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第9話「こういう時間」

 二階の奥の部屋に運ばれて、ベッドに優しく寝かされた。  一葉に「直接見えなければ、ストーブ大丈夫?」と訊かれる。 「う、うん。あ、ごめん、ベッド……」    冬斗は頷きながら、慌てて体を起こそうとする。  しかし、ベッドの前に石油ストーブを移動させてきた一葉に「無理しないで」とそっと戻された。 「や、でも、制服のままだし……」 「あ、動きづらいよね。今着替え用意するから。とりあえず、毛布かぶってストーブにあたってて。これ、直接火が見えないから安心してね」 「いや、じゃなくて外歩いてきて、汚いから」 「え?」  一葉がきょとんとした。 「汚い?」 「う、うん。制服のままだし。ベッド……汚れちゃうかなって」  すると、一葉がふっと笑った。ストーブを点火し始める。 「ベッドなんてどうでもいいよ。気にしないで」 「で、でも……」 「冬斗が一番大事だから」  ストーブの点火音が、ぼっと小さく鳴った。 「……っ」  冬斗は毛布を顔に引き寄せた。  (い、今のどういうこと……!?)  いや、単に病人扱いされているだけかもしれない。  きっとそうに違いない。    落ち着きなく足をもじもじさせていると、衣装箪笥をごそごそしていた一葉に、「はい」とパジャマを渡される。黒の上下のスウェットだった。 「あ、ありがと」  渡されたスウェットから、ふわりと一葉の匂いがした。自然と肩から力が抜ける。 「あ、あの……」 「ん?」  渡されたスウェットをぎゅっと握りしめる。ちら、と一葉の方を見た。 「き、着替えたいんだけど……」 「あ、手伝う?」 「ちがうっ。……見られてると、なんか、着替えにくい」  一葉は一瞬目を丸くした後、やわらかく笑った。 「男同士なんだから、気にしなくて良いのに。……分かったよ。背中向けてるから」 「……うん」  一葉が後ろを向いたのを確認して、ごそ、と着替え始める。  ただ着替えてるだけなのに、なんだか困ったような、逃げ出したいような、そわそわした気持ちになった。  静かな空気の中に、衣擦れの音だけが聞こえる。  柔らかなスウェットを着ると、一葉の匂いに包まれる。袖がやっぱりかなり余っている。指先が半分埋もれて、なんだか落ち着かない。  制服を畳んで、膝の上に置く。 「い、いいよ」  一葉が振り向いた。目が合って、慌てて目を逸らした。  その時、ドアをノックする音が聞こえた。 「入ってもいいかしら」  菊乃の声だった。ほっと息を吐く。 「うん。大丈夫だよ」  一葉が返事をすると、すぐにドアがかちゃりと開けられた。 「冬斗くん、体調はどう?」  心配そうな顔をする菊乃の手には、マグカップが乗ったトレイがある。ほのかに甘くていい匂いが漂ってくる。   「あ、おかげさまで、だいぶおさまってきました」 「そう。良かった。あのね、今美里さんと連絡がついたから、改めて今日はうちに泊まっていって」 「あ、はい。ありがとうございます。すみません」 「とんでもない。……冬斗くん、火が怖いんだってね」 「あ……」  冬斗は息を詰めた。 「じ、実はそうなんです……」 「美里さんから聞いたわ。ごめんなさいね。うち、居間は薪ストーブだから」 「あ、いえ、こちらこそすみません。火なんて、普通怖がらないので……。あっ、直接見なければ平気なので……。すみません」    ぎゅっとズボンを握りしめた。菊乃はテーブルにマグカップを置きながら話す。 「謝ることなんてないわ。怖いものなんて、人それぞれだもの。良かったら、ココア飲んで。熱いから気をつけてね」  そう言って笑うと、よいしょと腰を上げた。 「一葉、お風呂沸いてるから、冬斗くんに使い方教えてあげてね」 「うん、菊乃さん、ありがとう」  ぱたん、とドアが閉じられた。 「……」  なんとなく無言になる。沈黙の中、一葉がぽつりと呟いた。 「……火、怖いんだね」 「あ、うん……。変、だよな。あ、で、でも、このストーブなら大丈夫。