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No.8「過去との辻褄」

第六王子が帰った後、使用人頭のマチが寝室に、軽い食事と苦い薬を運んでくる。 「もう熱は下がったよ、マチ」 「そうかもしれませんが、あと一回、この薬をお飲みください。飲んだら眠くなりますから、二、三時間お昼寝してくださいな。そもそもナリ王子は、睡眠時間が足りていないのですよ」 小言が始まりそうだったので、僕は「わかった」と返事をする。 食事を取りしばらくすると、マチの言う通り薬が効いてきて、僕はまたウトウトと眠り込んだ。 久しぶりに兄である第六王子の顔を見たからだろうか、懐かしい夢を見た。 王都の僕の自室で、ゼフと二人で過ごしている。 これは四年前、ゼフが城から姿を消す直前の夢だ。 上衣を脱いだ僕は、俯せでベッドに横たわっている。 ゼフは古めかしい書物を片手に、羽ペンにインクをつけ、僕の背中へ模写するように守紋様を描いていた。 今のような蔦の紋様ではなく、直線の多い単純な図形だ。 まるで天井から覗いているような視点の夢は、あのとき見えなかったものを、僕に見せてくれようとしていた。 「父に教わる亡霊を避ける呪文より、こうして触られたくない箇所に直接描き込む守紋様のほうが、ナリを守ってくれると思うんだ」 夢の中の僕は、何も返事を返さない。 ただ、俯せでも見えている耳が、恥ずかしさで真っ赤になっている。 居心地悪そうに腰のあたりをモゾモゾと動かしては、「動かないで、ナリ」とゼフに注意されていた。 「ゼ、ゼフ……、も、もう、やめて……」 僕の声は、涙で滲んでいる。 「もう少しの辛抱だから」 ゼフは真剣で、書物とペン先に集中していた。 「あっ、んっ」 「ナリ、どうした?」 ゼフのペンが止まる。 そして、俯せの僕を起こそうとするから、その手を力いっぱい振り払う。 羽ペンが宙を舞い、カタンと床に落ちた。 「もう、もう、描かないで。も、紋様なんて、いやだよ」 涙声で拒絶する僕は、両手で股間を押さえている。 それを見たゼフは、書物へと目を落とし何かを確認した。 そうして、うれしそうに微笑み、枕に顔を埋める僕の頭をやさしく、愛おしそうに撫でてくれる。 「さ、触らないでってば……」 僕はいつまでも枕に顔を埋め、自分を嫌悪してグズグズと泣いていた。 意識は浮上し、僕は夢の世界から辺境の古城へと帰ってくる。 これが四年前、ゼフの守紋様で性的な興奮を覚え戸惑い拒絶した僕と、その反応を見て守紋様の効果に手応えを感じたゼフの姿だ。 あのとき、ゼフがあんな愛おしそうな顔で僕を見ていたなんて、思いもしなかった。 (ゼフは、あのときからずっと、霊媒体質の僕を守ろうと試行錯誤してくれていたんだ……) — 鳥籠に入った蝙蝠のホムを連れ、ようやく大広間へ起きてゆく。 使用人の一人がそれに気が付き、声を掛けてきた。 「ナリ王子、お加減はいかがですか?」 「ありがとう。もう大丈夫」 「それはよかった。ところで昨日の朝、ナリ王子が、私の姪っ子が亡霊に触られている件で「ゼフに頼みごとをしてみる」とおっしゃってくださいましたよね」 「あぁ……、それがその……」 彼の守紋様の技術は、僕のためだけに修行してくれたものだったのだ。 他の人には効き目がないという。 彼女の姪には、期待を持たせてしまい申し訳なかった。 「昨日の夕方、ゼフが東のほうに伝わる「お守り」というものをくれました」 「お守り?」 「えぇ。それを肌身離さず持っていれば、引っ越しするまでの数日間、亡霊からの接触を抑えられるだろうって」 よかった。 ゼフは、守紋様が無理でも、ちゃんと力を貸してくれたのだ。 「お陰様で昨晩はよく眠れたようです。とても喜んでおりました。それで、これを」 使用人は布に包まれた冊子を僕に寄越した。 彼女の家に伝わる書物なのだという。 「表紙の刺繍が美しいので、我が家では宝とされていましたが、ここに何が書かれているか分かる者はおりません」 この国の識字率は高くない。 