、菊乃さんはまたわずかに目を見開いたが、すぐに「そうね」と小走りで奥へ引っ込んでいった。
「ストーブの前であったまろう」
一葉に手を取られる。
ぎょっとするが、あまりにも自然な態度に何も言えなくなる。大きな手から、温かな温もりが伝わってくる。冬斗は繋いだ手と一葉の後ろ姿を何度も交互に見て、唇をぎゅっと噛んだ。
障子を抜けて居間に入る。低いテーブルに、木の柱。黒い薄型テレビがある。
部屋の壁際に黒い薪ストーブが置いてあった。
足が畳に縫い止められたように動かなくなる。
薪ストーブの中で、火が揺らめいている。
ぱち、ぱき、と音がしている。
生き物のようにうねるその炎に、目が釘付けになった。
ひゅ、と喉から音が鳴る。
指先が小さく震える。
ぱち、ぱき────。
ストーブの音以外が消える。
炎がどんどん大きくなって、迫ってくる。
目を閉じたいのに、閉じられない。
肌が焦げる感覚がした。
息が、うまく吸えない。
「……ゆと、冬斗っ」
気がついたら、視界いっぱいに一葉の顔があった。必死な顔をしている。
いつも余裕そうな一葉のこんな顔、初めて見た。
────本当に?
脳裏で誰かの声がした気がする。
「冬斗、大丈夫。ゆっくり息を吐いて」
「あっ……、うっ……」
一葉の声に、なんとか呼吸を整えようとするが、うまくできない。横隔膜のあたりが不自然に痙攣して、自分の意思で息ができない。
視界が涙でにじんでくる。
(一葉……!)
気がついたら一葉の手を取っていた。ぎゅっと握りしめる。
すると、体が何かに包まれた。
ぼんやりとした視界で必死に目を凝らす。
一葉に、抱きしめられている。
冷えた体に、一葉の体温が伝わってくる。
耳元で、一葉の囁き声が聞こえる。
「大丈夫。俺と一緒に、息をして」
一葉に抱きしめられて、声を聞いた瞬間、不思議と息がしやすくなった気がした。
ふー、ふー、と落ち着いた呼吸が耳元で繰り返される。背中をゆっくりとんとんと優しく叩かれる。
途端に、さっきまでの恐怖心が和らいでいく。
体から力が抜けて、自分で息が吸えるようになる。
「あら……!? どうしたの、冬斗君!」
目を閉じて、息を整えていると、バタバタと足音が聞こえてきた。
「菊乃さん、冬斗、過呼吸起こしたみたい」
「え!?」
慌てたような菊乃さんに、「も、もう大丈夫です……」とうめく。
「え……でも……」
「菊乃さん、冬斗のお母さんに連絡できる? 恵子さんの家」
「え、ええ。恵子さんの家ね。わかったわ」
「あ……いえ……あの……」
「大丈夫です」と言おうと思ったが、なかなか声が出ない。菊乃さんは顔を厳しくした。
「顔が真っ青じゃない」
「たまに……ある、ん……です……」
「冬斗、無理にしゃべらなくて良いよ」
一葉に優しく背中を撫でられる。もうあまり苦しくないはずなのに、安堵からか涙がこぼれた。
「……菊乃さん。今日は心配だし、冬斗うちに泊めちゃだめかな」
一葉が言った言葉に、体がびくりと動いた。
(と、泊まり……?)
頭がぼんやりとする中、その言葉の意味だけははっきりと分かった。
「そうね。雪も降ってきたみたいだし、今日はもう、うちに泊まって行って。恵子さんと美里 さんにも伝えておくから」
祖母と母親の名前を告げられて、冬斗は細く息を吐いた。
「あ……すみ、ません……」
「とりあえず、体をあっためておこう」
電話をかけに行った菊乃さんの背中を見ていると、一葉にそう言われて、冬斗は肩を震わせた。
「ごめん……。ここじゃない方が、いいかも……」
一葉が一瞬息を飲んだ気配がした。
「……そうだね。俺の部屋に行こう」
頷くと、次の瞬間、ふわ、と体が浮いた感覚がした。
「わっ……」
見ると、一葉の顔が近くにあった。天井がやけに近い。
「お、おい……っ」
一葉に横抱きに持ち上げられていた。いわゆるお姫様抱っこの体勢に、激しくつっこみを入れたくなったが、今はそんな元気もない。ぐったりとしたまま、されるがままになる。
「お、おもいぞ……」
それだけなんとか伝えると、一葉が小さく笑った。
「気にするの、そこなんだ。全然重くないから、安心して」
確かに、そう言う一葉は軽々と冬斗を抱き上げたまま歩いている。
一葉の首につかまりながら、冬斗はそっとその胸にもたれかかった。
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