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第10話「こういう時間」

 二階の奥の部屋に運ばれて、ベッドに優しく寝かされた。  慌てて体を起こそうとすると、ベッドの前に石油ストーブを移動させてきた一葉に「無理するな」とそっと戻される。 「や、でも、制服のままだし……」 「あ、ごめん、動きづらいよね。今着替え用意するから。とりあえず、毛布かぶってストーブにあたってて」 「いや、じゃなくて、汚い、から」 「え?」  一葉がきょとんとした。 「汚い?」 「う、うん。制服のままだし。ベッド……汚れちゃうかなって」  すると、一葉がふっと笑った。 「ベッドなんてどうでもいいよ。気にしないで」 「で、でも……」 「冬斗が一番大事だから」  ストーブの点火音が、ぼっと小さく鳴った。  ストーブをつけながら、さらりと言った一葉に心臓が跳ねる。顔が熱くなって、どうしたら良いか分からなくて毛布を顔に引き寄せた。  いつもだったら、「恥ずかしいやつだな!」とか言いたいところだが、今はそんな元気もない。  足をもじもじさせてると、衣装箪笥をごそごそしていた一葉に、「はい」とパジャマを渡される。黒の上下のスウェットだった。 「あ、ありがと……」  渡されたスウェットから、ふわりと一葉の匂いがした。  不思議と、落ち着く匂い。自然と肩から力が抜けた。 「あ、あの……」 「ん?」  渡されたスウェットをぎゅっと握りしめる。ちら、と一葉の方を見た。 「き、着替えたいんだけど……」 「あ、手伝う?」 「ち、ちがうっ。……見られてると、なんか、着替えにくい」  一葉は一瞬目を丸くした後、やわらかく笑った。 「男同士なんだから、気にしなくて良いのに。……分かったよ。背中向けてるから」 「……うん」  一葉が後ろを向いたのを確認して、ごそ、と着替え始める。  ただ、着替えてるだけなのに、なんだか困ったような、逃げ出したいような、そわそわした気持ちになった。  静かな空気の中に、衣擦れの音だけが聞こえる。  柔らかなスウェットを着ると、一葉の匂いに包まれる。  袖がやっぱりかなり余っている。指先が半分埋もれて、なんだか落ち着かない。  制服を畳んで、膝の上に置く。 「い、いいよ」  一葉が振り向いた。目が合う。それだけで心臓がうるさくなって、慌てて目を逸らした。  その時、ドアをノックする音が聞こえた。 「入ってもいいかしら」  菊乃さんの声だった。ほっと息を吐く。 「うん。大丈夫だよ」  一葉が返事をすると、すぐにドアがかちゃりと開けられた。 「冬斗くん、体調はどう?」  心配そうな顔をする菊乃さんの手には、マグカップが乗ったトレイがある。ほのかに甘くていい匂いが漂ってくる。   「あ、おかげさまで、だいぶ治ってきました」 「そう。良かった。あのね、今美里さんと連絡がついたから、改めて今日はうちに泊まっていって」 「あ、はい。ありがとうございます。すみません」 「とんでもない。……冬斗くん、火が怖いんだってね」 「あ……」  冬斗は息を詰めた。 「じ、実はそうなんです……」 「美里さんから聞いたわ。ごめんなさいね。うち、居間は薪ストーブだから」 「あ、いえ、こちらこそすみません。火なんて、普通怖がらないので……」    ぎゅっとズボンを握りしめた。菊乃さんはテーブルにマグカップを置きながら話す。 「そんなことない。怖いものなんて、人それぞれだもの。良かったら、ココア、飲んで。熱いから気をつけてね」  そう言って笑うと、よいしょと腰を上げた。 「一葉、お風呂沸いてるから、冬斗くんに使い方教えてあげてね」 「うん、菊乃さん、ありがとう」  ぱたん、とドアが閉じられた。 「……」  なんとなく無言になる。沈黙の中、一葉がぽつりと呟いた。 「……火、怖いんだね」 「あ、うん……。変、だよな。あ、で、でも、このストーブなら大丈夫。直接見えないし」  慌てて説明すると、一葉が振り返ってきた。 「……ごめん」 「な、なんで一葉が謝るんだよ。謝るのは俺の方だって。