20 / 23
第19話「お前は、冬斗だよ」
翌日の朝。佐久間さんはいつも通りバスに乗っていた。
少し緊張しながらバスに乗り込むと、佐久間さんと目が合う。
佐久間さんにじっと見つめられて思わず体が固くなった。しかしすぐに佐久間さんは後ろにいる一葉に気がついて、無言で目を逸らして会釈をする。その様子はやっぱり不気味だ。
座席に座った後、隣の一葉にこっそりと訊いた。
「あのさ……佐久間さん、なんか一葉に対して、態度おかしくね?」
声を潜めて言うと、一葉が困ったように小さく笑った。
「ああ。なんかね、ずっとなんだよね。もう慣れちゃったけど、やっぱりおかしいよな」
「うん。だって、佐久間さん、一葉のこと「あの方」とか呼んでたよ」
「うん、それも昔からなんだ。不思議だよね」
その時、佐久間さんの言葉を思い出した。
『その名は……どこにも載っておらん』
佐久間さんは、シキの名前に反応した。何か知っているのだろうか。
「冬斗?」
考え込んでいると、一葉に顔を覗き込まれる。
瞬間、氷のような冷たい美貌が重なって息を飲んだ。
頭をブンブンと振る。
自分は遠月冬斗だ。正一じゃない。そして、一葉は一葉だ。シキなんかじゃない。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「最近、多いね。クマ、またひどくなってるんじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ。今日、休んだら? どうせ今日は明日の準備で午前中だけだし」
「大丈夫だって」
笑って見せると、一葉はふぅ、とため息を吐いて「無理しないでね」と心配の色を浮かべた。
暖房の熱で曇った窓の向こうを、白い雪景色が流れていく。
それをぼんやりと眺めながら、なんだか言いようのない胸騒ぎを覚えた。
◆
作業が早々に終わってどうしようかと思っていると、にわかに社務所の方が騒がしくなった。
なんだろう、と思って社務所に顔を出してみると、そこには装束を着た一葉と鈴音がいた。
一葉は白を基調とした、薄藤色の装飾のついた豪奢な衣装を着ていて、鈴音は巫女装束を着ている。
思わず息を呑んだ。
白い狩衣 の袖には、銀糸で蛇の鱗のような模様が刺繍されている。
日本史の資料集でこういった衣装は見たことがあったが、一葉が着ると迫力も神聖さも、何もかもが異次元だった。
「……すご」
ぽつりと呟くと、一葉がこっちに気づいて、ふっと笑った。
「冬斗」
柔らかく笑う、いつもの一葉。なのに、なんだか胸が波打つ。
「どう? 似合ってる?」
冗談っぽく言われて、慌てて視線を逸らした。
「に、似合ってるとかいうレベルじゃねえだろ……」
声が少し掠れる。
「先輩、やばすぎ……! 去年もかっこよかったけど、今年もかっこよすぎます……!」
鈴音が感激したように顔を真っ赤にして見惚れている。
「ありがとう。鈴音も似合ってるよ」
にこりと愛想の良い笑みを浮かべた一葉に、今度は胸に冷たいものが落ちた。
「あ! 鈴音可愛い〜! てか一葉はやっぱりレベル違うわね……」
後から茜がテンション高く入ってくる。一葉と鈴音はみんなの中心にいた。
「写真撮ってあげるよ、鈴音」
「え、良いの?」
「ほらほら、二人並んで! あ、もっと寄って! そうそう。もっと。……きゃー! 最高!」
撮影会が始まり、冬斗はその熱狂の中、自分だけがついていけていない感覚がした。みんなは楽しそうだ。なのに自分は笑えない。まるで芝居を客席で眺めているようだ。
楽しそうに写真を撮り合う声が遠くに聞こえる。
一葉がひどく遠く見えた。
鈴音をぼんやりと眺める。一葉と並んで、嬉しそうに頬を染めている。
