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第43話「行ってきます」

 一葉は次の日も、その次の日も、学校に来なかった。  冬斗は、一葉がいない間もバスに乗り、登校して、みんなで授業を受けて、お弁当を食べた。  伊織や茜、鈴音と過ごす学校生活は、少し前の冬斗だったら奇跡と思えるくらいに素晴らしいもののはずだった。  それでも、だんだんと元気がなくなっていく冬斗に、伊織たちが心配しているのが伝わった。  そうしているうちに、冬休み前最後の登校日になった。   「宿題ちゃんとやれよ。あと、いつも言ってるけど危険な場所とか行くなよ。山とか川とか。まあ、もうお前らも分かってるか。んじゃ、また正月明けにな」  担任の最後の挨拶。茜が号令をかけて、年内最後の学校が終わった。  騒がしい放課後、帰り支度をしていると伊織に声をかけられた。 「なあ、冬斗。今日さ、コンビニ行かね」  突然のことに目を丸くすると、伊織がにやりと笑う。 「むごんちゃんのコラボ商品、今日からだろ」 「お、おう。そっか、今日だっけ」 「そうだよ。お前何忘れてんだよ」  伊織に笑いながら肩をこづかれて、冬斗は少しよろけつつ口元に笑みを作る。  頷こうとして、はっとして茜の方を見た。茜と目が合う。茜はため息を吐いた。 「あたしは行かないからね」 「なんだよ。誘ってやっても良いと思ってたのによ」 「なんで上から目線なのよ! あたしは今日は鈴音とお泊まりなんだから」  そう言って、茜はこれ見よがしにスクールバッグとは別に持った手提げを持ち上げた。 「今日は女子会なの。むさい男たちはお呼びじゃないの〜」  そう言った茜の顔は、どこかすっきりしているようにも見えた。 「じゃあね。鈴音、いこ」  茜は鈴音の手を引く。鈴音が茜に手を引かれながら、冬斗たちに小さく手を振った。 「……んじゃ、俺らも行くか」  茜たちの背中を見送って、伊織がそう言う。冬斗は、おずおずと頷いた。  コンビニの前で缶コーヒーを飲んでいると、伊織が静かに切り出した。 「……あいつ、たまに学校来なくなる時期あんだよ」  あいつ、というのが誰を指すかすぐに気がついて、冬斗は缶コーヒーをぎゅっと握りしめた。 「昨日まで普通だったのに、次の日から急に休み始めんの。まあ、短いと三日くらいだけど、長いと二週間くらい来なくなる」 「そう、なんだ……」  伊織の言葉に、冬斗はそっと目を伏せた。  冬斗が知っている一葉は毎日学校に来ていたので、意外だった。  でも、きっと一葉は自分がいるから登校していたのだろうと思った。自惚れじゃなく、なんとなくそう感じた。 「お前さ。最近ずっと上の空じゃん。……一葉のことだけじゃねえだろ」  どきりとした。思わず伊織を見上げると、伊織は静かな目で冬斗を見下ろしている。 「前言ってた夢、今どうなん」    夢のことを思い出すと、胸が苦しくなる。  正一はシキの腕の中で眠る時も、いつもひっそりと泣いていた。  正一の感情が流れ込んでくる。ぐっとこみあげるものをこらえて、冬斗は目を閉じた。 「……夢さ」 「うん」 「ただの、夢じゃなかった」 「……え?」  伊織が目を見開いた。冬斗は意を決して口を開いた。  ◆ 「ただいま」 「お邪魔しまーす」  冬斗は伊織を連れて自宅に帰ってきた。  居間に行くと、祖母がテーブルに座ってお茶を飲んでいる。  冬斗の後ろにいる伊織に気がつくと、「おや」と反応した。 「藤堂さんちの三男坊だね」 「恵子さん、お久しぶりです。お邪魔してます」 「え、ばあちゃん、伊織のこと知ってんの?」  冬斗はリュックを壁際に置きながら、二人を振り返る。 「あたしがこの子を取り上げたんだよ」 「ああ……。えぇっ」  衝撃の事実に驚く。恵子は目を細めた。 「まさか冬斗が誰か連れてくるなんてねぇ……」  しみじみとつぶやく祖母に、冬斗はむずむずとした感情が湧き上がって、唇をきゅっと引き結んだ。  祖母は、しばらく冬斗の顔を見た後、「……夢のことかい?」と呟いた。 「あ、そうなんです。帳面を見せてもらいたくて、お邪魔しました」  伊織の言葉に、祖母はやっぱりか、という顔をして、静かにため息をついた。 「……待ってな」 「あ、俺、場所教えてもらえば行きますよ」 「いらん。