「ナリ王子は書物がお好きとお見受けしましたので、よろしければお礼の品にさせてください」 僕自身が何をしたわけでもなかったから、断ろうと思った。 しかし、これが百年前の城主が書いた日記だと気が付き、僕はありがたく受け取ることにした。 大広間の長椅子に腰掛け、早速ページを捲る。 美しい文字で、ラユのことがたくさん綴られていた。 城を守ってくれる頼もしさ、安心感、その統率力の見事さ。 褒め言葉ばかりだった。 「騎士団長ラユに「オマエは何が好きだ?」と尋ねると、「私は赤い薔薇が好きです」と返事を寄越した。「だったら大戦が終わり次第、褒美として庭に薔薇園を作ろう」と彼に伝えると、彫りが深くいつもは鋭い瞳を潤ませ、「ぜひに」と喜んでくれた」 (城主はラユを、ラユは城主を大切に思っていたのだろう) 僕は、逸る気持ちでパラパラとページを捲る。 そして、ラユが亡くなったと思われる日の記載を見つけた。 酷く乱れた字が、書き殴るように短く記されている。 「私はもう誰も愛さない」 その日以降は、白紙となっていた……。 僕は太陽が傾いた頃、薔薇園へ足を運ぶ。 そして、庭担当の使用人に許可を得て、自ら赤い薔薇を何本もハサミで切っていく。 「どちらへ飾るおつもりですか?」 「僕の寝室に、この真っ赤な薔薇を飾ってみようと思って」 「それは薔薇も喜びますな」 僕の手元が危なっかしかったのか、使用人は「棘にお気をつけて」と、切り花にするのを手伝ってくれた。 — 今宵も寝室で、守紋様を描いてもらうことにした。 六回目は背中とお尻に描くというので、四年前のように上衣を脱ぎ、ベッドへ俯せになる。 「ねぇ、ゼフ。明日お腹に書けば守紋様は完成だよね。そしたらラユはどうなるの?消えて無くなるの?それとも僕に触らないだけで、ここに居続けるの?」 「明日は書き終わったあと、ある儀式をしてナリの隙を塞ぐ」 「僕の隙?」 「あぁ、そうだ。そしたら、ラユは見えなくなる。居なくなるわけじゃない。ただ見えなくなるだけ。ラユは延々と、何百年先もこの古城に居続けるんだ」 「そっか……」 筆が僕の背中を撫ぜれば、フツフツと快楽が込み上げてくる。 副作用だと言い切るゼフが、それを軽蔑したりはしないだろうと確信が持てた今、快感を受け入れられるようになってきた。 だから、喘ぐような声を漏らしつつ、彼の施術に身をゆだねた。 守紋様を描き終わり、道具を片づけているゼフに僕は申し出る。 「あ、あのね。今夜なんだけど、ラユと二人にしてくれる?」 「は?どういう意味だ?」 「ちょっと、ラユに伝えたいことがあって……」 「馬鹿!亡霊に同情するな。この部屋中に飾られた赤い薔薇も、ラユのためだったってことか!」 「大丈夫。ラユの誘いに絶対「はい」とは言わないから。連れ去られないように気を付けるから。お願いだよ、ゼフ……」 「ナリが何をしようと、ラユが亡霊であり続けることは変わらないんだぞ」 ゼフは唇を噛みしめ、怒った顔で睨んでくる。 それでも「ドアの外に立ってるから、何かあったらすぐ大声を上げろよ」と了承してくれた。 (ありがとう……ゼフ) 僕は、例えラユに伝わらなくても、彼に赤い薔薇の切り花を見せ、百年前の城主の日記を読んであげたかったのだ。 真夜中になって、いつものように現れるラユ。 唯一、守紋様が描かれていない僕の胸、腹、下腹部を、冷たい指で弄ってくる。 僕はその手の動きを無視し、ベッドの上で上半身を起こし、日記を開いた。 「あのね、ラユ。これは貴方の城主が、貴方のことを記した文章だよ。読み上げるから、よく聞いてね」 一字一句間違わぬよう気づかいながら音読する僕の声が届いているのか、彼の冷たい指の動きは、止まりがちになる。 分かってくれているのか、いないのか、分からない。 ただ、ラユが纏う錆た金属のような匂いと、寝室に飾られた薔薇の匂いが一つに混じり合ってゆく。 そしてラユは……。 夜明けの鐘が鳴る前、一筋の涙を流したように、見えた。

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