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第19話「お前は、冬斗だよ」

 翌日の朝。佐久間さんはいつも通りバスに乗っていた。  少し緊張しながらバスに乗り込むと、佐久間さんと目が合う。  佐久間さんにじっと見つめられて思わず体が固くなった。しかしすぐに佐久間さんは後ろにいる一葉に気がついて、無言で目を逸らして会釈をする。その様子はやっぱり不気味だ。  座席に座った後、隣の一葉にこっそりと訊いた。 「あのさ……佐久間さん、なんか一葉に対して、態度おかしくね?」  声を潜めて言うと、一葉が困ったように小さく笑った。 「ああ。なんかね、ずっとなんだよね。もう慣れちゃったけど、やっぱりおかしいよな」 「うん。だって、佐久間さん、一葉のこと「あの方」とか呼んでたよ」 「うん、それも昔からなんだ。不思議だよね」  その時、佐久間さんの言葉を思い出した。  『その名は……どこにも載っておらん』  佐久間さんは、シキの名前に反応した。何か知っているのだろうか。   「冬斗?」  考え込んでいると、一葉に顔を覗き込まれる。  瞬間、氷のような冷たい美貌が重なって息を飲んだ。  頭をブンブンと振る。  自分は遠月冬斗だ。正一じゃない。そして、一葉は一葉だ。シキなんかじゃない。 「ごめん、ぼーっとしてた」 「最近、多いね。クマ、またひどくなってるんじゃない?」 「そうかな」 「そうだよ。今日、休んだら? どうせ今日は明日の準備で午前中だけだし」 「大丈夫だって」  笑って見せると、一葉はふぅ、とため息を吐いて「無理しないでね」と心配の色を浮かべた。  暖房の熱で曇った窓の向こうを、白い雪景色が流れていく。  それをぼんやりと眺めながら、なんだか言いようのない胸騒ぎを覚えた。  ◆    作業が早々に終わってどうしようかと思っていると、にわかに社務所の方が騒がしくなった。  なんだろう、と思って社務所に顔を出してみると、そこには装束を着た一葉と鈴音がいた。  一葉は白を基調とした、薄藤色の装飾のついた豪奢な衣装を着ていて、鈴音は巫女装束を着ている。    思わず息を呑んだ。  白い狩衣(かりぎぬ)の袖には、銀糸で蛇の鱗のような模様が刺繍されている。  日本史の資料集でこういった衣装は見たことがあったが、一葉が着ると迫力も神聖さも、何もかもが異次元だった。 「……すご」  ぽつりと呟くと、一葉がこっちに気づいて、ふっと笑った。 「冬斗」  柔らかく笑う、いつもの一葉。なのに、なんだか胸が波打つ。 「どう? 似合ってる?」  冗談っぽく言われて、慌てて視線を逸らした。 「に、似合ってるとかいうレベルじゃねえだろ……」  声が少し掠れる。 「先輩、やばすぎ……! 去年もかっこよかったけど、今年もかっこよすぎます……!」  鈴音が感激したように顔を真っ赤にして見惚れている。 「ありがとう。鈴音も似合ってるよ」    にこりと愛想の良い笑みを浮かべた一葉に、今度は胸に冷たいものが落ちた。 「あ! 鈴音可愛い〜! てか一葉はやっぱりレベル違うわね……」  後から茜がテンション高く入ってくる。一葉と鈴音はみんなの中心にいた。 「写真撮ってあげるよ、鈴音」 「え、良いの?」 「ほらほら、二人並んで! あ、もっと寄って! そうそう。もっと。……きゃー! 最高!」  撮影会が始まり、冬斗はその熱狂の中、自分だけがついていけていない感覚がした。みんなは楽しそうだ。なのに自分は笑えない。まるで芝居を客席で眺めているようだ。  楽しそうに写真を撮り合う声が遠くに聞こえる。  一葉がひどく遠く見えた。  鈴音をぼんやりと眺める。一葉と並んで、嬉しそうに頬を染めている。  じりじりと、胸が焦げる気がした。  (――なんで、俺はここにいるんだろう)  ふと、なぜかそんなことを思った。    