14 / 60

第13話「内緒」※

「冬斗ー?」  ぼんやりとしていると、突然伊織の顔が目の前に現れた。 「わっ……! び、びびった、なんだよ」  どきりとして慌てて眼鏡を押し戻すと、伊織が唇を尖らせる。 「ずっと話しかけてんのに、無視すんだもんよー。てか、もう授業終わったぞ?」 「え? あ」  周りを見ると、昼休みになっていたようで、周囲は賑わっている。  全然気が付かなかった。まばたきをして、隣を見ると一葉がいない。 「一葉なら鈴音と一緒に神楽の練習で出てったぞ」 「……あ、そうなんだ」  いつもなら昼休みになると一葉が真っ先に声をかけて来ていた。だから、昼休みに入っても気が付かなかったのか。  伊織が弁当箱を見せて笑う。 「昼、食おうぜ」 「おう」  伊織は一葉の席に座って、弁当箱を広げる。ふと、気になってきょろきょろと見回した。   「あれ、茜は?」 「茜は担任んとこ行ってる。ほら、白蛇祭、リハも近くなって来ただろ? いろいろ打ち合わせがあるんだとよ」 「へえ。忙しいな」  冬斗も弁当箱を広げながら、ふと、伊織と二人で食べるのは初めてだと気がついた。 「てかさ、お前、最近よくぼーっとしてるよな」 「あー……うん」  曖昧に頷いて、冬斗は卵焼きをつついた。 「なんか悩んでんのか?」 「い、いや、そういうんじゃないけど……」 「けど?」  冬斗はごくりと喉を鳴らした。 「……ゆ、夢を見るんだ」 「夢?」  伊織が生姜焼きをご飯と一緒に口に放り込む。  頷いて、冬斗は箸を止めた。 「変な夢でさ。……俺、なんか時代劇に出てくるようなところにいるんだ」  『正一』と呼ばれる自分。  冷たい白銀の男。  恋人の『依峰』  雪山の子供たち。   「妙にリアルでさ。……出てくる人たちの名前まであるんだ」 「なんだそりゃ。確かに変な夢だな」  伊織が眉を顰める。   「うん。もうさ、ここ一ヶ月くらい、ずっとその夢ばっかり見るんだ。なんかもう変になりそうで……」  言っているうちに、だんだん視線が落ちていく。  最初は、ただ、変な夢だな、と思うくらいだった。  東京から白泰村に来て、心細さと疲れから見たんだろう、と思っていた。  しかし、その内容があまりにも生々しくて、だんだん気味が悪くなってきた。 「参ってるみたいだな。……ちなみに、どんな奴が出てくんの?」 「えっ」  冬斗は思わず顔を上げた。伊織は存外真面目な顔をしている。心臓がどくりと跳ねた。  言っていいんだろうか。  そう思った瞬間、脳裏に火鉢がよぎった。  伊織にそっくりな『依峰』との、濃厚な口付け。  一気に顔が熱くなった。 「い、いや、なんか、いろいろ……」 「なんだそれ。気になるんだけど」  伊織が笑いながら身を乗り出してくる。その距離に、冬斗は思わず身を引いた。  『────名前、呼べよ』  脳裏に、夢の中の低い声が蘇る。 「っ……」 「冬斗?」 「あ、いや……その」  伊織の顔をまともに見られない。  弁当箱へ視線を落としながら、ぼそぼそと呟く。 「……男、なんだ」 「……男?」 「夢に出てくるやつ」  一瞬、空気が止まった気がした。  変に思われたかもしれない。  慌てて顔を上げると、伊織はきょとんとしていた。 「へえ。男なのか」  案外、あっさりとした返答に、冬斗はほっとした。   「そ、それでさ。なんか、すげえ距離近いんだよ。あ、いや、別に変な意味じゃなくてな? マジで全然変な意味とかじゃないけど」  焦って早口になる。顔が熱い。  伊織は数回瞬きをした後、吹き出した。 「ははっ、なんだそれ」 「わ、笑うなよ……」 「いや、だってお前、めちゃくちゃテンパってんじゃん」  腹を抱えて笑う伊織に、冬斗はむっと頬を膨らませた。   「お、俺、本気で悩んでんだからな」 「悪い悪い」  伊織はまだ少し笑いながらも、「でもさ」と箸を止めた。 「なんつーか、そこまでリアルだと気味悪いな」 「だろ……?」  冬斗はほっと息を吐いた。否定されなかったことに、少しだけ安心する。 「ちなみに、その夢に出てくる男たちって、どんな感じなん?」 「え……」  また聞かれて、言葉に詰まる。    依峰の顔が浮かぶ。  真っ直ぐな黒い目。額の傷。火鉢の赤。触れる唇。  それから、もう一人。  紫の目。氷のような冷たさを纏った、美しい男。  喉がひりついた。 「……お、覚えてない」  ぽつりと呟く。 「はあ? 逆に気になるじゃんよ」 「いや……なんか、あんま覚えてねえけど。……でも、すっげえみんなイケメン」  伊織はしばらく黙って冬斗を見ていたが、やがて「ふうん」と小さく笑った。 「冬斗、イケメン好きなの?」 「は!? ち、ちげえし! 何言ってんだよ!」  弁当箱を落としそうになって、慌てて持ち直す。眼鏡の奥から見える伊織は、にやりと笑っていた。 「でも夢って、願望とか出るって言うじゃん」 「や、やめろ!!」  顔が爆発しそうだった。  伊織はけらけら笑いながら、「悪い悪い」と謝る。  けれど、その後ふっと笑みを薄くした。 