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第24話「難儀だな」
境内を走る。はっはっと短い息が白くなっていく。
夢中で走って、石段を下る。
「あっ……」
その時、足を踏み外した。
前から地面に倒れる形で盛大に転ぶ。
打ちつけた体が痛い。うめきながら顔を上げると、眼鏡が前方に転がっているのが見えた。
「最悪……」
フレームが折れて、壊れている。これではもうかけられない。
よろよろと起き上がり、眼鏡を拾って震える手でポケットにしまう。喉がぐっとせりあがって、視界がぼやけた。
神楽を舞う一葉と鈴音の姿を思い出す。目が離せないくらい美しかった。それなのに……美しいと思うと同時に、それ以上に怖かった。
黒いの夜の瞳。なびく長い銀髪。豪奢な狩衣姿。そして────鈴音に手を差し伸べた瞬間。
シキじゃない。そんなことは分かっている。そもそも、シキは冬斗の夢の中の住人だ。一葉を見て怖がるなんて、あってはならない。
鈴音は綺麗で、優しい。冬斗にラムネをくれた。気遣ってくれた。
その二人が、並んで神楽を舞う姿に、見惚れこそすれ、恐怖心を抱いたり、あまつさえこんな気持ちになるなんて、おかしい。
夢のせいだ。
自分がおかしな夢ばかり見るから。
自分がおかしいから。
雪の中でうずくまる。
身体中が痛い。でも、それよりも痛い場所があった。それがどこなのかは、考えたくない。
「冬斗!?」
その時、後ろから声がして振り返った。慌てたようにこっちへ駆け寄ってくるのは伊織だった。
「お前、どうした!?」
体を抱き起こされる。顔を見上げて伊織を見る。
焦茶色の髪の毛。琥珀色の瞳。それなのに――依峰が重なった。
また、境界が滲んでいく。
伊織の腕をつかむ。伊織がはっと息を飲んだ。
「伊織、俺……俺、やっぱり、もうダメなのかもしんない……」
「何がだよ。夢のことか? 言っただろ、お前は、冬斗だって。誰でもない、冬斗だよ」
伊織に揺さぶられる。かぶりを振った。
「俺だけじゃない。もう一人、いるんだ。毎晩毎晩、流れ込んでくる……おかしくなりそうなんだ」
「何言って……」
「俺だけじゃないんだよ。俺は、正一でもあって、それで、シキに……」
地面の雪を見下ろしながらぶつぶつと呟いていると、肩をがしっとつかまれた。
「落ち着けって。大丈夫。大丈夫だよ。お前は遠月冬斗だろ? 夢がなんなのか知らねえけどさ」
伊織がまっすぐにこっちを見てくる。琥珀色の目に、冬斗が映っている。
「……ほら、来週の日曜、何があるんだっけ?」
「……むごんちゃんの、インスタライブ」
「物理の期末テストの点数は?」
「……29点」
「惜しかったよなあ」
「な、なんなんだよっ」
「────お前は」
伊織がにっと笑った。
「むごんちゃんが好きで、理系が苦手で、ちょっとオタクだけどいい奴な、遠月冬斗だろ」
「……伊織」
「“しょういち”とか“よりみね”とか、よく分かんねえけどさ。お前はお前だって。な?」
伊織の顔をじっと見る。その額に傷はない。
冬斗は頷いた。
「……ありがとう。伊織。……ちょっと、取り乱した」
「ちょっとじゃねえよ。ガチで心配したわ」
「……ごめん」
はぁー、と伊織が大きくため息をついた。
「いやー、びびったわ。お前、すげえ勢いで走ってくんだもん。心配になって見てみたら、すげえ音して、階段からこけてるし」
「は、はは……俺、ダサ……」
少し恥ずかしくなって笑うと、伊織がふぅ、と一息ついて、髪をかき混ぜた。
「……一葉だろ?」
「え」
どくん。心臓が大きく波打つ。
「ち、がう」
「違くねえだろ」
「違うって」
心臓が早鐘のように鳴る。
「なんで、そんなこと言うんだよ」
伊織がじっとこっちを見ているのがわかる。でも、顔を上げられない。指先が小さく震えた。
「お前がなんかおかしくなるのって、大体一葉じゃん」
「んなこと、ねえし」
「そうだよ」
「なんでわかんだよ!」
手をつかまれた。びくりと肩が震える。
「いつも見てたらわかるっつうの」
琥珀色の瞳に、まっすぐ見つめられる。
「……お前、最近一葉のことになると、わかりやすいよな」
「え……」
「やっぱりさ、一葉のこと、好きなんじゃねえの」
――ドン。
太鼓の音が聞こえた気がした。
「は……」
息が震えた。
「何、言ってんだよ。つか、おかしいだろ。一葉、男だし……」
「男だからなんだよ」
「え、だって……」
「……茜の言ったこと、まだ気にしてんのか?」
「や、それは違う」
「じゃあ、良いじゃん。なにもおかしいことねえだろ」
ひゅ、と息が詰まった。喉が渇く。何か言わなきゃいけないのに、何も言葉が出てこない。
頭がぐるぐるしながら、なんとか呻くように絞り出した。
「……そんなに時間とか、経ってないし」
「関係なくね? ……お前、恋したことねえの?」
「い、いや……わかんない。多分、ないかも……」
「まじかよ……なるほどな。あー」
伊織がもどかしそうに頭をかく。焦茶色の髪の毛がわしわしと揺れた。
「お前さ、鈴音が一葉と付き合ったらどう思うの」
「え」
一葉が、鈴音と。
鈴音を甘やかして、笑い合って、手を繋いだり、そして……。
想像すると、胸が痛くなった。紙の端で指先を切ったような、じんじんした痛み。
伊織がじっと冬斗を見つめて、はぁ、とため息を吐いた。
「そういうことなんじゃねえの」
「……」
違う。
そんな訳はない。そんなはずはない。正一の感情に引っ張られて、シキと似ている一葉を気になっているだけだ。
そして、それは一葉にとっても、冬斗にとっても、多分、あまり良くないことだ。
「……違うよ」
伊織がため息をついた。
「ああ、そうかよ。……なら、良いんじゃねえか」
やれやれ、と言いたげに伊織が肩をすくめる。なんだ、その子どもを見るような目は。
むっと唇を噛んでいると、伊織に引き起こされた。
「……難儀だな」
「なんだよ。そんな難しい言葉知ってたのかよ」
「うるせえ。俺は国語は五だ」
くすりと笑うと、伊織も笑った。
「ほら、戻ろうぜ。そろそろ神楽終わる頃だろ」
「うん。ありがと」
さっき下りた石段を、今度は上っていく。今度は転ばないように、しっかりと踏みしめながら歩いた。
雪が、強くなってきていた。
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