直接見えないし」  慌てて説明すると、一葉が振り返ってきた。 「……ごめん」 「な、なんで一葉が謝るんだよ。謝るのは俺の方だって。先に言っとけば良かったんだから」 「……いや、もっと早く助ければ良かった」  そう言う一葉の横顔は真剣で、まるで後悔しているみたいだった。 「何言ってんだよ。普通、分かんないって」  そう言っても、一葉の顔は暗いままだ。  冬斗はマグカップを見下ろす。 「……一葉、助けてくれて、ありがと」  一葉がやっと顔を上げた。  その顔はなんだか少し泣きそうで、思わず小さく笑う。 「なんで一葉がそんなにしょげてるんだよ。……ごめん、心配かけて」  冬斗はぎこちなく笑って見せた。 「助かったよ、ありがとう」  そう言うと、一葉はなんだか噛み締めるように微笑んだ。    ◆   「タオルはこれ使って。石鹸はこれ。シャンプーとリンスはこれね。あとそれから……」  風呂場を案内されながら、冬斗は妙に感動していた。  なんというか、一葉も高校生男子だったんだなと、改めて思った。  一葉は冬斗が着ているものとお揃いの黒いスウェットを着ている。冬斗の頭の中に〝ペアルック〟という言葉が浮かんで、慌てて頭を振って打ち消した。 「じゃあ、何かあったら言ってね」  そう言って、一葉は脱衣所から出ていった。ぱたん、と脱衣所の扉が閉まる。  ふぅ、と息をついた。    深めの浴槽にはすでにお湯が張ってあり、温かな湯気に包まれる。    身体を洗って湯船に浸かると、冷え切っていた身体が内側からほどけていった。  ぼんやりと、湯気の中で天井を見上げる。  まさか、こんなことになるとは思わなかった。  ふぅ、と息を吐く。  気持ちよく温まっていると、風呂場のドアがコンコンとノックされた。 「冬斗、大丈夫?」 「えっ? あ、う、うん。大丈夫だよ」  一葉がドアの向こうにいるらしい。  ぼんやりと、一葉のシルエットが見える。  動揺しながら答えると、「良かった」と言って、一葉が離れていくのが分かる。  (びっくりした。い、いつからいたんだ……?)  今かもしれない。でも、もっと前からいたかもしれない。 「心配しすぎだろ……」  まだ落ち着かない心臓をもてあましながら、冬斗は顔の半分までお湯に入った。  ちゃぷ、とお湯が静かに揺れた。  ◆   「ちゃんとあったまれた?」  タオルで髪を拭きながら一葉の部屋に戻ると、一葉が立ち上がって近づいてきた。 「冬斗。髪乾かさないとダメじゃん」 「え、いや、いつもこんな感じだし……」  普段はタオルドライで済ませているのでそのまま出てきたのだが、一葉にため息をつかれた。まるで仕方ない子供に笑うような顔をされて、ちょっと恥ずかしくなる。 「寒さに弱いのに、冬斗ってこういうところあるよね。ちょっと待ってて。ドライヤー持ってくる」 「え、い、いいって」 「いいから」  そう言って部屋を出て行った一葉は、少しも待たないうちに手にドライヤーを持って帰ってきた。 「ほら、ここ座って」  ベッドに座るよう促される。大人しく座ると、ギシ、と音がして一葉も乗り上げてきた。 「えっ」  まさかと驚くと、一葉がドライヤーのスイッチを入れて、髪の間に指が差し込まれる。 「い、いいって。じ、自分でできるよ」 「んー?」  ドライヤーの音でこっちの声がうまく届かないのか、一葉はそのまま冬斗の髪を乾かし始める。  温かい風と共に頭を直接触られる感覚に、むずがゆさを覚えながらも、その気持ちよさにだんだん力が抜けていく。 「……」  目を閉じると、ドライヤーの音と、一葉が頭を触る感覚だけが残る。    胸が忙しなく波打っている。  でも、不思議と落ち着いた。    いつのまにかうつらうつらとしていると、カチッという音と共に、ドライヤーの音が止んだ。 「はい、終わり。……冬斗?」 「うん……」  一葉の声が遠く聞こえる。むにゃむにゃと口から意味のない言葉が出る。  一葉が笑う気配がして、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。 