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第34話「紫の目は」

 居間に移動した冬斗たちはテーブルに座って、温かいお茶を飲んでいた。  母親はキッチンにこもって夕飯のしたくに戻っている。  テレビではバラエティ番組が小さく流れていて、司会者の言葉に笑い声が上がった。 「……」  冬斗はそっと向かいに座る祖母を見る。  祖母は湯呑みを両手で包み込んだまま、何も言わない。テレビの笑い声だけが妙に大きく聞こえた。 「……お前が生まれた時」  不意に、祖母が口を開いた。その語り口は重々しく、冬斗は思わず居ずまいを正す。 「目を見て……ああ、こりゃいかん、と思った」  祖母の目は昔を思い出すように、遠くへ馳せられている。 「私がお前を取り上げて臍の緒を切った。太い臍の緒でな。産声もよう大きかった。この家が揺れたかと思ったわ」  冬斗は病院で産まれたわけではなく、当時この白泰で産婆をしていた祖母に取り上げられたと聞いている。母親が予想よりも早く産気づいて、急にお産が進んだからだ。  冬斗は黙って祖母の話を聞いた。 「産まれたお前はえらくめんこくてな。肌も真っ白で、小さく震えとった。でもな……お前の目が開いて、ああ、こりゃいかん、と思った。紫の目は……この村では特別な意味を持っとる」  祖母は一度言葉を区切って目を伏せた。  母親は後ろのキッチンで忙しなく動いている。テレビはコマーシャルに入った。 「昔から、この村では紫の目はいわくつきでな。災いを呼ぶとも、祝福をもたらすとも言われとる」 「……どういうこと?」  そこで初めて冬斗は口を挟んだ。祖母は冬斗の顔を見て、また視線を茶へ戻す。 「私も詳しいことはよう知らん。でも、昔からこの村ではみんなが知ってることがある。……紫の目には近づいちゃいかん」 「……」  冬斗は無言でうつむいた。茶の水面に前髪からのぞく目が見える。水道の水がぴちょん、と落ちる音がした。 「村の者は子供の頃から言い聞かせられる。私も、小さい頃は怖く思っとった。……だから、お前が産まれた時、この村にいさせちゃならんと思って、お前たちを外へやった」  祖母は静かに言った。冬斗は目を見開く。 「……え?」 「この村には置いておけんと思った」  祖母は湯呑みを見つめたまま続ける。 「昔の人間ほど、そういうことを気にする。あの頃は今よりずっと信仰が残っとった。このままこの子をここに置いといたら、この子はきっとえらい苦労する。当時は美里を説得して、お前たちを村から出した」 「え、じゃあ、ばあちゃんがこの目を見せちゃいけないって言ってたのって……」  冬斗は眉を下げながら祖母を見つめる。祖母は顔を上げて冬斗を見つめ返した。 「お前を守りたかった」  ふ、と小さな息が漏れた。  ずっと、祖母が冬斗の目を隠すように言い聞かせていたのは、気味が悪いからだと思っていた。小さい頃から、自分は不気味なんだと思っていた。晴れの日のかたつむりのように、小さく縮こまって日陰で生きてきた。  胸の奥がじわりと熱くなる。  祖母はずっと厳しかった。目を隠せと言った。前髪を切るなと言った。眼鏡を外すなと言った。  だから、嫌われているのだと思っていた。白泰村で祖母の家に行くと決まった時も、実は心細かった。  でも、違った。  祖母はずっと、自分を守ろうとしていた。  ぐっとこみあげてくるものがあって、歯を食いしばった。視界がぼやけて、つい眼鏡を外して目を拭う。  そっと、祖母の細い腕に手を取られた。  祖母は冬斗の目を見つめて、ため息を吐くように言った。 「……こんなにきれいな目なのになぁ」  その言葉で、決壊した。  嗚咽を噛み殺して、冬斗は背中を震わせた。  そんな冬斗の背中を、祖母はいつまでもさすってくれた。  ◆  ───また、潜る。  シキが山籠りから帰ってきた。  部屋で出迎えた正一は、息を忘れた。 「……あ」  思わず声が漏れる。  シキがこちらを見た。  紫水晶の瞳が正一を映す。  ───きれいだ。  ただ、そう思った。  透き通る紫の目。雪よりも白い肌。銀糸のような髪。  もともと美しい男だった。だが今は、さらに内側に光を宿したような美しさがあった。  無意識に(ひざまず)きたくなるような、圧倒的な存在感に息を飲む。  それなのに正一の胸に浮かんだのは、畏れではなかった。  いつまでも見ていたい。そう思った。 「息災だったか」  シキが正一を見て目を細める。そこで正一はようやく我に帰った。   「お、おかえりなさいませ」  慌てて畳に額をつけると、シキの手がふわり肩に乗った。 「……お前はそんなことはしなくて良い」  顔を上げると、シキは銀糸を垂らしながら正一を見下ろしている。その表情はいつも通り素っ気のないものなのに、優しさのようなものが滲んでいる気がするのは、気のせいだろうか。  肩にかけられた手がそのまま、つ、と首を這い、頬に添えられる。  その雪のような冷たさに、ふ、と肩から力が抜けた。 「……おかえりなさい」 「ああ」  シキの顔が近づいてきて、正一はゆっくりと目を閉じた。    ほんのりと温かい気持ちの奥で、この場所で数日前に交わした口付けを思い出す。棘が刺さったような痛みが走った。  その痛みに眉を寄せ、正一は己の罪深さに恐ろしくなる。  冷たいシキの手と、温かい正一の手。  手を重ねれば、二人の体温が静かに交わっていった。    それからひと月後。正一の元に、侍女を通して一通の文が届いた。  夕餉の膳を下げる時に、侍女が「お召し物に汚れが……」と正一の小袖の裾を拭いた。その時に、かさりと袖の中で何かに触れた。侍女と目が合う。  すぐに侍女は下がっていったが、正一の胸はざわざわと騒ぎ、落ち着かなかった。  すぐに(かわや)へ向かった。厠は館の裏手にある。雪を踏みしめながら、渡り廊下を抜ける。  厠に着き、震える指先で文の紐を解いた。  そこには、見覚えのある几帳面な字が綴ってあった。 『例の件の目処が立ちそうだ。  民たちは正信様の重税に苦しんでいる。  あとふた月もすれば膨れ上がった不満は弾けて反乱が起こるだろう。    化け物を(たお)せる神器を手に入れた。  時が来たら、お前に渡るようにする。  必ず迎えに行く。』

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