座ってろ」 「あ、うす」  にべもなく断られた伊織は慣れた様子で素直に引き下がる。  本当にここで伊織はずっと生きてきたのだと、今更ながらに実感した。   「伊織、お茶淹れるから座ってて」 「お、さんきゅ」  ことり、とお茶を伊織の前に置く。「あったけぇ〜」とありがたがった伊織は、お茶を一口飲んだ。 「……」  伊織が無言で静かに手の中のお茶を見つめる。  なんとなく、冬斗も無言になった。  そのうち、祖母が帳面を持ってきた。今度は缶箱ではなく、帳面だけを手にしている。    祖母は帳面を机に置いた。  帳面を前にして、誰も話さず、動かなかった。  湯気の立つお茶だけがある。  伊織は、いつになく真面目な顔で帳面を見ていた。  祖母がそっと帳面に手を伸ばした。  ぺらり、とページを捲る。  香本家の系譜図の箇所に辿り着き、祖母の手が止まった。 「……あんたたちが見たいのは、ここだね」  系譜図と、焼き討ちに関しての記録。 「ガチかよ……」  帳面を見つめた伊織が、乾いた声でぽつりと呟いた。 「『依峰』、マジでいんじゃん……」  伊織は目を見開いたあと、ふぅ、と脱力して上を向く。そして首をぽりぽりとかきながら、笑った。 「やば。鳥肌立ったわ」 「伊織……」  伊織の日に焼けた指が、帳面をなぞる。 「三十二か……」  三十二。依峰が死んだ歳だった。  伊織は「はは……」と力なく笑いながら、しばらくじっと帳面を見つめる。  その横顔は依峰そっくりで、まるで本人が自分の記録を見ているように見えた。  ふと、伊織が何かに気がついたように目を瞬かせた。 「これ……」  こぼれた伊織の呟きに、冬斗も頷く。  伊織がふっと笑った。 「そうか……」  そう言って、伊織は目を伏せる。 「……もしかして、三男坊が、この『依峰』なのかい」  祖母の言葉に、冬斗は頷いた。 「うん。本当にそっくりなんだ。……雰囲気は全然違うけど」 「そうかい……。お前達は、蛇神様と何かつながりがあったのかもしらんね」 「……え?」  祖母の言葉にどきりして、冬斗は顔を上げた。祖母は帳面を見つめている。  「どういうこと……?」  祖母はゆっくりと口を開く。 「蛇神様は脱皮なさる。脱皮は古い命を脱ぎ去って生まれ変わることさね。そして……蛇神様と縁があった魂は、蛇神様に連れられて輪廻すると言われとる」  その言葉に、冬斗はシキを思い出した。  そして、隣にいる伊織を見る。  伊織に依峰の影が重なった。  『神器』の文字が脳裏を掠める。  そして、同時に正一の前に血まみれで転がる大蛇の姿が思い浮かんだ。 「呪い……?」  ぽつりと。思わず、こぼれた。  紫の目。悪夢。白泰へ来たこと。一葉と出会ったこと。  全部。  全部、自分への報いなのだろうか。 「俺が……シキを、殺したから……?」 「……冬斗?」  伊織の声も耳に入らない。頭痛がして、耳鳴りが聞こえる。  冬斗は頭を両手で抑えた。  冬斗が生まれた理由。それが、シキを殺してしまったからだとしたら。  紫の目も、シキからの呪いなのだとしたら。  そう思った瞬間、ばらばらだったものが、嫌な音を立てて一つにつながった気がした。  涙が込み上げてくる。  見下ろしたお茶に、紫の目が映った。  その時。  ───『紫でも黒でも、虹色でも好きだよ』  やわらかい声が耳の奥に蘇った。  はっとして、目を見開く。  ぎゅっと、唇を噛んだ。  一葉の優しい顔と、泣きそうな顔を思い出す。 「……ばあちゃん」  震える声で祖母に問いかける。 「香本城って……どこにあったの?」  すると、祖母が顔をしかめた。 「私にもわからん。ただ、白蛇神社を見下ろす場所にあったみたいだから、山の上だったとは思うが……」  冬斗は必死で夢を辿る。  正一はずっと城の中にいた。冬斗が見た場面は、ほとんどが香本城の中の記憶だ。 「あ……」  でも何度か城から出た場面を思い出した。  隣の伊織を見る。  依峰に会いに芝居小屋まで抜け出した時。  依峰が、正一を連れ出した、神楽の日。 (思い出せ……!)  必死で記憶を辿る。石灯籠。行燈。石畳。提灯。  ……だめだ。現在と過去であまりにも風景が違う。  顔をぐしゃりと歪ませた時。 「……俺、知ってるかも」  伊織が呟いた。