先に言っとけば良かったんだから」 「……いや、もっと早く助ければ良かった」  そう言う一葉の横顔は真剣で、後悔しているみたいだった。 「……何言ってんだよ。普通、分かんないって。てか、俺、普通に助けられたし」  一葉がやっと顔を上げた。その顔はなんだか少し泣きそうで、思わず小さく笑う。 「なんで一葉がそんなにしょげてるんだよ。大丈夫。ごめんな、心配かけて。……助かったよ、ありがとう」  そう言うと、一葉はなんだか噛み締めるように微笑んだ。    ◆ 「タオルはこれ使って。石鹸はこれ、シャンプーとリンスはこれね。あとそれから……」  風呂場を案内されながら、冬斗は妙に感動していた。  なんというか、一葉も高校生男子だったんだなと、改めて思った。  一葉は冬斗が着ているものとお揃いの黒いスウェットを着ている。冬斗の頭の中に“ペアルック”という言葉が浮かんで、慌てて頭を振って打ち消した。 「じゃあ、何かあったら言ってね」  そう言って、脱衣所を出る一葉。ぱたん、と脱衣所の扉が閉まって、冬斗はふぅ、と息をついた。  白泰村は特に夜は底冷えがする。脱衣所で手早く服を脱いで、風呂場のドアを開けた。  風呂場は壁も床もタイル貼りで、古い感じがしたが、水垢などはなく、綺麗に手入れされているようだった。  深めの浴槽にはすでにお湯が張ってあり、温かな湯気に包まれる。 「えっと……」  シャワーのコックを捻ると、優しめの水圧でお湯が流れる。  一度頭から全身までお湯を浴びると、じわじわと体が内側から温まるのを感じた。  普段自分が使っているものではない石鹸とシャンプーの香りに、無性に胸が疼いた。  体を洗い終えて、浴槽に足から入っていく。一気に肩まで浸かると、自然とためいきが漏れた。  ぼんやりと、湯気の中で天井を見上げる。  まさか、こんなことになるとは思わなかった。  ふぅ、と息を吐く。  気持ちよく温まっていると、風呂場のドアがコンコンとノックされた。 「冬斗、大丈夫?」 「えっ? あ、う、うん。大丈夫だよ」  一葉がドアの向こうにいるらしい。  ぼんやりと、一葉のシルエットが見える。  動揺しながら答えると、「良かった」と言って、一葉が離れていくのが分かる。  (い、いつからいたんだ……?)  今かもしれない。でも、もっと前からいたかもしれない。 「心配しすぎだろ……」  まだ落ち着かない心臓をもてあましながら、冬斗は顔の半分までお湯に入った。  ちゃぷ、とお湯が静かに揺れた。  ◆   「あ、ありがとな」 「ちゃんとあったまれた?」 「うん」  タオルで髪を拭きながら一葉の部屋に戻ると、一葉が立ち上がって近づいてきた。 「冬斗。髪乾かさないとダメじゃん」 「え、いや、いつもこんな感じだし……」  普段はタオルドライで済ませているので、そのままできたが、一葉は眉根を寄せた。 「寒さに弱いのに、冬斗ってこういうところあるよね。ちょっと待ってて。ドライヤー持ってくる」 「え、い、いいって」 「いいから」  そう言って部屋を出て行った一葉は、少しも待たないうちに手にドライヤーを持って帰ってきた。 「ほら、ここ座って」  ベッドに座るよう促される。大人しく座ると、ギシ、と音がして一葉も乗り上げてきた。 「えっ」  まさかと驚くと、一葉がドライヤーのスイッチを入れて、髪の間に指が差し込まれる。 「い、いいって。じ、自分でできるよ」 「んー?」  ドライヤーの音でこっちの声がうまく届かないのか、一葉はそのまま冬斗の髪の毛を乾かし始める。  温かい風と共に頭を直接触られる感覚に、むずがゆさを覚えながらも、その気持ちよさにだんだん力が抜けていく。 「……」  目を閉じると、ドライヤーの音と、一葉が頭を触る感覚だけが残る。  胸が波打っている。でも、不思議と落ち着く。  いつのまにかうつらうつらとしていると、カチッという音と共に、ドライヤーの音が止んだ。 「はい、終わり。……冬斗?」 「うん……」  一葉の声が遠く聞こえる。むにゃむにゃと口から意味のない言葉が出る。  