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第26話「あたたかな雪」
帰ったら、母親が飛んできて心配された。担任が連絡したらしい。確かに、途中で抜けてきてしまったのだから当然か。
冬斗の様子を見た母親は、少し息を飲み、そして温かい風呂を用意してくれた。
その後は母親が用意してくれた晩御飯を無言で食べ、祖母の視線を振り切って二階へ上がった。
何も、考えたくなかった。
明日になったら、全てが無かったことになればいいのに。
そう考えながら、布団に突っ込んで、気がついたら意識が沈んでいた。
◆
「────知っているか? 雪はな、雨に神さまがうつったお姿なんだって」
赤い夕日がぼんやりと雪の山肌を染める。
千代丸は御社 の前にしゃがみ込んで、雪をそっと小さな手ですくった。
「……そうなのか」
「冬にはけものたちが眠るだろう。へびがみ様も御山を守るためにお眠りになるんだって。だから、雪にそのお力をまとわせて、白泰を見守ってくださってるんだ」
「それは、知らなかったな……」
隣でしゃがむ少年に、ふふんと得意げに鼻を鳴らして、千代丸はその辺にあった木の棒を手に取った。
「白泰の雪はとくべつなんだ。お母さ……母上もよく言っていた。白泰は雪だらけなのに、こうしてみんなが豊かに暮らせるのは、へびがみ様のおかげなんだって」
雪に蛇の形を描くが、少し不細工になってしまった。
むむ、と唇を尖らせて、もう一度描き直す。でもうまくいかなくて、千代丸はむくれた。
「なぜ消す」
蛇の絵を消す千代丸に、少年が首を傾げた。
「うまくかけなかったから」
「そんなことはない」
千代丸はため息を吐いた。
「……へびがみ様は、どんな姿をしてらっしゃるのだろう」
蛇が消えた雪を見つめながら、ぽつりと呟く。
「会いたいのか」
問われて、こくりと頷いた。
「なぜ会いたい」
「……会ったら、おねがいするんだ」
「何を」
ガリ、と木の棒が地面に擦れる音がした。
「食べてくださいって」
千代丸のこぼした言葉が雪に吸い込まれる。少年が黙り込んだ。
「……蛇神は、人間など食べないだろう」
「でも、食べてくれないとこまるんだ」
「なぜだ」
少年を見上げた。
濡れたカラスのような、漆黒の髪と、静かな夜の様な瞳。
「母上を、生きかえらせてくださいって、言うんだ」
少年は静かに目を伏せた。
「……それは、無理だ」
「むりじゃない。へびがみさまなら、きっと叶えてくださる」
「……神にも、できないことはあるだろう」
少年がうつむく。
黒くて長いまつ毛が伏せられると、影が落ちる。その様が綺麗だった。
「……じゃあ、ずっと、お母さんに会えないんだ」
ぐす、と赤くなった鼻をすする。膝に顔を埋めると、ぎこちなく少年に抱きしめられた。
まさかそんなことをされるとは思わなくて、そろそろと顔を上げる。少年の黒い目と目があった。
「母親のことはどうもできないが……お前が寒くないよう、俺がこうしてあたためてやろう」
少年に包まれると、不思議なくらい体が温かくなる。
じわりと小袖から少年の体温が伝わってくる。
しばらくそうして、千代丸はふと気になった。
「なあ、名前はなんて言うんだ?」
鼻をすすって、少年を見上げる。少年の丸い輪郭を眺めていると、小さな口が開いた。
「名はない」
「え?」
「俺に、名などない」
少年はさらりと何でもないことのように言った。千代丸は目を丸くする。
「じゃあ、みんなは何て呼んでいるんだ?」
「……その方、とか、あなた様、とか」
「へんだなあ」
千代丸は少し考え込んで、ぱっと顔を明るくした。
「それならおれがつける」
「お前が?」
「そうだなぁ……」
何が良いかな、と呟いているうちに、ふと雪が降ってきた。
「あ」
見上げると、夕闇はしだいにその色を濃くしてきていた。
「……もう、帰れ」
少年の言葉に、千代丸はぐっと口を引き結んだ。
「いやだ」
「……体を壊すぞ」
「こわさないもん。……おにいさんは?」
少年はちらりと後ろの御社を見た。
千代丸は眉を八の字にした。
「……怒られる?」
少年の身を案じると、ふっと笑われた。
「俺は怒られたりなどしない。……それに、俺が怒られてもお前には関係ないだろう」
「でも……」
千代丸が眉を下げた。
「おにいさんがいやな気持ちになったら、悲しいよ」
少年が、静かに目を見開いた。
その傷も、と千代丸は少年の額に手を伸ばす。
「おれがつけちゃった。……ごめんなさい」
「気にするな。どうせ治る」
額の傷を見ると、胸がちくりと痛む。深い傷だから、きっと痕 が残ってしまうだろう。
少年はじっと千代丸の小さなつむじに視線を落とす。
千代丸は膝に顔を埋めた。
「……帰らなくちゃいけないかな」
「そうだな」
「……でも、お父さんにきらわれてる。弟たちの方が大切だって。弟たちは、ちゃんと生まれた子なんだって」
だんだんと声が震えてきて、千代丸の視界が滲む。
すると、ぐっと抱きしめる力が強くなった。
「お前の魂は、誰よりも美しい」
少年の言葉に顔を上げる。千代丸の丸い大きな目に大粒の涙が溜まっている。夕焼けの中、少年の顔が照らされる。幼いが、どこか不思議に大人びた表情をしている。
少年の顔が近づいてくる。
「あ……」
まぶたに、そっと唇を寄せられた。涙を吸われて、目をぱちぱちとさせる。なんだか胸のあたりがきゅっと縮んで、またやわらかくなるような感じがした。
「お、おれ、おにいさんと暮らしたい」
「俺と?」
少年の胸に頭を預けて、千代丸は鼻をすする。
「うん。ここを出て、いっしょに暮らそうよ」
そう言うと、少年は黙り込んだ。
「……そうだな」
少年はしばらくの沈黙の後、ぽつりと呟いた。千代丸は嬉しくなって、少年に指を差し出す。
「やくそく」
「……?」
困惑している少年の手をつかんで、小指を絡める。
「こうすれば、やくそくになるんだって」
「そうなのか」
「やくそくだよ」
少年は目をしばたたかせて、ふっと目尻をやわらかくした。
「……ああ」
ふと、西日が沈みかけていることに気がついた。
千代丸はぐっと唇を噛んだ後、すくっと立ち上がる。
「じゃあまた明日ね」
はらはらと舞い降りる雪を小さな手のひらで受ける。千代丸は少年を振り返った。
「今日は、雪、あったかいね。……かぜ、引かないようにね」
そう言って駆けていく足取りに迷いはない。小さな後ろ姿を、少年はじっと見つめる。
ふと、千代丸は思いついて、踵を返した。不思議そうに千代丸を見ている少年の元に走り寄り、その手を取る。
「思いついた!」
「なんだ」
「名前」
はしゃぎながらこっそりと耳元でその名前を言うと、少年が首を傾げた。
「なぜその名前なんだ」
「んー……なんとなく」
そう言うと、少年はまばたきをして、そしてふっと笑った。
「……ありがとう」
千代丸は息を飲んだ。胸がどくんと波打つ。
こんなに綺麗な笑い顔は、今まで生きてきて見たことがなかった。
千代丸は思わず少年をぼうっと見上げた。
────夕暮れの雪山には、優しく雪が降り、二人をそっと包み込んだ。
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