「……でもさ」 「?」 「その夢、お前だけで抱えてるとしんどいなら、また話せよ」  伊織は、いつもの軽い調子でそう言った。 「俺、聞くくらいならできるし」  その言葉に、目を見開く。胸の奥が、じんわりと熱くなって、なんだか少し泣きそうになった。 「……ありがと」 「おう」  伊織はにっと笑って、生姜焼きを口に放り込んだ。  その横顔を小さく笑いながら見た瞬間。  ────ぞくり。  突然、背筋に冷たいものが走った。  反射的に教室の入り口を見る。  一葉が立っていた。  黒い瞳が、まっすぐこちらを見ている。  隣には鈴音がいた。でも、一葉は鈴音を見ていなかった。  ただ、伊織の隣で笑っている冬斗を見つめていた。 「……一葉」  ぽつりと呟くと、伊織が一葉たちの方を向く。 「お、おかえり。神楽、どうよ?」 「ただいま。良い感じじゃないかな」 「はい。先輩が優しく教えてくれて、だいぶ上達した気がします」  一葉はやわらかな表情を浮かべてこっちにやって来る。その後をぴょこぴょこと鈴音がついてくる。 「そっちは……なんか楽しそうだね?」 「ん? ああ、まあな」 「……なんの話してたの?」 「あー、内緒!」  伊織は冬斗を一瞬横目で見て、口元に人差し指を当てて笑った。一葉の口元が弧を描く。 「……へえ」  冬斗は俯いた。  一葉が隣に座ってくる。 「冬斗」  名前を呼ばれて、おそるおそる一葉を見る。 「な、なに」  一葉の白い指が伸びてきて、髪にそっと差し入れられる。  びくりと震える。  早鐘のように心臓が鼓動を刻む。 「寝癖、ついてるよ」  そう言って笑った一葉。  張り詰めていた体から、一気に力が抜ける。 「あ、はは……」    笑おうとして、失敗した。      ◆    夢の中。  正一は芝居小屋にいた。  火鉢はない。それなのに、不思議と寒くはなく、周りもよく見えた。 「……正一」  低く、ざらついた声。  耳元で名前を呼ばれて、おそるおそる後ろを振り向く。 「……あ」  銀髪の間からのぞく紫の目。  氷のような美貌の男と目が合って、息を飲んだ。    ふと下肢に違和感を覚える。  見下ろすと、自分は白い打ち掛けの上に座らせられていて、後ろから男に抱き込まれていた。  袴が乱れていて、雪のように白く逞しい手が腰に這わせられている。  下着の結び目が解かれていた。 「やめ……っ」  怪しげに男の指が腰骨を撫で、耳元に吐息が吹き込まれる。背筋が震えた。 「あ、あの……あなたは……?」  怖い。  怖くてたまらない。  なのに、むしろ体は熱い。  正一は混乱して、目の前の男を見上げた。 「……ここで、あの男と会っていたんだろう」 「え……」  ひっそりと囁かれた言葉に目を見開く。  あの男。  依峰のことを脳裏に浮かべると、見透かされたように目を細められて顎をつかまれた。  ひやりとした手の感触に驚いていると、息ができなくなった。    口付けをされている。    そう理解した瞬間、かっと体が熱くなった。  芝居小屋の外からは、まだ笛や太鼓が聞こえてくる。  さっきまで、自分はそこにいた。  神楽舞を見に来ただけだったのに。    正一は混乱した。  男の体はどこもかしこも冷たいのに、口内は熱い。 「……正一」    『正一』。  男が自分を呼ぶ声に、依峰の声を思い出した。  この場所で肩を寄せ合い、静かに思いを交わしていた。その思い出が、白く塗りつぶされていく。 「あっ……ぅん……っ」  それは口付けというより、捕食だった。  息もつけないほど深く唇を奪われて、思わず涙が滲む。  男にゆっくりと組み敷かれた。  背後から覆い被されている体勢。正一は恐怖に震えながら後ろを振り向いた。 「な、なぜ、こんな……っ! (かんなぎ)様、なぜ……っ」 「───巫などと呼ぶな」  紫の目が妖しく光った。  ひゅっと喉が鳴る。 「……シキだ」  シキ。  その名を聞いた瞬間、なぜか胸が締め付けられた。  シキはふと何かに気がついたように、目を細めた。  袴と小袖をつかまれたかと思うと、背中が露わにされる。  頭上でシキの動きが止まった。 「……これか」  低く、氷点下の怒りをたたえたような声が聞こえた。  背骨あたりをそっと撫でられて、びくりと体が震えた。 「……これのせいで、俺は……」  シキが何か言っているが、正一はそれどころではない。  これから何をされるのか。自分がどうなってしまうのか。  それを静かに予見して、動悸がした。 「……正一」  ちゅ、と音がして、肩甲骨の間に濡れた感触がした。思わず声が漏れる。体がまた熱くなってきて、正一は思わず内腿を擦り合わせた。  首筋に歯を立てられる。  (───食われる)  なぜか、そう思った。  根源的な恐怖に呑まれて、かたかたと歯が鳴る。 「やめ……て、くださ……」  声が震える。 「……もう、待てぬ」  ひっそりと言ったシキの言葉に、正一は目を見開く。その黒い瞳に、涙が滲んだ。  ───その日、正一はシキに奪われた。    

ともだちにシェアしよう!