16 / 23
第15話「余韻」
目を覚ました。
大きく胸を上下させて、必死に呼吸をする。
(――な、なんだ、今の)
慌てて体を起こす。汗でスウェットが背中に張り付いている。心臓の音がうるさい。
はっはっと短く息を吐きながら、ぐっと胸をつかんだ。
身体中に、“シキ”に触れられた感覚が残っている。夢から覚めたはずなのに、なぜか体が重だるくて熱い。
ふと、下半身に違和感を覚えた。
まさか、と思っておそるおそるズボンを見てみると、やっぱりだった。
「……はぁ」
冬斗はくしゃりと髪の毛をかきまぜて、うなだれた。
◆
「おはよう、冬斗」
「……おう」
一葉の顔を見ないまま、短く返事を返した。
「昨日はよく寝れた?」
「……まあ」
「最近、寝不足気味だって言ってたから」
「……うん」
『もう、どこにも行くな』
一葉の声に、夢の声が重なる。
耳が熱い。冬斗はマフラーに顔を埋めて、うつむいた。
「……冬斗、元気ないね。やっぱり、寝れてないせい?」
一葉が顔を覗き込んできた。
薄い唇が目に入る。脳裏に夢のシーンが蘇って、思わず顔を全力で逸らした。
「だ、だだだ大丈夫!!」
「……全然、大丈夫じゃなさそうだけど」
とてもじゃないが、まともに顔なんて見られない。
(あー、なんで毎朝一緒に登校してんだよ……!)
とても喜ばしいことのはずだったのに、今日に限ってはそれが恨めしい。
ちら、と一葉の方を見る。黒い髪、黒い瞳。いつもと変わらない、やわらかな表情。
違うのに、違わない。
「熱とかある?」
「ひゃっ」
一葉の指が額に触れて、肩が大きく跳ねた。
「な、ないない! マジで大丈夫だから!」
「……そう」
心臓が口から飛び出そうだ。触れられた額が熱い。
一葉から視線を感じるが、顔を上げられない。不自然なのはわかってるが、今はどうにも取り繕えなかった。
冬斗はマフラーに顔をつっこみながら、「早くバス来い」と念じ続けた。
――その後、バスで隣同士に座るという拷問のような時間を耐え、なんとか教室に着いた。
「おう。おはよ、冬斗」
「おはよ」
伊織が早速声をかけてくる。ほっとして、小走りで伊織の元へ行った。
「な、なあなあ、昨日のイベどうだった?」
話を振ると、伊織は明るく笑う。ゲームの話をするていで、さりげなく一葉と距離をとる。
「一葉、冬斗。おはよう」
「か、一葉先輩。おはようございます」
茜と鈴音が寄ってくる。茜は「あんたたちゲームの話しかしないよね」と呆れたように言い、鈴音は頬をほんのり赤らめて一葉の方を見ている。
「伊織、ちょっとさ……こっち、来て」
挨拶を返して、半ば強引に伊織を教室の外に連れ出した。
「なんだよ、珍しいじゃん」
階段の踊り場まで引っ張ってくると、伊織がきょとんとして見下ろしてくる。
「や……ごめん」
意味もなく耳を触る。首を傾げていた伊織だが、何かに気がついたように眉を上げた。
「もしかして……昨日の夢の話となんか関係ある?」
「……うん、まあ。……そんな感じ」
「……そっか」
ぎこちなく頷くと、伊織は意外にもあまり追及してこなかった。顔を上げると、伊織は穏やかな顔をしていた。
「まあ、あんましわかんねえけど、お前がやりたいようにやれよ。俺にできることはなんでもやってやるからさ」
「伊織……」
思わず顔を見つめていると、伊織がぱっと明るく笑った。
「なんだよ。惚れた?」
「ち、ちげえし!」
「なーんだ」
伊織が優しい顔で見てくる。こんな顔もできたんだと思った。でも、それと同時に、“依峰”もこんな顔をしていた、と思い出した。
「お、元気出てきたじゃん」
そう言って肩を小突かれる。「痛えよ」と返して、そっと足元に視線を落とした。
「……伊織、ありがと」
ぼそりと呟くと、一拍おいて肩を組まれた。
「なんだよ、改まって。急に可愛いとこあんじゃん」
「う、うるせ。つか重い!」
伊織の腕をどかそうと苦戦していると、階段を上がってきた担任に注意されて、伊織と慌てて教室に戻る。