じりじりと、胸が焦げる気がした。
(――なんで、俺はここにいるんだろう)
ふと、なぜかそんなことを思った。
鈴音がいる場所は、本当は……――。
ふいに、一葉がこちらを見た。
どくり、と心臓が鳴る。
その黒い瞳の奥に、一瞬だけ紫が揺れた気がした。
「冬斗」
後ろから声がして、腕を引かれた。
振り返ると、伊織がいた。
「行こうぜ」
一葉がこっちを見ている。
冬斗は頷いて、一度だけ一葉を振り返って社務所を出た。
楽しそうな声が遠くなっていく。最後に一葉と目があった。でも鈴音に話しかけられて、すぐに視線はほどけた。
◆
社務所を出て少し歩いたところで、伊織が立ち止まった。
「……大丈夫か?」
「……え?」
伊織に真面目な顔で問われて、ぼんやりしながら首を傾げる。
「なんかお前、すげえぼんやりしてたぞ」
「……あ」
伊織は冬斗を見下ろして、はぁ、とため息を吐いた。
「一葉に見惚れてんのかなーと思ったけど、そんな感じもしねえし。なんか変な感じだったからとりあえず引っ張ってきちまったけど」
「……ありがと」
素直に礼を言った。あのままあそこにいたら、自分はどうなっていただろうか。伊織に連れてこられなくても、社務所を飛び出していたかもしれない。
伊織に腕を取られたまま、じっと足元を見下ろす。
みんなが社務所で一葉と鈴音を囲んでいるからか、雪の境内には他に生徒たちの姿はない。
「なあ。炊き出しの方も一段落したし、またこっそりサボっちまおうぜ」
明るい伊織の声に、思わず顔を上げた。穏やかな顔で冬斗を見下ろしている。
「う、うん」
頷くと、伊織は満足そうに笑った。その顔が夢の中の恋人と重なって、冬斗は唇をぎゅっと噛んで下を向いた。
伊織に連れてこられたのは、神社の裏にある古い東屋だった。
雪に埋もれかけた石畳。何十年も前に建てられたのだろう。木材はところどころ割れ、風雪に削られて角が丸くなっていた。
中には木製の長椅子が二つと、誰かが持ち込んだらしい古い火鉢が隅に置かれている。
冷たい木の匂いと、湿った土の匂いがする。
遠くから、祭の準備をする人々の声が微かに聞こえてきた。
伊織は慣れた様子で柱にもたれかかった。
「ここ、穴場なんだよな」
ぐーっと伸びをする伊織を見つめていると、伊織と目があった。
「……また、夢か?」
「……うん」
小さく頷くと、「そっか」と伊織が呟いた。
伊織と冬斗の間には、火のついていない火鉢がある。灰色の火鉢をぼんやりと眺める。
雪の気配と、白い沈黙。はぁっと吐いた息が白い。
「……俺さ、頭、おかしくなったかもしんないんだ」
火鉢を眺めたまま、ぽつりと呟いた。
伊織は黙って聞いている。
「毎晩、夢を見るんだ。あの夢。一葉と、伊織に似てる男たちがいて、俺は……、俺は……」
そこから先は、どうしても言えなかった。
「……それって、前に言ってた“よりみね”?」
伊織が静かに訊く。ぎこちなく頷いた。
黙る冬斗を、伊織は何も言わずに見つめている。
「なあ、冬斗」
やがて、伊織が柱から体を離した。次の瞬間、伊織の力強い手が肩にかけられていた。
「お前は、冬斗だよ」
見上げると、伊織が真剣な顔をしていた。
焦茶色の髪に、琥珀色の瞳。
依峰の暗い色とは違う。
「んで、俺は俺。藤堂伊織だ」
力強い声に、瞬きをする。白くけぶっていた思考が、だんだんと晴れていく。
深く息を吐いた。肩から力が抜けていく。
「……大丈夫そうか?」
「うん……」
頷くと、伊織は太陽のように笑った。なんだかほっとして、冬斗もつられて口端を持ち上げた。
「はあー。よかった。なんかお前元気ないと調子狂うわ」
伊織が笑いながら長椅子に腰掛けたので、なんとなく冬斗も隣に腰掛けた。
火のついていない火鉢を二人でなんとなく眺める。
