8 / 12

おまけ② ワンコールの戦士

【イケイケ不動産営業マンあるある/いつ何時でも電話出る】  雲一つない青空が清々しい休日。二人は肩を並べて、賑わう繁華街へと繰り出していた。  取り留めのない話をしながら、上品で華やかな通りに立ち並ぶショーウィンドウを眺めて歩く。時折、目に付いた店に入ってはフレグランスを試したり、ネクタイを選んだり。昼を回る頃には、宮尾の両手は高級感あふれる紙袋で塞がっていた。 (見ていて気持ちいいくらいの買いっぷりだ)  吉永は隣で感心していた。宮尾は店に入るなり、自分から積極的に店員へ声をかけては、存分に営業を受けていた。そして、その対応が自身の満足できる水準を超えると、迷いなくカードを出すのだ。 「宮尾くん、買い物が好きなの?」  宮尾は少し考えると、苦笑しながら答えた。 「好きというか……気持ちいい接客を受けると、その人から買いたくなっちゃうんですよね」  なるほど、彼は「モノ」ではなく「人」で選ぶタイプらしい。一種の職業病だろうが、清々しいほどに潔い。  二人は路地を少し入り、目に付いたイタリアンで遅めのランチを摂ることにした。歩き疲れを癒しながら、前菜のサラダをつまむ。  吉永は改めて、目の前の恋人を眺めた。今日の彼は、薄桃色のリネンシャツをさらりと羽織り、足元は飴色のローファーで固めている。髪は休日らしく、いつもよりラフに遊んでいた。腕で輝くシンプルなロレックスは、初めて全国ランカーになった時に買ったものだという。  自分の見せ方を熟知した、隙のないセンス。不意に宮尾と目が合うと、彼は悪戯っぽく目を細めて「何見てるんですか」と笑った。 (……うん。俺の彼氏、本当にかっこいい)  吉永が一人で悦に入っていると、湯気を立てるパスタが運ばれてきた。  食欲をそそる香りに、二人が顔を綻ばせる。フォークを手に取った、まさにその瞬間だった。  けたたましい電子音が、穏やかな昼下がりを切り裂いた。  スマホが震えた一瞬、吉永が顔を上げるより早く、宮尾の体が弾かれたように跳ね上がる。 「はい!大世不動産の宮尾です!」  コンマ一秒のワンコール、店内に響き渡る馬鹿でかい声。先ほどまでの「恋人との逢瀬に浸る男」の顔は霧散し、そこには戦闘態勢の営業マンがいた。 「あ、佐藤さん!お世話になってます!どうされました?……はい、はい……」  宮尾はにこやかな口調で応対しながら、器用に目で吉永に謝罪し、流れるように席を立った。店を出ていく彼の背中を、吉永は感心半分、呆れ半分で見送る。  しばらくして戻ってきた宮尾は、椅子に深く腰掛けると、ふうと大きな溜息を吐いた。 「すみません、冷めちゃいましたよね」 「いや、悪いけど先にいただいたよ。それより、大丈夫だった?」  宮尾はぬるくなったパスタをフォークで巻きながら、苦笑いする。 「仲良しの地主さんでした。お喋り好きなおじいちゃんなんですよね。用事は、特になかったんですけど」  休日に、恋人とのデート中に、ほかほかのパスタを差し置いて、おじいちゃんの世間話に付き合った。吉永の口から、思わず本音がこぼれる。 「……それって、宮尾くんの仕事なの?」  あまりに素朴な疑問に、宮尾は一瞬目を丸くした後、ニヤリと不敵に笑った。 「吉永さん。こういう、なんてことないお喋りの積み重ねが、いずれ何千万、何億の案件に繋がるんですよ」  そう語る宮尾の顔は、数々の強人たちを薙ぎ倒して成約を勝ち取ってきた、猛者のそれだった。  その顔を見た吉永は、食後の珈琲を啜りながら、しみじみと心の中で呟く。 「宮尾くんの、仕事が好きなところ、好きだなあ」  冷めたパスタを一気に完食した宮尾が、先ほどまでの勝気な表情から一変、初心な少女のように頬を赤らめて言った。 