「あ、起きた?」 「あ……ごめん、俺……」  目を擦ると、だんだん意識がはっきりしてくる。    うたた寝をしてしまっていたらしい。    ごく近い距離に一葉の顔があって、驚いて体を引く。すると、背中が何かに当たった。 「えっ、あ……っ」  気がついたら、一葉が立てた膝の間に、すっぽり収まるような体勢になっていた。  口をぱくぱくさせて一葉を見ると、「あ、ごめん」と謝られる。 「冬斗、ぐらぐらしてたから。倒れたら危ないでしょ」 「あ、そういう……。あ、ありがと」    体を離されても、しばらく心臓は落ち着かなかった。 「もうすぐご飯できるみたいだから、そろそろ下に行こうか」 「う、うん」  一葉がベッドから降りるので、冬斗も続く。  すっかり乾いてふわふわになった髪の毛に触れて、冬斗はこそばゆいような、なんともいえない気持ちになった。   ◆    菊乃を入れて三人で食べた夕食は、賑やかではなかったけど、心地良い時間だった。  優しい味のクリームシチューと、炊き立てのご飯、皮がパリパリの鮭と、滋味深い漬物。どれも体に沁みるように美味しくて、あっという間に全部平らげてしまった。  菊乃の食べている所作が一葉と似ていて、一葉の品の良さはここからきているのかと納得した。  一葉の生活に触れて、いろんな面を見れたことがなんだか嬉しかった。  冬斗はベッドに横になりながら思わず口元を緩める。 「冬斗、寒かったら言ってね」  床に布団を敷きながら一葉が声をかけてくる。本当は自分が床で寝たかったのだが、一葉が譲らなかった。 「うん。ありがとう」    頷いて、冬斗は眼鏡を外して枕元に置いた。毛布を口元まで引き寄せる。  ふとした時に、自分の体から一葉のシャンプーの匂いがしてくる。布団にくるまると、もっと一葉を近くに感じた。    一葉のスウェットを着て、一緒にご飯を食べて、一緒の部屋で寝ている。    心がそわそわする。 「じゃあ、消すよ」  一葉がリモコンで照明を消した。    暗い中で、ストーブのぼんやりとした灯りがやわらかな影を作る。  ストーブの控えめな稼働音と、たまに雪風の音が窓の外から聞こえてくる。 「……寝た?」  しばらくして、冬斗は小声で一葉に話しかけた。 「起きてるよ」  ひっそりと、一葉の低い声がした。 「……今日、楽しかった」  冬斗はそうつぶやく。布団の中で足を擦り合わせた。 「……俺も」  一拍おいて、一葉から返事があった。  まさか、そう返されるとは思わなくて、冬斗は目を見開いた。 「……こういう時間、落ち着くね」  ぽつりと一葉が漏らした言葉に、思わず一葉の方を向く。    ストーブの灯りに、一葉の横顔がやわらかく照らされている。  目を閉じて微笑んでいる一葉は、いつもより力が抜けて、年相応の少年に見えた。    冬斗はぼうっとその横顔を見つめた後、口を開けた。 「……俺も」 「え?」  今度は一葉がうっすらと目を開いて、冬斗を見た。黒い瞳は少し輪郭が曖昧で、うつつと夢の境界にいたのだと分かる。 「こういう時間、安心する」  そう言って、冬斗は思わず口を緩める。  その言葉に一葉がまた目を閉じて、微笑む。 「……あの日、冬斗を見つけて、よかった」  雪のバス停。  一葉が声をかけてくれたことを思い出す。    静かに告げられた言葉に、冬斗は胸をぎゅっと握りしめた。 「……俺も。見つけてくれて、よかった」  やがて、すぅ、と寝息が聞こえてくる。冬斗も、そっと目を閉じた。  ────見つけてくれて、良かった。  穏やかな寝息と、ストーブの音。  こんな穏やかな時間が、いつまでも続けば良いのに。  うとうととしながら、ぼんやりと思う。    ──今夜は、どんな夢を見るのだろう。  伊織に似た恋人の依峰。  そして、冷たく、自分と同じ瞳をした一葉そっくりの男。  冬斗は夢へ思いを馳せながら、とろとろとまどろみに身を預けた。   

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