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花葬
――賢太郎が悠優との穏やかな昼休みを過ごした少し後のこと。
ご機嫌な鼻唄と共に部屋から姿を現した燈の手には、色とりどりの花が大切に抱えられていた。
――燈、これお願いしてもいいかな。いつも贈りっぱなしで悪いんだけど…
困ったような照れたような笑顔で、決して「燈のために」というような重たい言葉は使わずに 悠優が毎週欠かさず手ずから燈に贈ってくれるプレゼントだ。
悠優は「プレゼントだよ」なんて恩着せがましいことは言わないが、燈は知っている。悠優は燈がいなかったらまず部屋に花なんて飾らないだろうことを。そんな「花の世話」なんて雑事を、只でさえ家事を一手に担う拓海にはさせないだろうことを。
花が大好きで、実家とはいえ華道の師範代なんて仕事をしている燈がいるから、毎週欠かさず花を買ってきてくれるのだ。だからこの花束は、誰がなんと言おうと愛する旦那様からの燈へのプレゼントなのだ。
「見て見て拓海くん、このラナンキュラス!すんごい立派! 悠優くん、はぁ〜〜、無理、かっこいい。語彙力死亡。太陽が東から登るのは悠優くんのお陰です!!」
キッチンで片付けを始めた拓海にまで聞こえるような高い声で呼び掛けておきながら、返事は待たずに燈は玄関に花材を広げていく。
悠優はいつも馴染みの店で「燈のために」と選ばせて買ってくる。華道に詳しい人に贈るとでも伝えているのだろうか、悠優が買ってくる花たちはいつも一級品だった。
瑞々しい茎、絶妙な色合わせ、空間を支配するような枝ぶりの雪柳。これを渡してくれた昨夜の悠優の笑顔を思い出して、燈は一人くふふと小さく笑う。
「よーし、燈先生に任せなさい!一等綺麗にしてあげるからね!」
それは、燈にとってはあまりに日常で、あまりに簡単な仕事であり、推し活のはずだった。
30分後――鼻歌が消えた。
悠優がくれた花たちは、燈の目から見ても完璧だった。どこをどう切り取っても美しい。それは失敗のしようがないほど完成された花材たちのはずだったのに。
――すごいな、こんな風になるのか。家の中なのに風に揺れてるみたいに見える。
――家のなかに花があるだけで、こんなに明るくなるんだな。まるで燈みたいだ。
――ありがとう燈。こんなに素敵にしてくれて……すごく嬉しい。
悠優の期待に応えたい。燈の腕を信じ、燈の為に花を買ってきてくれる悠優の想いを、1ミリの狂いもなく形にしたい。そう思って脳裏に悠優の笑顔が過る度に、ハサミを持つ手が震える。
もし、間違えたら。
普段は決して考えないような、そんな「もしも」に怯えて、燈の目から光が消えていく。
――そうして、2時間が過ぎていた。
空気が冷えてきて、玄関のタイルを冷やしていく。
燈は、もはや花を見ていなかった。無惨に床に散らばった植物の残骸と、未だ花器に収まらないラナンキュラスを、うつろな目で見つめている。
ふと見れば、あれほど誇らしげに咲いていた花たちが、水を吸えずに首をもたげ、項垂れていた。その光景が、姿が、燈にはまるで。
「悠優くん」
「悠優くん、どうしよう」
華道の師範代なんて名乗っておきながら、最愛の人からの花をダメにしようとしている。燈の為に買ってきてくれた悠優の気持ちを最高の形に輝かせることができず、情けなく項垂れている自分自身のように見えた。
――花ぁ?ダッサ、立体プリンタで事足りるじゃん。そんなことしてる暇があったらてごねパンの作り方でも覚えた方がよっぽど未来の旦那様に喜んで貰えるよ!
うるさい。
――まぁおまえ顔だけはいいし?ベッドに花散らして抱いてぇ…ってする方が喜ばれるか!いいじゃんお花!!お似合い~~~
うるさい。
うるさい。
うるさい!
バチン。
それは、雑音を物理的に封殺するための、あまりに雑で心のない鋏の音だった。
(……お母様に見られたら破門だ。生徒さんたちにも示しがつかない)
この惨状を見たら、悠優くんはどう思うだろう。いや悠優くんは優しいから、また買ってくるよって言ってくれる。でもこのラナンキュラスは?