一葉の笑う気配がして、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。 「あ、起きた?」 「あ……ごめん、俺……」  目を擦ると、だんだん意識がはっきりしてくる。  うたた寝をしてしまっていたらしい。  ごく近い距離に一葉の顔があって、驚いて体を引く。すると、背中が何かに当たった。 「えっ、あ……っ」  気がついたら、一葉の立てた足の間にいるような体勢になっていた。口をぱくぱくさせて一葉を見ると、「あ、ごめん」と謝られる。 「冬斗、ぐらぐらしてたから。倒れたら危ないでしょ」 「あ、そういう……。あ、ありがと」    体を離されても、しばらく心臓は落ち着かなかった。 「もうすぐご飯できるみたいだから、そろそろ下に行こうか」 「う、うん」  一葉がベッドから降りる。続けて冬斗もベッドから降りた。 「あ、冬斗」 「ん?」  ふと、一葉が冬斗の足元を見てかがんだ。え、と思った瞬間、一葉が冬斗のスウェットの裾を丁寧に折りたたんでいた。 「危ないから」  足首に時折一葉の指が触れる。冬斗は、思わず顔を手で覆った。  (も、もう勘弁してくれ……)  顔から湯気が出そうだと思った。 ◆  菊乃さんを入れて三人で食べた夕食は、賑やかではなかったけど、心地良い時間だった。  優しい味のクリームシチューと、炊き立てのご飯、皮がパリパリの鮭と、滋味深い漬物。どれも体に沁みるように美味しくて、あっという間に全部平らげてしまった。  菊乃さんの食べている所作が一葉と似ていて、一葉の品の良さはここからきているのかと納得した。  (今日で、一葉のいろんな面が知れたな)  登下校と学校でしか会わなかった一葉の生活に触れることができて、冬斗はベッドに横になりながら思わず口元を緩めた。 「冬斗、寒かったら言ってね」  床に布団を敷きながら一葉が声をかけてくる。本当は自分が床で寝たかったのだが、一葉が譲らなかった。 「うん。ありがとう」    頷いて、冬斗は眼鏡を外して枕元に置いた。毛布を口元まで引き寄せる。  ふとした時に、自分の体から一葉のシャンプーの匂いがしてくる。布団にくるまると、もっと一葉を近くに感じた。  一葉のスウェットを着て、一緒にご飯を食べて、一緒の部屋で寝ている。  その事実がいまだに信じられなくて、心がそわそわする。 「じゃあ、消すよ」  一葉がリモコンで照明を消した。  暗い中で、ストーブのぼんやりとしたやわらかな灯りが静かに影を作る。  ストーブの控えめな稼働音と、たまに雪風の音が窓の外から聞こえてくる。 「……寝た?」  しばらくして、冬斗は小声で一葉に話しかけた。 「起きてるよ」  ひっそりと、一葉の低い声がした。 「……今日、楽しかった」  布団の中で、足を擦り合わせた。 「……俺も」  一拍おいて、一葉から返事があった。その瞬間、胸がぎゅっとなる。 「……こういう時間、落ち着くね」 「……え?」  ぽつりと一葉が漏らした言葉に、思わずそっちの方を向いた。  ストーブの灯りに、一葉の横顔がやわらかく照らされている。  目を閉じて微笑んでいる一葉の顔は、なんだかいつもよりも力が抜けて、年相応の少年のように見えた。  冬斗は、ぼうっとその横顔を見つめた後、口を開けた。 「……俺も」 「え?」  今度は一葉がうっすらと目を開いて、冬斗を見た。黒い瞳は少し輪郭が曖昧で、うつつと夢の境界にいたのだと分かる。 「俺も、誰かとこんなふうにいるの、初めて。……いいね」  うすく笑う。一葉がまた目を閉じて、微笑む。 「……あの日、冬斗を見つけて、良かった」  静かに告げられた言葉に、冬斗は胸をぎゅっと握りしめた。 「……俺も。見つけてくれて、良かった」  やがて、すぅ、と寝息が聞こえてくる。冬斗も、そっと目を閉じた。  穏やかな寝息と、ストーブの音。  外では雪がしんしんと降っている気配がした。    ――見つけてくれて、良かった。  

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