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第40話「笑ってて」

 バス停で一葉と会った時、その顔をまともに見れなかった。  一葉の穏やかな顔を見ると、反射的に血まみれになった白い大蛇の姿が脳裏に浮かぶ。  冬斗は満足に一葉の目を見れないまま、沈んだ気持ちで朝を過ごした。  その日の昼休み、伊織が声をかけてきた。一葉はそんな冬斗を見ると、一度目を伏せ、それでも笑った。  冬斗は胸をちくりと痛めて、伊織と教室を出た。  二人で並びながら弁当を食べて、屋上の景色を眺める。 「あのさ。茜、お前に悪かったって反省してたよ」 「……そっか」  赤い目をしながら、肩を震わせて涙を流している茜の姿が思い浮かんで、冬斗は顔を歪めた。 「八つ当たりしちゃった、ってすげえ落ち込んでた。お前に謝りたいけど、どう声かければ良いか分かんないってうじうじしてたな。……意外とああいうところあるんだよな、あいつ」 「……うん」 「鈴音もさ、多分、どうしたら良いかわかんねえだけだと思う。……あいつ、一葉に振られたし」  冬斗は弁当箱に視線を落とした。  鈴音の泣きそうな顔を思い出す。  鈴音は優しい。真っ直ぐだ。一葉のことをちゃんと見ていた。  それに比べて自分はどうだろう。  一葉を見れば胸が苦しくなる。そばにいて、触れたいと思う。  それなのに。    過去を知った今、その手を取る資格があるとは思えなかった。 「冬斗のせいじゃねえって」  暗い顔をしている冬斗に、茜や鈴音への罪悪感を感じていると思ったのだろう。伊織は励ますように背中を叩いてくる。 「一葉のやつ、昔から誰にも興味なさそうだったしな。冬斗が来てから、ちょっとずつ俺らともいるようになったけど。でもそれも多分、お前がいなかったら、昔のままだったと思うし」  冬斗はぐっと唇を噛み締めた。  一葉の優しい笑顔を思い出す。 「そう、かな」 「おう。一葉があそこまで変わったのは、お前が原因なんだよ」  じくじくと膿がたまるように胸が痛む。 「……あのさ」  ぽつりとこぼれた伊織の言葉に、その横顔を見る。  太陽に照らされて、焦茶色の髪の輪郭が光っている。 「こないだ言ったことだけどさ」  どきりとした。 「あんま深く考えんなよ。返事とか、全然焦ってねえし」  そう言う伊織の笑顔は、やっぱり日の気配がした。  その笑顔の奥に、夢の中で見た依峰を探してしまう。依峰の顔。でも、日だまりのような明るさがある。 「いつも通りで!」  いつものようにいたずらっ子のように笑う伊織に、ふと口元が緩んだ。  伊織は照れくさそうに首をかいている。  その横顔を見るうち、冬斗は気がついたら笑いながら伊織にスマホをかざして見せていた。 「……なあ、ゲームやんね?」  そう言うと、伊織は一瞬目を丸くした後、嬉しそうに顔を(ほころ)ばせた。 「良いね」  そして、向かい合いながら二人でソーシャルゲームをしているうちに、予鈴が鳴るのだった。  ◆ 「冬斗。あのさ、ちょっといい?」  放課後、一葉に声をかけられた。  生徒たちはみんな帰り支度をしていて騒がしい。  冬斗もいつも通り一葉と帰ろうと思ったが、一葉はまっすぐ帰るのではなく、少し冬斗と話がしたいと言った。  思わず体が強張る。一葉はそんな冬斗の様子に気が付いたように、少し悲しげに眉を下げた。  一葉と一緒に教室を出る。多分、視聴覚室に行くのだろう。  今までは安心できていた場所。でも、今はそこへ行くのが怖かった。  視聴覚室に着くと、一葉がストーブを点火する。「冬斗、寒くない?」と変わらず冬斗を気遣う一葉に、思わず眉根を寄せて下を向く。 