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第32話「白泰」

 はっと目を覚ました。ふ、ふ、と大きく息を吐いて、だんだん呼吸を整えていく。  暗い闇の中で、じっと天井を見つめると、だんだんと頭がはっきりとしてきた。  この一月ほどで、だいぶ戻り方が上手くなってきた。  大丈夫。ここは祖母の家。自分はただの高校生の遠月冬斗。香本正一じゃない。  大丈夫。大丈夫。  唱えているうちに、平常になってきた。  ふぅ、と息をついて、ベッドから降りる。  (今日の夢は長かったな……)  洗面所へ向かいながら、夢の内容を反芻(はんすう)する。  連日、ずっとシキと正一の夢を見ていた。その中で、正一からシキへの感情がだんだん複雑になっていったのを感じではいた。  でも、今日の夢は明らかに正一はシキに対して恐怖心以外のものを抱いていた。しかも、依峰まで再登場していた。  洗面台で顔を洗い、歯を磨く。 (……シキ、脱皮するんだ)  脱皮はかなり衝撃だった。なんとなく、シキは人間じゃないんだろうなとは思っていた。巫とか言われてるけど、実際はそうではない。なんで神楽でシキが舞っているのかは分からない。でも、シキはきっと白泰では特別な存在だった。  今回わかった脱皮に関しては、けっこう衝撃的だった。  依峰の言葉を思い出す。  『化け物』  ふと、鏡に映る目が見えた。紫色の目。瞳孔を中心に花びらのような模様がある。 「化け物、か……」  気がついたら呟いていた。洗面所にぽつんと響いた弱々しい声に、自分で驚く。  クラスメイトたちの視線を思い出す。  腫れ物に触るような目。  冬斗は髪をかきまぜて、洗面所の脇に置いていた眼鏡を手に取った。  眼鏡をかけながら、ふと思った。  ───シキも、こんな気持ちになったことがあったのだろうか。  温度のない、氷のような美貌を思い出す。すると、一葉の輪郭が重なった。 『俺が守るよ』  そう言った一葉の穏やかな顔。冬斗は、きゅっと唇を引き結んだ。  大丈夫。大丈夫。  今日も、学校に行こう。    ◆  学校では、伊織に謝られた。    昼休みに一葉と教室を出ようとしたところ、伊織に腕を掴まれた。 「冬斗、ちょっと良いか」  そう言われて一葉を見ると、一葉は一瞬目を伏せた。けれどすぐに小さく笑う。   「行っておいで」    ほっとして伊織についていくと、連れてこられたのは屋上だった。    白泰の雪景色を一面に見られて、冬斗は少し感動した。生徒たちの姿はまばらで、みんな厚着をしている。  伊織は冬斗を目立たない隅の方に連れていった。    くしゃみを一つして、伊織と向き直る。 「昨日は悪かった」 「……何がだよ」  頭を下げる伊織に、うつむく。 「別に伊織は何もしてねえじゃん」  そう。伊織は別に冬斗に何か悪いことをしたわけじゃない。悪口を言ったり、明らかに避けたりしたわけじゃない。  すると、伊織の顔がくしゃりと歪んだ。 「……何もしてねえからだよ」  後悔の色に染まった言葉に、胸が痛んだ。  ふ、と変な息が喉から漏れた。 「言い訳はしねえ。まっさきにお前に駆け寄れなかったの、すげえ後悔してる」 「……いいよ、別に」 「よくねえ」  はっきりと伊織が言い切った。その顔は少し怒っているようだった。 「……あのさ、冬斗。なんて言ったら良いかわかんねえけどさ」  伊織がまっすぐにこっちを見つめてくる。 「俺、お前のこと、嫌いになったりしてねえよ。てか、好きだし」 「……え?」  思わず固まった。すると、そんな冬斗の反応を見た伊織の顔にみるみる動揺が浮かぶ。 「あ、そう言う意味じゃねえよ!」 「……お、おう」  思わず、変な反応になってしまった。伊織が顔を手でおさえる。 「変なこと言って、悪い」 「……ふっ。今日、伊織、謝ってばっかだな」  慌ててる伊織がおかしくて小さく笑うと、伊織はぽりぽりと頰をかいた。何か言おうとして、それから口をつぐむ。  冬斗は、少し心が軽くなったのを感じて、くすくすと笑った。  伊織がじっとこっちを見ている。伊織は足を踏み出して、冬斗の目の前に立った。  何だろう、そう思って見上げると、伊織に眼鏡を外される。 「お、おいっ……」  慌てて目を隠そうとすると、その手を取られる。 「見せろよ」 「え……」  冬斗が戸惑っていると、「良いから」と少し苛立ったような声がした。びくりと肩を振るわせると、伊織が首をかく。 「わり。……自分自身にイラついてんだ。目ぐらいでお前を傷つけた。……だから、もっかいちゃんと見せてくれ」  伊織の真剣な顔に、ごくりと唾を飲んで、おそるおそる手をおろした。  そっと伊織の指が前髪を分ける。  何にも遮られていない視界で、伊織と目があった。  伊織がはっと息を飲む。その目がやっぱり揺らぐのを見て、冬斗は唇をそっと噛んだ。  けれど伊織は目を逸さなかった。今は強い目で見つめている。その意志の強い目に、ぼんやりと夢が重なった。 「……先に言っておくと、不気味だ、とか、そんなん全然思ってねえから」 「え……」 「なんかさ、こう、言葉にできないざわざわってした感じというか……。怖いとか、不気味とかじゃない。でも、なんか圧倒されちまうんだよ」  そう言うと、伊織は苦笑した。心からそう思っていることが伝わってきて、冬斗はきゅっと拳を握った。 「伊織……」 「悪い、冬斗。もう、大丈夫だ」  そう言って、伊織は小さく笑う。  胸の奥にあった硬いしこりが、ほんの少しほぐれたような気持ちになった。    ◆  その日の放課後、冬斗は一葉とバス停で別れた後、一人で家路についていた。  ザクザクと音を立てながら雪道を歩く。雪以外にはほとんど何もない、寂れた白泰村を見て、改めて違和感を覚えた。  なんで、夢の中の白泰はあんなに栄えてるのに、今の白泰村はこんなに廃れているんだろう。  夢の中では大勢の人々や子供たちで活気が溢れていた。雪には相変わらず埋もれていたが、それも情緒の一つとして楽しめる程度で、白泰は商家も多く、民家もずらりと軒を並べていた。屋根のある木廊下で繋がった城下町の様子は繁栄が一目でわかるほどだった。  今、冬斗の目の前に広がる白泰は、何もない。見渡す限りの銀世界。唯一あるのはぎりぎり舗装された道路と、ぽつぽつとある街灯。そして雪を被った針葉樹林たちだ。  (全然、違う)  単に時代の変遷で廃れたのかも、と思ったが、それにしては妙に引っかかる。  そもそも冬斗の夢が、白泰の過去の記憶なのかは知らない。それでも、冬斗は自分の夢がただの妄想などではないことに、薄々気がついていた。  目に映る銀世界に、ふと胸に隙間風が吹くような、そんな寂しさを感じた。  祖母の家が見えてくると、玄関先に誰かが立っているのがわかった。  杖を持っていて、みじろぎもせずに佇んでいる。 「佐久間さん……?」  佐久間さんは、落ち窪んだ目でじっと冬斗を見つめた。  

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