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第15話「余韻」

 目を覚ました。  大きく胸を上下させて、必死に呼吸をする。  (――な、なんだ、今の)  慌てて体を起こす。汗でスウェットが背中に張り付いている。心臓の音がうるさい。  はっはっと短く息を吐きながら、ぐっと胸をつかんだ。  身体中に、“シキ”に触れられた感覚が残っている。夢から覚めたはずなのに、なぜか体が重だるくて熱い。    ふと、下半身に違和感を覚えた。    まさか、と思っておそるおそるズボンを見てみると、やっぱりだった。 「……はぁ」  冬斗はくしゃりと髪の毛をかきまぜて、うなだれた。  ◆ 「おはよう、冬斗」 「……おう」  一葉の顔を見ないまま、短く返事を返した。 「昨日はよく寝れた?」 「……まあ」 「最近、寝不足気味だって言ってたから」 「……うん」  『もう、どこにも行くな』  一葉の声に、夢の声が重なる。  耳が熱い。冬斗はマフラーに顔を埋めて、うつむいた。 「……冬斗、元気ないね。やっぱり、寝れてないせい?」  一葉が顔を覗き込んできた。  薄い唇が目に入る。脳裏に夢のシーンが蘇って、思わず顔を全力で逸らした。 「だ、だだだ大丈夫!!」 「……全然、大丈夫じゃなさそうだけど」  とてもじゃないが、まともに顔なんて見られない。  (あー、なんで毎朝一緒に登校してんだよ……!)  とても喜ばしいことのはずだったのに、今日に限ってはそれが恨めしい。  ちら、と一葉の方を見る。黒い髪、黒い瞳。いつもと変わらない、やわらかな表情。  違うのに、違わない。 「熱とかある?」 「ひゃっ」  一葉の指が額に触れて、肩が大きく跳ねた。 「な、ないない! マジで大丈夫だから!」 「……そう」  心臓が口から飛び出そうだ。触れられた額が熱い。  一葉から視線を感じるが、顔を上げられない。不自然なのはわかってるが、今はどうにも取り繕えなかった。  冬斗はマフラーに顔をつっこみながら、「早くバス来い」と念じ続けた。  ――その後、バスで隣同士に座るという拷問のような時間を耐え、なんとか教室に着いた。 「おう。おはよ、冬斗」 「おはよ」  伊織が早速声をかけてくる。ほっとして、小走りで伊織の元へ行った。 「な、なあなあ、昨日のイベどうだった?」  話を振ると、伊織は明るく笑う。ゲームの話をするていで、さりげなく一葉と距離をとる。 「一葉、冬斗。おはよう」 「か、一葉先輩。おはようございます」  茜と鈴音が寄ってくる。茜は「あんたたちゲームの話しかしないよね」と呆れたように言い、鈴音は頬をほんのり赤らめて一葉の方を見ている。 「伊織、ちょっとさ……こっち、来て」    挨拶を返して、半ば強引に伊織を教室の外に連れ出した。 「なんだよ、珍しいじゃん」  階段の踊り場まで引っ張ってくると、伊織がきょとんとして見下ろしてくる。 「や……ごめん」  意味もなく耳を触る。首を傾げていた伊織だが、何かに気がついたように眉を上げた。 「もしかして……昨日の夢の話となんか関係ある?」 「……うん、まあ。……そんな感じ」 「……そっか」  ぎこちなく頷くと、伊織は意外にもあまり追及してこなかった。顔を上げると、伊織は穏やかな顔をしていた。 「まあ、あんましわかんねえけど、お前がやりたいようにやれよ。俺にできることはなんでもやってやるからさ」 「伊織……」  思わず顔を見つめていると、伊織がぱっと明るく笑った。 「なんだよ。惚れた?」 「ち、ちげえし!」 「なーんだ」  伊織が優しい顔で見てくる。こんな顔もできたんだと思った。でも、それと同時に、“依峰”もこんな顔をしていた、と思い出した。 「お、元気出てきたじゃん」  そう言って肩を小突かれる。「痛えよ」と返して、そっと足元に視線を落とした。 「……伊織、ありがと」  ぼそりと呟くと、一拍おいて肩を組まれた。 「なんだよ、改まって。急に可愛いとこあんじゃん」 「う、うるせ。つか重い!」  伊織の腕をどかそうと苦戦していると、階段を上がってきた担任に注意されて、伊織と慌てて教室に戻る。  