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第36話「嫌なやつ」

「なあ、冬斗。一緒に食おうぜ」  一葉たちを見送った後、伊織が声をかけてきた。伊織の後ろで男子たちが「おい……」とか声をかけるが、伊織は気にしない。  ほっとして息を吐いた時、茜が戸惑ったように伊織の腕をつかんだ。 「ちょっと、今日一緒に食べるって言ったじゃん」 「わりい。また今度食べようぜ」 「え、なにそれ」  茜が眉をひそめる。 「今日、あんたに……」  茜がぼそぼそと何か言いながら、後ろ手に持った紙袋をぎゅっと握りしめた。  それを見て冬斗は「い、いいよ、俺は」と言ったが、伊織は茜の様子に気が付かず、冬斗の肩を抱く。 「ほら、行こうぜ」 「ちょ、ちょっ……」  強引に連れて行かれながら、冬斗は茜を振り返る。茜は寂しそうに床を見つめていた。  冬斗は無性に焦燥に駆られた。  伊織に屋上へ連れられた後、ひと気のない隅の方で並んで弁当を食べる。  伊織は弁当を豪快に平らげている。その男らしい食べっぷりに、懐かしさを感じて冬斗はつい笑った。冬斗が笑ってるのを見て、伊織はきょとんとした。 「あんだよ」 「や、別に」 「言えよ」 「たいしたことじゃねえし」 「あ、そう」  伊織との会話はやっぱり楽しい。変に息苦しいこともないし、肩から力が抜けて話せる。 「……鈴音さ、やっぱ告ってんのかな」  不意に言った伊織の言葉に、どきりとした。 「や、やっぱり?」 「昨日さ、鈴音、茜と話してたんだよな。一葉先輩が最近冷たいって、鈴音が泣いてて」 「え……」  胸がぎゅっと痛くなる。鈴音の泣いてる姿を想像して、可哀想に思えた。 「でも諦めきれないって。最後に、気持ちだけ伝えたいってよ。あいつあんなちっこいのに意外と漢気? いや、女気? あるよな」 「……」  伊織は弁当を食べながら話す。冬斗は箸を止めて、屋上から見える雪景色をぼんやりと眺めた。  鈴音はすごい。  あんなに可憐でか弱そうなのに、しっかりと芯があって、そして必死に体当たりしている。傷つくことを恐れていない。  それなのに、自分はどうだろう。  一葉に優しくされて、浮かれて。一葉が鈴音じゃなくて自分を優先してくれたことに暗い喜びを覚えた。  一葉を鈴音のもとに行かせたのも、よく考えれば、あれは鈴音のことを思ってのことじゃなかった。  ただ、自分が悪者になりたくなっただけではないか。    ───鈴音と違って、ずるくて、汚い。  冬斗が箸を止めていると、伊織は何を思ったのか、一つ深呼吸をした。 「俺もさ、なんか、感動したんだよな」  そう言って伊織は弁当を膝の上に置いた。雪景色を見ながら、目を細める。  伊織は数秒沈黙して、息を一つ吐いた。 「冬斗」  名前を呼ばれて、伊織の方を向く。伊織と目が合うと、その顔が存外真剣で、息を飲む。 「俺さ、やっぱお前のこと好きだよ」  言い終わった後、伊織は一息ついて、照れくさそうに笑った。くしゃりと笑うその顔は依峰とは違って、太陽の光のように明るかった。 「今回は、ガチ」  そう言う伊織に、冬斗はとっさに何も言えなかった。  衝撃はあった。でも、驚きはしなかった。 『俺、お前のこと、好きかも』  そう言って火のついてない火鉢を静かに見ていた伊織。冗談めかして言った言葉に、隠しきれない本心が滲んでいた。 「伊織……」  ごくり、と喉を鳴らした後に、なんとか伊織の名前を呼ぶと、伊織は慌てたように続けた。 「あ、つってもさ、今すぐ答えが欲しいわけじゃねえから。……お前が一葉のこと気にかけてんのは知ってるし」  どきりとして視線を落とした。伊織は気づいている。  自分の気持ちを素直に認められず、ゆらゆらと揺れて途方に暮れている弱い心を、伊織は見透かしている。  いつもなら、「な、何言ってんだよ」とかなんとか言って、流したり誤魔化したりしていた。  でも、もうそんなことはできない。 「ありがとう、伊織。……ちゃんと、考えるよ」  冬斗が伊織をまっすぐ見て言うと、伊織は照れくさそうにしながら「じゃあ、俺行くわ」と立ち上がる。 「冬斗、またな」 「おう」  伊織の背中を見送り、冬斗はしばらく一人で白泰の雪景色を眺めていた。  その後ろ。物陰の方でかさりと紙袋の音がしたことに、冬斗は気づかなかった。  ◆    昼休みが終わって教室に戻ると、一葉はいつもと変わらない様子だった。 「おかえり、冬斗」 「ただいま」  穏やかに微笑む一葉。ほっとするのと同時に、あまりにも変わらない様子に、思わず鈴音の席の方を見た。  鈴音は小柄な体をいつにも増して小さくして、落ち込んだように座っていた。  胸がずきりと痛くなった。  鈴音を見ていると、一葉が声をかけてきた。   「次、先生が休みだから自習だって。一緒にテスト勉強する?」  鈴音の姿を遮るように身を寄せてきた一葉に、ぎこちなく頷いた。  一葉は優しい。その優しさが嬉しいのに、手放しでは喜べなかった。  その時、視線を感じた気がした。  見てみると、茜と目が合った。茜は暗い顔をしていた。びくりとすると、茜は小さく唇を噛んだ後、ふいと視線を逸らした。  次に伊織と目があった。伊織は少し照れくさそうな顔をした後、首の後ろをかきながら教科書を机の上に出し始める。 「冬斗は数学苦手だから、それからやろうか」  一葉の笑顔に、冬斗は曖昧に笑って頷いた。  伊織の告白。鈴音の告白。そして、茜の寂しげな目。    外を見ると、空が灰色に曇ってきていた。  ◆  事件は放課後に起きた。  冬斗が一葉と帰ろうとした時、茜の席の横を通ったら何かに引っかかった。  ガサ、と音がして床にぺしゃりと落ちる音。見てみると、それは机の脇にかけられていた茜の紙袋だった。  赤いチェック柄の可愛らしい紙袋から、少し中身が見えている。  丁寧にラッピングされたカップケーキのようなものと、可愛らしい便箋の角が見えた。  あ、と思ってとっさに拾おうとすると、厳しい声が遮った。 「さわんないで!」  鋭く響いた声にびくりとすると、すぐさま茜が紙袋を両手で回収した。紙袋を抱き抱えながら、はあはあと大きく肩を上下させている。少し乱れた前髪からは赤い目がのぞいた。  みんなも驚いて茜を見ている。 「やめてよ……なんで、なんで……壊すの……?」  ぽた、と床に雫が落ちた。 「お、おい、茜」  伊織が茜の肩をつかむ。茜がその手を振り払った。  茜は何か言おうとして、唇を震わせる。  茜がまばたきするたびに床には雫が増える。 「あたし……どんどん、嫌なやつになってく……」  茜の消え入りそうな声が、教室に小さく響いた。    

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