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第49話「選択」
────正一の胸を、深々と神器の刃が貫いていた。
「あ……」
正一はがくりと崩れ折れる。
誰かの悲鳴が聞こえた。
神器がずるりと胸から抜け出て、血が溢れ出す。
正一を突き刺した依峰は、限界まで目を見開いて正一を見つめていた。
「正一……っ! 正一……っ!」
シキが正一の頬に寄り添いながら、必死に名前を呼ぶ。
そんな声は聞いたことがなくて、正一はぼんやりとする頭で、ついふっと笑みを浮かべた。
「なんで……。なんでだ……、正一……」
依峰が震える声を出す。依峰の神器が血濡れの手から落ちた。
がしゃりと音がして、畳に剣が落ちる。
依峰はうめきながら顔をおさえた。
「シキ……。だいじょ、うぶ……?」
正一はシキを見上げる。
「喋るな! 血が出る……!」
シキの叫び声。大蛇の姿で、表情はわからないはずなのに、なぜか必死の形相をしているような気がした。
その顔に、手を伸ばす。
白くて美しい鱗。
ごおっと音を立てて、火の手が大きくなる。
部屋はほとんどが炎に飲み込まれつつあった。
どんどんと寒くなっていく。
それなのに、肌が焦げるように熱い。
────ドォン。
焼け崩れた火の柱が、大きな音を立てて依峰と正一たちの間に落ちた。
ゴオッという音と共に、肺が焼けるような熱さに包まれる。
「正一!」
依峰が手を伸ばすのが見える。
その必死な顔には、さっきまでの憎悪はない。代わりに、ひどく焦ったような、悲しいような、悔いているような、複雑な色が浮かんでいた。
「正一……っ!」
その目には、正一だけが映っている。
正一は、依峰にゆっくりと首を振った。
「依峰……。ごめん……」
かすれた声で、それだけを言う。
瞬間、依峰の顔が絶望に染まった。
正一は口から血をこぼしながら、途切れ途切れに続けた。
「俺……シキを、置いて……いけない」
「正一……」
依峰は、ぐしゃりと顔を歪める。
伸ばされた手が、ゆっくりと引かれる。
炎の向こうでうつむく依峰は、正一を苦しげな顔で見つめた。
「……お前と、もっと違う形で出会えたら……」
そのつぶやきは、炎の音に飲まれて最後まで聞こえなかった。
依峰と肩を寄せ合い、心を交わした芝居小屋でのことを思い出した。
花札をする約束をした。
未来を夢見ていた。
はやる気持ちで会いに行った。
初恋を教えてくれた。
「依峰……ありがとう……」
正一は心からそう言って、微笑んだ。
依峰がぐっと唇を噛んだ。
何か言いかけて────そして、静かに踵を返す。
黒い着物が翻り、振り返らずに去っていく。
炎の向こうに消えていく背中を、正一はじっと見守った。
「正一……!」
焦ったようなシキの声が聞こえる。
炎の手から守るように、シキが正一を囲んでとぐろを巻いた。
ひやりとしたシキの胴体に包まれる。
正一はほっと息をついた。
あれだけ依峰に切り刻まれていたというのに、シキはまだ動けるようだった。
しかしその一方で、正一は自分の身について悟っていた。
「もう……俺は、死ぬよ……」
どくどくと胸から絶え間なく流れる血。
「喋るな……!」
「ううん……。もう、わかるんだ。……シキも、わかってるだろ?」
「正一……!」
紫の目が悲しげに揺れる。
正一は、命の火が消えていくのに比例して、背中から何かが消えていく感覚を覚えていた。
今まで正一を蝕んでいたもの。
消えていく感覚と同時に、何か失くしていたものが戻って来る感覚も感じる。
分厚く正一を覆っていた膜がどんどん剥がれていくように、記憶が鮮明に蘇ってくる。
────ようやく、わかった。
涙が一筋溢れた。
全てを取り戻して、正一はそっと口元を緩める。
自分を悲しげに見つめる紫の目を見つめ返した。
山のように巨大な大蛇に抱かれているというのに、恐ろしくない。
むしろ、あるべき場所に収まったような、不思議な安息があった。
「なぜ、俺を庇った……! あの男と文で通じていただろう……!」
シキが悲痛に唸った。
正一はわずかに目を丸くして、そしてぐしゃりと顔を歪める。
「シキ……」
シキは、全部知っていた。
知った上で、受け入れていたのだ。
そのことを理解して、正一はこれまでのシキの行動を振り返った。
正一の裏切りを、シキは一言も責めなかった。
問いただすこともしなかった。
怒りもせず、呆れることもなかった。
────『泣いているのか』。
ただ、苦しむ正一を気にかけていた。
神器に貫かれた時よりも、鋭く鈍い痛みが胸に走った。
火がごうごうとうねりを上げて部屋を飲み込んでいく。
不思議とシキの周りだけ火の周りが遅い。
しかし、それも時間の問題であることは明白だった。
「お前を、俺は笑わせてやることができぬ。泣かせてばかりだ……。お前を逃してやる方がきっと良い。そう思った」
巨大な大蛇が鎌首をもたげて、正一を見下ろしている。
その目が悲しげに揺れる。
人の姿をしている時より、表情が見えないはずなのに、なぜだかよく彼の感情が伝わって来る。
「……だが、俺はお前を離せぬ」
紫の目が伏せられた。
懺悔するようにその頭が垂れ下がる。
「……お前の手で死ねれば良いと思った」
苦しそうに目を閉じる、白く美しい大蛇。
正一は、口端をそっと持ち上げた。
「……シキ。あなたと、過ごした日々は……怖いだけじゃ、なかった」
シキがはっと目を開いた。
その紫の目を見つめながら、正一は静かに語った。
「確かに……初めは怖かった。……でも、だんだん、変わっていった。気づいたら……ずっと、シキのこと考えてた」
シキの紫の目は、炎を反射して揺らめいている。
その目が悲しそうに歪められている。
「……好きだよ、シキ」
シキが祈るように目を閉じた。
その大きな目から、涙が一筋流れる。
「……シキは……まだ、動けるだろ? 逃げて……」
死を待つしかない自分とは違って、シキはまだ助かる。
しかし、蛇の姿をした神は首を振った。
「────お前がいないこの世に、生きる意味などない」
ふ、と呼吸が止まった。
じわりと、視界が歪む。
なんとなく、そう言うのではないかと、思っていた。
正一の目から涙が溢れた。
「ごめん……」
涙を溢れさせながら、正一は顔を歪ませる。
「……嬉しい……」
一緒に、死ぬと言ってくれて。
ごめん。繰り返しつぶやく。
シキに涙を優しく吸われて、息が震えた。
震える手で、シキにしがみつく。
その額の鱗を撫でた。
愛おしさと切なさに身を焼きながら、ゆっくりと美しい鱗をなぞる。
「傷……本当に、治ったんだね……」
シキが、はっとしたように目を見開いた。
おそるおそる、大きな口を開く。
「千代丸……?」
正一は、微笑んで頷いた。
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