25 / 41

第24話「難儀だな」

 境内を走る。はっはっと短い息が白くなっていく。  夢中で走って、石段を下る。 「あっ……」  その時、足を踏み外した。  前から地面に倒れる形で盛大に転ぶ。  打ちつけた体が痛い。うめきながら顔を上げると、眼鏡が前方に転がっているのが見えた。 「最悪……」  フレームが折れて、壊れている。これではもうかけられない。  よろよろと起き上がり、眼鏡を拾って震える手でポケットにしまう。喉がぐっとせりあがって、視界がぼやけた。  神楽を舞う一葉と鈴音の姿を思い出す。目が離せないくらい美しかった。それなのに……美しいと思うと同時に、それ以上に怖かった。  黒いの夜の瞳。なびく長い銀髪。豪奢な狩衣姿。そして────鈴音に手を差し伸べた瞬間。  シキじゃない。そんなことは分かっている。そもそも、シキは冬斗の夢の中の住人だ。一葉を見て怖がるなんて、あってはならない。  鈴音は綺麗で、優しい。冬斗にラムネをくれた。気遣ってくれた。  その二人が、並んで神楽を舞う姿に、見惚れこそすれ、恐怖心を抱いたり、あまつさえこんな気持ちになるなんて、おかしい。    夢のせいだ。  自分がおかしな夢ばかり見るから。  自分がおかしいから。  雪の中でうずくまる。  身体中が痛い。でも、それよりも痛い場所があった。それがどこなのかは、考えたくない。 「冬斗!?」  その時、後ろから声がして振り返った。慌てたようにこっちへ駆け寄ってくるのは伊織だった。 「お前、どうした!?」  体を抱き起こされる。顔を見上げて伊織を見る。  焦茶色の髪の毛。琥珀色の瞳。それなのに――依峰が重なった。  また、境界が滲んでいく。  伊織の腕をつかむ。伊織がはっと息を飲んだ。 「伊織、俺……俺、やっぱり、もうダメなのかもしんない……」 「何がだよ。夢のことか? 言っただろ、お前は、冬斗だって。誰でもない、冬斗だよ」    伊織に揺さぶられる。かぶりを振った。 「俺だけじゃない。もう一人、いるんだ。毎晩毎晩、流れ込んでくる……おかしくなりそうなんだ」 「何言って……」 「俺だけじゃないんだよ。俺は、正一でもあって、それで、シキに……」  地面の雪を見下ろしながらぶつぶつと呟いていると、肩をがしっとつかまれた。 「落ち着けって。大丈夫。大丈夫だよ。お前は遠月冬斗だろ? 夢がなんなのか知らねえけどさ」  伊織がまっすぐにこっちを見てくる。琥珀色の目に、冬斗が映っている。 「……ほら、来週の日曜、何があるんだっけ?」 「……むごんちゃんの、インスタライブ」 「物理の期末テストの点数は?」 「……29点」 「惜しかったよなあ」 「な、なんなんだよっ」 「────お前は」  伊織がにっと笑った。 「むごんちゃんが好きで、理系が苦手で、ちょっとオタクだけどいい奴な、遠月冬斗だろ」 「……伊織」 「“しょういち”とか“よりみね”とか、よく分かんねえけどさ。お前はお前だって。な?」  伊織の顔をじっと見る。その額に傷はない。  冬斗は頷いた。 「……ありがとう。伊織。……ちょっと、取り乱した」 「ちょっとじゃねえよ。ガチで心配したわ」 「……ごめん」  はぁー、と伊織が大きくため息をついた。 「いやー、びびったわ。お前、すげえ勢いで走ってくんだもん。心配になって見てみたら、すげえ音して、階段からこけてるし」 「は、はは……俺、ダサ……」  少し恥ずかしくなって笑うと、伊織がふぅ、と一息ついて、髪をかき混ぜた。 「……一葉だろ?」 「え」  どくん。心臓が大きく波打つ。 「ち、がう」 「違くねえだろ」 「違うって」  心臓が早鐘のように鳴る。 「なんで、そんなこと言うんだよ」  伊織がじっとこっちを見ているのがわかる。でも、顔を上げられない。指先が小さく震えた。 「お前がなんかおかしくなるのって、大体一葉じゃん」 「んなこと、ねえし」 「そうだよ」 「なんでわかんだよ!」  手をつかまれた。びくりと肩が震える。 「いつも見てたらわかるっつうの」  琥珀色の瞳に、まっすぐ見つめられる。 「……お前、最近一葉のことになると、わかりやすいよな」 「え……」 「やっぱりさ、一葉のこと、好きなんじゃねえの」  ――ドン。  太鼓の音が聞こえた気がした。 「は……」  息が震えた。 「何、言ってんだよ。つか、おかしいだろ。一葉、男だし……」 「男だからなんだよ」 「え、だって……」 「……茜の言ったこと、まだ気にしてんのか?」 「や、それは違う」 「じゃあ、良いじゃん。なにもおかしいことねえだろ」  ひゅ、と息が詰まった。喉が渇く。何か言わなきゃいけないのに、何も言葉が出てこない。  頭がぐるぐるしながら、なんとか呻くように絞り出した。 「……そんなに時間とか、経ってないし」 「関係なくね? ……お前、恋したことねえの?」 「い、いや……わかんない。多分、ないかも……」 「まじかよ……なるほどな。あー」  伊織がもどかしそうに頭をかく。焦茶色の髪の毛がわしわしと揺れた。 「お前さ、鈴音が一葉と付き合ったらどう思うの」 「え」  一葉が、鈴音と。  鈴音を甘やかして、笑い合って、手を繋いだり、そして……。  想像すると、胸が痛くなった。紙の端で指先を切ったような、じんじんした痛み。  伊織がじっと冬斗を見つめて、はぁ、とため息を吐いた。 「そういうことなんじゃねえの」 「……」  違う。  そんな訳はない。そんなはずはない。正一の感情に引っ張られて、シキと似ている一葉を気になっているだけだ。  そして、それは一葉にとっても、冬斗にとっても、多分、あまり良くないことだ。 「……違うよ」  伊織がため息をついた。 「ああ、そうかよ。……なら、良いんじゃねえか」  やれやれ、と言いたげに伊織が肩をすくめる。なんだ、その子どもを見るような目は。  むっと唇を噛んでいると、伊織に引き起こされた。 「……難儀だな」 「なんだよ。そんな難しい言葉知ってたのかよ」 「うるせえ。俺は国語は五だ」  くすりと笑うと、伊織も笑った。 「ほら、戻ろうぜ。そろそろ神楽終わる頃だろ」 「うん。ありがと」  さっき下りた石段を、今度は上っていく。今度は転ばないように、しっかりと踏みしめながら歩いた。  雪が、強くなってきていた。     

ともだちにシェアしよう!