はっとして伊織を見ると、伊織は顎に手を当てて考えている。 「昔さ、ガキの頃、山で迷ってさ。そん時に、瓦礫の山っていうか、なんか石の建物が崩れたような場所があったんだ」 「そ、それだ!」  冬斗は身を乗り出した。祖母がその話を聞いて考え込む。 「どこの山だい?」 「確か……北の山だった気がする」  伊織の言葉に、祖母が目を細めた。   「北の山……禁足地か」  呟いて、祖母はため息を吐いた。 「禁足地?」  冬斗が首を傾げると、祖母が頷く。 「白泰にはね、いくつか行っちゃならん場所がある。その中の一つが、北の山だ。あそこには蛇神様が眠ると言われとる」 「蛇神様……」  シキが眠る場所。  冬斗はごくりと喉を鳴らした。  ぐっと拳を握る。 「……行かなきゃ」  ぽつりと呟いた。 「え? 行かなきゃって、お前まさか……」  伊織が目を見開く。祖母は目を閉じてため息を吐いた。 「俺、行かなきゃ」  立ち上がる。祖母が諦めたように視線を落として、そして席を立った。  冬斗はコートを着て、マフラーを巻く。 「お前、マジかよ。この時期の山はやべえって」  伊織に腕を掴まれる。その時、祖母が戻ってきた。紐が付いた鈴を持っている。 「熊よけだよ。この時期だから大丈夫だとは思うが……念のためだ」  祖母が熊よけをリュックにつける様子を見て、伊織が額に手を当てた。どうなってんだ、と言いたげな様子だ。 「ただいま〜」  その時、玄関から母親の声が聞こえてきた。 「ちょっと聞いてよー。お醤油買い忘れちゃった」  そう言って居間に来た母親の手には、寿司桶がある。冬斗の家では、いつも長期休みに入る時に寿司を食べる習慣があった。学校に頑張って通った冬斗への、母親なりの気遣いだった。 「あら?」  母親が伊織の姿を認めて、目を丸くした。  そして、次に冬斗たちの顔を見て眉をひそめる。 「……取り込み中、だったかしら」 「母さん」  冬斗は母親にまっすぐ向き直った。 「ちょっと送って欲しいところがある」  母親はじっと冬斗の顔を見つめた。  ちらりと、テーブルに乗った帳面と、祖母、そして冬斗のリュックに着いた熊よけを見る。  ふう、と一息吐くと、キッチンの方に歩いていく。カウンターに寿司桶を置いて、母親が振り返った。 「……水筒、新しいの持ってきなさい」  冬斗はわずかに目を見開いた。 「……なんにも訊かないの?」  おずおずと問うと、母親が水筒を冬斗のリュックに入れながら言う。 「何年あんたの母親やってると思ってんの。あたしが一番、冬斗のことわかってんだから」  そう言って仕方なさそうに笑う母親に、ぐっと目頭が熱くなった。 「……母さん」 「どうせ止めても無駄でしょ」  母親はふっと目を緩ませた。 「……もう、子供じゃないのね」  その目がどこか眩しそうに細められる。 「あったかくして。コートだけじゃなくて、下にもたくさん着込んで行くのよ」 「……うん」  冬斗はくすぐったい気持ちで頷いた。 「冬斗、俺も行こうか?」  伊織がそっと訊いてくる。冬斗は首を振った。 「一人で行く。……伊織、ありがとう」 「……そっか。気をつけてな」  伊織はいつもみたいに明るく笑った。その顔に、唇を噛み締める。 「……ありがとう」  そう言うと、伊織が切なそうに目を細めた。 「冬斗。眼鏡、していくのかい」  祖母が静かに訊いてきた。冬斗は少し考えて、眼鏡をそっと外した。ことりとテーブルに置く。    身支度を整えて、冬斗は玄関口に立った。母親はもう外の車でエンジンをかけて待っている。 「気をつけるんだよ」  祖母が冬斗の肩を優しく叩く。 「……行くんだな」  伊織が複雑そうな笑みを浮かべている。  冬斗はそっと目を伏せた後、顔を上げた。 「行くよ」  伊織が噛み締めるように頷いた。そして、にやりと笑う、 「帰ったら、また協力イベやろうぜ」  冬斗は目を見開いて、ふわりと笑った。 「うん」  そして、玄関のドアに手をかける。  正一。  シキ。  依峰。  紫の目。  そして……一葉。  全てを思いながら、ドアを開けた。  途端に冷気がひやりと流れ込んでくる。 「────行ってきます」  冬斗は雪の中、一歩足を踏み出した。  

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