鈴音がいる場所は、本当は……――。    ふいに、一葉がこちらを見た。  どくり、と心臓が鳴る。  その黒い瞳の奥に、一瞬だけ紫が揺れた気がした。 「冬斗」  後ろから声がして、腕を引かれた。  振り返ると、伊織がいた。 「行こうぜ」  一葉がこっちを見ている。  冬斗は頷いて、一度だけ一葉を振り返って社務所を出た。  楽しそうな声が遠くなっていく。最後に一葉と目があった。でも鈴音に話しかけられて、すぐに視線はほどけた。    ◆  社務所を出て少し歩いたところで、伊織が立ち止まった。 「……大丈夫か?」 「……え?」  伊織に真面目な顔で問われて、ぼんやりしながら首を傾げる。 「なんかお前、すげえぼんやりしてたぞ」 「……あ」  伊織は冬斗を見下ろして、はぁ、とため息を吐いた。 「一葉に見惚れてんのかなーと思ったけど、そんな感じもしねえし。なんか変な感じだったからとりあえず引っ張ってきちまったけど」 「……ありがと」  素直に礼を言った。あのままあそこにいたら、自分はどうなっていただろうか。伊織に連れてこられなくても、社務所を飛び出していたかもしれない。  伊織に腕を取られたまま、じっと足元を見下ろす。  みんなが社務所で一葉と鈴音を囲んでいるからか、雪の境内には他に生徒たちの姿はない。 「なあ。炊き出しの方も一段落したし、またこっそりサボっちまおうぜ」  明るい伊織の声に、思わず顔を上げた。穏やかな顔で冬斗を見下ろしている。 「う、うん」  頷くと、伊織は満足そうに笑った。その顔が夢の中の恋人と重なって、冬斗は唇をぎゅっと噛んで下を向いた。    伊織に連れてこられたのは、神社の裏にある古い東屋だった。  雪に埋もれかけた石畳。何十年も前に建てられたのだろう。木材はところどころ割れ、風雪に削られて角が丸くなっていた。  中には木製の長椅子が二つと、誰かが持ち込んだらしい古い火鉢が隅に置かれている。  冷たい木の匂いと、湿った土の匂いがする。  遠くから、祭の準備をする人々の声が微かに聞こえてきた。    伊織は慣れた様子で柱にもたれかかった。 「ここ、穴場なんだよな」  ぐーっと伸びをする伊織を見つめていると、伊織と目があった。 「……また、夢か?」 「……うん」  小さく頷くと、「そっか」と伊織が呟いた。  伊織と冬斗の間には、火のついていない火鉢がある。灰色の火鉢をぼんやりと眺める。  雪の気配と、白い沈黙。はぁっと吐いた息が白い。 「……俺さ、頭、おかしくなったかもしんないんだ」  火鉢を眺めたまま、ぽつりと呟いた。  伊織は黙って聞いている。 「毎晩、夢を見るんだ。あの夢。一葉と、伊織に似てる男たちがいて、俺は……、俺は……」  そこから先は、どうしても言えなかった。 「……それって、前に言ってた“よりみね”?」  伊織が静かに訊く。ぎこちなく頷いた。  黙る冬斗を、伊織は何も言わずに見つめている。 「なあ、冬斗」  やがて、伊織が柱から体を離した。次の瞬間、伊織の力強い手が肩にかけられていた。 「お前は、冬斗だよ」  見上げると、伊織が真剣な顔をしていた。  焦茶色の髪に、琥珀色の瞳。  依峰の暗い色とは違う。 「んで、俺は俺。藤堂伊織だ」  力強い声に、瞬きをする。白くけぶっていた思考が、だんだんと晴れていく。  深く息を吐いた。肩から力が抜けていく。 「……大丈夫そうか?」 「うん……」  頷くと、伊織は太陽のように笑った。なんだかほっとして、冬斗もつられて口端を持ち上げた。 「はあー。よかった。なんかお前元気ないと調子狂うわ」    伊織が笑いながら長椅子に腰掛けたので、なんとなく冬斗も隣に腰掛けた。  火のついていない火鉢を二人でなんとなく眺める。 「……てかさ、お前、一葉のこと好きなの?」 「はっ!?」  