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第17話「溶けかけのチョコレート」
「大丈夫か?」
境内を降りたところにあるベンチに座っていると、伊織が冬斗のリュックサックを持ってきた。
「ありがとう」
ぎゅっとリュックサックを握りしめる。
「……佐久間のじいちゃん、確かにいつもと全然雰囲気違かったな」
資料室に置いてきたままだったリュックサックを取りに行ってくれていた伊織は、その時に佐久間さんの様子を見たようだ。
「ありゃ、やべえわ」
苦笑する伊織が隣に腰掛けてくる。佐久間さんにつかまれた肩の痛みを思い出して、冬斗は顔を顰める。
「もともと変わり者でちょっと浮いてたけど、今日は特にやばいな……。認知症が始まってるって噂、あれ本当かもなぁ」
「……認知症?」
佐久間さんのぎらぎらとした目を思い出す。狂気じみてはいたが、それでも認知症と言われると、なんだか違和感が残った。
冬斗が黙っていると、伊織が肩を寄せてくる。
「……怖かったろ」
伊織の声と、触れ合った肩に、思わず体が固まる。
伊織を見ると、気遣うようにこっちを見ている。
「……まあ、ちょっと」
俯いて、みぞれのようになっている雪を意味もなくじゃりじゃりと踏む。
「ちょっとあんたたち、またサボり?」
後ろから声がして振り返ると、茜がむすっとして立っていた。
「サボりじゃねえよ」
「サボってんじゃん」
茜は伊織の前に立つ。その顔は少し不機嫌そうに見える。
「てか、二人とも近! あんたたち男同士なのに付き合ってんの?」
茜の嫌悪するような声に、一瞬息が止まった。
「おい、そういう言い方、やめろよ」
低い声で、伊織がたしなめる。真顔になった伊織が珍しくて驚くと、茜が息を飲むのがわかった。
「お前、そういうこと言うようなやつじゃないだろ」
「……っ」
茜の顔が一瞬、傷ついたように歪む。
(あ……。そっか、茜……)
茜の気持ちを察して、胸がちくりと痛んだ。茜は泣きそうな顔をすると、黙って顔を背け、そのまま石段の上を駆け上がっていった。
「い、伊織……」
「いいんだよ。多分虫の居所悪かったんだろ。ちょっと頭冷やすくらいで正解。……わりぃ。あいつ、普段はあんな物言いしねえんだけど」
「うん……知ってる」
茜が走っていった石段を見上げて、冬斗は小さく唇を噛んだ。
改めて伊織とのスペースを少し開けると、伊織が首を傾げた。
「なんで急に距離取るんだよ」
「え、だって……」
『男同士なのに』という茜の言葉が頭に浮かぶ。冬斗の表情を見て、伊織はため息をついた。
「気にすんなって」
「でも……そう見られたら、困るだろ」
おずおずと言うと、伊織はふっと目を逸らした。
「別にいいんじゃね。俺は困んねえよ」
「え……」
目を見開く。伊織に髪をかき混ぜられた。
「てか、冬斗に距離取られる方がなんかむかつく」
「な、なんだよ、それ」
頭をわしゃわしゃとされて、思わず笑う。
ほっとして体から力が抜けた時だった。
――ふと、足元のみぞれがパキ、と凍りついた気がした。
視界に影が落ちる。見上げると、こっちを静かに見下ろす一葉がいた。
「一葉……」
ぽつりと呟く。いつもの柔らかい笑顔が消えて、無表情でこっちを見下ろす姿に、ぞわりと背筋が震えた。
一瞬、夜の瞳が紫に見えたような気がする。
無意識に、伊織の腕をぎゅっと掴んだ。
「おう、一葉。どうしたんだよ」
薄い氷のように張り詰めた空気を、伊織のからっとした声が切り裂いた。
「……茜が、泣きそうな顔してたから」
一葉がいつものような穏やかな笑みを浮かべた。やわらかい表情なのに、胸がざわざわする。
「あー……。後でちゃんとフォローいれなきゃな」
伊織がぽりぽりと頬をかく。一葉がちらりと冬斗の肩に乗った伊織の腕を見た。
「……冬斗、なんかあった?」
「……え?」
「顔色、悪いよ」
そう言った一葉にじっと見つめられる。長いまつ毛。切れ長の目。その目が、妖しく光った気がした。
「おいで」
低く、ざらりとした声。
聞き覚えのある声に、ふらふらと立ち上がる。一葉の胸元近くにいくと、優しく肩をつかまれた。
「社務所で、寝かせてもらおうか」
にっこりと笑った一葉。その目の奥だけが、笑っていない。
喉がひりつく。指先が震えた。
「伊織、冬斗のリュック、もらうよ」
「あ、じゃあ俺も……」
「伊織は茜のところ、行ってあげて」
伊織が「そうだな」と言って、ベンチから腰を上げる。
「行かないでくれ」。そう言いたいのに、声が出ない。
伊織が石段の上を上がっていく。その背中を見て、手を伸ばそうとした。
「だめ」
優しく、手を取られた。
「冬斗は、体調悪いんだから。俺と一緒に、ゆっくり行くよ」
そう言われてしまうと、何も言えなくなる。
「ね?」
ふんわりと微笑む一葉から、目が逸らせない。
――境界が、曖昧になっていく。
つかまれた腕が熱い。体が熱を持ち始める。
『――お前は、俺のものだ』
耳元で低く囁かれた気がした。
◆
あの後、事情を担任に話し、社務所で少し寝かせてもらった。佐久間さんの尋常ではない姿を伊織も見ていたこともあって、佐久間さんは次回から係を外れることになったそうだ。少し申し訳ない気もしたが、あのぎらぎらとした目を思い出すと、異を唱える気にもならなかった。
