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第45話「火」

(かんなぎ)様……」  ぽつりとした、しゃがれた声。 「な、なんで……」    御社の中から出てきたのは、杖をついた老人────佐久間さんだった。  佐久間さんは冬斗の姿を見ると、体を震わせた。手に持ったアルコールランプが揺れる。  小さな火がちらりと見えて、冬斗はそちらを見ないようにとっさに目を下に向けた。  先日、佐久間さんが家に押しかけてきた時のことを思い出した。  上記を逸脱した行動。それでも、悲しく小さな背中が印象的だった。  他に誰もいない雪山で、二人。  逃げた方が良い。  そう思う。そう思うのに、動けない。 「巫様……来て、くださったのですか」  興奮したようにそう言いながら、佐久間さんはよろよろと近づいてくる。 「巫じゃ……ありません……」  なんとか搾り出すように反論する。けれど、佐久間さんはじっと冬斗の露わになった紫の目を見つめたまま、ゆっくりと首を振った。 「いいえ。あなた様は神の目を持つお方。巫様でございます」 「だ、だから……違うって……。そもそも、紫の目は……この目は、呪いの目で……」  そう言った瞬間、ぴくりと佐久間の眉が動いた。 「呪いの目? 何をおっしゃる。それは蛇神様の祝福の目でございます」  はっとした。  佐久間さんの目をじっと見る。落ち窪んだ目は爛々と眼光を放ち、まっすぐに冬斗を見据えていた。  冬斗はごくりと喉を鳴らす。 「あ、あなたは……何を知ってるんですか」  すると、佐久間さんがまた一歩近づいてきた。 「わしの家……佐久間家は室町から江戸まで、香本家お抱えの呪師(じゅし)一族でした」 「呪師……?」 「祈祷をしたり、呪術を扱う一族でございます」  佐久間さんは冬斗に対して異様に丁寧な言葉を使う。そのことにもゾッとしながら、冬斗は話の内容が気になって逃げ出せないでいた。 「ですから、神降ろしの神楽舞は、代々うちの家が勤めていたのです。ですが、あなた様もご存知の通り、永禄の頃、特別な巫様がいらっしゃいました」 「シキ……」  思わず、ぽつりと呟いた。佐久間さんは途端に目に力がこもり、「そうです」と繰り返し何度も頷く。  シキは蛇神降ろしの巫ではない。蛇神そのものだ。  だけど、それを言っても佐久間さんは信じないだろうし、そもそもなぜそんなことを冬斗が知っているのかと怪訝に思われそうだ。  冬斗は黙って興奮している佐久間さんを見つめる。 「あのお方のお話を、もっと知りたくはありませんか」  ごくりと喉が鳴った。  すると、佐久間さんは目を細めた。 「立ち話もなんです」  佐久間さんは御社の方を振り返った。   「中で話しませんかね」  促されて、冬斗はどうすべきか迷った。  すると、老人は冬斗をじっと見つめる。 「あなた様も、中に入るおつもりでいらっしゃったんでしょう」  その言葉に、冬斗は御社の扉を見つめる。ごくりと喉を鳴らして目を閉じた後、そっと目を開いた。  ◆  中に入ると、そこはやはり数百年経っているとは思えないほど建物が傷んでいなかった。  イメージとしては山小屋に近い。床は板張りだが、奥に一段高いところがあり、そこは畳が敷かれている。座ったり寝起きしたりできるような場所だ。  なぜか、冬斗はこの場所を知っているような気がした。   「巫様……ささ、こちらへ」  促されて、畳の場所へと案内される。リュックを降ろされそうになったが、断って自分で抱きしめる。  促されるまま座る。畳は不思議なほど傷んでいなかった。壁際には古い行燈や箱が並んでいる。抱きしめていたリュックを隣に置いた。  佐久間さんが横に置いてあった箱から何かを取り出した。 「あ、あの……」 「巫様の御衣装でございます」 「え……?」  佐久間さんの枯れ枝のような手に握られていたのは、神楽衣装だった。 「……誰もわしの言うことを信じなかった……。蛇神様はいらっしゃる……」  ぶつぶつと唱えている佐久間さんの目は、また焦点を失っていく。  暗く濁り始めた目に、冬斗はぞっとした。  神楽衣装は白地に銀糸と藤色の刺繍がされていて、鱗模様が裾には光っている。  銀の髪。  黒い瞳。  神楽のあの日。  一葉が舞っていた。    ────しゃん、と鈴の音が聞こえた気がした。 「……誰もわしのいうことを信じなかった……」  佐久間さんはさっきからずっと壊れたように同じ言葉をつぶやいている。  正気とは思えないのに、衣装を広げる手つきだけが異様に丁寧だった。 「さあ、巫様。お召しくださいませ」 「や、やめてください……っ」  冬斗は衣装を差し出してくる佐久間さんの手を押し返した。  とっさに扉の方を見る。  まだ、間に合う。  慌てて立ちあがろうとした時だった。 「どこへ行こうとなさるのです」  佐久間が立ち塞がった。その手にはアルコールランプが提げられている。  その火のゆらめきが、冬斗を捉えた。  ────あ、まずい。  ゆらゆら。  生き物のように揺らめく炎。  小さな炎のはずなのに、冬斗はその炎から目が離せなくなった。  はっ、はっ、と荒い息遣いが聞こえる。  視界が急激に狭まっていく。  体が震える。  頭がぼんやりとしてくる。  ────肌が、焼けるように粟立つ。  息が吸えない。  喉が閉じる。  指先が冷たい。  炎が、だんだんと大きくなって近づいてくる。 『永禄八年  香本家 焼亡  香本正一 死亡』  文字が滲む。  黒い煙。  血の匂い。  焼け落ちる柱。  熱い。  熱い。  とぐろを巻く大蛇。 「────巫様? 巫様?」  老人の声が聞こえる。でも、姿は見えない。  ────殺さなきゃ。  ────依峰が、見てる。  ────早く、殺さなきゃ。  ────菓子をもらった。膝枕をした。歌を歌った。熱を分け合った。孤独を想った。  ────でも、殺さなきゃ。  ────……あれ、俺は誰だっけ。  その時。  ────冬斗。  名前を、呼ばれた気がした。  その瞬間、冬斗は足を踏ん張って大きく息を吸った。  佐久間さんの手を振り払い、一目散に駆け出す。  後ろから佐久間さんの叫ぶ声が聞こえた気がした。  でも、もう耳に入らない。    御社を転がるように飛び出した。  

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