教室を出た時とは違って、少し落ち着いた気持ちで一葉の方を見ることができる。  冬斗は少し口元を緩ませた。  ◆ 「じゃあ、また明日」  一葉に帰りの挨拶をして、そそくさと冬斗は教室を出た。  階段を降りながら、一葉の残念そうな顔を思い出す。 『一葉先輩、今日、一緒に神楽の練習やりませんか』 『いや……』 『やれよ、一葉』  鈴音の誘いを断ろうとした一葉を遮って、早口で告げた。一葉は一瞬目を見開いた。  一葉が何か言おうとしたところに、強引に帰りの挨拶を押し付けて教室を出てきた。  冬斗は足早に階段を降りる。急いで校門を出て、雪道を歩いた。  いつもより急いで出てきたためか、運良く一本遅れで来ていたバスに乗り込むことができた。逃げるように乗り込み、隅の方の席に座る。  ようやく、ふう、と肩から力が抜けた。  エンジン音と共に走り出したバス。窓の外の銀世界を眺めながら、ふとさらさらとした銀糸のような髪を思い出した。  (俺……やばくね)  とうとう一線を超えた。今までもだいぶ生々しかったが、今日の夢は比ではなかった。  まだ、夢の余韻が体に残っている。    窓に映る自分の前髪を、そっとかき分ける。白い窓に反射する紫の目に、心臓が鳴った。  スマホを取り出す。周りの目を気にしながら、検索エンジンに文字を入力していく。    “同性 そういうこと 夢”  “友達 キス 夢”  “自分なのに自分じゃない 夢”  次々に検索をかけては、スクロールしまくる。    『深層心理』  (んなわけあるか)  『ストレス』  (……それはあるかも)  『恋愛願望』  (……)  ぴた、と指を止めた。 (……恋愛)  一葉の優しく微笑む顔を思い浮かべて、頭を振る。違う。そんな訳ない。あっていいはずがない。  ふと、鈴音を思い出した。一葉に恋する目を向けていた。  (いや……明らかに、鈴音の方がお似合いだろ)  顔を合わせづらくて、とっさに二人を置いて帰ってきてしまったが、二人は今頃神楽の練習をしているんだろうか。  一葉が鈴音の手を取って、微笑みながら舞を教える姿が頭に浮かぶ。  無性に胸にもやもやとしたものが広がり、口をぎゅっと結ぶ。  『……お前は、俺のものだ』  (……あんなこと、してきたくせに)  そう思って、スマホをぎゅっと握りしめる。  ガタ、とバスが揺れた。その瞬間、ハッとして顔が熱くなった。 (いやいやいや!! どういうこと!? 違うだろ!! 一葉じゃないし、実際にされた訳じゃないし!)  ブンブンと激しく頭を振る。ぐしゃぐしゃと髪を混ぜて、冬斗は窓の外を見た。  過ぎていく雪景色を眺める。窓に映っている自分の顔は茹でたこのように真っ赤になっている。  (俺、まじで頭おかしくなったのかな……)  深くため息をついた。    やかてバスが停車し、冬斗はバスから降りる。  家まで悶々としながら雪道を歩いていると、ふと前から誰かが歩いてくるのを感じた。  (あ……)  杖をついてゆっくりと歩く老人に、見覚えがあった。足を止める。  (佐久間さんだ)  佐久間さんは相変わらず落ち窪んだ目をしながら、何を考えているのかわからない表情で杖をついている。  挨拶しようかと迷っているうちに、佐久間さんは通り過ぎていった。冬斗のことなど、目に入っていないようだった。  (どこ行くんだろ)  佐久間さんが向かった先には、山くらいしかない。不思議に思いながら、足を踏み出したその時。  ふと、思い出した。  佐久間さんを初めて見た時に感じた既視感。  (そうだ。佐久間さん、いつも朝のバスで、一葉に挨拶してる人だ)  目も合わせず、無言で会釈をする杖の老人。それが佐久間さんだと気がついて、目をしばたたかせた。  ――なんで佐久間さんは一葉にだけあんな挨拶するんだろう。  冬斗はゆっくりと遠ざかって行く枯れ枝のような小さな背中を、ぼんやりと眺めた。  ◆  その日の夜。また、夢を見ていた。  次の場面は、広い畳敷きの部屋にいた。  調度品は少ないが上質なあつらえだと分かる部屋。