「吉永さん、全部口に出てますよ」 【イケイケ不動産営業マンあるある/社内専用の謎の挨拶】  大量の荷物を抱えて帰宅した二人は、早々に風呂を済ませて寿司の出前を取った。  居間のテーブルに桶を広げ、配信ドラマを適当に流しながら、まったりとビールを飲む。恋人と二人きりで過ごすこの時間は、吉永にとって何物にも代えがたい癒やしだった。  ドラマが佳境を迎え、部屋の空気がしっとりと落ち着き始める。ふと、隣に座る宮尾が静かになった。見ると、彼は真剣な面持ちで画面に視線を注いでいる。  それがなんとなく面白くなくて、吉永はおもむろに宮尾の体に触れた。締まった腰を抱き寄せ、強引にこちらを向かせる。 「……今、良いところなんですけど」 「俺より優先するものがあるの?」  少しだけ尊大に振る舞う吉永の言葉に、宮尾はふっと吹き出すと、抗わずに目を閉じて顔を寄せた。  柔らかい唇が重なり、互いの熱を確かめるように何度も微かな音を立てる。  部屋の湿度がじりじりと上がり、吉永の手が宮尾のシャツの裾に滑り込んだ、その時だった。    けたたましい電子音が、夜の静寂を無慈悲に切り裂いた。ばっと素早い動きで社用スマホを掴み取る宮尾。画面を確かめた瞬間、その顔から血の気が引いた。 「オザッス!宮尾です!!津田マネージャー、オザス!いえ、全然大丈夫です!はい!……はい!」  宮尾は弾かれたように立ち上がり、廊下の向こうへと消えていく。 (デジャヴだ……)  一人残された吉永は、ぬるくなったビールを啜りながら、もはや内容の入ってこないドラマを見つめた。  数分後、通話を終えた宮尾が戻ってきた。その表情は、出ていった時とは打って変わって晴れやかだ。 「マネージャーから直々に電話なんて、何かやらかしたかと思いましたよ。あー、焦った」 「何の電話だったの?」  宮尾は嬉しそうに顔を綻ばせ、吉永の隣に勢いよく腰を下ろすと、残りのビールを喉に流し込んだ。 「本社の新しいプロジェクトのメンバーに推薦してもらえたみたいなんです」 「それはすごい。おめでとう、宮尾くん」  吉永が驚きとともに祝辞を述べると、宮尾は昂ぶった様子で缶を置いた。そして、真っ直ぐな瞳で吉永を見つめる。 「俺、最近仕事がどんどん楽しくなってるんです。吉永さんが見守っててくれると思うと、なんだか心強くて……。いつも、ありがとうございます」  装飾のない、剥き出しの謝辞。それは吉永の心に、熱く、深く刺さった。 「そんな……俺は何もしていないよ。全ては宮尾くんの徹底した仕事ぶりの賜物だ」 「いえ、吉永さんのおかげです。俺、以前と比べて明らかに、心に余裕があるんです」  確かに、数ヶ月前に出会った時の「千切れそうなほどほど張り詰めた糸」は、今やしなやかな強靭さに変わっている。  不意に、宮尾が猫のような動きで擦り寄ってきた。  首筋に柔らかな唇が触れ、頬に微かな吐息がかかる。 「……ムード台無しにしちゃいましたね。仕切り直させてください」 「なに、誘ってくれるの?」 「うん。大人しくしててくださいね?」  そう念を押されれば、無粋に手は出せない。  吉永が両手を上げて「降参」のポーズをとると、宮尾は満足そうに微笑み、その胸元に手を置いて言った。 「――猫の毛がついてますよ」  いつか、出会ったばかりの頃に聞いた台詞。吉永は思わず吹き出した。 「誘うのが下手だなあ」 「本当にね」  視線を絡ませ、くすくすと笑い合う。  やがて部屋の照明が落ち、二人の影が深く重なり合った。  今度こそ、誰にも邪魔されることのない甘やかな夜が、静かに更けていった。

ともだちにシェアしよう!