教室を出た時とは違って、少し落ち着いた気持ちで一葉の方を見ることができる。
冬斗は少し口元を緩ませた。
◆
「じゃあ、また明日」
一葉に帰りの挨拶をして、そそくさと冬斗は教室を出た。
階段を降りながら、一葉の残念そうな顔を思い出す。
『一葉先輩、今日、一緒に神楽の練習やりませんか』
『いや……』
『やれよ、一葉』
鈴音の誘いを断ろうとした一葉を遮って、早口で告げた。一葉は一瞬目を見開いた。
一葉が何か言おうとしたところに、強引に帰りの挨拶を押し付けて教室を出てきた。
冬斗は足早に階段を降りる。急いで校門を出て、雪道を歩いた。
いつもより急いで出てきたためか、運良く一本遅れで来ていたバスに乗り込むことができた。逃げるように乗り込み、隅の方の席に座る。
ようやく、ふう、と肩から力が抜けた。
エンジン音と共に走り出したバス。窓の外の銀世界を眺めながら、ふとさらさらとした銀糸のような髪を思い出した。
(俺……やばくね)
とうとう一線を超えた。今までもだいぶ生々しかったが、今日の夢は比ではなかった。
まだ、夢の余韻が体に残っている。
窓に映る自分の前髪を、そっとかき分ける。白い窓に反射する紫の目に、心臓が鳴った。
スマホを取り出す。周りの目を気にしながら、検索エンジンに文字を入力していく。
“同性 そういうこと 夢”
“友達 キス 夢”
“自分なのに自分じゃない 夢”
次々に検索をかけては、スクロールしまくる。
『深層心理』
(んなわけあるか)
『ストレス』
(……それはあるかも)
『恋愛願望』
(……)
ぴた、と指を止めた。
(……恋愛)
一葉の優しく微笑む顔を思い浮かべて、頭を振る。違う。そんな訳ない。あっていいはずがない。
ふと、鈴音を思い出した。一葉に恋する目を向けていた。
(いや……明らかに、鈴音の方がお似合いだろ)
顔を合わせづらくて、とっさに二人を置いて帰ってきてしまったが、二人は今頃神楽の練習をしているんだろうか。
一葉が鈴音の手を取って、微笑みながら舞を教える姿が頭に浮かぶ。
無性に胸にもやもやとしたものが広がり、口をぎゅっと結ぶ。
『……お前は、俺のものだ』
(……あんなこと、してきたくせに)
そう思って、スマホをぎゅっと握りしめる。
ガタ、とバスが揺れた。その瞬間、ハッとして顔が熱くなった。
(いやいやいや!! どういうこと!? 違うだろ!! 一葉じゃないし、実際にされた訳じゃないし!)
ブンブンと激しく頭を振る。ぐしゃぐしゃと髪を混ぜて、冬斗は窓の外を見た。
過ぎていく雪景色を眺める。窓に映っている自分の顔は茹でたこのように真っ赤になっている。
(俺、まじで頭おかしくなったのかな……)
深くため息をついた。
やかてバスが停車し、冬斗はバスから降りる。
家まで悶々としながら雪道を歩いていると、ふと前から誰かが歩いてくるのを感じた。
(あ……)
杖をついてゆっくりと歩く老人に、見覚えがあった。足を止める。
(佐久間さんだ)
佐久間さんは相変わらず落ち窪んだ目をしながら、何を考えているのかわからない表情で杖をついている。
挨拶しようかと迷っているうちに、佐久間さんは通り過ぎていった。冬斗のことなど、目に入っていないようだった。
(どこ行くんだろ)
佐久間さんが向かった先には、山くらいしかない。不思議に思いながら、足を踏み出したその時。
ふと、思い出した。
佐久間さんを初めて見た時に感じた既視感。
(そうだ。佐久間さん、いつも朝のバスで、一葉に挨拶してる人だ)
目も合わせず、無言で会釈をする杖の老人。それが佐久間さんだと気がついて、目をしばたたかせた。
――なんで佐久間さんは一葉にだけあんな挨拶するんだろう。
冬斗はゆっくりと遠ざかって行く枯れ枝のような小さな背中を、ぼんやりと眺めた。
◆
その日の夜。また、夢を見ていた。
次の場面は、広い畳敷きの部屋にいた。
