53 / 60

第52話「恋の夢」

 誰かが、呼んでいる。  優しく、いつものように。  ────意識が、浮上していく。  ゆっくりとまぶたを持ち上げた。 「冬斗」  目を開けると、そこには穏やかな顔があった。    一瞬。    黒い髪が、銀色に見えた。  紫の目が、こちらを見つめている気がした。    けれど、瞬きをすると消える。    黒い髪。  夜の瞳。  冬斗は、ゆっくりと口を開いた。 「……一葉」  かすれた声が漏れる。  一瞬、一葉が泣きそうな顔をした。  そして、いつもみたいに優しく笑う。 「……おはよう、冬斗」  震える息を吐き、目を閉じた。  涙がこぼれる。  微笑みながら、言った。 「おはよう、一葉」  一葉が息を止めた。  そして、白い指が伸びて来てそっと目尻を拭われる。  冬斗はぐっと唇を噛んで、一葉を抱き寄せた。  一葉がはっと固まる。 「一葉」  一葉の名前を呼ぶ。  冬斗は黒い瞳をまっすぐに見つめた。 「好きだよ」  その瞬間、一葉が目を見開いた。  一葉の目に、冬斗の紫の目が映っている。  一葉の唇が震えた。  何か言おうとして、ぐっと唇を結ぶ。  言葉もなく、力強く抱き返された。  確かな存在感に、深く息をつく。    震えているのは、きっと、自分だけじゃなかった。    あたたかな体温と、鼓動が伝わってくる。  また、涙が滲んだ。  白い部屋には、あたたかな日差しが差し込んでいた。    しばらく一葉の髪を撫でていると、一葉がもぞりと動いた。 「……冬斗」 「……ん?」  一葉の目が、少し赤い気がした。高い鼻の頭が、ほんのりと朱に染まっている。 「本当に、無事でよかった……」  こんな顔を見るのは初めてだった。  きっと、一葉自身も初めてなのだろう。  冬斗は頬を少し持ち上げた。   「……うん。ありがとう、一葉」  雪山で足を滑られせたあの時。  もうだめだと思った。  でも、一葉が来てくれた。 「ありがとう……」  ぎゅ、と一葉を抱きしめる。  照れたように、一葉が小さく笑った。  ふと、自分の左腕に点滴が刺さっていることに気がついた。  周囲をよく見てみれば、そこは病室のようだった。  一葉が眉を下げる。 「冬斗、三日間も眠ってたんだよ」 「そんなに……?」  一葉が頷く。そして、冬斗の手をぎゅっと握った。  あたたかな、手。 「本当に、よかった……」  握られた手のぬくもりを感じる。  また、まばたきと共に熱い雫が頬を伝った。  手を繋いで、額を寄せ合う。  濡れた目尻に、口付けられた。  その仕草に既視感を覚えて、息が震えた。  冬斗は、そっと一葉の顔に触れた。  自分は、正一ではない。  でも、正一でもある。    切り離すことはできない。  でも、それでいい。    全部含めて、まるごと自分だ。  遠月冬斗だ。  ────そっと、背中を押された気がした。 「……一葉」  名前を呼ぶ。  愛おしそうに目が細められた。 「俺、もう一人じゃないよ」 「……うん」 「伊織も、茜も、鈴音もいる。ばあちゃんも、母さんも、みんないる」 「……うん」  紡ぐ言葉を、一葉はただ優しく相槌を打って聴いてくれる。 「……でもさ」  ぽたり、と雫が落ちた。 「……俺、一葉がいないと、だめだ……」  喉が震えて、声が涙に濡れた。 「一葉は……好きになってごめんって言ってたけど……。違うんだ。俺が……俺の方が、多分、重いんだ」  紫の目から、ぼたぼたと大粒の雫をこぼす。 「一葉が、鈴音を見ているといやだ。俺だけを見ていて欲しい。俺だけに笑ってて欲しい。す、鈴音は良い子だ。……でも、応援なんて、無理。……一葉がふった時、実はすごく嬉しかったんだ……」  一葉が息を飲んで、目を見開いた。  冬斗は震え声のまま、喉から心の内を搾り出す。 「俺が、一葉を独り占めしたい……」  ────穏やかに笑いながら、時々寂しそうな目をしていた。  誰とでも仲良くできるのに、誰ともつながっていなかった。  みんなの中心にいるのに、どこか孤独を背負っていた。 「一葉が人間じゃなくてもいい。蛇でもいい。神様でもいい。なんでもいいから……」  冬斗は、ぎゅっと一葉の手を握った。   「 一緒にいたい……」  繋いだ手に、また、ぽたりと雫が落ちた。 「俺が、一葉を幸せにしたい……」   借りたスウェットに袖を通した時の、一葉の匂いに包まれた安心感。  自分でも受け入れられなかった目を、一葉が初めて綺麗だと言ってくれた。  いつも、冬斗が辛い時に寄り添ってくれた。  冬斗が寒い時に、コートをかけてくれた。あたためてくれた。    ──── 一葉といる時だけ、自分の世界は色がつく。 「重いところも、嫉妬深いところも……たまに暴走するところも。……全部、好きなんだ」  おさえていたものが、全てあふれ出して決壊する。  一葉に、想いを伝えても良い。  何にも縛られない。    そのことが、心の底から嬉しかった。  嬉しくて、涙が止まらなかった。 「難しい理由なんかない。……全部、好きなんだ」  全て言い終わって、冬斗は肩で息をした。    一葉は何も言わない。  病室にはただ白い光が差している。  やがて、繋いだ手に、ぽたり、と雫が落ちた。  一葉を見上げると、黒い瞳から涙がこぼれていた。  一葉が嗚咽を噛み殺しながら、冬斗の胸に顔を埋める。  冬斗は、さらさらとした黒い髪の毛を、そっと撫でた。   「……夢を見てたんだ」  黒い髪を見つめながらそう言うと、一葉がはっとした。  大きな体が強張る。 「……怖い夢?」  一葉の言葉に、静かに首を振った。  そして、微笑む。 「……長い、恋の夢」  一葉が、顔を上げた。  黒い目が見開かれている。    そして────ふわりと笑った。    その笑顔は、見たこともないくらい。    きれいだった。  

ともだちにシェアしよう!