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第51話「おやすみ」

「俺を……食べてくれ……」  正一の言葉に、シキがはっと体を震わせた。 「正一……」  紫の目が揺れる。  正一は小さな笑みを浮かべながら、続ける。   「そうしたら……魂が……つながるんだろ……? このまま焼き死ぬより……」  正一は紫の目をじっと見つめた。 「シキに食べられて、一緒に……なりたい……」  その瞬間、目の前の大蛇が息を飲んだ。    幼い頃に、無邪気に蛇神に願ったことを思い出す。 『会ったら、おねがいするんだ。……食べてくださいって』  ふ、と口を緩めた。  シキはまるで自分が痛いような顔で正一を見る。  紫の目からまた涙が一つ落ちる。小さなその雫は、炎に焼かれてすぐに蒸発してしまう。  しばらく、シキは黙っていた。  正一も、何も言わなかった。  業火が城を飲み込んでいく。   「……苦しくはない」  やがて、低く小さな声が落ちた。  意を決したように、シキが鎌首を大きくもたげる。  大蛇に見下ろされながら、正一は穏やかな気持ちだった。 「正一。……愛している」  低く、心地よい声。  ずっと、聴いていた声。  ……ずっと、聴いていたい声。  正一は、目を閉じた。  涙が流れる。   「何度生まれ変わっても、必ずお前を見つける」  笑って、薄く目を開けた。  シキが、ゆっくりとその大きな顎を開く。  巨大な口が迫る。  不思議と、恐怖はなかった。  喰われようとしている。なのに、ひどく安らかだ。    赤子が、泣き疲れてやっと眠れるように、正一は深く息をついて体から力を抜く。  最後に。  涙を流すシキの顔を、そっと撫でた。 「……ありがとう、シキ」  ────そして、飲み込まれた。      シキの言う通り、飲み込まれたというのに、苦しみは少しもなかった。    シキの胎内はほんのりと温かく、包み込まれるようだった。  呼吸をしなくても、苦しくない。  幼子が母に抱かれているような、温かさと安心感を覚える。    ふと、正一は亡き母を思い出した。病弱だったが、あたたかな愛を注いでくれた。  正信は────父は、死んだのだろうか。  一瞬、厳しい顔を思い出す。優しくされた記憶などほとんどなかった。それでも、背中の(まじな)いはもしかしたら、父なりの愛だったのかもしれないと、ふと思った。    火の苦しい熱さから逃れて、あたたかなシキの胎内で、安らぐ。  胸の痛みも、火の熱さも感じない。    〝────苦しくはないか〟  シキの声が頭の中に流れ込んでくる。  〝苦しくないよ。……ごめん、シキは熱いよな〟  不思議と、会話ができた。  シキの胎内にいることで、意識を共有できているのかもしれない。  また話すことができて嬉しかった。  〝……なあ、シキ。もし生まれ変われるなら、また会えるように、印をつけてくれ〟    正一はシキの美しい紫の目を思い浮かべた。  シキの胎内は安らかだが、あの綺麗な目が見れないことだけが残念だった。  ────今度生まれ変わる時も、またずっとあの目を見ていたい。  そう思った。  そしてそれは、シキにも伝わったかもしれない。   〝次は……普通の恋人として、平和に過ごしたいな〟    束の間だった、安らかな思い出が蘇る。    また、シキの綺麗な髪の毛を解かしたい。  二人で歌を歌ったり、膝枕をしたりしたい。  そんなことを考えていると、シキの考えが流れ込んできた。    ────黒い髪の毛のシキが、正一と並んで穏やかに肩を寄せ合っている。  その後ろ姿が目に浮かぶ。  正一も、普通の人間になったシキと、寄り添う自分の姿を想像した。  ふと、シキの笑い顔が見たいと思った。  今世では、ついぞ見ることができなかった。  きっと、笑ったらきれいなのだろう。    それだけが残念だった。 〝……眠くなってきた……〟 〝……正一〟  だんだんと、意識が遠のいてきた。    苦しみはない。  愛する人に抱かれて、一つになって、死ぬ。  悲しくはない。  また、会えるから。  最後に、シキに願った。   〝いつもみたいに、おはようって、起こしてね……〟 〝……ああ〟 〝やくそくだよ……〟 〝……ゆっくり、眠れ〟  走馬灯のように今までの記憶が流れていく。  雪の中。  母に甘えた。  父の厳しさに泣いた。  赤い夕焼けの山で、シキに出会った。  涙を拭いてもらった。  大好きになった。  約束をした。  大人になって、依峰と恋をした。  芝居小屋で笑い合った。  未来を夢見た。  楽しかった。  シキと再開した。  最初は訳もわからないまま、体を奪われた。  だけど、記憶がないまま、また好きになった。  雪の庭園。  雀の声。  あたたかな日差し。    かけがえのない、愛おしい時間だった。  ありがとう。  みんな。  ……ありがとう、シキ。    まどろみに身を委ねる。    〝……おやすみ、シキ〟  最後まで、正一を呼ぶ声が聞こえた。  もう、返事はできなかった。    

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