社務所で横になっていたが、隣にずっと一葉がいたせいでまったく休まらなかった。しばらくすると、赤い目をした茜が伊織と一緒にやってきた。後ろには鈴音もいる。
「冬斗……ごめんなさい。話、聞いたよ。なのに、あたし……っ」
制服の袖で目元を拭っている茜に、なんとか笑って見せた。
「茜、気にしないで。俺、なんとも思ってないよ。てか、そんなにひどい言葉じゃなかったし」
「そんなことない! ひどかったよ……。ごめん」
茜がふるふると頭を振る。そんな茜の手を、鈴音がそっと握った。
「ありがと、茜」
呟くと、茜が目を擦って、その後、気持ちを切り替えたようにいつもの凛とした顔になった。
「今日さ、この後、時間ある?」
「え?」
きょとんとして茜の赤い目を見る。
「お! あざーす!」
突然、伊織が嬉しそうに手を挙げた。鈴音がくす、と笑った。一葉を見ると、笑って肩をすくめる。
何が何だかわからなかったが、とりあえずぎこちなく頷いた。
◆
「いただきまーす」
「い、いただきます……」
伊織が元気にカップ麺の蓋を開ける。冬斗はおずおずと肉まんをかじった。
コンビニの前で誰かとたむろするなんて初めてで、冬斗はなんだかむずかゆくなる。
「あんた、本当にこの時間にカップ麺食べるの?」
カップ麺をすする伊織を見て、茜が呆れたようにため息をつく。
「良いんだよ。どうせ晩飯までまだ時間あるし。あー、人の金で食うカップ麺ほどうまいもんはねえな」
「ばっかみたい。……今日だけだからね」
「なんだ。もっと罵倒してくれりゃいいのになぁ。そしたら、毎日茜のおごり」
「ちょっと」
茜が伊織の肩をどつく。「いって! うわ、あち!」と悲鳴をあげる伊織たちを見て、冬斗は笑った。
「冬斗」
肉まんを食べ終えて包み紙をビニール袋に入れていると、隣から声をかけられた。
びく、と体が震える。見上げると、一葉が心配そうな顔でこっちを見下ろしていた。
「……もう、大丈夫?」
気遣うように冬斗をうかがう一葉に、冬斗は小さく頷いた。
「うん。……ありがと」
「今日は疲れたよね。……あ、はい、これ」
「え?」
一葉から差し出されたものを見ると、ホッカイロだった。
「……いいの?」
「うん。さっき買ったばっかりだから、まだそんなにあったかくないけど」
「……ありがとう」
受け取ると、ほのかな温かさが伝わってくる。一葉は、静かに目を細めた。
ぎゅっとホッカイロを握りしめる。
「……一葉、ごめん」
「え? 何が?」
「……ううん。なんでもない」
やわらかく口角を上げている一葉を見つめる。
(俺、馬鹿だな……)
勝手に意識して、勝手に避けて。
一葉は出会った頃から、ずっと冬斗に優しくて、変わっていないのに。
俯いて、唇を噛んだ。
「冬斗」
名前を呼ばれて顔を上げると、カイロを持っていない方の手に何か置かれた。
「え、何これ」
「まだちょっと元気なさそうだから」
銀色の包み紙を開けると、中からつやのあるチョコレートが出てきた。
「わ……あ、ありがと」
チョコレートは冬斗の好物だった。以前、何気なく好きだと言ったことがあった。
一葉が微笑む。
「食後のデザート。まだ、たくさんあるから」
もしかして、冬斗のために買ってくれたのだろうか。ホッカイロも、チョコレートも。
冬斗は、チョコレートを口に含む。カリっと歯を立てると、甘さとともにほろ苦さが口の中に広がる。
なんだか目頭が熱くなってきて、慌ててマフラーに顔を埋めた。
「なぁ冬斗〜! 茜がこええんだよ、助けてくれよー」
「は!? なに、怖いって! そうさせてるのあんたでしょ!」
「あ、茜ちゃん、落ち着いて……」
伊織がドタドタと冬斗にしがみついてくる。茜がぐいぐいと伊織を引っ張り、鈴音がおろおろと茜をなだめようとする。
「うわっ、お、おま、巻き込むなよ!」
悲鳴をあげて、冬斗はとっさに体をよじった。すると、さりげなく一葉に肩を寄せられて、どきりとする。
「危ないなぁ。大丈夫、冬斗?」
「へ? あ、う、うん」
ぎぎぎ、とロボットのように頷くと、そんな冬斗を見て何を思ったのか、一葉がおかしそうに笑った。
「あ! 一葉、お前はそうやっていつも高みの見物して!」
「うっさい、伊織! 一葉に絡まない!」
「ふ、冬斗先輩、ずるい……!」
騒ぐ伊織と、それをたしなめる茜。そして、顔を赤らめながら口を尖らせる鈴音。
頭上では一葉が静かに笑っている。
冬斗は、思わず声を出して笑った。
「……ふっ。あははは」
すると、一瞬空気が静かになる。
不思議に思うと、茜が目を丸くしたまま呟いた。
「ふ、冬斗が笑ってる……」
「うおお……初めて見た」
みんなの驚いた顔に、急に恥ずかしくなって慌てて笑顔を引っ込める。
変だっただろうか。
すると、「あー、終わっちゃった」と茜が残念そうな声を上げる。
「レアだったのにな」
「一瞬でしたね」
みんなの反応にどうしたら良いかわからなくなって、一葉を見上げる。
目が合うと、一葉がふっと微笑んだ。
その目があまりにも優しくて、どきりとして冬斗はまた顔を戻した。
溶けかけのチョコレートのような、一葉の優しい微笑みがしばらく頭から離れなかった。
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