自分のせいで、このラナンキュラスを、悠優からの愛を殺している。
「悠優くん、ごめん、ごめんなさい」
冷え切った指先で、無理やり挿そうとしたラナンキュラスの茎が、ミシリと嫌な音を立てたその時。
「燈」
燈の手元から、スルリとラナンキュラスが抜き取られた。
大和だ。彼はいつの間にか燈のすぐ後ろに立ち、迷いの中にあった燈の細い手首を、そっと、だが逃げられない強さで抑えた。
温かいその手に、燈の冷えきった心が悲鳴をあげる。
「大和、さん……っ、ごめんなさい、僕、悠優くんのお花を……っ」
「謝らなくていい。悠優は君を泣かせるために花を買ってきたんじゃない。……君がそんな顔をしていては、悠優も花も悲しむよ」
大和は燈の手から鋏を取り上げると、そのまま彼を優しく胸へと引き寄せた。燈の視界が、清潔な白に包まれる。温かくて柔らかい、少し甘い香り。大和の緩い包容が身体の中までじんわり届くようだった。
「どうせ悠優には、繊細な生け花の出来映えなんてわからないさ。君が楽しそうに花を活けて笑ってそこにいれば、悠優はそれだけで満足なんだよ。僕らが愛した旦那様は、そういう男だ。知ってるだろ?」
それは静かな、それでいて歌うような、優しい優しい音だった。大和の細く繊細な掌が、燈の後頭部をゆっくりと撫でる。燈の細い髪の毛の感触を楽しむようなゆったりとしたその指先は、悠優がいつも燈にしてくれるそれだった。
「……っ、ゆうく、……大和さん……!」
燈はついに声を上げて泣き出した。大和はそれを「よしよし」と、軽い調子で受け止めた。
「えらいね、ちゃんと泣けたね」
「やまとさ、僕、お花ぁ、……っ!」
「大丈夫大丈夫」
「ぼくっ、お花も出来なかったら、なんにも出来ない、悠優くんになんにも出来ないっ……ふ、」
「そんなわけない。燈にあんなにデレデレなのに」
「大和さん、が、せっかく、ぼく、ここに」
「だーいじょうぶ。悠優には燈が必要なの。」
「ひっ……うあぁん…………」
「僕も燈が大好きだから許したんだよ。ほら、どうすればいいんだっけ?教えて先生」
リビングのドアの向こう。拓海は二人の会話を聞き届け、静かに踵を返した。
「……そろそろか」
拓海は冷蔵庫からミルクを取り出した。燈の大好きな、拓海には甘すぎる飲み物を準備する。
しばらくして、大和に肩を抱かれた燈がリビングに戻ってきた。大和が拓海の手元から立ち上る湯気と香りに気づき、微かに口角を上げる。
「拓海、僕の分は?」
「ココア飲まねーだろ大和」
「コーヒーがいいなぁ、今朝の美味しかった」
「あれはもうない」
「ええ?嘘、20個入りだったの見たよ」
「手軽なドリップは朝用だから今使えるのはない。ないったらない!」
残念、ちっとも残念そうにしないまま大和は呟いて、燈をソファに座らせた。拓海がココアを差し出してやると、無惨に泣き腫らした目と力を失った声で「ありがと…」と蚊の鳴くような礼が返ってくる。
あーあ、タオル冷やすか。
拓海が洗面所に向かうためにリビングを後にしようとしたその時、お湯を沸かしていた大和が不意に声を上げた。
「ん?グループ名、変えたんだね。……ふふ、いいじゃないか、賢太郎がオフィスで噴火しているよ」
大和の軽やかな冗談に、燈が
「……っ、ふふ、かわいいでしょ」
と、まだ涙の跡が残る顔で小さく笑った。
燈がココアを飲み始めたのを見届け、大和はリビングを出ていこうとしていた拓海へと視線を向けた。その瞳は、一見いつもの大和だが――先ほどの慈愛とは打って変わって、不在の悠優に代わり神凪家を統べる者としての冷たい光を宿している。
「拓海。悠優には言わないようにね」
「……わかってるよ」
「よかった。頼むね」
大和はそっと微笑み、キッチンに戻っていった
。
拓海は時々、あの大和という男が怖くなる。
嫉妬も憎悪も猜疑も見せない彼の心は、一体どこにあるのかと。自分だって悠優のためならなんだって出来るつもりだが、大和のそれは拓海のそんな覚悟がちっぽけなものなのではないかと思わせる何かがあった。
拓海は今度こそリビングを後にした。
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