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第39話「実在」

 悲鳴を上げながら跳ね起きた。  暗闇の中で激しく呼吸をする。尋常ではないほどの汗。  布団の上でもがいていると、バタバタという足音と共にドアが開かれた。 「冬斗!? ちょっと、どうしたの」  ぱっと視界が明るくなった。  心配そうにしている母親の顔と、見慣れた部屋が目に飛び込む。 「あ……あ……」  震える息を吐いた。  母親の顔を見ているうちに、だんだんと呼吸が落ち着いてくる。 「すごい悲鳴あげて……どうしたのよ」 「……なんでも、ない。ごめん……」  母親に頭を撫でられる。ふー、と強張っていた体が少しずつほぐれていく。  母親はしばらく冬斗の頭を撫でていた。そして、額に張り付いた冬斗の前髪を優しく払う。 「すごい汗。お風呂沸かすから、入ってきなさい」 「……うん」  母親が部屋を出ていく。パタンと扉が閉じられて、冬斗は明るい部屋の中、ぼんやりと自分の手を見つめた。  鈍く光る剣を持っていた。  次の瞬間、大蛇が血まみれになっていた。  (正一は……)  喉が詰まる。  (シキを殺そうとしていたのか)  依峰から届いた文。  ───『化け物を斃せる神器』。  あの言葉が頭から離れない。  燃える炎がひどく熱かった。肌が焦げる感覚が生々しい。    布団を握りしめる。    シキの銀髪を梳かしていた。  膝枕をしてもらっていた。  歌を聴いた。  頭を撫でられた。  寒くないか、と訊かれた。  あんなに優しかったのに。  それなのに。  (全部……食べるためだったのか?)  佐久間さんと以前交わした会話を思い出す。  『……それで、その巫女様は、どうなったんですか?』  『蛇神様の伴侶になったのじゃ』  あの時の佐久間さんの答え。どこか腑に落ちなかった。  ───巫女は、蛇神の伴侶になったのではなくて、喰われた?  ふと、一葉の顔が浮かんだ。  『俺が守るよ』  『好きなところはたくさんある』  昨日の告白。  優しく触れられた指先。  胸が痛くなる。  (じゃあ、一葉も……?)  好意の裏には何かあるのだろうか。  一葉を信じたいのに、悪夢がちらつく。    正一の手に握られた鈍い光を放つ剣が、いつまでも脳裏から離れなかった。  風呂から上がって居間へ行くと、母親がキッチンでコーヒーを入れ、祖母がテーブルでお茶を飲んでいた。 「具合どう?」 「大丈夫」  心配そうな母親に返事をして、テーブルに着く。祖母の隣に座り、ぼんやりと朝のニュースを見る。  今日は土曜日だから学校もない。何の予定もないから暇だ。暇だと、ぐるぐる考え込んでしまう。 「冬斗。お前大丈夫かい」  祖母に声をかけられる。冬斗はちらりと祖母を見た。  レンズを通さないで見る祖母の顔は、相変わらず厳格な顔つきだが、それでもその目の奥に心配が見て取れた。  ずっと、こんな目で見てくれていたのだろうか。 「……夢見が悪いのか」 「え?」 「悲鳴を上げてただろ」  祖母はお茶を啜りながら、冬斗を見る。冬斗はうつむいた。 「紫の目が、何か悪さしてるのかい」 「……どうだろう。でも、夢で、別の人の人生を見てるんだ」  祖母の手が止まった。  湯呑みのお茶の水面が小さく揺れる。 「別の人生?」 「うん。昔の……多分、白泰で暮らしてる夢」  祖母はしばらく黙っていた。  テレビから流れるニュースキャスターの声だけが響く。 「どこの家だ」 「家っていうか、城に住んでた。……香本正一って名前なんだ」  祖母が息を飲んで固まった。  湯呑みが手から滑りそうになる。 「……香、本」  祖母のかすれた呟きが落ちる。  油のささっていない蝶番のように、祖母は冬斗の方をゆっくりと向いた。 「……その名を、どこで」 「夢の中で、そう呼ばれてて……ばあちゃん?」  祖母は信じられないものを見たかのように目を限界まで見開いている。 「香本? ああ、お母さんの旧姓じゃない」  その時、母親がコーヒーを片手にキッチンから出てきた。  耳の奥で、ニュースの音が遠ざかった。 「……え?」  冬斗は目を見開いた。祖母を見ると、血の気が引いたような顔をしている。 「香本正一さんは……」  祖母がゆっくりと口を開く。 「うちのご先祖様だ」  ぞわり。  背筋に悪寒が走り、鳥肌が立った。 「え……?」  祖母はしばらく茫然としていたが、しばらくたって急に席を立った。 「あ、お母さん、杖」  母の忠告も聞かず、祖母はよろよろと居間を出ていく。  やがて戻ってきた祖母の手には缶箱があった。  テーブルの上に置かれた缶箱は古いが埃は被っていない。  祖母が箱を開けると、中にはいろいろなものが入っていた。  古い白黒写真や新聞記事の切り抜き、(かんざし)や手紙が入っている。その奥に、和綴じの古い帳面があった。  祖母は帳面を取ってテーブルの上に広げた。  母親と冬斗が覗き見る。  ページを捲っていくと、家系図のようなものが記されてあった。 「お母さん、なあにこれ」 「代々書き写されてきた、香本の系譜さ。昔はえらい名家だったんだよ。……まあ、家名としては、もう私で最後だったが」  冬斗は記載を見て「あっ」と声を上げた。  そこには知った名前がいくつもあった。  『正信』。『依峰』。そして……『正一』。 「あ……」  指先が震える。    そうじゃないかとは思っていた。  ただの夢ではないと確信していた。  でも、こうして実際に事実を目の当たりにすると、おそろしくて背筋が震える。  ───正一も依峰も正信も、みんな実在していた。  ふと、名前の右下に小さく書いてある漢数字に気がついた。  正信、四十七。依峰、三十二。正一、十八。  ……正一、十八。  冬斗は身体中から力が抜けていく感覚がした。すうっと血が引く。  祖母が「見な」と、ある箇所を指差す。 「焼き討ちがあったんだ」  そこには、 『永禄八年 冬  香本城 焼亡  城主 香本正信 死亡  嫡男 香本正一 死亡』  と記されていた。 「あ……あ……」  ガタガタと体が震え始めた。  ひゅ、ひゅ、と喉から変な息が漏れる。 「冬斗!?」  母親に抱きしめられる。  涙が滲んできた。  ただの夢じゃなかった。    ───本当に、ただの夢じゃなかった。   

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