「……てかさ、お前、一葉のこと好きなの?」
「はっ!?」
突然の問いに、勢いよく顔を上げる。眼鏡がずれそうになって、慌てて掛け直した。
「な、なな、な……」
「はは。テンパリすぎ。ビンゴ?」
顔がかーっと熱くなっていく。
「冬斗ってさ、なんか面白ぇよな。あとさ……たまに俺のこと、すげぇ見てない?」
「えっ」
どきりとして、体が固まった。
「最初は気のせいかなーって思ってたけど、そんなことも無さそうだし。かと思ったら、一葉のことも意識してるっぽいし」
「あ、あ……」
手が震えた。顔が熱い。
「一葉も、冬斗が来てから急に変わったし。それまではさ……なんつうか変な話、ちょっと浮いてるっていうか。いや、悪い意味じゃないんだけど。俺たちとはどっか違うような感じだったんだよな。でも冬斗が来てから、あいつ楽しそうになって、なんか素になってる気する」
「……そう、なんだ」
一葉を思い返す。第一印象はなんかすごいイケメンだけど、不思議な人って感じだった。でも、一葉だけがこの目を褒めてくれて、優しくしてくれて、どんどん……冬斗の中で大きな存在になっていった。
一葉は底抜けに優しい。でもたまに、ふと孤独を滲ませる。
『めんどうだろ、ああいうの』
『そういうの、よくわからないんだ』
『大事にしたいものほど、うまく触れられない気がする』
ふと見せる寂しさが、気になって仕方なかった。こんなに一葉は優しいのに。なんで、どこか違う場所に立ってるように思えるのだろう。
「……好きとか、よくわかんないけど。でも、一葉は俺にすごく優しくしてくれるから。だから、俺も同じだけ返したいのかもしれない」
ふと、一葉と鈴音の後ろ姿がちらついた。胸がきゅっと切なくなる。
――本当に、それだけ?
頭の隅で声がしたが、見ないふりをした。
「……ふーん」
「な、なんだよ、その微妙な反応」
「別に。なんでもねえよ」
「なんだよ」
目を細めた伊織をうろんげに見ると、伊織が火鉢に目を落とした。
「……俺、お前のこと、好きかも」
「ああそう。どうも……って、え?」
一拍遅れて言葉の意味を理解して、思わず体を引いた。
「は、おま、なに、何言って……」
心臓がうるさい。火鉢が視界の隅にある。
思わず伊織の口元を見た。
――何度も、口付けをした。
(いや、違う。それは伊織じゃない)
頭では分かっている。でも、体がどんどん熱を持っていく。
喉がひく、と変に鳴った。
伊織は、冬斗をじっと見た後、ふっと笑った。
「……なーんてな」
「……は? ……はああ?」
伊織はにやにやと笑っている。
その顔を見た途端、じわじわと頭に血がのぼっていくのがわかった。
「おっ……まえ……! び、びびらせんなよっ。ほんっとタチわりいな!」
「わりぃわりぃ。いや、どんな反応するのか見たくて」
「性格わる!」
「あー、やばかった。お前マジで顔真っ赤なんだもん」
「おいっ」
腹を抱えて笑う伊織の肩を思い切りどつく。心臓が早鐘のように鳴っている。
「冗談でもそんなこと言うなよ」
ふぅ、と大きくため息を吐いて、俯いた。
「あー……ごめんって」
ふと、伊織を盗み見る。
(あ……)
慌てて目を逸らした。
――伊織の琥珀色の目は、静かに火鉢に落とされていた。
見てはいけなかった気がする。なんだか息苦しくなって、唇をそっと噛んだ。
「も、戻ろうかな……」
そう言ってベンチから腰を上げると、伊織も立ち上がった。
「だな。そろそろ行くか」
「おう」
伊織と二人で境内に戻ると、どこからか神楽歌が聞こえてきた。
低く、腹に響くような厳かな音。しゃん、と鈴の音が雪に落ちる。
ざわざわと胸の奥が騒ぐ。冬斗はそっと目を閉じて息をついた。
――明日は、白蛇祭だ。
ともだちにシェアしよう!