突然の問いに、勢いよく顔を上げる。眼鏡がずれそうになって、慌てて掛け直した。 「な、なな、な……」 「はは。テンパリすぎ。ビンゴ?」  顔がかーっと熱くなっていく。 「冬斗ってさ、なんか面白ぇよな。あとさ……たまに俺のこと、すげぇ見てない?」 「えっ」  どきりとして、体が固まった。 「最初は気のせいかなーって思ってたけど、そんなことも無さそうだし。かと思ったら、一葉のことも意識してるっぽいし」 「あ、あ……」  手が震えた。顔が熱い。 「一葉も、冬斗が来てから急に変わったし。それまではさ……なんつうか変な話、ちょっと浮いてるっていうか。いや、悪い意味じゃないんだけど。俺たちとはどっか違うような感じだったんだよな。でも冬斗が来てから、あいつ楽しそうになって、なんか素になってる気する」 「……そう、なんだ」  一葉を思い返す。第一印象はなんかすごいイケメンだけど、不思議な人って感じだった。でも、一葉だけがこの目を褒めてくれて、優しくしてくれて、どんどん……冬斗の中で大きな存在になっていった。  一葉は底抜けに優しい。でもたまに、ふと孤独を滲ませる。 『めんどうだろ、ああいうの』 『そういうの、よくわからないんだ』 『大事にしたいものほど、うまく触れられない気がする』  ふと見せる寂しさが、気になって仕方なかった。こんなに一葉は優しいのに。なんで、どこか違う場所に立ってるように思えるのだろう。   「……好きとか、よくわかんないけど。でも、一葉は俺にすごく優しくしてくれるから。だから、俺も同じだけ返したいのかもしれない」  ふと、一葉と鈴音の後ろ姿がちらついた。胸がきゅっと切なくなる。  ――本当に、それだけ?  頭の隅で声がしたが、見ないふりをした。 「……ふーん」 「な、なんだよ、その微妙な反応」 「別に。なんでもねえよ」 「なんだよ」  目を細めた伊織をうろんげに見ると、伊織が火鉢に目を落とした。 「……俺、お前のこと、好きかも」 「ああそう。どうも……って、え?」  一拍遅れて言葉の意味を理解して、思わず体を引いた。 「は、おま、なに、何言って……」  心臓がうるさい。火鉢が視界の隅にある。  思わず伊織の口元を見た。  ――何度も、口付けをした。  (いや、違う。それは伊織じゃない)  頭では分かっている。でも、体がどんどん熱を持っていく。  喉がひく、と変に鳴った。  伊織は、冬斗をじっと見た後、ふっと笑った。 「……なーんてな」 「……は? ……はああ?」  伊織はにやにやと笑っている。  その顔を見た途端、じわじわと頭に血がのぼっていくのがわかった。 「おっ……まえ……! び、びびらせんなよっ。ほんっとタチわりいな!」 「わりぃわりぃ。いや、どんな反応するのか見たくて」 「性格わる!」 「あー、やばかった。お前マジで顔真っ赤なんだもん」 「おいっ」  腹を抱えて笑う伊織の肩を思い切りどつく。心臓が早鐘のように鳴っている。 「冗談でもそんなこと言うなよ」  ふぅ、と大きくため息を吐いて、俯いた。 「あー……ごめんって」  ふと、伊織を盗み見る。  (あ……)  慌てて目を逸らした。  ――伊織の琥珀色の目は、静かに火鉢に落とされていた。  見てはいけなかった気がする。なんだか息苦しくなって、唇をそっと噛んだ。 「も、戻ろうかな……」  そう言ってベンチから腰を上げると、伊織も立ち上がった。 「だな。そろそろ行くか」 「おう」  伊織と二人で境内に戻ると、どこからか神楽歌が聞こえてきた。  低く、腹に響くような厳かな音。しゃん、と鈴の音が雪に落ちる。  ざわざわと胸の奥が騒ぐ。冬斗はそっと目を閉じて息をついた。  ――明日は、白蛇祭だ。  

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