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第30話「嬉しいんだ」

 休み時間はひたすら男子トイレや人目のつかないところに逃げて、なんとかやり過ごす。  ぼうっとトイレに座りながら、白い扉を見つめる。それも飽きてくると、スマホでソーシャルゲームをやり始める。授業開始ギリギリまで時間を潰して、教室にコソコソと戻る。  一葉と休み時間に過ごしても良いけど、教室にいるのはいたたまれなかった。かといって、休み時間に毎回人目のつかないところに付き合ってもらうのは忍びない。  授業内容は、右から左へと流れていく。ぼんやりと、朝の光景が脳裏にずっとちらついている。    伊織の振り向いた顔。茜と鈴音の気まずそうな顔。そして──── 一葉の優しい笑顔。  思い出しては、胸が痛くなったり苦しくなったり忙しくなる。  考えなければ良いのに、ずっと考えてしまう。  隣にいる一葉をずっと意識している自分がいる。たまにこっそりと盗み見ると、一葉と目が合う。目が合うと、やっぱりやわらかく微笑む一葉に、体温が急上昇する。  慌てて目を逸らす。逸らしても、まだ一葉がしばらくこっちを見ている気配がして、そわそわする。  変だ。自分は今、クラスのみんなから浮いている。伊織も、茜も、鈴音も、前までと全然違う。絶望的な状況のはずなのに、なぜこんな気持ちになるんだろう。  自分はどうしてしまったのだろうか。いろいろなことがありすぎて、感情のチャンネルがバグを起こしているのだろうか。  どのチャンネルに感情を合わせたら良いのかがわからない。  こんなことは生まれて初めてだった。  ◆ 「ねえ、冬斗」  昼休みのチャイムが鳴って、ため息が漏れた時、一葉が話しかけてきた。 「今日は違う場所で食べようよ」  そう言う一葉は、珍しくにやりと笑った。いつもの穏やかで優しい顔じゃなくて、少しいたずらっぽい顔。どきりとして、頷いた。  一葉と廊下を歩いていくと、何人かの先生たちとすれ違った。先生たちはみんな一葉に足を止めて声をかける。もうそれは日常なので、冬斗も今更驚かない。驚かないが、改めて一葉はなんだか他の生徒たちとは異質だと感じた。  別棟の最上階の突き当たりの部屋で、一葉がポケットから出した鍵を差し入れた。ガチャリと音がする。  入ってみると、そこは視聴覚室のようだった。入って右手にスクリーンがあって、教室の後ろには片付けられた机と椅子がある。そして部屋の中央にはなぜか石油ストーブと大きいソファとサイドテーブルが置いてあった。 「な、なにここ」 「今はもう使われてない旧視聴覚室」 「なんで鍵持ってんの」 「先生がくれた」 「ええ……?」  そんなの有りなのか。いや、一葉なら有りなのか。  一葉は慣れた足取りで石油ストーブの方に行き、点火する。そしてソファに座ると、ぽんぽんと隣を叩いた。 「い、良いの。こんな……」  おそるおそるふかふかのソファに座る。よく見れば延長コードにスマホの充電器まで挿さっている。 「最近は使ってなかったけど、冬斗が来る前はよく使ってたんだ、ここ」 「俺が来る前まで?」 「うん。ここ、静かでよく寝れるだろ?」 「ああ、確かに……」  視聴覚室は防音仕様になってるはずだし、そもそも教室棟と離れてるから雑音がない。しかも、このふかふかのソファときた。それはもうよく眠れるだろう。しかもストーブも贅沢に独占できる。 「俺のサボり場所」 「……なんか、意外」 「え? そう?」 「うん。……なんか、勝手に一葉はそういうのしないかと思ってた」 「はは。それ、みんなにも言われる。そんなに優等生っぽい?」 「優等生っぽいって言うか……。なんか、言い方良くないかもだけど、少女漫画とかにいる王子様っぽいから」 「ええ? 何それ」  一葉の横顔を見る。男らしく整った顔と、続く喉仏。弁当を広げる姿は高校生らしい。 「王子様っぽくない俺は、いや?」  一葉がこっちを見てくる。いたずらげに笑う顔に、きゅんと胸が疼いた気がした。いや、そんな訳はない。そんな訳は。   「……な、何言ってんだよ」 「冬斗に嫌がられたら、やだなって」 「……むしろ、なんか安心した」 「それなら良かった」  二人でソファに並んで座って弁当を食べる。ついこの間まで教室でみんなとわいわい食べていたのに、今日は一葉と二人きりだ。静かなのに、嫌じゃない。 「……ねえ、冬斗」 「ん?」 「俺さ、最低かもしんない」 「え、なんで」  箸を止めて一葉を見た。一葉は食べ終わったようで、箸と弁当箱をしまっている。長い指が品よくしまうのを眺めていると、一葉がぼそりと呟いた。 「俺さ、ちょっと嬉しいんだ」 「え?」  一葉がこっちを見て、少し照れくさそうに笑った。 「冬斗と、こうやって一緒にいられるから」  ええ、とかなんとか声が漏れた気がした。  顔に急速に熱が集まっていくのを感じる。むずむずして、ぱっと目を逸らした。 「ほら、いつもはさ、伊織たちがいるだろ? ああいうのも悪くないんだけど……でもやっぱり、俺、冬斗とこうしてゆっくり話せるのが嬉しいんだ」  一葉の低くて心地よい声が耳に響く。  体がふわふわと地面から浮くような、不思議な心地がした。居心地悪いのに、ここから離れたくない。緊張するのに、もっと────。 『やっぱりさ、一葉のこと、好きなんじゃねえの』。  伊織に言われた言葉が脳裏によぎる。はっと息を飲んだ。かーっと体が熱くなる。  (そ、そんなわけない。そんなわけない)  慌てて弁当の残りをかきこむ。勢いが良すぎて、少しむせてしまった。 「大丈夫?」  背中に一葉の手が当てられて、優しくさすられた。  むせながら、内心で悲鳴をあげる。涙まで滲んできた。 「だ、大丈夫だから……っ」  必死で一葉の手を退ける。 「飲む?」  するとペットボトルが差し出された。ただの水だが、冬斗の視線は飲み口の一点に注がれる。  間接キス、という言葉が頭に浮かんだ。 「いやいやいやいやいや。いい。いいです。大丈夫」 「遠慮しなくていいよ」 「遠慮シテナイデス」 「なんでカタコト?」  一葉がくすりと笑った。  (笑うな。惚れるだろ)  反射的にそう思い、惚れる、という単語にまた脳内噴火が起きた。 「冬斗って、本当にかわ────……面白いよね」 「面白くないわ!」 「見てて本当に飽きない」 「そりゃどうも!」  空になった弁当箱を手荒くしまう。すると、一葉がソファから立った。部屋を出てどこかへ行く一葉に、一瞬どきりとする。  けれど、すぐに戻ってきた一葉の姿にほっと息をついた。一葉の手には毛布がある。 「昼寝する?」 「しない」 「目の下にクマあるよ」 「うっ……」 「少し寝なよ」  ほら、と促されて、ソファに横になる。毛布をかけられると、驚くほどすぐにまぶたが重くなってきた。  ぼやけてきた意識の中で、一葉の声が聞こえる。  勝手に降りてくるまぶたに抗いながら頷く。  ストーブの小さな音。あたたかな空間。 「……本当に、怖いだけ?」 「……」  一葉の問いに答えることはできなかった。口をなんとか動かしたけど、音が出ない。  うとうととしていると、そっと頭が撫でられた。 「……おやすみ、冬斗」  その言葉を最後に、意識を手放した。  

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