調度品は少ないが上質なあつらえだと分かる部屋。障子越しに白い雪明かりが入っていて、夕闇を照らしている。正一のそばに置いてある火鉢の赤がぼんやり光っていた。
目の前には膳が置いてある。
つやのある白米に、湯気の立つ吸い物、川魚に山菜、漬物、白い豆腐、炙った茸 、鹿肉、薄く切った果物……。所狭しと並べられた品は、どれも美味しそうなのに、まったく箸が進まない。
ごくり、と喉を鳴らして向かいに座る男を盗み見る。
「……気に入らないか」
「い、いえ、そんなことは……」
紫の目に捉えられて、びくりと体が震える。顔を下げて正座した足をもぞつかせながら、正一は震える手で箸を進める。
夕餉 はどれも異様なほどに美味い。だが、やはり喉を通らず、すぐに箸は止まってしまう。
向かいに座るシキは、畳の上にある白い敷物の前で横座り気味に座っている。片膝を立て、その横に置かれた黒塗りの脇息 に腕を預けていて、長い銀髪が畳に流れていた。
「あ、あの……召し上がらないのですか」
シキの前に膳はない。自分だけ食事が用意されているのが居心地悪くて、おそるおそる疑問を口にした。
「俺は食事はとらぬ」
告げられた言葉に、思わず顔を上げる。シキはじっと正一を見つめている。
あまりにも人間離れした美貌と、にじみ出るおそろしさに目を合わせられず、すぐに俯く。かたかたと手が震えた。
「……腹が減っていないか」
「そういうわけでは、ないのですが……」
「ならば食え」
強い言葉に、かすかに震える手で箸を進める。
箸の音と、火鉢の爆ぜる音、衣擦れの音だけが広い部屋に聞こえる。
シキは身じろぎもせず、正一をじっと見続けている。
正一は痛い沈黙の中、ようやく夕食を詰め込むと、箸を置いて小さく息を吐いた。
「……ご馳走に、ございます」
礼をすると、シキが目を細めた。
すると、襖が静かに開けられて、侍女 が入ってくる。侍女は小さく礼をすると、シキに目を合わせないまま、正一の膳を下げる。そして、小さく一礼してすぐに下がっていった。
シキは相変わらず、正一だけを見ている。
正一はどうしたら良いかわからず、うろうろと視線をさまよわせた。
「風呂へ行くか」
シキの言葉に、びくりと震えた。
「風呂……」
途端に、昨夜のことを思い出して体が硬直する。
月明かりの中、芝居小屋。自分はそこで――。
「湯の用意はさせている」
シキはそう言って、脇息から静かに体を起こした。
「体を休めろ」
「は、はい……」
紫の目に見つめられると、頭がぼんやりとして、抗えない。正一はゆっくりと頷いた。シキが立ち上り、近づいてくる。夕闇の中で七尺近いシキに見下ろされ、正一に影がかかる。
「立て」
シキの言葉に、震える足で立ち上がる。思わずよろめくと、冷たい手に腕を取られた。
「あ……」
まっすぐに見つめられて、目が逸せない。幼子のようにぼんやりと見上げていると、シキに口付けられた。
ひやりとした感触に、肩が震える。最初は触れるだけのものだったのが、だんだんと深くなっていく。
舌をとらえられ、口内をねぶられる。は、と口付けの合間に熱い吐息がどちらからともなく漏れ出る。
いつまでそうしていただろうか。気がついたら正一はシキにもたれかかり、支えられるようにして息を乱していた。
「……行くぞ」
低くて静かな声。はあはあと息を切らしながら、正一は「はい……」と掠れた声を漏らした。
シキが正一を伴って部屋を出ようとすると、静かに襖が開けられる。何人もの侍女たちが湯殿までの道に控えていて、正一はごくりと喉を鳴らした。
(……平常ではない)
幼い頃から暮らしてきた香本 の館にこんな離れがあったことも、こんなに侍女たちが一人のために仕えていることにも驚いて、正一はわずかに目を見開いた。
シキと正一が歩くたび、近くにいた侍女たちが面を下げる。異様な光景に、息を飲んだ。
「あの……」
あなた様は、いったい。
そう言いかけたが、口をつぐんだ。問わなくとも、もう良かった。
ともだちにシェアしよう!