障子越しに白い雪明かりが入っていて、夕闇を照らしている。正一のそばに置いてある火鉢の赤がぼんやり光っていた。  目の前には膳が置いてある。  つやのある白米に、湯気の立つ吸い物、川魚に山菜、漬物、白い豆腐、炙った(きのこ)、鹿肉、薄く切った果物……。所狭しと並べられた品は、どれも美味しそうなのに、まったく箸が進まない。  ごくり、と喉を鳴らして向かいに座る男を盗み見る。 「……気に入らないか」 「い、いえ、そんなことは……」  紫の目に捉えられて、びくりと体が震える。顔を下げて正座した足をもぞつかせながら、正一は震える手で箸を進める。  夕餉(ゆうげ)はどれも異様なほどに美味い。だが、やはり喉を通らず、すぐに箸は止まってしまう。  向かいに座るシキは、畳の上にある白い敷物の前で横座り気味に座っている。片膝を立て、その横に置かれた黒塗りの脇息(きょうそく)に腕を預けていて、長い銀髪が畳に流れていた。 「あ、あの……召し上がらないのですか」  シキの前に膳はない。自分だけ食事が用意されているのが居心地悪くて、おそるおそる疑問を口にした。 「俺は食事はとらぬ」  告げられた言葉に、思わず顔を上げる。シキはじっと正一を見つめている。  あまりにも人間離れした美貌と、にじみ出るおそろしさに目を合わせられず、すぐに俯く。かたかたと手が震えた。 「……腹が減っていないか」 「そういうわけでは、ないのですが……」 「ならば食え」  強い言葉に、かすかに震える手で箸を進める。  箸の音と、火鉢の爆ぜる音、衣擦れの音だけが広い部屋に聞こえる。  シキは身じろぎもせず、正一をじっと見続けている。  正一は痛い沈黙の中、ようやく夕食を詰め込むと、箸を置いて小さく息を吐いた。 「……ご馳走に、ございます」  礼をすると、シキが目を細めた。  すると、襖が静かに開けられて、侍女(じじょ)が入ってくる。侍女は小さく礼をすると、シキに目を合わせないまま、正一の膳を下げる。そして、小さく一礼してすぐに下がっていった。  シキは相変わらず、正一だけを見ている。  正一はどうしたら良いかわからず、うろうろと視線をさまよわせた。 「風呂へ行くか」  シキの言葉に、びくりと震えた。 「風呂……」  途端に、昨夜のことを思い出して体が硬直する。  月明かりの中、芝居小屋。自分はそこで――。 「湯の用意はさせている」  シキはそう言って、脇息から静かに体を起こした。 「体を休めろ」 「は、はい……」  紫の目に見つめられると、頭がぼんやりとして、抗えない。正一はゆっくりと頷いた。シキが立ち上り、近づいてくる。夕闇の中で七尺近いシキに見下ろされ、正一に影がかかる。 「立て」  シキの言葉に、震える足で立ち上がる。思わずよろめくと、冷たい手に腕を取られた。 「あ……」  まっすぐに見つめられて、目が逸せない。幼子のようにぼんやりと見上げていると、シキに口付けられた。  ひやりとした感触に、肩が震える。最初は触れるだけのものだったのが、だんだんと深くなっていく。  舌をとらえられ、口内をねぶられる。は、と口付けの合間に熱い吐息がどちらからともなく漏れ出る。  いつまでそうしていただろうか。気がついたら正一はシキにもたれかかり、支えられるようにして息を乱していた。 「……行くぞ」  低くて静かな声。はあはあと息を切らしながら、正一は「はい……」と掠れた声を漏らした。  シキが正一を伴って部屋を出ようとすると、静かに襖が開けられる。何人もの侍女たちが湯殿までの道に控えていて、正一はごくりと喉を鳴らした。  (……平常ではない)  幼い頃から暮らしてきた香本(こうもと)の館にこんな離れがあったことも、こんなに侍女たちが一人のために仕えていることにも驚いて、正一はわずかに目を見開いた。  シキと正一が歩くたび、近くにいた侍女たちが面を下げる。異様な光景に、息を飲んだ。 「あの……」  あなた様は、いったい。  そう言いかけたが、口をつぐんだ。問わなくとも、もう良かった。  

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