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第52話「恋の夢」
誰かが、呼んでいる。
優しく、いつものように。
────意識が、浮上していく。
ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
「冬斗」
目を開けると、そこには穏やかな顔があった。
一瞬。
黒い髪が、銀色に見えた。
紫の目が、こちらを見つめている気がした。
けれど、瞬きをすると消える。
黒い髪。
夜の瞳。
冬斗は、ゆっくりと口を開いた。
「……一葉」
かすれた声が漏れる。
一瞬、一葉が泣きそうな顔をした。
そして、いつもみたいに優しく笑う。
「……おはよう、冬斗」
震える息を吐き、目を閉じた。
涙がこぼれる。
微笑みながら、言った。
「おはよう、一葉」
一葉が息を止めた。
そして、白い指が伸びて来てそっと目尻を拭われる。
冬斗はぐっと唇を噛んで、一葉を抱き寄せた。
一葉がはっと固まる。
「一葉」
一葉の名前を呼ぶ。
冬斗は黒い瞳をまっすぐに見つめた。
「好きだよ」
その瞬間、一葉が目を見開いた。
一葉の目に、冬斗の紫の目が映っている。
一葉の唇が震えた。
何か言おうとして、ぐっと唇を結ぶ。
言葉もなく、力強く抱き返された。
確かな存在感に、深く息をつく。
震えているのは、きっと、自分だけじゃなかった。
あたたかな体温と、鼓動が伝わってくる。
また、涙が滲んだ。
白い部屋には、あたたかな日差しが差し込んでいた。
しばらく一葉の髪を撫でていると、一葉がもぞりと動いた。
「……冬斗」
「……ん?」
一葉の目が、少し赤い気がした。高い鼻の頭が、ほんのりと朱に染まっている。
「本当に、無事でよかった……」
こんな顔を見るのは初めてだった。
きっと、一葉自身も初めてなのだろう。
冬斗は頬を少し持ち上げた。
「……うん。ありがとう、一葉」
雪山で足を滑られせたあの時。
もうだめだと思った。
でも、一葉が来てくれた。
「ありがとう……」
ぎゅ、と一葉を抱きしめる。
照れたように、一葉が小さく笑った。
ふと、自分の左腕に点滴が刺さっていることに気がついた。
周囲をよく見てみれば、そこは病室のようだった。
一葉が眉を下げる。
「冬斗、三日間も眠ってたんだよ」
「そんなに……?」
一葉が頷く。そして、冬斗の手をぎゅっと握った。
あたたかな、手。
「本当に、よかった……」
握られた手のぬくもりを感じる。
また、まばたきと共に熱い雫が頬を伝った。
手を繋いで、額を寄せ合う。
濡れた目尻に、口付けられた。
その仕草に既視感を覚えて、息が震えた。
冬斗は、そっと一葉の顔に触れた。
自分は、正一ではない。
でも、正一でもある。
切り離すことはできない。
でも、それでいい。
全部含めて、まるごと自分だ。
遠月冬斗だ。
────そっと、背中を押された気がした。
「……一葉」
名前を呼ぶ。
愛おしそうに目が細められた。
「俺、もう一人じゃないよ」
「……うん」
「伊織も、茜も、鈴音もいる。ばあちゃんも、母さんも、みんないる」
「……うん」
紡ぐ言葉を、一葉はただ優しく相槌を打って聴いてくれる。
「……でもさ」
ぽたり、と雫が落ちた。
「……俺、一葉がいないと、だめだ……」
喉が震えて、声が涙に濡れた。
「一葉は……好きになってごめんって言ってたけど……。違うんだ。俺が……俺の方が、多分、重いんだ」
紫の目から、ぼたぼたと大粒の雫をこぼす。
「一葉が、鈴音を見ているといやだ。俺だけを見ていて欲しい。俺だけに笑ってて欲しい。す、鈴音は良い子だ。……でも、応援なんて、無理。……一葉がふった時、実はすごく嬉しかったんだ……」
一葉が息を飲んで、目を見開いた。
冬斗は震え声のまま、喉から心の内を搾り出す。
「俺が、一葉を独り占めしたい……」
────穏やかに笑いながら、時々寂しそうな目をしていた。
誰とでも仲良くできるのに、誰ともつながっていなかった。
みんなの中心にいるのに、どこか孤独を背負っていた。
「一葉が人間じゃなくてもいい。蛇でもいい。神様でもいい。なんでもいいから……」
冬斗は、ぎゅっと一葉の手を握った。
「 一緒にいたい……」
繋いだ手に、また、ぽたりと雫が落ちた。
「俺が、一葉を幸せにしたい……」
借りたスウェットに袖を通した時の、一葉の匂いに包まれた安心感。
自分でも受け入れられなかった目を、一葉が初めて綺麗だと言ってくれた。
いつも、冬斗が辛い時に寄り添ってくれた。
冬斗が寒い時に、コートをかけてくれた。あたためてくれた。
──── 一葉といる時だけ、自分の世界は色がつく。
「重いところも、嫉妬深いところも……たまに暴走するところも。……全部、好きなんだ」
おさえていたものが、全てあふれ出して決壊する。
一葉に、想いを伝えても良い。
何にも縛られない。
そのことが、心の底から嬉しかった。
嬉しくて、涙が止まらなかった。
「難しい理由なんかない。……全部、好きなんだ」
全て言い終わって、冬斗は肩で息をした。
一葉は何も言わない。
病室にはただ白い光が差している。
やがて、繋いだ手に、ぽたり、と雫が落ちた。
一葉を見上げると、黒い瞳から涙がこぼれていた。
一葉が嗚咽を噛み殺しながら、冬斗の胸に顔を埋める。
冬斗は、さらさらとした黒い髪の毛を、そっと撫でた。
「……夢を見てたんだ」
黒い髪を見つめながらそう言うと、一葉がはっとした。
大きな体が強張る。
「……怖い夢?」
一葉の言葉に、静かに首を振った。
そして、微笑む。
「……長い、恋の夢」
一葉が、顔を上げた。
黒い目が見開かれている。
そして────ふわりと笑った。
その笑顔は、見たこともないくらい。
きれいだった。
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