「座ろ」  先にソファに座った一葉に促されて、冬斗は重い足取りで一葉の隣に腰掛ける。 「急にごめん」 「いや……」  うつむく。  この間は寄り添って座っていた。でも、今は少し距離ができて、肩は触れていない。  この間よりも、視聴覚室は寒々しい。 「……この間、嫌だった?」  一葉の声にハッと顔を上げる。一葉はほんの少し寂しげな顔をしていた。胸がぎゅっと締め付けられる。 「嫌じゃなかったよ」  即答した。本心だ。  言った後に、冬斗は項垂れた。 「一葉が悪いわけじゃない。ただ……」  冬斗自身の問題なのだ。  一葉は何も悪くない。むしろ、一葉は優しい。でも、一葉が優しければ優しいほど、冬斗は胸が苦しくなる。 「……冬斗、ごめんね」  一葉の呟くような謝罪に、「なんでだよ」と声が出た。 「なんで一葉が謝るんだよ。一葉はなんも悪くないって」 「いや……俺が冬斗を苦しめてるんだよ」 「違うよ」 「ううん、そうだよ」  一葉が不意に冬斗の眼鏡に手をかけてきた。  その白い指がかすかに顔に触れて、それだけで体が熱くなる。なのに、冬斗はその手に触れられない。 「……ごめん」  一葉は冬斗の紫の目を見つめながら、痛そうな顔をして謝る。  冬斗は大きく目を見開いた。 「……なんで謝るんだよ」  声が震える。 「だって、冬斗、笑ってない」  そう言って、一葉はふと視線を落とした。その顔は自嘲しているようにも見える。  一葉はしばらく黙って、やがてぽつりとこぼした。 「……やっぱり、うまくいかないな」  ───『大事にしたいと思うほど、うまく触れられなくなる』。  一葉の呟きに、出会ったばかりの頃に聞いた言葉が()ぎる。 「あ……」  ぐっとせりあがるものに、奥歯を噛み締める。 「違う。違うよ。一葉は何も悪くない。俺が悪いんだ」  ごめん。  そう繰り返しながら、膝の上で拳を握る。その拳の上に雫が落ちた。  脳裏には血まみれの白い大蛇の姿。 「ごめん……」  繰り返して、冬斗は嗚咽した。  一葉は無言だった。  そのうち、冬斗に腕を伸ばしかけて、手を止める。  そろそろと落ちた腕は、行き場がないようにためらった後、やがて冬斗の手にそっと重ねられた。 「……冬斗は、笑ってる方がいいよ」  その言葉に、余計に涙が溢れた。 「……神楽の日。嬉しかったんだ」  冬斗の涙が、一葉の指先を濡らす。一葉が小さく震えた息を吐いた。 「冬斗が孤立するの、分かってたはずだったのに。ああ、これでやっと冬斗と二人でいられる。そう思った」  一葉は目を伏せて、静かに言葉を紡ぐ。冬斗は顔があげられなかった。   「……伊織は」    一葉が一度、言葉を切る。そして、ぎこちなく笑った。 「伊織は良い奴だ」  冬斗は唇を震わせた。  ぼたぼたと、手の甲には収まらず、雫はズボンへ、そしてソファに落ちていく。 「冬斗は、笑ってて」  冬斗は言葉もなく、ただ嗚咽をこぼした。  違う。一番悪いのは自分だ。本当は今すぐ目の前の体に飛び込んでいきたい。でも、それができない。……してはいけない。  鈍い光放つ銀の刃がちらつく。  涙が止まらない。  夢で見た二人の男の子が浮かんだ。  ─── 『おにいさんと暮らしたい』。  ───『俺と?』。  ───『ここを出て、いっしょに暮らそうよ』。  ───『……そうだな』。  ───『やくそく』。    窓の外では、暗雲と共に大粒の雪が降っている。 「好きになって、ごめん」  一葉の泣きそうな笑い顔に、冬斗は何も答えられなかった。       

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